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ユキオ☆ライダー(旧:Shimada)

DJ&Writer。産湯につかっている時分からClassic音楽を聴かされて育ち、小学校の卒業式では学年の代表として指揮棒をふるい、中学生になるとYMOの洗礼を受け、ダンスミュージックに開眼。まるで宗教家のように真摯なディスコ通いがつづき、流されるままに六本木のディスコのウェイターに。それをきっかけに、当時スクラッチ日本一と呼び声の高かったHip Hopシーンの第一人者に拾われ、1985年にDJデビュー。それと並行するようにDJ集団「M.I.D.」の黎明期のメンバーとして、開局したばかりのFM横浜で日本初のマスターミックス番組「マルイ24クラブ」の最初期のレギュラーに抜擢される。約2年におよぶ某有名ディスコ経験後は、飯倉片町にあった外人中心のアンダーグランドなクラブ「Cleo Parazzi」でRockやRegeeなどをプレイし、西麻布の「Tools Bar」、「328」などでHip HopやRare Grooveにシフトしつつ、飯倉片町にあった「BANK」から本格的にHouse Musicに取り組むようになる。以後、日本のHouseシーンを語るうえで重要な意味をもつ六本木「ANOTHER WORLD」や渋谷「CAVE」、西麻布「YELLOW」、青山「MANIAC LOVE」など、その時代を代表するHouse箱や日本初のアフターアワーズパーティのDJをつとめてきた。House箱として無視することはできない芝浦の「GOLD」に関しては、オープン前に開催されたDJの公開オーディションに参加し、結果的に2Fのラウンジ的なフロアでのプレイを依頼されたが、本人は3Fのメインフロア以外でのプレイを考えてなかったので辞退している。本人曰く、ドン・キホーテさながらに目の前のことに夢中すぎて、まわりを見る余裕がなかったらしい(オーディションの審査員である当時のカリスマDJ藤原ヒロシ氏から、「あなたが在籍していたクラブはすべて潰れてますね」という辛辣なコメントをいただいたようだが、「ええ、それはわたしが抜けたあとのことです」と返答し、会場はドッという笑い声に包まれたという。それからしばらくしてYELLOW在籍時にGOLD3Fのメインフロアでプレイするという好運に恵まれたようだ)その一方で、一世を風靡したゲーム「テトリス」のHouse Remixのリリースや前出のM.I.D.にてオリジナル曲をいくつか手がけたりもしたが、99年にバイク雑誌のライターに転身して周囲をざわつかせた。とはいえ愛車であるハーレーダビッドソンによる全国野宿旅をはじめ、2012年にはインド製バイク「ロイヤルエンフィールド」で同社のヒマラヤツアーに日本人として初参加し、バイクで標高5600mの登頂に成功している。そのヒマラヤから帰国後、縁あって2013年の暮れに現場にカムバックをはたした。ルーツとなる音楽はClassicやPsychedelic Rock、Techno、New Wave、R&B、Jazz、Soul、環境音楽など。それらの流れを汲んだGarage&House中心のNY的なDJスタイルが特徴だ。バイクによる野宿旅と読書、映画鑑賞、裸体(女性)鑑賞をライフワークとしている。東京都府中市出身のO型で1966年生まれ。