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子育てと音楽活動の両立
Vol.4 :HIROSHI WATANABE

取材・文・写真:Koyas
 
 子どもを授かったときに、自分の音楽活動やライフスタイルはどうなるのか? 子どもを持ちながら音楽活動を続けるのはどういう生活なのか? そのライフスタイルやノウハウを聞く本連載。4人目は、私、KOYASにとってテクノ界のベスト・パパでもあり、音楽家としても大先輩であるHIROSHI WATANABEさん。僕がまだ独身のころ、現場が一緒になったときに「子どもからインスピレーションをもらうことはあるんですか?」と聞いたら「インスピレーションとかいう以前に、子育てはホント大変だから人間的に鍛えられるよね」という現実的な話が印象的でした。そのヒロシさんの子どもも長男さんは大学生となり来年には成人式を迎えます。テクノで3人の男の子を育てた苦労話や、夫婦のあり方などお話を伺いました。



1990年、高校を卒業したての男子がアメリカに行って、10年経ってお父さんになるタイミングで日本に帰って来た

KOYAS:まずヒロシさんの家族構成から教えてください。

HIROSHI WATANABE:うちは男の子が3人。19歳、18歳、14歳。上2人が年子で、5歳離れて3番目の子。


KOYAS:とても大変そうな気がしますが、奥さんは何かお仕事を?

HIROSHI WATANABE:家庭でも仕事でもパートナーです。僕はフリーランスだから、作品を作る上でも2人でよくディスカッションもするし、できた音は20数年の間ずっと誰よりも先に聴いてもらってる。知り尽くされてる感じ(笑)。1人でいろいろ思い悩んでいるようなときにも、ズバッと違う角度からものを言ってくれるベストパートナーです。

KOYAS:音楽のパートナーになったのも、最初のお子さんが生まれたときからですか?

HIROSHI WATANABE:奥さんは当時、仕事もしていたし、そこまで僕の仕事には深くは関わってなかったかな。最初の子が生まれたのは28歳のとき。僕らの界隈で言うと20代で子ども持つって早いでしょ?

KOYAS:早いですよね。当時はアメリカにいたころですか? 

HIROSHI WATANABE:結婚したときはニューヨークにいて、自分のなかで1999年夏には日本に帰るって決断したと同時に子供を授かっていることもわかって。ものすごく仕組まれたようなタイミングだった。1990年に高校卒業したての男子が日本の社会を見ずにアメリカに行って、10年経ってお父さんになるタイミングで日本に帰って来た(笑)。

KOYAS:子育ても、日本社会に慣れることも大変そうですが…。

HIROSHI WATANABE:大変だった。まず日本社会に慣れるっていうことがすごくのしかかってきて。アメリカ生活で無意識に得た感覚を日本の社会に同調させることに、当時は時間がかかってしまったと思う。

KOYAS:日本に帰ってきた当初、作業場所はどうしてましたか?

HIROSHI WATANABE:子どもが生まれるタイミングと、まだ自分たちの新たな住居もないタイミングだったので、奥さんの実家の一部屋を使わせてもらったり、スタジオ用に古いアパートを探して壁や天井一面を真っ白な布で囲ってみたり。音は出せないんだけど、いろいろな工夫をしながら上手く環境を整えて作業スペースを確保してやりくりしてたね。

KOYAS:音が出せないということは、ヘッドフォンで作業を?

HIROSHI WATANABE:そうそう。僕、ヘッドフォンミックス大好きだから。今はスピーカーと半々になってきたかな。ヘッドフォンって没入感半端ないじゃない? そこに馴染んじゃうと、スピーカーってかなり音量出さないと、ヘッドフォンで体感できる没入感に到達しない感があって。ダンスミュージックを作ってるときは、スピーカーで爆音もかなり出すけど、ミックスするってことになるとヘッドフォンが一番自分にはやりやすいかも。気付くとヘッドフォンでも爆音になっているけどね(笑)。耳には良くないよね。正直、結構痛めつけてきていると思う。 

ニューヨーク時代のスタジオ。今ではプレミアがついて高価な機材ばかり。 

KOYAS:以前Ableton Meetup Tokyoに出てもらったときに、ニューヨークのスタジオの写真をみせてもらいましたが、機材がえらい豪華でしたけど、あれは日本に持って帰ってきたんですか?

HIROSHI WATANABE:引っ越しで全部持って帰るとなると、コンテナとか使って半端ないお金かかるからどうしようって悩んだ挙げ句、もうまっさらで帰るしかないと思って。あれだけコレクションして自慢の機材を要塞のように作ったのに、もう覚悟きめて片っ端から売りまくって…。

KOYAS:心情的にはどうでした?

HIROSHI WATANABE:意外と断捨離って嫌いじゃなくて。1回リセットすることの恐怖と新鮮さが同時にやってくるでしょう? そこに快感…快楽があって(笑)。僕はそれを味わって楽しんじゃうタイプ。全部無くなっちゃったどうしようっていうところから、もう1回自分が本当に必要なものだけを見極める。もしくはゼロから発想を変えて、あれ持ってたときはこうだったけど違うことを考えようって。



仕事以外の時間は、すべて家族に注いできた


KOYAS:その当時の1日の流れ、現場があるとき、ないときはどんな感じでしたか?

HIROSHI WATANABE:子どもと一緒に起きて、朝食を一緒に食べて。早めに保育園に預けて、さあ仕事しようっていう流れ。それで夕方に子どもたちを迎えに行って、ご飯の準備して、子どもを寝かしつける、みたいな感じ。泊りの仕事やツアー以外は全部奥さんと一緒にやってた。今より時間があったから子どものイベントはすべて参加してたし。そのときに思ったのは基本的にお母さんしか参加できないんだな!ということ。子育ては本当に大変。だから父親も子どもたちの園や学校での様子は可能なら見た方が良いよなぁって。それは会社に勤めていると難しいことだから、むしろ自分はラッキーなのかなと思ったり。だって母親しか見れないのはもったいない。それくらい子どもたちの成長を直に見れる訳で、なにより夫婦で子育てに参加している気持ちにもなれる。仕事以外の時間はおそらくすべて家族に注いでいたはず。

KOYAS:何かきっかけがあったんですか?

HIROSHI WATANABE:僕の幼少期を振り返ると、音楽家だった父親は仕事が忙しすぎて、小学校に上がったあたりから家に殆どいなかった。だから、子どもが産まれたことで自分に父親的発想がないことに気が付いて、自然と母親的目線で子育てに参加してたんだと思う。父親像みたいなものの体験が薄いから、お父さんってどういう存在であるべきなのかと悩んだことはあるよ。

コンピューターベースになりシンプルになった現在のスタジオ

KOYAS:子どもが寝た後に作業することはあったんですか?

HIROSHI WATANABE:もちろんあった。真夜中って創作するには特別の時間じゃない? 過去に遡れば遡るほど、夜中作業するのが大好きだった。家族には時間を合わせていたけど、若かったから徹夜しても次の日子どもと遊ぶことも平気だったんだよね。イベント明けに寝ずに家族とどこかでかけるのもざらだったし。

KOYAS:僕はもう無理ですね(笑)。現場がある日はどういう過ごし方でしたか?

HIROSHI WATANABE:いつも通り。子どもを連れて必ず遊びに行ってたね。昔からカメラが大好きだったから、子どもを遊びに連れて行って写真を撮るっていうのがホント楽しい趣味のひとつでもあったし、解放されるときだった。

KOYAS:さすがテクノ界のグッドパパですね。

HIROSHI WATANABE:ジャケットにしたくらいだからね。テクノでおそらく子どもとか家族を大々的に扱ったアーティストって僕が初のはず。それまでのテクノは、いわゆる家族愛的なものとは程遠いイメージで統一されていたでしょ。そこへ至った経緯は僕自身のディレクションから生まれたものではなくて、ホントにたまたま導かれた。KOMPAKTから「ヒロシのことはニューヨーク時代から知っているけど、新しくKOMPAKTで出すプロジェクト名を日本語名で考えようよ」って言われて、僕は息子が生まれたばかりだからKAITOって名前の漢字の意味(宇宙の謎を解く)を彼らに説明したら「もうそれしかないよ」でKAITOになった(笑)。それで僕が子どもの写真送ったら「ヒロシ、すごくいいジャケットできたんだよ」って勝手にジャケになってた(笑)。


KOMPAKTからリリースされたKAITO名義の代表作”Everlasting” 
 
KOYAS:テクノのアートワークの歴史の中ではターニングポイントになったわけですね。

HIROSHI WATANABE:ここは自信を持っていえるけど先駆者だったと思う(笑)。赤ちゃんが指くわえてポロって涙流しているとか、すごいインパクトだったと思うんだよね。あれは2001年かな。KOMPAKTは、当時KAITOサウンドを「これこそ上質なリアルトランスだ」って言ってくれて、KAITOサウンドをネオトランスって呼んでた。だからトランスDJ界隈でもテンポアップしてかけるみたいなことが当時浸透していて。



今の子どもたちは忙しすぎて、何かしたいという発想も持てていないかもしれない。


KOYAS:うちは現在夫婦喧嘩中なんですが(笑)、ヒロシさんちは夫婦喧嘩は?

HIROSHI WATANABE:いや〜いっぱいしたよ(笑)。2人が初めてお父さんお母さんになっていくのは、めちゃくちゃドラマチックな話なわけじゃないですか。その2人の間には自分と相手との存在を共有した別の人間が生まれてきたわけで、その子に対する責任をどう全うするかっていうのは、永遠に尽きないテーマだよね。大学生になったら落ち着くかというと、とんでもない。もうエンドレス。幼稚園、小学生のころは中学生になると落ち着くだろうって思うわけ。ところが子どもが成長すると、今度はいち人間としての舵取りを多少なりともしなくちゃいけない。彼らの人生にエッセンスを加えるわけだよね。この答えが本当にない。子どもも成長してくるから、小さいとき程親の言うことは聞かないし、むしろ有無を言わさず押し付けたくもない。自分が子どもをどこまでコントロールするべきなのか?っていうのに皆迷うし考えると思う。子どもの自立心を育むためには、親もまた子から少しずつ距離を置くことも必要だから。

KOYAS:話を聞くとこの先もすごく大変なように思えます。

HIROSHI WATANABE:とてつもなく大変だけど、今振り返ると限りなく楽しかった。初めてのことだし、誰しもがお父さんになるとかお母さんになるって悩み倒すことなんだけど、めちゃくちゃ楽しんでいた。

KOYAS:いつ頃までが楽しかったですか?

HIROSHI WATANABE:純粋に子どもとして楽しめる時期は、おそらく男の子の場合は小学校の4年生までが、赤ちゃんのワンダーワールドを保ってる。5、6年っていう高学年で、やっと赤ちゃん体型がすらっと青年に変わっていって、段々声変わりし出したりとか。中身は追いついてないのに、急に大きくなったり、あぁ成長したんだなっていう感じになっていく。それ以降は、自分たちも気持ちを切り替えて、教育だったりとか進路が何なのかというところにシフトしていかないと手遅れになる。だから赤ちゃん体型の間に存分に楽しむべきだよね、あのワンダーランドを。

KOYAS:女の子はもうちょっと早いんですかね?

HIROSHI WATANABE:女の子は心が大人になるのが早いから、もう幼稚園生レベルで気持ちが大人でしょう? 男性を揺さぶるようなことが簡単にできるからね、お父さんだけじゃなくて(笑)。

KOYAS: (笑)。大人には出せないマジックがありますからね。

HIROSHI WATANABE:ほんとに。大人こそ、子どもを持てたという喜びとか苦しさひっくるめて、あのマジカルな世界を共有させてもらわないことには、その次のステップに行ったときにたぶん耐えられない。今度は可愛いさが全部そぎ落とされた状態で、どんどん生意気になって異常に反抗したりするわけで。親として子どもを育て上げるパワーの源が単に可愛い!の世界ではなくなる分ハードルあがるわけよ。ただ、子どもがやりたいといったらスポーツやらせるとか、何か没頭できるものにエネルギーを注ぐことで、親に何かを向ける必要がないくらい上手くすり抜けられるパターンもある。

KOYAS:僕は中学生でギター始めましたが、そういう側面もあるんですかね?

HIROSHI WATANABE:今の時代、音楽を自分たちでパフォーマンスしようっていう側に回りたいと思う人が少ないでしょ。まず楽器を演奏したい、触れてみたい、と純粋に思ったりする子どもがいなさすぎて、僕らの時代みたいな「中学でバンド組もうぜ」みたいなノリってもう希少価値高いと思うよね。

KOYAS:何故だと思いますか?

HIROSHI WATANABE:ひとつは時間がない。楽器をマスターするために注ぐエネルギーと時間。今の子どもたちは忙しすぎて、曜日すべてを習い事で埋めちゃう親もいる。そうしたら子どもの自由な時間はないし、何かしたいという発想も持てないかもしれない。それは良いとも悪いとも言えないけど、大抵はなかなか苦しいことになるよね。

KOYAS:たしかに習い事が山のようにあれば、楽器の練習なんかできないですよね。

HIROSHI WATANABE:そうなんだよ。英語を習いにいかなきゃとか、サッカークラブに入りたいとか、いろいろ選択肢あるわけじゃない? そうすると自ら音楽や楽器に繋がっていくというケースも希で。当然だけど習い事はお金も結構かかるし。

KOYAS:確かにお金かかります。3人分をヒロシさんが音楽で支えてきたのはすごいですね。

HIROSHI WATANABE:振り返ると奇跡というか。決して自分だけの力ではなく、いろいろな人の協力あっての……。このことは夫婦でも振り返るんだけど、よくやってきたな、だけど俺たちはまだまだ戦場にいるぞ、本当に大変なのはこれからだぞって。 幼稚園卒業して小学校おめでとうっていうところから段々ステップアップしていって、中学3年生の受験戦争があるでしょ。これのストレスは家族全員で共有するから半端ないよ(笑)。自分が中3のときを振り返ってみると、自分自身だけがストレスだと思っていたけど、あれは違う。これは家族全員の問題だった(笑)。

KOYAS:その時に親はなにをしているんですか?

HIROSHI WATANABE:親の役目はもちろん精神的サポートっていうのが大きいんだけど、塾選びや先生とのやりとりとか、なんだかんだと親が先回りしなきゃいけないことだらけで。だけど、先回りしすぎてすべてを先導させると、子どものためにもならない。だから、子どもにも選択肢を持たせつつも、親が先回りして状況を把握しておくってことが重要かもしれない。


すべてのプライオリティーのトップは
パートナーシップ


KOYAS:プロデューサーっぽいですね。そのなかでヒロシさんは音楽活動を続けてきたわけですが、両立するコツはありますか?

HIROSHI WATANABE:多次元になってチャンネルを増やすこと。人によっては結婚した途端に自分の時間がなくなった、曲も作れなくなった、好きなことができない、ウォ〜ってなるパターンを確かにみてきているから。だけど、そうなるといろいろな悲劇が生まれてくる。子どもを授かった以上はお父さん業を全うして、家庭人であり、だけど自分の表現を捨てずに全力であること。もうひとつは僕の揺るぎない感覚なんだけど、家族を持つことの発端は自分の奥さんとの出会いなわけで、それがなかったら何も生まれていないのは事実でしょ? だからパートナーシップがすべてのプライオリティーのトップなんだよね。結果子育てに繋がるし、家族の応援に繋がるし、自分の活動に繋がる。

KOYAS:さすがですね…僕も家帰ったら奥さんにごめんなさいしないと(笑)

HIROSHI WATANABE:(笑)ごめんなさいした方がいいよ。謝って、奥さんの思いを汲んであげて。男と女はまず100%かみ合わないでしょう? 男は超論理派、女は感性と感覚を軸に生きているから、その2人がバトルしちゃうと行き着くところにたどり着かない。だから2人が冷静であるときに、お互いのバックボーンをあらいざらいオープンにすることによって、やっと自然に尊重し合える。

KOYAS:それが結果的に音楽活動にも反映されるというわけですね。

HIROSHI WATANABE:もちろん。お互いの間に子どもも産まれて家族として生きる以上、壊したくないし大切にしたい。多少音楽活動を遠回りしようが、目の前にあるものを大事に暖めて人生を素敵なものにしてくれることの方が、順番として正しいんじゃないかと思う。

KOYAS:音楽活動を遠回りというのは?

HIROSHI WATANABE:人生観で言えばせっかく(子育てという)題材やテーマがいっぱいあるのに、自分のことだけに専念するのはめちゃくちゃもったいない。これを全部背負って音楽活動することの方がエネルギーを発揮するだろうし、ミラクルが起きると思うんだよね。遠回りとあえて言ったのは覚悟とか受け止めるということの置き換えでもあるよね。

KOYAS:今まで話聞いた人は大体同じことを言うんですよ。子ども生まれてからの方がちゃんと音楽に取り組めていると。

HIROSHI WATANABE:要は無駄な時間をなくしたいわけじゃない。家庭にパワーを注ぐわけだから、その分の時間が削られるのも当然だよね。要は時間の使い方の訓練のことだから、今までは10時間、30時間使っていたものを、ものすごい効率の良い凝縮した時間にすればいい。それができると、家庭とか子育てとか親業というのを自分の活動に乗っけていけるようになるので、時間的には遠回りに見えるようで内容的には遠回りじゃないと思う。
※記事中の年齢・家族構成等は取材時のもの