■BEATNUTS
80年代後期からPETE NICEやNAUGHTY BY NATURE、CYPRESS HILLらの楽曲のリミックスで頭角を表した、NY育ちのラティーノ系HIPHOPクルー、BEATNUTS。軽いタッチとユーモアのセンスを備え、直に彼ら独特の雰囲気を作り出していった。
PHYCO LESとJUNKYARD JUJUの他に、1993年のデビュー作" 1993's Intoxicated Demons EP"のリリース時にはリリシストのFASHIONも一時そのメンバーに名を連ねていたが、彼のドラッグ問題によりEPのリリースが延期。そもそも FASHIONは1991年にDE LA SOULのメンバーやCHI-ALIと共に"LET THE HORNS BLOW"をレコーディングしたキャリアを持つMCだ。
半年遅れでリリースされたEPの後、セルフタイトルを冠したアルバムを発表。彼らの幅広い見地を反映したリリックは他のラッパーからの敵意をやがてユーモアへと変えていった。
その後、FASHIONは去り、イスラム教に改宗し名前もAL-TARIQに変更。JUJUとPSYCOはそのまま活動を続け、いよいよ待望のセカンドアルバム"STONE CRAZY"を発表。その二年後には"A MUSICAL MASSACRE"をリリースする。長年活動を続ける今も、彼らの存在を破るフレッシュなアーティストはまだ存在しない。
■JERU THE DAMAJA
彼に「記憶」というものが存在する限り、HIPHOPは永遠に彼の生活の一部だ。7歳のとき、地元ブルックリンの公園でHIPHOPに出会い、10歳でライムを書き始めた。
ジェルー・ザ・ダマジャ(本名ジェルー・デイヴィス)はNYはブルックリンで生まれ育ち、彼を取り巻く環境の全ては後の彼のライムに大きな影響を与えることとなる。やがて、彼は自分自身を別人格の"DAMAJA"(彼の力強いラップスタイルがマイクを壊したからだそう)と名乗り、ブルックリンのストリートにおけるコンシャスな語り手となる。その後、ジェルーはニューヨークに移ったばかりのDJプレミアとグールーら、つまりGANGSTARRにその才能を見出されることとなる。1980年代後半のことだ。
1992年、GANGSTARRのアルバム、"DAILY OPERATIONS"に収録された"I'M THE MAN"で彼独特の"ハードコア・コンシャス"なスタイルを披露したジェルー。
1993年には後にHIPHOPクラシックとして知られることとなる"COME CLEAN"をリリースし、デビューアルバム" The Sun Rises in the East"を発表した。その2年後、"Ya Playin' Yaself" や"Me or the Papes"を収録したThe Wrath of the Mathがリリースされ、ジェルーは「HIPHOPの救世主」としてその名を轟かせた。
2000年には完全自主限定版で" Heroz 4 Hire"をリリース。自らのプロダクション、KNOWSAVAGEを設立しての制作となった。その後、新たな自主レーベルASHENAFI RECORDSを立ち上げ、2枚目の自主盤を発表。プロデューサーにED DANTEZとSABORを迎え、新たなクラシックナンバーとなる"WAR"やGROUP HOMEのLIL DAPをフィーチャリングした"DON'T GET IT TWISTED"をシングルとして発表した。
現在、ジェルーは3枚目のインディーズ作品"STILL RISIN"の制作中だ。彼自身の経験をリリックにより融合させた、硬派でリアルな作品になっている。誰もが共感できるような「リアルライフ」を切り取り、ジェルーの知性派としての面がよく表されている1枚だ。
これまで絶えることなく世界中のステージに立ってきたジェルー。この10年でアメリカ、ヨーロッパ、南米そしてアフリカでショウを繰り広げてき、そのキャリアはUKのGROOVE ARMADA、DJ CUT KILLA、フランスのDOUDOU MASTA、日本で活躍し、今はニューヨークにその拠点を移しているDJ HONDAらとの共演を果たしてきた。今では新たにラジオDJとしての活動も開始し、間もなく執筆活動も始めるというジェルーから今後も目が離せない!
他に、スケーターのトニー・ホークのゲーム"PRO SKATER 4.TRUE CRIME"や"GRAND THEFT AUTO IV"などのテレビゲームにも楽曲を提供。また、クール・モー・ディーの著書" There Is a God On the Mic"の中の50 Greatest Emceesのリストにも名を連ねている。そして、いまだそのレジェンドたる活躍は留まる事を知らない。
■Young Life
コンプトン出身の19歳。Dr. DreやThe Gameなど、数々のヒップホップスターを生んできたこの街で、ギャングとバイオレンスに囲まれて育つ。若くしてラップの才能を開花させ、The Gameのクルー、Black Wall Streetでの活動も経験する。現在はLA屈指のセレブ系自動車ショップ、プラチナムモータースポーツに見出され、そこのサポートを受けソロで活動中。
Young Lifeのリリックは、ナチュラルで叙情的であるがゆえ、ラッパーとしてだけでなくストーリーテーラーとしての才能も十分に認められており、その実力はしばしばJay-Zと比較されるほどである。様々なミックステープ、客演などで注目を集め、ファーストシングル"'If I Go Away"はマイスペースだけで約200万回のプレイを記録。ニューシングル "California Life feat. Ray J"なども含めるとトータルで460万回を越え、新人としては抜群のプレイ数を記録する。
またその"California Life"は、プロモーション前にも関わらずカリフォルニアを中心にラジオ局でのTop 30入りが相次ぎ、'09年の最も熱いデビューアーティストとして注目されている。
そのような活動を受け、'09年5月に配信による全米デビュー。秋にユニバーサル/バンガローからパッケージアルバムリリースを予定している。
MySpace URL:http://jp.myspace.com/younglife
EVENTS