男が惚れるDJ Beppe Lodaが『secretbox』待望の再来日です!
昨年の初来日での彼のDJプレイ、あのパフォーマンスに衝撃を受けた方は、きっと多いのでは?
Let's all shut up and have a party!! see you on the dance floor..
2014.11.14 (Fri)
secretbox vol.7 feat Beppe Loda from Italy
DJ
Beppe Loda
Friskie (JOURNEY)
HONGA (JOURNEY)
cwest (JOURNEY)
NAOTAN (JOURNEY)
VJ:
VIDEOROCK (JOURNEY)
http://journey-tokyo.tumblr.com/
インタビュー
http://www.clubberia.com/ja/interviews/605-Beppe-Loda/
- DATE:
- 2014-11-14 FRI
- OPEN:
- 未定
- VENUE:
- 0 - ZERO - 閉店
- PRICE:
- 2500
- LINE UP:
- Beppe Loda
アフロシーンの創始者
Daniele Baldelli ”Cosmic”と並ぶ、北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的DJ Beppe Loda。
Beppe Lodaなくして、イタリアのディスコシーンを語ることは出来ない。全盛期“Typhoon” ”Cosmic”のレジデンツとして君臨し続け、”Afro” “Cosmic”ムーヴメントを興した中心人物だと言えるだろう。
イタリアの工場都市BresciaでBeppe Lodaは生まれ、1973年DJとしてのキァリアをスタートする。
その頃からAfrican origin, Fusion, Jazz, Brazilian, Funk, Blaxploitation, Percussionといった異なるジャンルを織り交ぜるDJスタイルを確立していく。
1980年 彼にブレークスルーの機会が訪れる。
“Cosmic”と同じく、今も尚語り継がれるイタリアの伝説のクラブ ”Typhoon”でのレジデンツDJのオファーである。“Typhoon”は、北イタリアのGambaraという小さな街にあり、映画の撮影スタジオ跡地にサウンドシステム、ライティングを取り付けたキャパシティー400人の箱だった。
彼は毎週土曜日にプレイしていたが、月に一度だけ月曜に"Non-Stop-Music"という、当時イタリアで全盛期だったDisco, Funkミュージックに、ドイツ産電子音楽、New Wave、Industrial Musicを織り交ぜ実験的にプレイした。
当時の北イタリアのラジオ局では、Beppe Lodaが”Typhoon”でプレイする最新の音楽をかけていて、そこに他のクラブが追いついていくと言う在り方だった。”Typhoon”は、北イタリアの音楽シーンをリードしていく中心的存在だったと言えるだろう。
あなたは想像する事ができるだろうか。”Typhoon”は、普通の民家に隣接され、駐車場も無かった。400人のキャパシティーのクラブの外には、3000-4000人もの人々が、入るのを待っていたのだから。
一人出ては、一人入る。それはクラブカルチャーにおける革命だったとも言えるだろう。
”Typhoon”と”Cosmic”互クラブは、イタリアで最も有名なクラブだったが、実は彼も1984年まで ”Cosmic”のレジデンツをつとめている。
北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的なクラブ ”Typhoon”と”Cosmic”は、同じ87年に幕を閉じる。 “Typhoon”に至っては、400人のキャパシティーに、毎週3000人近いお客さんが訪れるというプレッシャーに絶えきれず閉店した。最終日には、1万人ものファンが押し寄せ皆、伝説的なクラブに敬意を払いお金を置いていったという。
その後は彼は、ヨーロッパ、アメリカをはじめイタリア外で招聘されプレイする機会が多くなる。
スタイルの特徴でもある、Afro Musicにシンセサイザーが加わり、サイケデリックを融合させ、新たなジャンルへと進化させるスタイルは、故Larry LevanやDavid Mancuso, DJ Harveyにも影響を与え、彼らも好んでプレイしたという。
人の心を突き動かす音楽の本質を理解しているからこそ、彼の作り出す音は実にスペーシーにエモーショナルにフロアに届くのである。
今日も彼はレアなレコードを探し続けている。
それは彼にとって、鼓舞し深奥の原動力ともなっている愛の出来事だと言えるだろう。