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~昭和歌謡喫茶~ CYCLE-T&ADACHIダブル誕生日SP

近江の "ジェームスブラウン" ことCYCLE-Tとレペゼン ~昭和歌謡喫茶~ アダチパイセンのW誕生日スペシャル。
1987年当時,滋賀で初めてのラッパーとしてフロアーをスクリームし続け今なお現役で伝説を創り続けている滋賀クラブシーン伝説のキーマン、CYCLE-Tのオールドスクールフレイバー炸裂なDJを見逃すな!

10/7(月)
~昭和歌謡喫茶~
CYCLE-T&ADACHIダブル誕生日SP
(OLD SCHOOL J-POP,昭和歌謡曲)
PM 8 OPEN PM 9 START
入場無料

DJ : YAMAKOH / CYCLE-T / ADACHI

CYCLE-T
1961年10月7日大津市に、あの氷室京介と同じ日に産まれる。筍のようにすくすくと育ったCYCLE少年。グレることもなく立派な大人へと成長。このまま幸せな家庭を築くかと思われたが、30手前にして人生のレールを狂わせる運命の出会いが。YMOやクラフトワークなど打ち込みの音楽、いとうせいこうや近田春夫など、日本でも当時流行の兆しがあったHIP-HOP(RAP)というものに興味を持ち始めたある日、とあるイベントでレコードをかける20歳そこそこの青年を見る。「こ・こ・こんな世界があるのか・・・。」かなりの衝撃が走ったとの本人談。早速次の日にターンテーブルとミキサーを買いレコード を数枚手に入れる。服装もこの日から変わった。ヒモ無しアディダスを履き、首からは黄色の目覚まし時計をぶら下げ、周りの若造からは一目置かれた存在に。 自宅でスクラッチを楽しむだけでは飽き足らず、自宅近所、瀬田駅前の滋賀初のレゲエバー”サルババ"にて自らPARTYを主催。毎回軽トラックで機材を運び朝までALL NIGHT。やがてそのPARTYにも、人生を変えた20歳そこそこの青年も加わることに。不定期で行われていたPARTYはやがてレギュラー化。「調子が出てきた。これが俺なんだ。」と心で呟き、ふと気が付くと「YO YO CHECK THIS OUT!」空いているジャックにマイクのシールドを挿しスポットライトを浴びている。「今夜のLIVEはHEAVYやな SUPER RAPPER CYCLE-T BEER持つ手が震えるZEY! スクラッチ DUB MASTER K」CYCLE-T ラッパーとしての産声をあげる。それから四半世紀。数々のラッパーが雨後の竹の子のごとく、出ては消え出ては消えしていく中、一体彼はなぜ消えないのか。 それは、活動自体が彼独自の時間 (時空)・ペースで行われており、謎のベールに包まれた部分が多いためである。おそらく極フツーのアーティストなら常にリリックを考えライミングについて 研究していくのだろうが彼はそんなことはしない。彼にそれを求めるのは愚問でありナンセンスである。いつも似たようなリリック。社会批判や強烈なメッセージもない。しかし彼は今も生き残っている。何故か?彼は歌っているのではない。言霊(ことだま)を発しているのだ。その言霊と波長の合った者だけを虜にし、自らの時空へ連れて行く。彼から放たれる一言一言が、そのものの言霊としてオーディエンスに伝えられる。彼の魅力は言葉にできない。彼自身もそれを望まない。ただ誰かが彼というものの存在を伝えていかなければならない。