7月のHARMONYは1996年から2002年までHARMONYのDJとして、またCLUB METROとART COMPLEX 1928にて空間演出に拘った "the music party, 0 to 100" をプロデュースしていた "1.5" と "SATOSHI OHTSUKI" が24年ぶりにHARMONYに来てくれます。
当時を知っている人も最近ダンスミュージックを聞き始めた人も彼らの奏でる幅広いジャンルや様々な時代の素晴らしいミュージックジャーニーを是非体験してもらいたいです。
音楽を取り巻く環境の変化が著しい昨今、このHARMONYだけはいつも変わらず温かい場所であり続けたいと思います。新旧織り交ぜて、様々なジャンルをクロスオーバーさせて、刺激的なミュージックライフを今回もみなさんと楽しんでいけたら幸いです。
それでは7月のHARMONYでお会いしましょう。
This July at HARMONY, '1.5' and 'SATOSHI OHTSUKI,' who were DJs at HARMONY from 1996 to 2002 and also produced the space-focused music party '0 to 100' at CLUB METRO and ART COMPLEX 1928, will be coming back to HARMONY for the first time in 24 years.
Whether you knew them back then or have just recently started listening to dance music, we hope you'll experience the wide range of genres they play and their incredible music journey through different eras.
In today’s world, where the environment around music is changing rapidly, we want HARMONY to always remain a warm and welcoming place. Mixing both old and new, crossing various genres, we hope to enjoy another stimulating musical experience with all of you.
So, let’s meet at HARMONY this July!
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7/25(土)
HARMONY
(DEEP HOUSE,TECHNO,DANCE CLASSICS,DUB,SPACY BOOGIE & FUTURE CLASSICS)
PM 10 OPEN
MUSIC CHARGE¥1,000 (+D¥700)
UNDER 23 ¥500 (+D¥700)
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■1・5 (⼀郷)
静岡県静岡市出⾝。学⽣時代を⻑く京都で過ごす。中学⽣の時に偶然テレビで観た Run-D.M.C. のラップとスクラッチの姿に衝撃を受けDJを志す。ヒップホップDJを⽬指す⼀⽅で、当時の地元のクラブ/ディスコシーンは New Jack SwingやAcid House、Reggae、Disco、Acid Jazzなど様々な⾳楽ジャンルが活気とともに混在していた。その刺激的な環境に⾝を置きながら、1990年頃から地元のDJ barなどで活動を始めた。1993年、東京のYELLOWで、MAWが⽬の前でプレイした「The Nervous Track」に第2の衝撃を受けて以降は、NY DEEP HOUSEに傾倒。1999年に京⼤⻄部講堂で開催されたN.Yの伝説的パーティー「The Loft」のDavid MancusoのDJと、そのパーティーを京都でオーガナイズしていた「Life Force」のメンバーとの出遇いに第3の衝撃を受ける。そして当時京都にあった「CLUB CONTAINER」の⻄社⻑の紹介でK-SUKE⽒と出会う。以来「HARMONY」の京都時代から「CLUB MOVE」オープン以降の数年間にわたりDJチームに参加。K-SUKE⽒を中⼼にSATOSHI OHTSUKI達とプレイを共にする。そこでは「HARMONY」に集う親愛なるミュージック・ラヴァーたちと共に幾度となくフロアの奇跡を体験することとなる。
また、京都CLUB METROとART COMPLEX 1928を会場に、朋友DJ SATOSHI OHTSUKI達と別枠で始めた「the music party, 0 to 100」は、国内外のDJやプロデューサーへのインタビューなどを掲載したフリーペーパーの発⾏と連動しながら、バルーン装飾とライティングによる浮遊感のある空間演出など、それまで体験して来たDJカルチャーの集⼤成として表現された。2002年を最後にDJ活動を全て休⽌。僧侶の道へと進む。しかし、住職になったものの、アナログ盤を買い続けてしまう煩悩を断つことに失敗。
今回は34年⽬を迎えたHARMONYを皆さんとお祝いするために静岡から駆けつけます。
〜いつだって「HARMONY」の中に、みんなが輝いている。さあ楽しもう!〜
■SATOSHI OHTSUKI
兄の影響で80年代半ばから放映されていたMTVを見て、小学生にして洋楽にハマる。 その後時代をさかのぼり、パンク・ニューウェーブに関心をもちつつ、当時日本のインディ
ーロック黎明期と海外からのヒップホップの流れがごちゃ混ぜになった、藤原ヒロシ的に面白い時代をリアルタイムで体験する。 そして、時は華やかなりしバブル絶頂期、京都ではクラブ開業前夜、ディスコ時代終焉の時といった時代の雰囲気の中、当時京都にあった3つの「マハラジャ」の内、一番こじんまりとした三条通にあった「マハラジャCLUB」というディスコで、毎週日曜日の朝5時に営業が終わった後に、サンデーモーニングパーティーが開催されていた。 当時、ディスコのDJと言えば、お決まりのディスコヒットとユーロビートを織り交ぜMCで場を盛り上げるというのがお決まりだったが、そのパーティーではMC無し、DJが自由な選曲で最新のブラックミュージックを紹介してくれた。 お客さんも、音楽的に感度の高い人が集い、今のクラブでは当たり前の自由に音楽を楽しみ踊るという、ディスコの系譜とは一味違った場所になっていた。 そんな大人な雰囲気にあこがれ、当時高校生の僕は足しげくサンデーモーニングパーティーに通った。今思えば、その体験がDJ志す原風景となっていた。 その後、自身でもダンスミュージックを深堀するようになり、1995年祇園会館にあった「マッシュルーム」で念願だったDJを始める。 そして京都のクラブ黎明期を支えた「コンテナ」に場所を移し、1996年はじめてK-SUKEさん1.5と出会う。その後、長年活動を共にする1.5とは、後になって現役で同じ大学に通っていることが判明、意気投合したことは言うまでもない。 1997 年「MOVE」に場所を変え2002年まで「Harmony」に参加することになる。 今思えば、その7年間DJとしてHarmonyを盛り上げたいという意気込みだけで、今でいうところのコミュ障でお酒が一滴も飲めないが故、水商売としてのクラブを苦手にいていた僕を、純粋なミュージックラバーとして暖かく迎え入れ自由に活動させてくださった、K-SUKEさんやMOVEの皆さんには感謝しかありません。
時は1998年「Harmony」での活動と並行して、地元京都でもパーティーを始めたいという思いが強くなり、1.5、MICHIHISAと共に「0 to 100」を2ヵ月に1回「メトロ」で開催。
そのコンセプトは1996年にNYでスタートし大きな盛り上がりを迎えていた「Body & SOUL」のように、新旧織り交ぜたオールジャンルのダンスミュージックが体験できるパーティーというものだった。 プレイされる曲も「スピリチュアル」の呼び声の下、JOE CLAUSSELL による「Spiritual Life Music」からリリースされる生音中心の上質なダンスミュージックで大いに盛り上がった。 また、我々の理念を伝えるべく毎回パーティーに向けてフリーペーパーを発行するなど精力的に活動を行うが、運営面では厳しさを増していった。 その活動の中で出会った、伝説のパーティー集団「LifeForce」の影響もあり、徐々にクラブイベントの枠を離れ、ミュージックパーティーとしての空間演出に関心が向いていくようになる。 2002 年、ART COMPLEX 1928 で開催した「the music party 0 to 100 -SUNDAY ART ENSEMBLE-」では、日曜日の昼間、歴史的建造物で幻想的な空間装飾とライティングの中、 上質なダンスミュージックを楽しむため人々が集うという、我々の理想と理念を詰め込んだものだった。 それを最後に、個人的にはやりきった思いもあり、各々の事情も重なり「0 to 100」は終演を迎え、Harmonyからも身を引くこととなった。
今回K-SUKE さんから声をかけてもらい、DJとしてクレジットされていますが、20年以上現場を離れているので当日DJは無しで、久しぶりにHarmonyの雰囲気を楽しませてもらいます!
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