INTERVIEWS

Soul Source

実は僕が DJ をやるようになったのって、仙台で自分がオーガナイズしてた「ブルーブルー」というクラブの DJ 不足からなんですよ(笑)。 ニュージャズやアシッドジャズが流行っていた 93 年頃ですね。高校生ぐらいからずっと黒人音楽が好きでソウルやブルース、ヒップホップを聴いていたので、かなりのレコードを持っていたんです。もともとちっちゃい頃から音楽が大好きだったんですけど、中学生の時は田舎だったから輸入版がなかったんです。だから MTV を見ていろいろな音楽を知りました。それから高校生になって生まれて初めて「 CD 」として出会ったのがビリー・ジョエルのベスト版ですね。お金持ちの友達の家に遊びに行ったとき、ソニーが作った「 CD 」に遭遇したんです。当時は、レーザーディスクのちっちゃい版だと思っていましたね。「なにこれ?」って感じでしたね。(笑) 僕の音楽との出会いってテレビの歌番組でかかってるフォークソングとかなんです。子供の頃からテレビに影響受けて音楽を好きになっていきましたね。それで最初にレコードを買ったのは小学校 5 年生の時で忌野清志郎さんがやっていた「 RC サクセション」ですね。そのレコードジャケットで清志郎さんが履いていたスニーカーがナイキの「テラ」っていうやつで、すごくレアモノだったんですよ。それがかっこいいなと思って買ったんです。今でいう「ジャケ買い」ですね。それからどんどんレコードを買うようになって、ソウルミュージックに出会ったんです。その時は衝撃でしたね。ソウルミュージックは音楽の中でも「踊る」要素を持っていてそれに惹かれて、ダンス寄りの音楽に興味を持つようなっていきました。いまでもソウルは大好きです。逆にロックやメタルはあまり知らないんです。黒人のバンド系のものは少し聴いていましたけど。それもやっぱりソウル系ですよね、それと、パンクやニューウェーブは全然通過してないので音楽の話や歴史もまったくちんぷんかんぷんなんです(笑)。大沢伸一さんや田中知行さんはパンクやニューウェーブ、ロックも通過してきているはずですけど、僕は全然その辺の音楽のルーツを知らないんですよ。ほぼゼロに近いですね。セックス・ピストルズもよく知らないですもん。曲がかかればわかりますけど、自分で当時がんばって聴いたっていうのはないですよ。
そんなこんなでソウル好きが大学生になって、バーで働くようになったんです。お店のことでいろんなことを任されるようになったときに、周りのスタッフがあまり音楽を知っている人がいなかったんですよ。それで音楽に詳しいお客さんと、あの音楽はどうだとかを話しこんだり、新しい音楽を教えてもらったりしてましたね。雑誌で調べたり、詳しいお客さんに聞いたりして CD を買いに行ってましたね。だからレコード屋やさんにはほぼ毎日行ってました。このときの音楽への執着心や貪欲さが今でも基本として僕の心にはあります。音楽を発掘する喜びですね。 東京に来る前までは自分でレコード屋さんをやったり、クラブをやっていたりしたんだけど、大沢伸一さんに「東京に来ない?」って誘われて 98 年に上京したんです。 当時、大沢さんには仙台の僕のクラブに何度かライブ公演で来てもらっていました。マンデイ満ちるさんともその時につながった感じですね。大沢さんのマネージャーとして東京に出てきたんですけど、最初は本当に何にもわからなかったですよ(笑)。でも僕も現場で働いていたのでマネージャーとしてのノウハウなんかをすぐにいろいろ吸収していきました。そしたら次第に自分の時間を持てるようになってきたんです。その時間を使って作った「 JACKSON 5 」のリミックスアルバムが幸運にもヒットしちゃったんです!これに関してはタイミングですね。その前に小西さんの「ルパン」のリミックス集が大ヒットしていたのも追い風になりましたね。ポピュラーな日本人がポピュラーな洋楽曲をリミックスするっていうアイディアはありそうでなかったんです。この企画に参加してくれたリミキサーには「くせ」のある人も集めてましたから、コアな人も納得してくれたんだと思うんです。

そんなこんなで DJ 活動もするようになっていきましたね。最初は「 BLUE 」で松浦さん(元 UFO )が休むときに呼ばれたりしてましたね。それからいろいろとオファーが来るようになって DIMITRI FROM PARIS の日本ツアーで一緒にやるようになったりですね。 DIMITRI FROM PARIS は大好きなんです。彼の音楽や DJ ってわかりやすいし、楽しいし、水商売のにおいするしって感じなんですよ。(笑)そういう分かりやすい感じとクリエイティブなところが同居してるんですよ。プレイは場所によって変えていくし。本人も「今日のプレイは 60 点だったよ。お客さんは少しコマーシャルだったし。でも盛り上がっててよかったね!」って楽しそうに言うんです。プロだからあたりまえなんですけど、そういう風に自分の表現するものだけを聴いて欲しいっていうような押し付けがましいところがないというか、クリエイター側に寄らないというかね。そうやって楽しませることを第1として淡々と実行するところは尊敬できるし、自分もそうありたい。僕のプレイスタイルもとにかく楽しく、酒が売れるような(笑)、知らない男の子と女の子が手をつないで帰るような「楽しませる」プレイが基本ですよ。もちろんチープにならないようなアプローチは四六時中考えてますけどね。

クラブは男の人が多いのもあってストイックな音楽が求められることがありますけど、僕はとにかく「楽しいもの」が基本です。ストイックな音楽を追求するアーティストは僕以外にたくさんいるので、自分の楽曲とリンクできるものを DJ としても表現しています。自分の楽曲がわかりやすくて、 DJ がストイックだったらおかしいでしょ?(笑)僕がミニマルずっとかけてるとか(笑)プロデューサーとしてスタンスも同じで「楽しいものをつくる。わかりやすいものをつくる」っていうのが基本です。昔から残っているソウルミュージックの持つエバーグリーンなもの、ずっと残っていくものを作りたいし、追及していきたい。それは自分の作品、他人の作品や間接的プロデュースなどすべてにおいてです。 ブート盤 ( ホワイト盤 ) ばっかり買っています。「どこで売ってるの?」みたいなの(笑)。世界中のインターネットを検索して、試聴して買ってるんです。いつも DJ のときに持って行くレコードの 7 割くらいがそうで、 DJ ブースに設置した時、全部真っ白みたいな。

こういったブート版も今はよくできてるんですよ。機材が進化しているから元の楽曲をエディットしてしたり、アカペラにオリジナルビートをのせてシンセ加えたりしてあって。これらのブート版はクラブで聴くものですね。家で聴いちゃうとちょっと物足りない感じがしちゃうから。渋谷のレコード店にはあまり置いてないのでインターネットで探してます。