INTERVIEWS

DINKY

1990年代の中頃だったかしら。たぶん13年前だから、1994年ごろだったと思うわ。当時はデトロイトやシカゴのハウス・ミュージックを中心にかけていたの。 まずは何と言ってもリカルド・ヴィラロボスね。18歳か19歳のときに初めて彼のDJを聞いて、とても衝撃を受けたの。そのあとはDJヘル、スヴェン・バス、ジェフ・ミルズ、それからステイシー・パレンあたりかしら。 私たちがやっているような音楽って、同じような音や同じようなレコードがたくさんあるので、なかなか差別化が難しいジャンルだと思うんだけど、自分としてはハウスとかテクノとか、場合によってはディスコっぽいものも混ぜてみたりとか、幅広いジャンルをミックスしてかけるように心がけているの。クラブ・ミュージックのDJは、テクノだったらテクノばっかりだとか、ハウスだったらハウスしかかけないとか、えてして「純粋主義」に陥りがちなことが多いと思うんだけど、なるべくそういうふうにならないように、注意しているわ。
でも最近はシーンやジャンルの「中間」に位置するような、カテゴライズの難しい音も増えてきて、とてもいい傾向だと思うの。 最初に交流を深めたのはアダム・Xとかフランキー・ボーンズだったわ。割とメインストリーム寄りのテクノ・シーンだった。でもしばらくしたらシーンがなくなってしまって、NYにいた最後の頃は、当時一緒に活動していたDJ仲間も音楽をやめてしまったりして、本当にアンダーグラウンドな小さなハコで、地元のDJたちと回したりしていたの。 NYから出ることになったのは単純にビザの関係だったの。急に戻らなくちゃならなくなって、2週間くらいで荷物をまとめて、一旦チリに戻ったの。3か月チリにいて、それからベルリンに渡った。 まずは私的なことだけど、リカルドも住んでいたし、知り合いが多かったので、生活面でも安心できたの。音楽的なことでいえば、クラブもたくさんあって、活動の場が多いということが第一かしら。色々なイベントに出ることができて、ひとりでも生計が立てやすかったわ。あと、最近はシーンも盛り上がってきて、ベルリンだけじゃなくヨーロッパ各地を飛び回るようになったんだけど、空港も近くにあるから移動も便利よね。もうひとつ言うと、有名なプロデューサーもたくさん暮らしていて、彼らと知識を共有できるっていうのが大きいと思うの。曲を作っているときに何か困ったことがあったり、壁に当たったりして、でも近所にいる誰かにすぐ相談できたりとか、そういう環境はNYにはなかったものだわ。 2005年だったわ。自分が好きなときに制作をして、それを好きなときにリリースしたくて、自分でレーベルを作ってしまったの。やがて、リリースをしたいけど発売元がないような友達も手助けするようになって今に至る、という感じかしら。
でもこんなふうにレーベルを立ち上げられたのは本当にラッキーだった。というのも、当時自分ひとりでレーベルを運営していく資金はなかったの。どうしてスタートできたかっていうと、Handle With CareっていうCDのプレス(製造)会社があるんだけど、そこのイベントというかコンテストで当選して、レーベルの運営に必要な賞金とノウハウをゲットしたのよ。あの幸運がなかったら、って考えたら… Handle With Careには頭が上がらないわ(笑)。 レーベルを立ち上げたときは本当にシンプルで、まず自分の作品を自分のペースで発表していく場に、ということだけだった。今では他のアーティストの作品もリリースしていくようになって色々と考えなければならないのだろうけど、基本的な姿勢としてはステイ・アンダーグラウンドということくらいかしら。 ルチアーノの[Candenza]とかマシュー・ジョンソンの[Wagon Repair]とかが、レーベルとしての姿勢などに共通したものを感じるわ。
マシュー・スタイルズかしら。本当に素晴らしい才能を持ったアーティストだと思う。正直、もっと大きなレーベルに引き抜かれていってしまうのではないかしらって、不安に思うときもあるけど、それはそれで仕方ないというか、彼はそれに値する人だと思うし。さらにキャリアアップして、大きくなっていくタレントだと信じているわ! ナンバーワンは間違いなくベルリンのね。写真撮影が禁止されていて、クラブの中にいる人たちだけの空間を大切にしているというか、とてもプライベートな雰囲気を維持しているところが好き。 今でもヴァイナルが中心ね。CDをかけるときもあるんだけど、それはヴァイナルがまだ出ていないプロモ音源であることが多いわ。普段はそれだけなんだけど、今回はループ・サンプラーも持ってきてるの。でもそれを使うのは稀ね。レコードバッグをなくしたのは少なくともこれまでに5回、もっとあったと思うけど覚えてないわ。幸運にも完全にロストしたことはなくて、全部1週間後とかには戻ってきたけど、DJに間に合わなくて、バックアップ取っていたデータをファイナル・スクラッチでプレイしたことは何度かあるの。本当は好きじゃないんだけど、そういうときはしょうがないわよね。 チリの音楽シーンはとても小さいの。ブラジルはもちろんだけど、アルゼンチンやコロンビアよりも小さいんじゃないかしら。私たちがやってるようなクラブ・ミュージックのヴェニューは、たぶんひとつしかないと思う。そこもとても小さいのよ。カルチャー的にも保守的だし、警察とかはいまだに、クラブ・シーンはドラッグの温床だって偏見持ってるみたいだし、規制もあったりして、活動自体がとても難しいの。だから、海外からアーティストを招聘したりとか、特定のジャンルが人気とか、トレンドを発信するような有名なレコード・ショップとか、そういう段階にも達していないのが現実だわ。私自身も、チリに残っていたら今みたいにはなっていなかったと思うわ。 最近のプレイリスト
- Matthew Styles "Eating You" (Horizontal)
- Loco Dice "Breakfast at Nina's" (Desolat)
- Cassy "A Poem For You" (Uzuri)
- Sensitiva "Viola Tricolor"
- Matt John "Boeing Highfly" (Holographic Island)

オールタイム・フェイヴァリット
- Arthur Russel /Loose Joints"Pop Your Funk"(Soul Jazz)
- Brian Eno "Music 4 Airports" (A music)
- Paperclip People "Throw" (Planet E)
- ESG "Moody" (99 / Soul Jazz)
- Ricardo Villalobos "808 the Bassqueen" (Lo-Fi Stereo)