でも最近はシーンやジャンルの「中間」に位置するような、カテゴライズの難しい音も増えてきて、とてもいい傾向だと思うの。 最初に交流を深めたのはアダム・Xとかフランキー・ボーンズだったわ。割とメインストリーム寄りのテクノ・シーンだった。でもしばらくしたらシーンがなくなってしまって、NYにいた最後の頃は、当時一緒に活動していたDJ仲間も音楽をやめてしまったりして、本当にアンダーグラウンドな小さなハコで、地元のDJたちと回したりしていたの。 NYから出ることになったのは単純にビザの関係だったの。急に戻らなくちゃならなくなって、2週間くらいで荷物をまとめて、一旦チリに戻ったの。3か月チリにいて、それからベルリンに渡った。 まずは私的なことだけど、リカルドも住んでいたし、知り合いが多かったので、生活面でも安心できたの。音楽的なことでいえば、クラブもたくさんあって、活動の場が多いということが第一かしら。色々なイベントに出ることができて、ひとりでも生計が立てやすかったわ。あと、最近はシーンも盛り上がってきて、ベルリンだけじゃなくヨーロッパ各地を飛び回るようになったんだけど、空港も近くにあるから移動も便利よね。もうひとつ言うと、有名なプロデューサーもたくさん暮らしていて、彼らと知識を共有できるっていうのが大きいと思うの。曲を作っているときに何か困ったことがあったり、壁に当たったりして、でも近所にいる誰かにすぐ相談できたりとか、そういう環境はNYにはなかったものだわ。 2005年だったわ。自分が好きなときに制作をして、それを好きなときにリリースしたくて、自分でレーベルを作ってしまったの。やがて、リリースをしたいけど発売元がないような友達も手助けするようになって今に至る、という感じかしら。
でもこんなふうにレーベルを立ち上げられたのは本当にラッキーだった。というのも、当時自分ひとりでレーベルを運営していく資金はなかったの。どうしてスタートできたかっていうと、Handle With CareっていうCDのプレス(製造)会社があるんだけど、そこのイベントというかコンテストで当選して、レーベルの運営に必要な賞金とノウハウをゲットしたのよ。あの幸運がなかったら、って考えたら… Handle With Careには頭が上がらないわ(笑)。 レーベルを立ち上げたときは本当にシンプルで、まず自分の作品を自分のペースで発表していく場に、ということだけだった。今では他のアーティストの作品もリリースしていくようになって色々と考えなければならないのだろうけど、基本的な姿勢としてはステイ・アンダーグラウンドということくらいかしら。 ルチアーノの[Candenza]とかマシュー・ジョンソンの[Wagon Repair]とかが、レーベルとしての姿勢などに共通したものを感じるわ。
マシュー・スタイルズかしら。本当に素晴らしい才能を持ったアーティストだと思う。正直、もっと大きなレーベルに引き抜かれていってしまうのではないかしらって、不安に思うときもあるけど、それはそれで仕方ないというか、彼はそれに値する人だと思うし。さらにキャリアアップして、大きくなっていくタレントだと信じているわ! ナンバーワンは間違いなくベルリンの
- Matthew Styles "Eating You" (Horizontal)
- Loco Dice "Breakfast at Nina's" (Desolat)
- Cassy "A Poem For You" (Uzuri)
- Sensitiva "Viola Tricolor"
- Matt John "Boeing Highfly" (Holographic Island)
オールタイム・フェイヴァリット
- Arthur Russel /Loose Joints"Pop Your Funk"(Soul Jazz)
- Brian Eno "Music 4 Airports" (A music)
- Paperclip People "Throw" (Planet E)
- ESG "Moody" (99 / Soul Jazz)
- Ricardo Villalobos "808 the Bassqueen" (Lo-Fi Stereo)