INTERVIEWS

Moderat

Moderatを始めた時は、どっちかというと遊びのライブプロジェクトたったんだ。自分たちのソロプロジェクトが本格的になる前だったかな。
完全に即興ライブでとてもいい感じだったんだけど、EPに関してはなかなかうまく行かなかったし、時間がかかり過ぎたね。あーだこーだと右往左往して、よく話あったりもしたけど、他のアーティストとスタジオで一緒に作業するのはそんなに簡単じゃないのがよくわかったね。結局10回ぐらいやり直したり、マスタリングにもえらい力を入れたんだけど結局はみんな疲れちゃって、決して満足とはいえなかったな。
けどフルアルバムはいつかやるんじゃないかと予感はあったんだよ。お互いのソロプロジェクトがうまくいき始めてとにかく忙しかったら、時間はかかったけどね。時間があったとしても、とぢらかのスケジュールがうまってたり、ツアーだのなんだのでしばらくはソロ活動で手一杯だった。ApparatはEllenとアルバムを作ってたけど、彼にとってはとてもいい経験だったんじゃないかな。
「Walls」と「Happy Birthday」のあとにお互い休みを取りたかったし、何か違うこともやりたかったからModeratはちょうどよかったんだ。 2年前にまずはアイデアを出し合って、それがアルバムをやると決めた時だね。お互い未完成の楽曲があって、各自で完成させる事も出来たかもしれないんだけど、一度手つかずになってしまった楽曲を他のアーティストに生き返らせるて貰うのも良いかなと考えてたんだ。その年の暮れにまた新しいアイデアを持ち寄って、ベストな物も選んで制作がスタートした感じかな。
翌年になってから実際のスタジオ・ワークに取りかかったんだけど、バンドみたいにドラマーが自分のパートに専念するのとは訳が違って、僕ら3人ともプロデューサーだから。みんなが違った考えやこだわりがあるから、話合いが尽きる事はなかったよ、、、音楽以外の論争にも発展した時もあったね(笑) ハハハ、相棒ね(笑) それはジョークだよ。プレス用の情報はほとんどがジョークで、いっつも似たようなもんだから自分たちで作ってみたんだ。
10年くらい前にベルリンのレーベル・ショーケースがあって、Apparatは、 Modeselektorはのためにプレイしたんだ。Modeselektorはからのリリースはなかったんだけど、Ellenがえらいお気に入りで。
Apparatはそん時にEllenと会って、EllenがApparatにレベールとの契約の話を持ちかけてたね。そこから突如として共通点がいっぱい出来て、お互いのパーティーに呼び合ったり、その内ライブも一緒にやって、それがModeratの始まりだな。GernotとSazaryはビンテージ機材をよく使っていて、Apparat は初期のパワー・ブックに近未来的なコントローラーとカスタムのソフトを使ってライブをしてたんだけど、Gernotはそのセット・アップを“乙女エレクトロ”と呼んでたな。お互いがやっている事にとても興味があったし、ModeselektorはApparatのテクノロジーを駆使したセットに入れ込んでたよ。その当時はラップ・トップのパフォーマンスはまだ珍しかったしね。それで、ライブでのセット・アップを組み始めて、Apparatはアナログ機材を取り入れて、Modeselektorはソフトに切り替えて、8年後の今もそのスタイルが基本だね。もちろん年々変わっている所はあるけど。 Modeselektorはライブが終わると、よく次はどうしようとか、何ができるかなんかをよく話してるよ。 2000年あたりかな。よくライブをやったね。3人ステージに並んで、特に何をやるという訳も無く、PCをシンクロさせてジャムってた。
完全に即興だったよ。録音はしなかった。その内本気でやろうとし始めたんだけど、うまく行かなかったな。 僕らは東ドイツ出身で、住んでいる地域は全然違うんだけど聞いていた音楽、特にエレクトロニック・ミュージックはほぼ同じだね。
90年代前半に僕らの地域にテクノが来て、倉庫とか廃墟となったロシア軍の基地なんかでよくパーティーをやってた。
その頃のテクノはほとんどMIDIサウンドが見えるような感じがしてさ、僕は音楽を技術的な視点で聞いていたんだ。
初めてテクノを聞いた時は今まで聞いてきた音楽とは全く違うから、そりゃもう刺激的だったよ。テクノで一晩中踊り狂っうていうのはとてもフィジカルな体験だよね。
残念ながら、何年もスタジオに籠って作業しているとあの頃のような感情はなくなってしまったな。まあ音楽が生活の一部になると、そういった代償はあるよね。 Moderatならではの音を作るのが当初の考えで、始めた時は漠然としたイメージしかなかったね。
作業を続けているとApparatやModeselektorの音楽性は必然的に出てくから、そうなる事に抵抗はなかった。それがお互いの色なわけだし。
曲によってっは作り込んでいく内に、全く違う方向性が見える事もあって、あるアンビエントのトッラクが全く違う風に変わることもあったからね。
どんな場合でも、いつもと違う環境で制作することは凄く新鮮だったし、それがこのアルバムの狙いみたいなとこもあったから。楽しかったよ。 曲を作っていると分からなくなってしまう時はどうしてもあって、その時にコラボレーションだと他人がどうアプローチをするのか見えたり、いつもとは違った形で新しいアイデアが見つかったりするんだ。Moderatを終えた後、また自分のプロジェクトに戻ったときにも見え方がまた変わってくると思う。それが一番かな。 そんなに“対”みたいなものはなかったし、そんなにコラボレーションにこだわった分けでもないし。
各自控えたところはあるだろうね。仮に全員がやりたいようにやったらそれは悪夢でしょう。
ある程度の規律が必要だと思う。 しょっちゅうあったね。時にはかなり話し合ったこともあったよ。制作全体が民主主義に則っていたからね。
幸運にも3人だったから、3人中2人が賛成ならその方向で決まりだし。リムショットとハイハットではかなり揉めて、一人が怒ってスタジオからでるなんてこともあったな。
狭い部屋に一ヶ月もの間一緒に作業をするのは楽ではないよね(笑)ただ普段は気楽な感じだったよ。
自分がよく分かっていない時は、他人の意見やアイデアに任せる、それがコラボレーションなんじゃないかな。あと自分で全部やる必要はない。自分にアイデアがあったら、考えなくても勝手にアイデアが出てくるからね。リミックスと同じかな。
アイデアが湧いて来たら、元の曲にそれを試してまた新しい形にしていく。そんな風に最高のトラックが生まれるわけさ。 ベース。あとエスプレッソをたくさん。 ストリングスとコーク(飲む方ね!)あとアイデアをたくさん。 各自でアイデアを持ち寄り、そのアイデアを元にスタジオの作業に移して作業しながら変えていく。だからどの曲も書いたというより、一緒になって出来上がった感じかな。 自分達ではある程度機材が揃っている普通のスタジオで良かったんだ。結局はほぼパソコンで済んでしまったし。
確かにみんなが思うようにそこでリム・ショットをとったなんて言ったら面白いと思ったんだけど。
実際レコーディングはハンザ・ズタジオではないんだよね。普通のプレス用のシートはつまんないから、そう書いた訳で、、、面白半分でそういうハイプを作ってみたんだ。仮にアビーロード・スタジオでレコーディングをしたとしても変わらないだろうし。
レコーディング中にジョン・レノンの魂がやっどたとか、そんなんではなくて結局は自分らのアイデアから出て来た物だから。どこでレコーディングしたかなんて大して関係ないんじゃないかな。
それに僕らの音楽はシンフォニーではなくエレクトロニック・ミュージックだしね。 機材はアナログ感を出すのにかなり重要だっだね。曲のバウンスもPC内で完結させたくなくて、EMTのコンソールを使ってみた。
ラフのテイクでさえテープに録音して、ノイズが乗る事によってよりアナログの質感を得られるようにしたんだ。
まあ、正直言うとEMTもジョークなんだけどね、、、そんなデッカいプレート・リバーブをロスからベルリンなんてさぞかし大変だっただろうな。
機材は好きだけど、そんなにクレイジーってほどではないね。ラップ・トップだけでも全然行けちゃうよ。
実際のスタジオでの作業はほんの少しで、あるリム・ショットは反響音が面白かったからスタジオのドアを半分明けて録音したんだけど、ほとんどの作業はPC内で完結したね。
僕が思うにエレクトロニック・ミュージックを作るのであれば、だいたいはそんなもんじゃないかな。
時には複数のPCを同時に使ったりして、誰かがキッチンかどこかでエディットをして、他はスタジオでアレンジするとか。 インスピレーションは音楽とは関係の無いところで生まれるかな。よく一月に旅行に出て、小さい本にアイデアをいっぱい書くんだ。
Moderatの前にコスタ・リカに行ったんだけど、帰って来た頃には2冊の本がいっぱいになってたよ。歌詞とかね。無音が一番何かを考えさせると思うな。 ちょっとこれは変に聞こえるかもしれないけど、そんなに僕らは違うとは思ってないんだよね、もちろん、各アルバム自体に極端にModeselektorとApparatらしさがあるんだけど、僕らには似たようなところもあって、そこから始めようとしたから。大抵の人は僕らの最近のアルバムを比べるんだけど全体を見てないよね。ModeselektorやApparatでない、新しいサウンドを提示しようとしたんだけどな。
まあその二つが聞こえてしまうという事は、僕らの意図は上手く伝わらなかったのかもね、、、けど良いアルバムであることは確かだよ! まず最初の時点で何のプランも無かったよ。だれもそうなるかなんて分からなかったし、どんな雰囲気になりそうかはあったかもしれないけど、それをどうするかは考えていなかった。
ボーカル入りの曲はたまたまだよ。曲に対するアイデアのほとんどは3回くらい行程を経て、全く違う曲になるパターンが多かったな。
だいたいは作業しながらインスピレーションを受けて、ボーカルを入れようという流れになった。 僕らはBusdriverがModeratのために何かやるなんて思ってもいなかったよ。ラップを入れるなんてプランも無かったしね。
あの曲に関しては彼のような早めのMCはパーフェクトだったし、曲を送ったら、二日ほどでアイデアを持って来てくれてね。
Frank (Seeedのバンド・メンバーEased)がApparatと同じビルにスタジオを持っていて、そこにある日ひょこっと来たんだ。
ドイツじゃスーパー・スターだし、あと本当に楽天的な人でさ、すんごい雰囲気悪くても彼が来るとなんか急にみんなが和んで彼のポジティブ・エナジーに吸い込まれちゃうんだよね。 “Slow Match”はModeselektorの最初のアルバムのために作られた曲なんだよ。僕らがよんでいる“デッド・アイデア”というやつさ。
ハード・ディスクにずっと残っていたものの、手つかずでね。Moderatに関してはそのデッド・アイデアを交換し合って、お互いに命を吹き込む。
“Slow Match”のラフなバージョンを貰った時は、直にアイデアが出て来たね。一番最初に出来た曲で、このアルバムの青写真みたいなもんだね。 僕らみんながこういった物全てを作っていると思ってほいしな。例えば、Bpitchのオフィスがある建物で友達みんなが洋服、音楽、グラフィックス、映像を作ったり、レーベルのオフィス・ワークなどをやっていて、とても快適な環境なんだ。普段そんなに一緒に仕事をすることはないんだけど、ModeratはModeselektor、Apparat、Pfadfindereiの三人を意味して、全体のイメージ、ライブ、DVD、そしてアートワークの全てに一人一人が関わっているんだ。
作っている途中の段階で出来た曲を渡していってたから、彼らは始めから制作に参加していたんだ。
すべてにおいて話し合いを設けて、Moderatは音や映像なんかよりも話し合いばかりになってたね。Modeselektor, Pfadfinderei, Apparatは同じパーティーで8年前に会っていて、仲良くなってからもいろいろやったし、いつかデカいプロジェクトをやりたかったんだ。だからModeratがそれなんだよね。彼らが作った映像は限定版のDVDに付いてくるよ。あとModeratのショーのビジュアルも手がけているね。
エレクトロニック系のバンドはつまんない事が多いから、ビックなフェスティバルのステージなんかを考えると、なければならない存在だよ。 特別にエディットしたトッラク用に作った一連の映像と、ボーナス・トッラクの映像作品、メイキングみたいなのも収録されているね。
Pfadfindereiはとにかく凄いよ。実験室でコンクリートのブロックを爆発させてスローモーションで撮ったり、いつもはスピード感のある映像なんだけど、今回のテーマはスローなんだ。かなりのハード・ワークだったみたいで、撮影の間に倒れて頭を打ったなんてこともあったんだ。 今それを試行錯誤しててね。3つのラップトップでステージに上がるっていうのはちょっとないかなと思っていて、単純でつまらないでしょ。
全曲に対してどう個人個人がライブ・バージョンとしてアプローチするかを考えていて、練ったアイデアをPfadfindereiに撮って貰って、イメージを作り、ライティングとかをプログラムしてみようと思うんだ。
ステージ上には5人いて、3人がオーディオ、Pfadfindereiの2人は映像とライティングをやって、特設のステージを設けようかと。
誰もやったことがないようなプロダクションで、新しくて面白いショーにしたいな。クラブといよりはコンサートだね。僕らのライブPAはいつも即興的でね。
Moderatのライブは常に即興がができるようにスペースを残していて、けどリハーサルはどこで何をやるか全部把握できるようにやるつもりだよ。僕はエレクトロニック・ミュージックでリハーサルなんてした事ないからとても変な気分だよ。
映像はとにかく重要なファクターで、3つのスクリーンをステージに設置するんだ。完全に映像と音がシンクロするようにして、音と映像の祭典と言っても良いかな。 全部。こんなにたくさんの人が関わる大規模なツアーは初めてだし、とにかく楽しみ。モントレーのジャズ・フェスティバル、スペインのソナー、ドイツのメルト!カナダのミューテック、クールなフェスティバルだけ選んだ訳だからどれも特別だね。 フェスティバルのツアーと夏終わりにミックスCDかな。 それはアルバムの制作中に何回か僕らも感じたんだよね。僕もこのプロジェクトに参加するためにも自分自身にパンチをしたかったんだ。