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Enric Palau

5回目になるよ。98年に何度か来日して、それから2002年に「sonarsounds tokyo」のために来日した。今回は、東京芸術見本市に招待されて来日することになったんだ。 TPAMではアートやパフォーマンスに関わる多くの人たちが参加しているので、彼らと色々な情報を交換したいし、音楽ショーケースもいくつか観たいなと思ってるよ。メインの目的は、ソナーフェスティバルを紹介するためのコンファレンスを開くんだけどね。そこではバルセロナで行われているsonarとはどんなフェスティバルかってことや、「sonar sounds」というネーミングで世界各地でもイベントが開催されてることなど、とにかくsonar全体について説明する機会を、TPAMで与えてもらえたんだ。
東京では2002年と2004年に「sonar sounds tokyo」が開催されて、次は2006年開催に向けて話し合いをしてるところ。日本以外の国、例えばヨーロッパ各国や、ブラジル、アルゼンチンなどでも「sonar sounds」を開催してるし、それらの国のアーティストにバルセロナでもプレイしてもらったりと国際色豊かなんだ。日本には素晴らしいアーティストがたくさんいるね。 もちろん! 96年からは日本のアーティストもバルセロナのsonarに毎年参加してもらってるんだ。坂本龍一が2003年、2004年と連続して「Human Audio Sponge」というネーミングでパフォーマンスをしたのは記憶に新しいね。他にも、ケンイシイ・フミヤタナカ・ヒロシイケダ・Afra、そして2004 年、2005年とWorld End’s Girlfriendにプレイしてもらったけど、彼らはホントにいいステージだったね。 日本のパートナーである「Third ear」と話し合いを重ねているところで、おそらく2006年の春頃になるんじゃないかな。Third earには、sonar musicのコンピレーションなど、日本でのディストリビューションをしてもらっている大切なパートナーだよ。 Sonarは世界で一番、最高のフェスティバルだよ!(笑) カンタンに言うと3日間、3昼夜、バルセロナのいくつかの場所に分けて開催されているアドバンスミュージックとマルチメディアアートの祭典さ。テクノからヒップホップ・レゲエ、クラシカルなものや民族音楽まで多種多様の音楽とステージを体験できる。ひとつ共通点があるとすれば、テクノロジーを駆使しているところかな。エキシビションだったりシネマだったり、ヴィジュアル的なものと音楽との融合も見どころだね。あとは、世界中の40以上もの国から音楽に関わるプロフェッショナル達が集まる場でもあるので、意見や情報を交換したりすることもできるしね。インターナショナルなアーティストはもちろん、メディアやジャーナリスト、オーディエンスもインターナショナルに入り混じっているんだ。こんなフェスティバルは他にどこにもないと思うよ。時に実験的なサウンドやダンサブルなものなど、面白くて個性があり、ハイクオリティー、そして飽きない音楽を常に求めているんだ。 200人っていうのはsonarじゃないんだけど、僕たちが最初にパーティを始めたときは、そのくらいの人数だったかな。11年前、Sonar第一回目の動員数は6000人くらいだったよ。毎年確実に大きくなっているね。どうやって拡大できたか?いろんな要素があるけど、やっぱり企業スポンサーだったり、バルセロナ市だったりのサポートがあってそれには本当に感謝してるよ。 僕とセルジオとリカルドが元々のsonar創立メンバーで、この3人がメインオーガナイザーとなっているんだ。担当としては、僕が音楽パフォーマンスやブッキング全般を担当していて、セルジオはアート&エキシビション等のマルチメディア全般、リカルドはプレスやスポンサー関係を担当している。 僕とセルジオはエレクトロニックや実験的音楽のミュージシャンで、ライブパフォーマンスをしたり、サウンドトラックやダンスミュージックの作曲・アレンジなどのスタジオワークもしていたよ。リカルドはジャーナリストだった。 僕とセルジオは、1990年頃ミュージシャンとして色んなところでパフォーマンスをしていたんだけど、92年に或るサウンドトラックをプロデュースしていたとき、SGAE(スペイン著作権協会)のディレクターと会う機会があったんだ。彼と出会ったことが要になったと思う。当時スペインには国際的なエレクトロニックミュージックとマルチメディアを軸としたフェスティバルが無かった。そのコンセプトでアイデアを膨らませていった結果、アーティストとオーディエンスとマーケット、この3つの側面に焦点を当てつつ、テクノロジーと結びつく新たなイベントを実現したかったんだ。それがsonarだよ!