INTERVIEWS

RAY OKPARA

初めて音楽に影響されたのは、ヒップホップ/ラップのクラブに行ったとき。それは90年代はじめから終わりまでの僕にとって、クラブミュージックだったんだ。あることで、僕はJohnny Dと出会ってね。彼はマンハイムの違う地区の出身で、まったく別のクルーだったんだ。でも、僕たちはいつも一緒にパーティーに行っていたよ。
最初のDJの経験は、Johnnyの持っていたガラージのレコードをプレイしたときだよ。1つの音楽がほかの音楽へ導くように、ハウスやドラムンベースのパーティーにもよく行ったよ。そして気づいたんだよ。僕たちはハウスやテクノにすごく夢中になっているってね。僕たちは心から好きだったんだ。今もまだその気持ちは同じだね。 んー、日本については正直あまり知らないんだ。まだ1度も行ったことがないしね。でもヨーロッパとまったく違うってことは、自分自身でも確信しているよ。音楽はどんな文化にも浸透していると信じているし、日本と日本のシーンを感じることが楽しみで仕方ないよ。 「Rajo」はマンハイムのシーンでクールなパーティーをやろうということで、Johny Dと2000年にスタートさせたプロジェクトなんだ。始めた当時はもっとハウシーなスタイルで、徐々によりディープでテッキーなものになっていったかな。1、2回目のパーティーのあとに、Nick Curlyが加わることになり、僕たち3人「Johnny D」「Nick Curly」「Ray Okpara」は、今でもRajoとして活動しているよ。

それからNekes、Federico Molinari、Johnny Dと僕で、「THE ZOO CLUB」というクラブを毎週金曜日に始めることにしたんだ。僕たちはSteve Bug、Luciano、Eloi Brunelle、Cassy、Denis Desantis、Sean Dimitriなどのアーティストを、世界中からゲストとして招いたんだ。僕たちは1年間しかそのクラブをプロモートしなかったけど、とてもいい時間を過ごせたと思っているんだ。

「Buschrootz」は、僕たちがマンハイムにある”Jungbusch”というところに住んでいたときの、クルーの名前なんだ。メンバーは僕とJay Edit、Roberto Amormino、Federico Molinari、NekesとJohnny Dで、ちょうど「THE ZOO CLUB」を始める前の時期だったね。お互いがたくさん影響し合って、音楽的にも一緒に成長していったころだね。 1月末にSoweso Recordsから「BRAINOWS FEATNIKKI」という作品が、リリースされる予定だよ。
僕は2010年に向けて自分のライブセットをやることにしたんだ。思うに、これって決して終わりがない気がするんだよ。だって、自分がライブセットに使いたいと思う、新しい音楽や楽曲を制作する継続的な過程こそが、まさにライブセットを組む作業だからね。わかってくれるかな?そしてまたどんどん新しいミュージックを制作していく。みんなを驚かせるよ。keep listening……ありがとう。