INTERVIEWS
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Reagenz

Jonah: そうだね、1994年だ。サンフランシスコ、つまり僕が今住んでいる街で出会った。ある日突然David(Move D)が、家のドアをノックして「こんにちは、僕ドイツから来たDavidっていいます」とやってきた(笑)。だから僕は「そうか、まあ入りなよ、お茶でも入れるよ」と言って招き入れたんだ。既に僕はDavidの存在は少し知っていた。彼も、彼のレーベル〈Source Records〉で僕と同じような音楽をやっていたからだ。そして、その次の日には僕のスタジオで一緒に曲を作ってレコーディングをした。 Jonah: 多分、最初は挨拶しに来ただけだったんじゃないかな。確か北カリフォルニアに親戚がいたとかで、たまたまサンフランシスコにいたから来てみただけだったんだと思う。当時はまだEメールもそんな普及している時代じゃなかったから、事前にメールで連絡するなんてこともなかった。物理的に会った方が早いというか(笑)、もっと物事がずっとシンプルだった時代だよ。 Jonah: そう。でも当時はそういうことをやっている人がたくさんいた。Pete NamlookとかTetsu Inoue、Atom Heartとかね。実際僕はDavidと会う前にPete Namlookと一緒に曲を作っていて、Davidも既にPete Namlookと仕事をしていた。だから僕らは共通の人たちと既にコラボレーションしていたんだ。それもあって、彼は僕を訪ねて来たんだと思う。この頃から96年くらいまでは、そういった色んな組み合わせのコラボレーションが盛んだった。ジャズ・ミュージシャンみたいな感じでね。ジャズの人たちも色んなパターンでバンドを形成してセッションするだろう?ああいう感覚さ。すごく気軽にね。……今思い出したんだけど、そういえば1994年に〈Love Parade〉に行ったんだった。(Love Parade開催期間中に行われた)〈Tresor〉のパーティーに呼ばれて、Davidも(Jonas Grossmannとのユニット)Deep Space Networkとしてプレイしたんだ。Pete Namlook、Plastikman、Sun Electric、Mixmaster Morris……といったラインナップだった。そうだ!どこかにポスターがあったぞ、ちょっと待ってて(とスタジオの隅から探して来る)。ほら!!すごいな、コレ。まだ持ってたよ、オレ。Alex Peterson、Thomas Fehlmann、Higher Intelligence Agency、Atom Heartも書いてある!そうだ、このとき(David以外の)みんなと知り合いになったんだ。そうそう、それでこれが終わってから、ベルリンから(Davidのいる)ハイデルベルグに車で移動したんだ。真夏のものすごい暑い日に、エアコンのない車で妻と生まれたばかりの子供と一緒にドイツを横断した!赤ん坊は泣きわめくし、前が見えない程の嵐に遭遇したりして大変だったなぁ。そんな思いをしながらハイデルベルグに着いて、そこでファースト・アルバムの残りの半分をDavidと作ってアルバムを完成させたんだ。 Jonah: そう、かな? David: ああ、本当だよ(笑)。もともと僕は92年くらいから彼の存在は知っていたんだ。僕の知り合いがサンフランシスコで彼のライブを見て帰って来て、大興奮していた。「こいつ凄いからチェックした方がいいよ!」と言われたんだ。同じ頃に彼がPete Namlookと一緒に作ったレコード『Alien Community』('93)が出て、それは今でも僕が大好きなアルバムだ。僕もPete Namlookとセッションしていたから、PeteがJonahの連絡先を教えてくれたんだ。そのとき既にサンフランシスコに別件で行くことが決まっていたから、特に事前に連絡せずいきなり行ってみた。 もちろん音楽をやるつもりで行ったよ。一緒にやってくれるかどうかは分からなかったけど、「嫌だ」と言われたところで何も失うものはないし、とりあえず行ってみようと思った。ちょうどその週に出た『NME』誌に、僕とJonas(Grossmann)のことが紹介されて、少し話題になっていたようだったから、彼も全く僕のことを知らない訳じゃないことも分かっていた。 David: 僕は彼の作っている音楽が好きだったし、お互い似た趣味を持っていると思っていた。それに僕としては、彼がどんな風に制作しているのか見てみたいところもあったんだ。誰とも違う個性があったからね。といっても、その技を盗んでやろうとか、そういう意図はなかったよ!ただ、インスピレーションになると思ったし、僕が貢献出来る部分もあるだろうと思ったし、一緒に音楽を楽しみたかったんだ。最初はすごく恐縮したのを覚えているよ。彼が魔術師のように見えた。当時はまだコンピューターもなく、いや、あったけれど音楽制作にはほとんど使われていなくて、彼はハードウェア(機材)を熟知していた。そのことにすごく感心したよ。 David: いや、特に役割分担もなく、特に話し合うこともなく、ただDATを回しながら好きな楽器の前に座って弾いてみるという感じだったね。特にファーストを作ったときは、自然な流れに任せたというか。例えばKORG MS-20などはJonahが愛用していた楽器だから、彼の方が上手く使いこなせたし。それぞれが得意な楽器を担当した。 David: そう。リアルタイムでね。作曲をしてからそれを演奏して録音するという方法ではなかった。 Jonah: うん。何だろうね、また少し時代が変わって、特にきっかけがなかった。Davidもあまりアメリカに来ることがなかったし、僕もそれほどヨーロッパに行っていなかった。行ってもイギリスとか。なぜかドイツにはあまり縁がなくなってしまったんだよね。「いつか、またやろう」ってずっと言い合いながら、時間が経ってしまった。でも2008年に、僕らはそれぞれの公演があって、たまたま同じ時期に日本に滞在していることが分かった。だから日本で合流して、また曲を作ったんだ。 Jonah: そう、東京でだよ。 Jonah: うん、そう渋谷だったんだ。渋谷にある友人のスタジオでね。ちょっとした秘密のスタジオで、古いアナログ機材がいっぱいあるんだ。そこを丸3日間使えることになった。彼は〈Spacetime〉というアパレル・ブランドのデザイナーをやっているRichard Sharpeという人物で、今回のアルバムが作れたのは彼のおかげだと言っていい。名字の読み方は同じだけどSharpeというスペルだから間違えないでね。 Jonah: ああ、心の兄弟だが実の兄弟ではない。そう、そんなわけで東京でいくつか曲を作って、その後またハイデルベルグにも行った。2009年の始めだ。そこでまた曲を作った。そして最後にDavidがまたサンフランシスコに来て、やっと完成させたんだ。 Jonah: あ、でもFred Pがニューヨークでヴォーカルを入れてくれたから「四都物語」だ! Jonah: それはいい質問だね!そう、彼は素晴らしいミュージシャンで僕ら二人とも大ファンなんだ。もともとの考えでは、彼にリミックスを頼むつもりだった。でもそのトラック(「Keep Building」)は東京で作ったもので、2トラック・テープでライブ録音したのでパーツが分かれていなかったんだ。だからリミックスをするのが難しく、彼はリエディットしたものにヴォーカルを乗せて送り返して来た。歌というよりはスポークンワードのスタイルでね。それを僕らはとても気に入って、リミックスではなく、オリジナルに彼をフィーチャーするかたちでアルバムに収録することにしたんだ。 Jonah: そう、多彩な男なんだよ、Fredは。 Jonah: ああ、今最も熱い男だ! David: ほとんどはね。でも今は90年代前半には夢でしかなかったような様々なテクノロジーがあるから、あの頃は出来なかったことが出来るようになった。例えば生楽器の導入。ギターやベースなどだ。ファーストと同じようなものをもう一度作っても仕方がないから、新しいもの、例えばコンピューターを使ったりすることも当然だと思った。だから手法は全く同じではないけれど、基本的なアプローチはそれほど変わっていないと思う。ただ東京のスタジオは、かつて僕らがファーストを作った際のセッティングととても良く似ていて、ヴィンテージの機材が揃っていた。90年代前半というより、ほとんど80年代みたいなセッティングだったね(笑)。確か、92年以降の機材はひとつもなかった。だから東京で作った曲はファーストの音に近いと思う。特に日本盤のボーナストラックになっている「Shibuya Day」のライブバージョンは、最も15年前の音に近いんじゃないかな。 David: 正直、うまくいくかどうか分からなかったよね。以前のような化学反応がまた起こる保証はなかったし、実際にかつては仲の良かったアーティストでも10年後には趣味が変わってしまっている人もいる。だから僕は少し不安なところもあったんだ。でも、実際にやり始めたらとても上手くいった。始めて5分でばっちりハマったよ。最高だった。 David: ああ、本当にそう思うよ。お互いにそう感じたと思う。また一緒に音楽を作って、ツアーを回るのはとても楽しかった。僕は、音楽は「交流」から生まれるものだと思っている。プレイヤーとリスナーの交流はもちろんのこと、プレイヤー同士の交流もある。僕らがライブをやるときは、「ライブの振り」をするんじゃなく、本当に生演奏するんだ。だから毎回内容が違うし、それがすごく上手くいくときもあれば、そうでもないときもある。ただ少なくとも、それは二人の人間の相互反応によって生まれていることは間違いない。僕はその方がエンターテイニングだと思うし、僕ら自身にとってもやりがいのあるライブになる。観ている方だってその方が楽しいだろう? Jonah: それはDavidから説明してもらった方がいいかな。Davidがずっと関わっているレーベルだから。でもレーベル・オーナーのJens(Kuhn aka Lowtec)のことは僕も前から知っていたんだ。1995年に彼とも会っている。ある日サンフランシスコにやってきて、僕の家のドアをノックして「こんにちは、僕ドイツから来たJensっていいます」って言ってきたんだ(笑)。本当だよ! Jonah: そうなんだ。本当にそうなんだよ。僕も自分のレーベル〈Reflective〉をやっていたし、彼もレーベルをやっていたから、お互いにレコードを交換したりしてね。だから以前から接点はあった。今回のリリースはDavidを通して実現したわけだけど、とてもいい形で出て良かったと思っているよ。 David: 何も秘密があるわけじゃないし、隠しているわけじゃないんだけどね。レーベルを運営しているのはJens Kuhn、Lowtecだ。僕も少し関わっているけど、中心は彼。彼とは僕が〈Source Records〉を始めた頃からの長い付き合いで、最初にデモを送って来たのが彼のグループだった。彼らは6人くらいで田舎の農家かなんかで共同生活をして、コミューンのようなものを形成していた。ちょうどドイツが統合したばかりで、東側の人たちも西側のライフスタイルにどんどん影響されていく中で、彼らはかなり特殊なスタンスで活動していた。それがとてもクールだったんだよね。その後も彼は小規模なレーベルを色々やって来て、恐らくこの〈Workshop〉が今までで最も成功していると思う。僕がやった02番は3500枚売れたらしいからね! David: そうだね。僕はこれまでにもリリースに関してときどき意見を聞かれたりしていたから、このアルバムのことも話してタイミングが合ったから出そうということになった。彼もJonahと90年代に会っていて、知り合いだったしね。彼がこれを気に入るだろうということも分かっていた。Jensはアンビエント・ミュージックもとても好きで、前から僕にそういう作品も〈Workshop〉から出そうと誘ってくれていたから。それで結果的に、〈Workshop〉初のアルバム・リリースとなったんだ。 Jonah: 最大の理由は、あれをヴァイナルで出したことがなかったから。あの曲をプレイしてくれている人がたくさんいるのを知っていた。Larry HeardもCDからプレイしてくれていた。だからヴァイナルで出したいね、という話はずっとしていたんだ。僕ら自身、二人ともヴァイナル・ラヴァーだし。だから今回、リエディットというかリミックスのようにして、アルバムに収録することにした。2枚のアルバムの間には15年という大きなギャップがあったから、それを橋渡しする意味もあった。 David: 嬉しいよ!これが日本でのライブに繋がるといいね。まだ日本ではやっていないからね。実は既に今年の後半に一度やることが決まっているんだけどね。まだ公表しない方が良さそうだから秘密にしておくよ。 Jonah: いや、今回再結成してからかなりの数のライブをやったんだ。アルバムを出してから今年にかけて、Davidと一緒にロシア、UK、カナダ、アメリカ……と色々回った。その間にまた新しい曲もたくさん出来た。だから、実はまたアルバムが出来そうなくらいの数の曲が出来てるんだよ。もう一度一緒に作業する時間が作れれば、すぐにでも完成させられると思う。 Jonah: そうだね、そう思ってもらっていいと思うよ。そう願おう!