INTERVIEWS

Marko Fuerstenberg

うーん、そうだな。DEPECHE MODEとかA-HA、NEW ODERなんかが好きだったよ。新しい感じのシンセサウンドや、メランコリックなシンセのポップミュージック、その辺りすべてかな。 80年代後半にエレクトロミュージックを聴きだして、90年の始めごろにはレコード集めが始まって、じきにそれを小さなハコでかけるようになったんだ。90年半ばにはレギュラーでDJするようになっていたけど、ぼくはドラックをとって36時間ずーっとパーティーしてるようなナイトライフはあんまり好きじゃなかったんだよな。そんなだけど、どんどんエレクトロミュージックには魅せられていって、もっとエモーショナルな曲はないかと探すようになってきたんだ。それで……機材をいくつか買って、自分の曲を作ってやろうと思い立ったわけ。 ハードウェアだよ。メインで使っていたのはKurzweil k2000のシンセ・サンプラーで。あとはRoland、Kawai、Waldorfのシンセを使ってた。当時コンピュータのソフトウェアは持っていなかったなぁ。 インターネットでのリリースから始まったんだけど、僕にとってそれはすごくいいことだったよ。ウェブ上だと僕の曲を聴いた感想や反応が各所からダイレクトにもらえるんだもんね。 そう。そもそも、事のはじまりは2001年、僕はネットサーフィンしていたところから初期の"Thinner" というネットレーベルを知ったんだ。そして"Thinner"のほうでは、"Besonic"という曲を作るミュージシャンのためのウェブ上のプラットフォームで僕の曲を知って、気に入ってくれたらしくて連絡をくれたんだ。それで"Dolby"の名義で曲をいくつか発表して、そのあとしばらくは"Surphase"という名前でリリースしたよ。そしてその後、今の"Marko Fruestenberg"で活動するようになったんだ。 数年経って、"a.r.t.less"のオーナーのTomas"Dom Williams"が僕のトラックをネット上で見つけてくれて。それは"MySpace"だったんだけど、そこから"a.r.t.less"のリリースが続いて、さらに多くの人に知ってもらえるようになったね。 "Ornaments"のほうは、もともとレーベルをやっている古くからの友だちがいたんだけど、彼はそれとは別の新しいレーベルについてアイディアを温めていたんだ。よりディープな音楽、それは純粋に深遠に迫る音楽の定義で、そしてアナログオンリーで、というようにね。それで、彼とはずっと友だちだったからその考えが共感できたし、僕はその"Ornaments"と歩みを共にすることにしたんだよ。そうはいってもA&Rは彼が一重に担っていて、僕は制作してリリースする担当なんだ。そんな感じだから、"Ornaments"というベースメントは僕がもっとも気兼ねなくやれるという意味で、とてもすばらしい環境だね。

"Echocord Records"は、僕自身もずっと好きだったんだ。そこへあるときオーナーの"Kennethからの連絡で、"Echocord Records"よりもダンスフロア向けの、彼が新規に立ち上げるレーベル"Echocord Colour"からリリースしないかと言われたんだよ。それでね、前から仲がよかった"Luke Hess"とスプリットでEPを出したんだ。 うーん、シンプルなものだよ。僕の創造意欲は普段の暮らしの中から生まれているよね。身の回りの出来事、それはいいときもあって悪いときもあって……。そういういつも沸き起こる出来事への感情を音楽に反映させようとしてる、ただそれだけかなぁ。 次は"Ornaments"と"a.r.t.less"からリリースが決まっていて、まさに仕上がったところだよ。あとは数件リミックスがあるね。それとなにより……あのさ、僕のパートナーが妊娠したんだ。僕らに子どもが生まれるんだよ。いやぁ、正直うれしくて仕方がないんだ。なんというか今、未来がすごく明るいよ。 やあ、みなさん!(笑) Moduleのライブがどうなるのか、正直そのときにならないとわからない。かなりディープでダビーなところから踊れるテッキーなハウスまで、その日のプレイがどうなるのか僕自身もあらかじめには図れないんだよね。でもみんなのリアクションが反映されてその日ができ上がるから、一緒にいい時間を過ごそう!Moduleで待ってるね。