INTERVIEWS
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RICH MEDINA

ニュージャージーのレイクウッド出身。典型的な黒人バプテスト系(キリスト教の流派)の家庭で育ったんだ。ヒップホップカルチャーが生まれた東海岸で育ったことは、かなり深く自分の音楽性に関連している。11歳のころからターンテーブルを持っていて、高校時代もずっと楽器を演奏していたよ。3人兄弟の末っ子で、18歳上の姉がいる。5歳上の兄もいたんだけど、だいぶ前に亡くなってしまった。音楽は自分の人生の大部分をしめていて、家族、教会、姉の存在や子供のころから持っている好奇心だったりいろんなことに影響されているね。実は僕の祖母も聖歌隊のリーダーをやっていたし、家族の誰かが歌ってたり、ピアノを弾いていたりするのは日常茶飯事で、常に音楽のある環境で育ったんだ。 いや、1992年からずっとフィラデルフィアに住んでる。ニューヨークに住んでいたのは大学に通っていた夏と、ファーストアルバムを製作していた2004年から2005年ぐらいだね。 どちらも東海岸の主要都市だけど、いろいろ面でかなり違う。ニューヨークはまさしく「大都市」で多くの人々が夢を売ったり、追いかけたりしているけど、フィリーでは勤勉なブルーカラーが「町」を支えてる感じ。音楽シーンというか、街の構造自体が違うから、必然的に違いは生まれてくるんじゃないかな。 自分自身の言葉で生計を立てるということにこだわりがあるんだ。そのこだわりを実感する一番の近道が音楽で、バスケだったり、学校、そして仕事なんていうモノは自分のアートに対する愛を遮るものでしかない。こうやって音楽だけで食べていける自分は本当に幸運だと思う。

1992年の初めに21歳になって、友人のKing Brittに誘われてSlick Cityというクラブの「Back to Basics」ってパーティーによく行くようになった。フィリーに移って以来、90年代はずっとそのパーティーに通ってて、あるときKing BrittがレジデントDJとしてやってみないかって誘ってくれたんだ。11歳のときからDJはしてたんだけど、小さなパーティーばっかりで、最初はフルタイムのDJなんて絶対無理だと思ってたんだ。でもその夜にプレイして以来、自分には音楽しかないって気づいてしまったんだよ。 アートと共に生きているすべての仲間、友人をリスペクトしている。自分たちアーティストは「クリエイト」することによって、人々がよりよい日々や時間を過ごせるように手助けをしていると思うんだ、そんな友人たちに囲まれているのは最高だね。世話になった人もたくさんいるけど、母親のサポートがなければここまでこれなかった。彼女が自分の人生で1番の励みだね。 いろいろな都市を見てきたけど、東京、盛岡、アムステルダム、ニューヨーク、アトランタ、L.A.、パリ、ベルリン、サンフランシスコ、そしてバンクーバーなんかがお気に入りだね。 日本の文化の中でとくに習慣、歴史などに興味があるね。日本人が大切にする「規律」からは学ぶことが多いよ。他の文化から伝わってきたモノ(音楽、ファッション、建築)を自分流にアレンジする能力には驚かされるね。他の文化を貪欲に学ぼうとする意志も強いし、すばらしいと思う。とくに若い日本のキッズからはそれが顕著に感じ取れる。そしてJAZZY SPORT CREW、DJ MURO、GAGLE、盛岡のDJ BAR DAI、GAK (215)、OKADA TAXI、BAYAKA、ALEX FROM TOKYOといった日本にいるアーティストたちとは、音楽を通して信義で公平な関係を築けていると思う。自分が考えるに、誠実さって同じ言葉を共有していない人たちこそが感じられるモノなんだ。その誠実さと才能があるアーティストが出会ったときに本当にいい「音」が生まれる。優れた日本人アーティストたちと繋がっている自分は本当にラッキーだと思う。4年ぶりの日本だけど、よりよい関係を築けることを楽しみにしている。 Tipとは「Open」というパーティーをマンハッタンのダウンタウンでやってたんだ。最高に楽しい夜だったけど、パーティー自体は終わってしまったんだ。DJしているときはいろんなジャンルの曲をかけるようにしてて、それこそいろいろな人たちが集まっていた。セレブからダンサー、たまたま来た人とかね、大きなハコだったしね。今思うと終わってしまって本当に残念だよ。

今は水曜日の夜にニューヨークでプレイしてる。8年間"APT"でやってたんだけど、3月に"APT"が閉まってしまったんだ。だから「PROPS」(イベント名)は"LE POISSON ROUGE"(http://lprnyc.com)で毎週水曜日にやってる。パーティー自体は9年目をむかえて秋にデカいイベントを企画中なんだ、その後には「JUMP N FUNK」の9周年イベントが控えている。 「JUMP N FUNK」はフェラ・クティのためのトリビュートパーティーとして2001年にスタートしたんだ。TREVOR SCHOONMAKERがキューレターとなってニューヨークで開催された「THE FELA EXHIBIT」に人を呼ぶために始めたのかキッカケだった。最初のころは7時から11時までのアフターパーティーだったんだけど、だんだんイベントが盛り上がってきて、クラブでやることにしたんだ。始めてから9年経って、こうして初めて日本でこのパーティーを行えるなんて最高だね。

アフリカに対する興味は、もともと文化、ドラムとパーカッションから始まったものだ。1990年に初めてフェラ・クティの音を聴いたときは、とくに何とも思わなかったんだけど、1992年に友達のレコードディーラーから貰ったフェラ・クティのLP「THE BEST BEST OF FELA KUTI」に衝撃を受けて、ピジンイングリッシュ(ナイジェリアで使われる英語の一種)を覚えて、彼が何を伝えようとしているか理解しようとしたんだ。彼が腐敗しきったナイジェリア政府に立ち向かうためのパワーを人々に与えようと歌っているんだとわかったときに、フェラ・クティに対する見方が変わった。彼は自分にとってアフリカのジェームス・ブラウンみたいな存在さ。フェラの音楽が持つパワーについて知りたくて、彼の音楽的/文化的ルーツ、ヨルバ文化(ナイジェリアの部族)などいろいろ調べたりしたんだ。

そのおかげで、アメリカ人初のアフロビートDJになることができた。当時のフロアでは誰もアフリカン・ミュージックなんて興味がなかったし、むしろ偏見があったくらいだったよ。でも、そういた音楽を流し続けるうちに、フェラ・クティやアフロビートのすばらしさを伝えるノウハウを身につけていったんだ。アメリカで初のアフロビートパーティーとして2001年にスタートした「JUMP N FUNK」を誇りに思うし、日本で開催できることは本当にうれしいよ。 ブリュッセル、パリ、アムステルダム、バンクーバー、L.A.、サンフランシスコ、アトランタ、ミュンヘン、ロンドン、ワシントンDC、ノースカロライナ、バーモント、ポートランド、ボストン、カナダ、マイアミ、イタリヤ、シチリアなんかで開催してきた。 マークはDJ、プロデューサー、ミュージシャン、アドミニストレーターの集まりである"THE MARKSMEN GUERILLA PRODUCTION NETWORK" (http://themarksmen.net)のファウンダーで、僕の親友。僕もその才能あるクリエーターたちの中でメンバーとして活躍できていることを誇りに思っているよ。マークは音楽制作におけるパートナーでもあって、「JUMP N FUNK」の重要人物なんだ。デジタルとアナログ世界を自由に行き来するマルチプロデューサーで、それは出会ったときと変わらない。5年前から「JUMP N FUNK」のVJとしてコラボしてるんだけど、マークはフロアにオーセンティックで知性溢れるエンターテインメントを提供できるすばらしい人材だよ。自分の音楽に映像を使って息を吹き込むことができるのはマークしかいないし、こうして彼を日本に連れてこれることは本当にエキサイティングだね。 コンニチワ日本!またフロアで会えることを考えると待ちきれないよ。
準備万端でパーティーをロックするから、楽しみにしててほしい!One Love!