2006年からダンスミュージックを作り出して、次の年から次第にテクノ中心になっていったんだ。それまではバンドでレコーディングしたり、スタジオでエンジニアリングをしたりしていたね。もっと前までさかのぼると、母親が作曲家だったこともあって、Atariのシステムとか、Soundcraftのミキサーを備えたスタジオが家にあったんだ。幼少のころからそういう機材を扱うスキルを身につけていったね。当時はとてもアマチュアで、文字通り子供だったけど、それが入口だったかな。
楽器の演奏という意味ではピアノからスタートして、12才のころからドラム、それから、曲を作るために独学でギターとベースを練習するようになったね。ドラムはしばらく真剣に取り組んだよ。10代後半のころにはいろいろやっていて、ジャズをビッグバンド形式で演奏したりしていたけど、20歳以降はさっぱりだね。
いや、まったくなんだ。最初のころは、くだらないポップミュージックばかり聞いていたよ。両親はSteely DanやWeather Reportといったアーティストも聴いていて、そこらへんはまあ良かったけど、大半は思いっきりミュージシャン向けの音楽だったんだ。ジャズとかフュージョンで、自分にとってはわけのわからない名前ばかりね。14歳から19歳にかけてはほとんどギターものばっかり聴いていたよ。パンクとかポストパンクとかを経て、よりノイジー方向に向かっていったよ。Shellacとか、Lightning Bolt、Boredoms、Sonic Youthとかね。
それと同じ時期にエレクトロニックミュージックにはまっていったんだよね。おそらくAphex TwinとIDMあたりをきっかけにね。でも、当初18歳かそこいらのころは、クラブミュージックを少し意図的に避けていたんだ。ヒットチャートとかMTVで取り上げられるような作品しか知らなかったからね。
でも、ドラムを演奏することに飽きて、クラブに行くことが増えて行く内に、いつの間にかDJの仕方を覚えていったんだ。どうも、自分は音楽に関して、貪欲な聴き手であり続けたいみたいなんだ。少し前、2005年か2006年のころからダンスミュージックを聞き込むようになっていったんだ。ダンスミュージックがどこからやってきて、どのように進化してきたかを掘り下げて行くようになったんだ。そういった意味では、最後の最後でクラブミュージックにたどり着いたって感じだね。最初からクラブミュージックを聴いていたというわけではないんだ。
その質問に対して、どうやって答えていいか、わからないままなんだよね。ロンドンにいたころから同じ音楽を作っているからね。ただ、あのころはもっと貧しくて、ストレスを抱えていたと思う。今となってはベルリンで、ありふれたテックハウスとかを聴いていることに少し疲れたけど、ベルリンの好きなところはたくさんあるよ。だからベルリンに来たんだしね。それこそ、今やっている仕事は、ベルリンに来る前から見つけたもので、今でもそれが楽しかったりするよ。
スタジオなんていうものはないよ。ベッドルームにラップトップと一対のモニタースピーカー、それに滅多に使わなMIDIコントローラーがいくつかあるだけだよ。あとは、エコー用にオープンリールがあるけど、ソフトウェアを使うようになってからは全然使わなくなってきているね。ちなみに、物好きな人のために教えておくけど、Kontakt 5を使っているよ。作品の90%はAbletonで作られているんだ。いくつもレイヤーを重ねたりしてね。ほかにはギターのエフェクト用にNative Instrumentsのプラグインかな。
アナログなものには大いなる愛を抱いているし、僕は確かにレコードを買って、プレイしているけど、制作活動についてはアナログということは意味をなさないみたいだね。TB-303なんかは長年ローンを支払ったけど、使わなくなったね。ちなみに本当の「アナログ」サウンドと、みんなが思う「アナログな」サウンドには大きな違いがあると思うんだ。
環境が変わってきているとは思わないな。ダブステップの根幹部分は変わっていないんだ。世の中の好みが変わるって、そんなに驚くことだとは思わないしね。それこそObjektの1作目は、いわゆるダブステップだったと思うけど、実験がてら、試しで作った2つのトラックだし、自分は140bpmのいわゆるダブステップは聴かないんだ。好みなんて変わっていくものだから、、いろいろなジャンルやリスナーがオーバーラップしはじめていくことは理解できるよ。いわゆる中流アーティストとか、ちょっと左よりのアーティストとかは認めないかもしれないけどね。DJするときには、それこそベルリンでたくさんあふれかえっている細かなジャンルとかは、考え過ぎないようにしているよ。マッシュアップものみたいなセットはプレイしたくないし、ジャンルとして(一時の流行りではなく)継続性があるものが好きなんだ。いわゆる原理主義、というわけではないし、テクノのDJがハウスを、あるいはハウスのDJがテクノをプレイすることをを批判してたいわけでもなくてね。
確かに、そういう印象を持ってしまうよね。自分はHardwaxの12インチシリーズにはまっているしね。だけど、みんな忘れちゃってるんだ。こういうリリースがいわゆるトレンディーなスタイルと呼ばれるようになるずっと前は、最も安く済ませられる方法として誰もがやっていたスタイルなんだ。
僕はレーベルをやりたいと思ったことはないし、自分のレコードをリリースすることも考えたことがなかったんだ。そこまでのクオリティに達しているとも思っていなかったからね。だから、金銭的なリスクを負わない代わりに、見返りも期待しない、という契約内容でオファーを受けたときに、そういったストレスを負わなくて済むなら話に乗るよ、って回答したんだ。そうしたら、「500枚プレスして、全部売ってしまうから心配ないよ」って言われてね。そんな理由でホワイト盤にしたんだ。安いし、簡単だからね。それに、実際にObjektの美学ともフィットしてたからね。ありふれたDJのプロフィールは退屈だって思うし、作品のプレスリリースを書くのも嫌いなんだ。どれもこれも繰り返しばかりで、まともな情報はほとんど含まれていないからね。
だからといって、自分は秘密主義というわけではないよ。ウェブサイトは名前も活動拠点も最初から公表しているからね。単に、くだらないことをあれこれ書くのが嫌なだけなんだ。シークレットとか言いながら、実際にはみんな、誰が作った作品かわかっちゃっているようなくだらない作品がいくつもあるしね。
彼はかつて、私の祖父に向けて子守唄を歌っていたんだ。すばらしく深い声の持ち主でね。実際、何人かの人は言っていることなんだけど、彼がシャワー室でsine sweep(*)を歌おうとしていた時に発見されたのがreese bass(*)らしいよ。自分はちょっと怪しい話だなって思ってるけどね。でも、ほんと、みんな人生どこかしらでHertzとつながっているようなものなんじゃないかな?
(*)いずれもシンセサイザーで使われる汎用的な音色名
いくつかDJのブッキングがあるのと、今はパートタイムで働いていて、その傍らで月に3回ほどプレイしているけど、自分にとっては理想的な状態だね。あとは、Radioheadのリミックスがそろそろリリースされるのと、個人的に大好きなレーベルのためのシングルを仕上げるところだね。その先は、締め切りを気にせずに製作活動ができるように、リリースやリミックスのオファーを止めているところなんだ。
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