INTERVIEWS

DAISHI DANCE

ありがとうございます。オリジナルアルバムを3枚出して、最初に作りたかった自分のスタイルはほぼ表現出来たので、ここ最近はMITOMI TOTOKO氏との別名義LimitedExpressやミックスCDなどDJに寄った作品をリリースしたり、K-POPなどのプロデュースをメインに制作活動をしていました。その合間に今まで作った楽曲からビートをミュートしてみたら、それはそれでジャンルになるのではと思って、一緒に楽曲を作っている守屋くんにピアノなど弾き直してリアレンジしてもらいながらデモを作りためていたんです。 元々メロディーを最重要視して作っていた音楽だったので、ビートトラックをミュートしただけでも楽曲として成立したのですが、新鮮な構成に変えたりメインの楽器を変えたり弾き直したり、、、あと1番重要視したのはシンプルになるのでトラックダウンのニュアンスチェックをいつもより時間をかけて楽器の存在感や説得力がより表現できるような音づくりにしたつもりです。ビートレス化するとポジティブなメッセージ性は残りつつ、聞いていてより想像力が沸くような作品になったですかね。 機会があれば生楽器のコンサートもやってみたいのですが、自分は音楽家ではないのでこのbeatlessアルバムのツアーもクラブで普通にガッツガッツやってます(笑) 2006年のデビューからたくさん曲を作ったので、最近はもっと制作の自由度があがりました。次のアルバムは、自分らしい哀愁メロディックな楽曲もあればDJ即戦力になるような楽曲だったり、ここ最近のポップスのプロデュース楽曲などいろいろな現在進行形の自分の活動を反映させたアルバムを作りたいと作業を進めています。 札幌、東京、大阪、京都、博多、金沢、韓国が定期的にやっていて、他の都市も年間2回くらい必ず呼んでもらっているクラブやパーティーがたくさんあります。レギュラー形式で行うのは、地元札幌で学生から続けているスタイルを拡大しただけなのですが、単発のイベントだとその日楽しかったねだけなのですがレギュラーで定期開催だと自分のパーティーの客層もできますしパーティー独自のヒット曲や流れもできて行くので内容が濃いし、全国で同じクォリティーの良い雰囲気のパーティーを行うことができて影響や残るものが創れるので、自分がDJ活動するのにレギュラースタイルは大切にしています。 ファッションショーなども入れると150本くらい平均です。飛行機は年間180回オーバー搭乗してます。 週末は各地でDJして、ダンスフロアや移動中に思いついた、楽曲のアイデアを平日に地元札幌のスタジオに持ち帰って制作して、また週末現場に移動というサイクルです。よく忙しそうと言われますが自分でスケジュール決めてますし、地方で観光もしつつ楽しくやってます。 はい!ずっと札幌在住の札幌市民です。 DAISHI DANCEって変なDJネームですが、、自分はノリノリで踊りながらDJするので大学生の頃に毎週レギュラーDJをしていたクラブで、常連さんが「ダイシダ~ンス」ってそのDJ姿を冷やかしてマネとかしていてDJ DAISHIよりDAISHI DANCEの語呂もいいし覚えやすいかなと思ってそのまま使ってます。アルバムデビューの時に学生の頃のウケ狙いで付けたネーミングなので変えた方がいいかなと思ったのですが、、、たしかレーベルの社長さんが低めの声で「そのダイシダンスって意味わからないのがインパクトあっていいんだよ!」とのことでそのまま採用となりました。予想外に名前の由来の説明が長くなりましたが、、DJをはじめるきっかけは中学生の頃からストリートダンス軍団と遊んでいて、その延長でクラブに遊びに行くようになりクラブではDJが強烈にかっこよく見えたのですぐ機材を揃えました。その頃は、同年代のDJがほぼいなかったので最年少で活動していました。札幌のKING XMHUというディスコ×クラブ両方の要素があった大箱には大きな影響を受けていて、そこがきっかけでハウスのDJになりました。ディズニーシーにあるインディージョーンズの神殿のような38億かかっているクラブです。トラック制作はDJとは全く別だしやっていなかったのですが、現マネージャーさんにゲリラ的にスタジオのスケジュール押さえたから作って!と言われ何もわからずスタジオに行ってみたら守屋君がいた的な感じで、強制的にスタートの巻でした。感謝してますが(笑) 基本PRO TOOLSでマニュピュレーターの守屋君と2人で行っています。ピアノやストリングスもVIENNAというソフトで完結することが多いですが、曲によって生楽器を入れる時はメロディーはこちらで描いたものを渡して演奏者の方のニュアンスを足してレコーディングします。 1番最初に作ったのはP.I.A.N.O.という曲で、まだサラリーマンしている時に会社が終わってからスーツでスタジオに行って作業をしていました。ピアノが和を感じるメロディーを弾いていてDD楽曲の方向性が詰まった曲だと思っています。 90年代はディスコからどんどんクラブにカルチャーが移行して新しくてクールな遊びとしてたくさんのアンテナを張った業界人や音楽好きなど、濃いめの客層で毎週クラブに必ず遊びに行くのが普通でした。今はワンナイトのイベント形式が多いですが、当時は曜日でレギュラーパーティーが決まっていてそれぞれいいパーティーがたくさんあってクラブシーン全体への相乗効果もあったと思います。お客さんの音楽知識レベルもすごく高くてクラブミュージックがレコードでしか売っていない時代にDJがプレイするほとんどの曲名を普通の女の子のお客さんでも知っていましたし、知らない曲があれば質問したり調べたりしてお客さんも音楽への関心が強かったです。知らない曲でもかっこよければヒット曲より「これやばいねー」ってリアクションが大きかったりしました。 毎回アルバムジャケットに使う写真は楽曲制作を始める初期段階で方向性に合ったメイン写真を決めています。日本人らしい感覚でグッとくる風景や写真を選んでいます。どこか懐かしくて自分の音楽の世界観にすっと入れるアートワークを考えています。 自分にとってはピアノの曲って印象に残るし、1番感情を揺さぶる音色なのでメイン楽器に使うことが多いです。90年代からピアノがバンバン入るハウスで盛り上げていましたし、ピアノ1本の静かな曲も昔から好きでした。 最近は、OLYMPUSのOM-DというミラーレスカメラをゲットしてDJツアーで各地のパワースポットや自然遺跡などをまわって写真を撮るのが趣味的になってます。OM-Dは、暗所のクラブでも世界初の5軸手ブレ防止と超高感度で完璧に撮れますし、アートフィルターをたくさん搭載しているので、昼間もトイカメラのような面白い写真が撮れるんです。あとはショッピングが大好きです。 音霊は、毎年出演させてもらってますので自分にとってもお客さんにとっても夏になくてはならない楽しみすぎな一大イベントになっています!自分はラストや夕方からのPLAYが多いのですが20時のラストに向かって音霊限定の酸欠状態になるくらい盛り上げるセットで毎年DJしています。お客さんの楽しむ勢いもHAPPYという言葉しか当てはまらない雰囲気ですね! たしか大学生の頃だったと思いますが、地元の小樽ドリームビーチで毎年“熱帯夜”というビーチパーティが開催されていてヒップホップもレゲエもハウスもオールジャンルで毎回盛り上がっていました。規模的には音霊と同じくらいの海の家で楽しかったです! 現在の指定DJ機材は、Pioneer CDJ2000×3台、DJM2000かDJM900かUrei1620に最新エフェクターのRMX1000です。CDJやターンテーブルを3台使うのは、同じ曲をヴァージョン違いで2枚がけしたりアカペラを差し込んだりクイックに早繋ぎなどいろいろやってますが、今はUSBメモリーやSDカードを入れてDJするので3台あると次にかける曲を用意して、更に次の曲の選曲を3台目でしたりという選曲の想像性を高めるのにも使っています。 DJと楽曲制作は全然違う思考回路を使うので別カテゴリーですね。もちろん曲を作る時にDJ的な感覚からのフィードバックもたくさんあるし、DJと楽曲制作の2枚看板で活動がリンクしているのでセットといえばセットですが、全く切り離してもそれぞれが別活動も出来るという不思議な関係でしょうか。 昔からDJの時に緊張は全くしないんです。海外フェスで4万人とかの前でDJする時も心拍数はかったら自宅で宿題してる時と変わらないんだろうなって思ったこともあります(笑)。緊張してるのって伝わりますし、緊張しているDJではお客さんもがっつり頂点まで盛り上がろうってなれないような気がしますw。でも友人の結婚式のスピーチとか頼まれると緊張しますね。。。 秋を目標に久しぶりのオリジナルアルバムを制作中です!現在の自分の活動をすべて反映させた作品にしたいと思っています。 音霊は初めて来た人も超高確率で毎回来てしまう常連になっているくらい夏で1番楽しいイベントなのでお誘い合わせ大集合大盛況よろしくお願いします。毎年すごい一体感の巻です!