INTERVIEWS

石野卓球

音楽というのを意識的に感じたのは、たぶん幼稚園時代にオルガン教室に行った頃だと思うんですよ。たぶん年中組くらいかな、4歳とかですかね。それぐらいの頃にハンガリアン舞曲てのを習って、たぶん当時は、すごい幼かったので、大きく感じたのかもしれないですけど、静岡の大きいホールで発表会をやったのを覚えてますね。 それもたぶん、発表会が終わってから施設の下のレコード屋さんで帰りに買ってもらったドロロン閻魔君の7インチが最初だったと思います。レコードってわけじゃないけど、それからは、小学校の高学年くらいの頃にラジオの洋楽ヒットチャート番組があって聞いてたかな。それ以外だと普通にテレビの歌謡曲を聞いてたんですけど、意識的に聞いてたのは洋楽かな。70年代後半くらいだと思うんですけど。ディスコとか流行ってたころじゃないかな。 90年代の前半だったと思うんですけどね。だから20代前半からですね。曲を自分で作ってからDJをしだしました。 作り始めたのは、中学生くらいで80年代前半ですね。今みたいにコンピューターとかも無いから、ラジカセ2台でやってたんですよ。ピンポン録音ってわかります?片方に録音したやつを流しながらもう、もう片方に演奏しながら録音するってやり方。また、それを繰り返してどんどん音を足していく。だから最初に録った音は、どんどん劣化していくんですけど。さっきオルガン教室に行っていたって言ったじゃないですか、家に電子オルガンがあったんですよ。それを使ってやっていましたね。その頃にYMOとかがブームだったんで、それのコピーとかしていました。それから高校生になった時は、アルバイトができるようになったんで、バイトしてシンセサイザーとか買ったりして。その頃になるとDepeche ModeとかOMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark)とか80sのエレクトロニックポップのコピーとやってましたね。ちょうどシンセサイザーとかリズムマシーンのROLAND TR-606とかが、安い値段で出てきたんでそれを使ってましたね。ただ、録音はあいかわらずラジカセを使ってましたね。 そういう感じですか?思えば遠くへ来たもんだ(笑)。 要はDJやっているのと一緒ですよね。DJをやっている時の音が、予め自分で用意した音っていうだけで。バンドで言うと「せーの」で始めるのと一緒です。たしかに、このジャンルだとPCが普及した今だと1発録りっていうのを伝えるのは難しいかもしれないね。 それまでもヒップホップとか聞いていたんでDJカルチャーってのは、自分の中に馴染みはあったんですけど、自分でもやってみようと思ったのは、電気グルーヴのファーストアルバムのレコーディングで90年にマンチェスターに行った頃ですね。その頃は、まだマッドチェスター(イギリスの都市の名前であるマンチェスター(Manchester)と「狂った」という意味のマッド(Mad)を合わせて作られたジャンル。造語。)真っ只中って感じで、いわゆるHappy MondaysやThe Stone Rosesといったバンド系のマッドチェスターと、クラブ系だと808 STATEとかもひとくくりでマッドチェスターって言われてて。その当時に、イギリスの海賊放送のラジオをつけると、シカゴハウスとかアシッドハウスとかがすごい流れていたんですね。それが、ほとんど初めて聞くような音楽で、且つDJのミキシングっていうのも知りましたね。それまでスクラッチとかしか知らなかったのが。いわゆるミックスっていう手法を意識して聞いたのはその頃ですね。 そうですね。その頃は、まだHACIENDAとかもあったんです。レコーディングで2ヶ月くらいいたんですけど、レコーディングが終わると、HACIENDAに遊びにいっていましたね。 とにかくでかかった印象がありますね。日本だとその頃はGOLDとかか。GOLDよりもワンフロアでドーンってでかかった印象があるんですよね。 ビルが一棟クラブみたいな感じですね。各フロアにクラブがある感じかな。クラブのデパートみたいな感じ。今思うと、ageHaほどでかくはないですね。天井もWOMBやageHaみたいに高くないから、ほんとビルって感じですね。どこって感じかな~。よく小箱でビルの何階かにあるクラブってあるじゃないですか?あのビルが一棟全部クラブって感じかな。。。あ、あれだ、VISONだ。VISONを縦にした感じ。 当時GOLDがあった芝浦のほうって開発がそんなに進んでいなかったんで、空きビルも多かったし、人も住んでいなかったんで地上階でも音がけっこう出せたんだと思うんですよね。今、WIREって名前になってるんだけど、ミドスガレージとか下北のズーとか、他に小箱もあって。。。GOLDだけ特別な感じでしたね。場所的な感じと雰囲気とお客さんも。 ありますよ。けっこうGOLDの晩年ですね。いわゆるGOLD伝説の1階に象がいたとかそういう時期ではなかったですね。その頃、バブルの真っ只中だと思うんだけど、その頃はまだプレイしてなかったかな。ただ、ディスコっていう感じでもなかったですよ。あれは、ニューヨークスタイルのクラブだったと思いますよ。それと同時期にあったジュリアナとかの方が、いわゆるディスコってイメージでしたね。当時明確に感じたディスコとクラブの違いは、ラフな格好で行って床に座っても何も言われないのがクラブで、それができなくて照明が明るいのがディスコって感じですね。 中学生くらいの頃に何の根拠もなく、そうなれると思ってたんですよ(笑)。それはよく、言う信じれば願いは叶うとかじゃなくて、無知と思い込みってこえーなっていう(笑)。その頃、他の選択肢を考える脳みそが無かったというか。後は、自分が音楽をやり始めた頃にニューウェーブとが盛り上がってた時期だったんで、その頃ってシカゴハウスとかデトロイトと一緒で、お金をかけてビッグプロダクションをしなくてもアイデアさえあればやっていけるっていうパンク以降の考え方がすごい強かったんです。当時、静岡に住んでたんですけど周りを見渡しても自分と同じようなことをやっているやつって全然いなかったんですよね。だから、そこから勘違いが始まって、これは独占企業だ!みたいな。独占企業というより、実は隙間産業だったんですけどね(笑)。それが、ずっとあって就職とかも全然考えて無かったんで卒業して上京したんです。 学校行って帰って曲作って。あと、うちは溜まり場みたいになってたんで学校行く日もあれば行かない日もあって。常に友達がうちに溜まってて。なんか曲作ろうってなるんですよ。バンドやっているやつもいたんですが、音楽好きなやつがほんどだったんで、バンド経験が無いやつでもニューウェーヴの考えを自分の都合のいいように解釈して、むしろアマチュアの方がいろんなアイデアが出るって勢いで曲を作ってましたね。 時代時代によって1番顕著なのはBPMの違いですね。あとは、自分の好みの手癖みたいなものは、10何年経っても変わんないとこだったりだとか。最初の頃もコンピューターも使っていたんですが、今みたいにHDレコーダー代わりに使うのではなかったですね。ハードのシンセサイザーとかを並べてDATに録る感じが多かったんですけど、それの良さもあったりとか。それ以降は、だんだんコンピューターが進化してきて、直しがいくらでもきくようになったりして、そうなってくるとまた作風も変わってきたり。制限されていたほうが集中力が高まるっていうのはありますね。 そういうことはしないですね。WIREのブッキングにも近いものもあるんですけど、クラブミュージックなんで流行廃りはありますが、その時の流行に行き過ぎると大事なところを見失うところもあって。興味が無いわけじゃないけれど、自分がやるこじゃないかなと思うんですよね。そういうのは、そういうことが長けている人がやることだと思うんで、自分は身の丈にあったことをやる。人が作ったものを取り入れて処理するって感じは無いですね。自分の中で自分のことが消化できてない部分もあるのに。 そうです。それもあって今回まとめようと思って。というのは、毎年エクスクルーシブで出しているんですけど、その年に出演するアーティストの曲をライセンスで借りるんですね。それの契約期間がだいたい5年間なんですよ。なので今だと2007年以前のものって全て廃盤なんですね。毎年エクスクルーシブで出していくのに、毎年廃盤にもなっていくっていうのがすごい寂しくて、どこかでまとめたいなということになったんです。 来年もWIREがあるって保障がないから。その年その年、延命をしていっている感じ(笑)。ある年に興行的にすごく失敗をしたら次の年はできないってことは、現実的にあることなので。 ペテルブルグってロシアでもけっこう西のほうなんですよ。モスクアとかがみんなが思っているロシアなんだけど、ペテルブルグは、昔統治してたとこが違うので、西とロシアの感じが混ざりあってるんですね。モスクアみたいな無機質な感じではなくて、華やかな雰囲気もありつつ、でもやっぱりロシアみたいな感じもあって、他の都市に例えようの無い街並みなんですよ。ヨーロッパは、いろんな国に行ったんですけど、圧倒的に今まで見たことの無い街並みでしたね。何回か行っているんですけど、あそこに行くとおもしろい出来事、いいことも悪いことも含めていろんなことが起こるんですよ。例えば、MAYDAYだったんですけど、3万人くらいいる会場の客電が突然点いて、警察と警察犬が100人くらい入ってきたんですよ。そしたら、ここに時限爆弾が仕掛けられているってタレコミがあったみたいで。一旦音を止めて全部チェックして、2時間くらい中断して何事も無かったかのように再開したりとか、他の土地でありえないことも合って思い出深い街なんですよね。 スロベニアは何回も行ってるんですが印象的ですよ。あそこは旧ユーゴスラビアなんだけれど、先入観で暗い街並みみたいなのを想像して行ったんですが、実はまったく間逆で、イタリアの隣だからやたら陽気なんですね。街並みもすごい綺麗で、食べ物も美味くて人もすごい温かい。日本人が珍しいようだったので、やたら物珍しく見られた。すごい大箱があるんだけど、そんな人種なのにめちゃくちゃアンダーグランドテクノで数千人が盛り上がってて、ここホントかなって思ったことがありましたね。素晴らしい街ですよ、もう10回くらい行ったんですけど、毎回毎回ここであったことを日本で話しても信じてもらえないだろうなって。基本的に、東ヨーロッパは好きな国が多いですね。ポーランドとかチェコとか。 もちろん。やっぱり生活のしやすさだったりだとか、ダンスミュージックがすごい身近にあるという環境は、今のところベルリンが世界一じゃないかな。テクノに限って言えばベルギーもあるけど。個人主義が確立されていて、表現することに対しての理解度が高いとろこがある。あと具体的なことを言うと、大都市なのに物価が安いとか。 コンピに入れる曲よりも、ある種オマケみたいな感じがあるのですごい気楽に作れたんです。アルバムの中の1曲ってわけでもないんで前後の流れも考えなくてよくて。今聞くと、コンピの方はやっぱりWIREコンピって意識があるんだけど、それすら無いからすごく主観的に作れて楽しかったですよ。 それは無いですね。あれは最初からCM用に作ってるんで。最初は、そういうのもやろうかな思ってたんですけど、WIREが終わると無かったことになるというか、テンションがあがらなくなるんですよ。DISC 2は、あくまでボーナストラックみたいな感じですね。 一応主宰とは言っているんですが、言いだしっぺみたいなもんで、そこまでかっちりしたものではないんですよ。具体的には、出演アーティストの選定、プロモーション、ビジュアルだったりの判断とかですね、あとWIREコンピの制作だったり。さすがに10何年もやってると、各スタッフとも信頼しているので、お任せでやっていますよ。みんなが思っているほどやることは無いんですよ(笑)。 今これが流行っているからそのスタイルの代表格というのは、あまりチョイスしないようにしてますね。基本的には、大きなくくりでのテクノというのがありますね。 テクノをもうちょっとぼやっとさせたものなんですけど。。。実際、そのへんの人に聞くとハウスもテクノじゃないかってざっくりしてるじゃないですか。これがエレクトロニカだと、実際僕たちの守備範囲ではないのでWIREよりも適したイベントがいっぱいあると思うんで、そういうところは、うちはフォローしていないですね。 90年代半ばから後半にかけてヨーロッパでプレイする機会が増えたんですね。当時、日本でもテクノは盛り上がってたんですけど、MAYDAYに出演した時に日本でテクノは認知されて人気もあるのに、こういった大きなレイヴって無いなと思ったんですね。野外のフェスって少しあったんですけど、それがすごいアンバランスのような気がしたんですね。日本は、どちらかというと、レコード屋をはじめとしたソフト中心のマーケットという感じがしたので。そこに、もっと大きな場所で実体験する場所が無いのはおかしいなと思って始めたのがきっかけですね。 そういえばそうですね、あまり考えたことが無かった。むしろそれ以前にあってよかったものが、たまたまそこに重なった感じもあるんじゃないですかね。フジロックみたいなものってもっと前からあってもおかしくないというか。 やっぱりMAYDAYで受けた衝撃というものがあって、屋内でこれだけ作りこめるという部分ですね。それまで横浜アリーナは、今までコンサートとしての使われ方しかなかったんですよ。MAYDAYに行って、ステージだけでなく全体を使うというのは見たことが無かったので。あとは、天候に左右されないという部分ですね。それはけっこう大きいかも。 そうですね、箱の大きさでも違いますし、WIREの場合は年に1回ということもありお客さんがより能動的なのでギア高めにするというというのはありますね。 そうですね。あと会場が広いと人の出入りがあったりするので、あんまりどっぷりはまる系って厳しいんですよね。 変わった部分は、10何年もやっているとお客さんが変わってきますよね。今20代半ばの人たちってWIREが始まった頃は、まだ10代でしょ、半ズボン、初潮(笑)。そういう子たちも来るようになっているから、彼らのクラブ、パーティーでの楽しみ方と、それまで遊んでいた人の楽しみ方も全然違うので、そういうところで変わってきたところはありますね。一概には言えないですけど、いい部分とすれば、よりパーティーを楽しむっていうところが強まってきてますね。逆に、あんまり音楽が中心では無くなってきている部分もあると思います。けっしてそういう人たちが悪くはないのだけど、あまりに増えすぎちゃうと厳しくなるのかなって思いますけどね。 変わらない部分って逆に目立たないので、説明するのが難しいし、自分でも気づいていない部分が変わってないと思うんですよ。だからそこはちょっとなんとも言えないかな。無くなってから気付くというか。 それはいっぱいいますよ。いすぎて分からないというか。 もちろん。最近だと今回も出てもらうけどDJ SODEYAMAはいいですよね。あとは、昔からやってもらってるSHIN NISHIMURAも1人でよくやってるなと思います。 彼もクオリティー高いですよね。彼ね、地元が一緒なんですよ、世代は違うんですけど。
今挙げた3人とも、それ以外にももちろんいますけど、俺が過去にやっていた時代とは全然違う時代にやっていて、パーティーだったりリリースだったり各自が独自の方法で切り開いてやっていたりする。しかも3人とも違う方法で。それが彼らのすごいとこでもあるんですよね。 他にもフェスやイベントはたくさんあるので、別にWIREだけに来てくれって訳じゃないんですが、年に1回なのでスペシャルなものとして楽しんでくれたらいいなと思います。楽しみ方は、各自個人の自由なので他人に迷惑がかからない範囲で楽しんで頂ければですね。 急に普通の話になるね(笑)。ラジオとかですかね、ラジオ好きなんですよ、聴くのもですが集めるのが。うちにラジオがすごいいっぱいあるんですよ。コレクションしてるほどでもないんですけど、気になるものがあると買っちゃっていっぱいあつまっちゃったんですけど。普通の据え置き式のラジオとか、ドリルのメーカーのマキタってあるんですけど工事現場用のラジオとか。これめっちゃいいですよ。あとは、農家用のAM専用のSONYのラジオとか。これめちゃめちゃ頑丈で2階から落ちたけど全然壊れないんですよ。あと雨ざらしでも平気だし。農家のおじちゃんおばちゃんが農作業しながら木の枝にかかっているラジオあるじゃないですか、あれです(笑) どんな音で鳴るのか気になる!見た目と出てくる音の質感でキャラが全然違うじゃないですか、それがおもしろくて。AM向きFM向きとか。あと、和室向きとフローリング向きとか。 DJは臨機応変に対応していくおもしろみがすごいあるんですよね。あらかじめ決めて行くことはなくて、会場に行くまで分からないし、前にプレイしていたDJの作った雰囲気にも左右されるので、それとどういう風に対峙していくか、その中でどう自分なりのセットを組んで行くか、それでリアクションがよかった時っていうのは醍醐味ですよね。フレキシブルというか、想定不能な部分がすごく多いよね、多ければ多いほどおもしろい。まぁ、月並みだけど自分が思っていたよりもお客さんの歓声が高くて、それによってこっちも高められてどんどん上がっていくみたいな。最近だと、ageHaでのWarter barでプレイした時は、そんな感じで楽しかったですよ。 あれもおもしろかったですね。SALOONのイメージでまったりいく感じかなと思ったら全然違ったんで、急いでギアを5速にあげましたね。あとタダだと人が入るな~って(笑)
PREV
Jamillions
Jamillions
NEXT
Paul Murphy
Paul Murphy