INTERVIEWS

Candle JUNE

僕はもともとカソリック系の家だったので、よく教会に行っていたのですが、年に何度か、電気を消して蝋燭を灯す時があったんです。あの、神聖な感じが好きだったのが、僕がキャンドルを灯すようになった、きっかけかもしれません。
キャンドルをやるようになったのは、いまでは運命だって言っているのですが、10代の終わりころに「生きるってなんだ、何をするために俺は生きているのか」とか、いろんなことを考えて自分と向き合い、より自分にハマれる空間作りということで、照明をいろいろと工夫するうちに、キャンドルを灯し始めました。で、当時は1人暮らしをしていたから、生きるためには食わなきゃいけないってことで、コックをやったりしていたのですが、職業として何かをやるにあたっては、既存のなにかの中で「競争」していくよりは、誰もやってないことをやろうと考え、はじめは絵を描いて友達にあげたりもしていたのですが、絵だと自分の主張が強いぶん、人にはあげにくいって部分がありました。たまたま余った蝋燭のかけらを集めてキャンドルを作ってみたら、意外に友だちにもあげやすくって、それから自分でキャンドルを作って生活するようにもなったんです。 僕自身では普段、自分のことを「キャンドルアーティスト」とは呼びません。大切なのはモノではなくて、本質だと思っていて、アートもはじめは前衛的でも、それが出てきた瞬間に「同様のことをやれば、それも前衛」みたいにジャンル化してしまう。しかし、本来はものの見方だとか、感じ方だとか、そうしたことすら変えていく行為だと思っているので、「アート」という範疇に入れられてしまうと、その中のものとして、判断されてしまう。
だから、自分でキャンドルを作る場合でも、極力いかにも手が込んでいるようには見えないようにしています。それをすればするほど、そこに個人的な思い入れも出てくるし、「どう、これスゴイでしょ?」、「もったいないから火はつけられない」といった、自分のもっとも嫌いな方向に行ってしまう。また、買うほうもひとつの投機目的になったりして、本来の意味が損なわれてしまう。そういうわけで、僕がキャンドルを作るときは、「火をつける」という目的のもとに、無意識に素材とコミュニケーションしながら作っているだけなんです。だから、どれもがお気に入りだけど、どれもがお気に入りではないという感じですね。 僕のなかでは、蝋燭を作るという行為自体は、実はある種の必然で、本来作りたいと思っているのは「空間」そのものなんです。だから、極論しちゃうと僕のキャンドルでなくってもいいんです。人が集まって、見て、なにかをつかんで帰っていくというストーリーをキャッチして、それをより良くすることに僕の能力を貢献したい。人や場所を照らす、その「空間」自体を作りたいんです。 97年くらいから野外のイベントなんかでキャンドルを灯すようになったのですが、いろいろ世の中の問題や矛盾を感じているなか、チベットのダライラマの呼びかけのもと広島で開催される世界平和のためのイベント「聖なる音楽祭」のときに、「平和の火」を分けてもらうから、それを会場で灯してくれないかというオファーをもらったんです。これは来るべくしてきたというか、これまでの活動とはワケが違う重大さを感じたので、受けるかどうかを正直迷ったんですが、自分の思いを実現する第一歩にもなると思って引き受けました。そして、それをきっかけに、これはもう行かないと不自然というか、もう必然だと思って、原爆ドーム、長崎からはじめて、北海道のアイヌの村にいたるまで全国を旅して回り、世の中から戦争をなくし、平和を願うための旅「キャンドルオデッセイ」としての活動を始めました。
で、そうこうしているウチに9.11の事件が起きて、自分でも事件後の日本の反応が自分の理想とする日本人のものとは違うという思いがありました。その後の旅のさなかに出逢ったお爺ちゃん、お婆ちゃんたちと話していると「また、悲しい家族が増えてしまった。もし、あなたがNYに行くなら、私たちのぶんも祈ってきてほしい」というお願いをうけるようになったんです。そこで、ようやく自分の役割というか、使命というか、少なくとも誰かに何かを託される存在であるということに気づいて、NYに行くことを決めました。 しかし、ただ単にNYに飛んで行って、「広島、長崎を回ってきた火を持ってきました!」というだけでは、なんだか失礼な気がしたので、LAからアメリカに入って、いろいろな場所、聖地と呼ばれるような所やセレモニーで火を灯したり、いろいろな人たちと出逢いながら、アメリカを横断していって「僕なりのアメリカ」をしっかりとつかんだうえで、NYまで辿りついたんです。NYに着いて火を灯しても、それで実際に世界が平和になるかというとそんなことないのは承知してますが、この旅からはニュースで聞いてることと実際は大きく違うということがわかりました。そして、おかしいことはおかしいとちゃんと言わなければいけないと、確信したんです。アメリカで出会った人に旅の趣旨を話すと「俺らはブッシュとかなんかのせいとかにしてるけど、全然関係ない国からやってきて、いろいろ考えてくれてありがとう」って、みんな感謝してくれるんです。ある町では、「俺らは政治とか、世の中の汚いことがイヤで山にこもってコミュニティー生活をしてるけど、お前はおかしななことには逃げずにちゃんとおかしいと主張しなくてはいけないということを示してくれた、どうもありがとう」っていってくれたこともありました。 この旅では、本当にロールプレイングゲームのように、さまざまなことに出会うべくして出会い、自分の悩みや問題、運命だとかの答えが多くみつかった気がします。そして、これ以降、逆算的に自分のやるべきことが見えてきました。
人間って輪廻のなかで、これまでもいくつもの人生を旅して、そのなかでやり遂げられなかったことを残したまま人生を終えることが多いと思うんですが、僕は、今のこの人生の中で、そうした自分の「魂的な旅」も終わりにしたいって思ってるんです。だから、いまは死の瞬間から逆算して、自分のやるべきことをやっています。もちろん不安なこともたくさんありますが、こうしていると楽しくて仕方ないんです。
なにかを「しかたのないこと」として、あきらめてはいけないと思うし、よりよくするために訴えかけることで、多くのことを変えていけると思ってます。そして、それをしたほうが何事も楽しいし、それこそが前向きであると思っています。 その後、アフガン報復攻撃を日本も賛成してしまったのであやまりに行く旅もしましたし、縁があってカンボジアの孤児院にも行きました。特にカンボジアでは、戦争を終わらせるために僕が行う活動としての指針を授けてもらった気がします。人は戦争から大きな悲しみや憎しみを受けますが、なんにもケアをしないと、そのマイナス感情が次の争いの種になってしまいます。悲しみを断ち切り、それをより大きなプラスの感情に変えていくことを学ぶ必要があるわけです。大きなマイナスが生まれたときに、世界中の人のプラスを持ち寄り、一方的に授けるのではなく、一緒になって、その事件を学ぶことができれば、同じような争いは起こらなくなると思うのです。
これから先、沢山ある、そういった場所にロウソクと共に赴き、悲しみの家族達から学び、親しい関係を築いていきたいです。
将来の夢としては、戦争が起こりそうなときに、世界中の悲しみを知っている家族達と共に蝋燭をもって、戦争が起こりそうな場所に行って、それを灯すようなことができたらいいなと思っています。これは、人間の壁や、NGO的なメッセージではなく、悲しみを背負った人々のリアルなメッセージですから、たとえ一瞬であっても戦争をストップさせる力を持っていると思うんです。 実は、キャンドルオデッセイもいつかは終わりにしたいと考えています。だって、これは戦争を無くすためのイベントですから、いつまでも「終わらない、終わらない」と言い続けていては、一生戦争だって終わりません。実際に個々人が戦争を終わらせるイメージをもつことが世界の戦争終結には大事なことだと思っています。
だいたい、僕が戦争をなくそうという話をすると、みんな感心して聞いてはくれるのですが、多くの人が「でも、戦争って終わらないよね」って言うんです。多くの人がそう思っていたのでは戦争は終わりません。もう、戦争は飽きたから終わりにしようよっていうような気持ちを持たなくてはならないと思います。いつかは「悲しみの火」を灯す場所がもうないね、って思えるようにしたいんです。
そして、いつか実際に戦争がなくなったら、史上最大の戦争建築物である万里の長城に世界中の人々が集まって、何世紀も戦争を続けてきた人類にたいして、「お疲れ様でした、戦争はなくなりました」っていいながら、蝋燭を灯していくのを地球の上から眺めたいんです。そのときにシャンパンでもあけて飲みたいがために、それまでは禁酒です。まわりはそれを「じゃあ、一生飲めないね」と言うのですが、「じゃあ、そのとき一緒に乾杯しよう、早くそうなるために俺のできることを頑張るよ」っていう考え方を持つことが、実は戦争撲滅への第一歩なんじゃないかと思っているんです。
平和のために特別にがんばったり、活動したりする必要はないと思っています。それぞれの日常の中で、いかに平和ということに関するビジョンを1人1人が持ち続けられるか、それこそが大事なんだと信じてます。 「100万人のキャンドルナイト」というイベント自体は、電気の無駄使いに対して夏至の日には蝋燭をつけようという運動として、2003年から開催されているものですが、このイベントが開催されるのが6月(June)でしかも蝋燭を灯すとなれば、CANDLEでJUNEな僕としても、なんかしようと思って、友だちでモデルのJUNE君とかと、なにかJUNEつながりのパーティをしようということになり、昨年ちょっとした身内のパーティを開催したんです。今回のは、その延長線上にあって、僕らにとっての「100万人のキャンドル」ってなんだろうって考えたものです。
アンダーカバーのJUN君やルースのJUN君もこのイベントのためにTシャツを作ってくれます。
タップダンサーの熊谷和徳君や、沼澤尚さん、DJ QUIETSTORMほか、今回出演してくれるアーティストのパフォーマンス、パワーを広く世の中に見せたかったというのが、もともとあったので、彼らが集まる一夜をキャンドルで演出しようということになったのが、今回の企画で、平和を祈るキャンドルオデッセイとは一線を画したかったという部分はあります。
ただし、この日も長野のお寺で灯り続けている「平和の火」を分けてもらってそれを蝋燭に灯すのですが、このイベントでは、「この火をつけて消す」っていう行為がだれにでもできることだってことを示したい部分もあります。たとえ、イベントに来られなくて部屋にいても、電気を消して、蝋燭に火を灯してみる、それだけでいいんです。
僕個人のなかでは、「平和の火」は悲しみの火でもあり、いつかは消さなければならないと思っているので、「どう消すか?」ということは重要なテーマです。以前にイベントで平和の火を分けてもらったときにも、最後にその火を富士山のふもとまで持って行って、降り注ぐ雨でそれを消したんですが、今回もたぶんイベントが終わったら富士山に行くと思います。ぜひ、みなさんにも「電気を消して蝋燭に火を灯す」体験をしてみてもらえればと思います。