INTERVIEWS

Watergate (Steffen Hack)

- まずはじめに、あなたのバックグラウンドから教えてください。シュトゥットガルト生まれだと聞きましたが。

1982年、17歳のときに学校を辞めてベルリンへ出てきた。当時、ベルリンは若者が注目する場所だったから「よし、この目で確かめてみよう」と移り住んだんだ。
 
- その頃から音楽は好きでしたか?

ああ、僕の人生にはいつも音楽が傍らにあるからね。
 
- どんな音楽を聴いていましたか?

常に変化しているけど、ジャーマンニューウェイブ、パンク、その後ヒップホップ、ダブ、ドラムンベース、あとはテクノを聴いてきた。今でもいろんな種類の音楽を聴くよ。これが僕の聴く音楽、というように限定はしないよ。
 
- ご自身も音楽をやっていたんですか。

ドラムやDJもやってみたけれど趣味の範囲。自分のスキルではミュージシャンには…。
 
- 急進左派だった時期もあったと聞きましたが、スクワットをしていたのですか。

当時クロイツベルグは、ベルリンの壁のすぐ近くのエリアで投資家などもあまり目を向けないエリアで、トルコ人などの外国人労働者が多く住んでいて、自分たちのような若者がスクワットして住んでいたね。その頃、パンクバンドでドラムをやっていたり、パーティもオーガナイズしていた。
僕は、政治的な左翼過激派で革命を起こしたかったわけじゃないんだ。ただ、「どうやったら社会が変わっていくか」ということに個人的に興味があっただけ。小さい頃、両親や学校が「あれはいけない、これはいけない」といういわゆる常識に納得がいかなかった。違和感があったからそれに反抗してきたが、今はそれが間違えじゃなかったとわかった。
 
- なるほど。過去にレコードショップもやっていたのですよね。

ああ、はじめたのは1986年頃だったと思う。92年頃まで友達とクロイツベルグに"Coretex Records"というレコードショップを開いてパンクやハードコア、後にドラムンベースを少々扱っていた。でも途中からうまくいかなくなった。いろいろなジャンルを扱うようになったんだけど、若者は、割りと1つのジャンルを掘り下げて音を探していくことが多いだろう? 僕らのレコードショップはいろんな音を扱っていたからね。
 
- 当時からクラブ営業にも携わっていたんですよね。

西と東で大きなムーブメントがあった。スクワットでのミュージック、パーティーシーンが盛り上がってきている頃だった。僕らも空いている場所を見つけてはスクワットしてパーティをやっていた。空いている物件を一時的に契約して、クラブやバー、レストランも手掛けた。4年間"Toaster"という名の小さなクラブも運営した。
1992年にパートナーと一緒にクラブをはじめ2年で辞め、オフィスとレーベルを2年。WMFクラブから金曜の夜、パーティーをやらないかとオファーがあってドラムンベースとハードエッジなパーティを4年続けた。そのあとWATERGATEをオープンさせたという感じかな。
 
- かなりのキャリアですね、今から約12年前。

3、4年のスパンでクラブをいくつかやったけど、その頃クラブでパーティーをやらないかというオファーも実にたくさん届くようになって。クラブでイベントを始めるか、自分たち自身でクラブをオープンさせるか。よく仲間と話し合った。パーティーのオーガナイザーという立場だと、ドアやバー、ステージ周りなど自由が利かないことも多い。すでに自分たちには、アイデアがいろいろとあったから、自分たち自身のクラブをやろうと決めた。ベルリンは、何かを始動させるには最適な場所。お金がそんなにたくさん必要ということでもないからね。他の都市と比べると…。
 
- 10年前、クロイツベルグはどんな場所でしたか。

30年くらい前から見てきているけれども、ここにずっと住んでいるから説明するのが難しいね。その渦中にいるから。しかもまだ変化し続けている最中だし、クロイツベルグは壁のそばにあって、以前は注目されるような場所ではなかったけど、今やベルリンの中心とも言えるエリアとなっているよね。投資家達も投資をしたがる場所になった。「MAKE MONEY MONEY!」ってね(笑)。
 
- 数年前に訪れた時と比べても、ベルリンには人が増えていますね。

人と建物は確実に増えているよ。ただ街は近代的に変わったけれど、役人は20、30年前と変わらないまま。たとえば日本だと、夜の間に工事をして昼間に渋滞しないようにしたりするだろう。ドイツの役人はそういった融通がきかない、おかしいよね。
 
- 10年前は危険な場所でしたか?

いや、危険じゃなかったよ。ギャングがいたりもしたけれども安全だった。都会で金持ちと貧乏人の格差が広がって、お金のない人たちの間に「一生金持ちにはなれない」といった絶望感が広がるとアグレッシブに暴力的になったりするもの。ベルリンは今までのところはそういった社会的なプレッシャーがなかったけど、今後はその危険性は多いにあると思っている。なにも中心部に限らない。投資家や政治家は、中心部で金儲けできていれば、郊外で何が起こっているかには目もくれないはずさ…多少の問題ではね。
 
- なぜWGを、クロイツベルグに作ることにしたんですか。

例えば、ミッテ地区はもっと資本主義的なビジネスエリアになるだろうと予感があったし、クロイツベルクは言うならば「お金で動く感じじゃない」空気があったからね。フリードリッヒスハインでもよかったが、たまたまいい物件が見つかったのがここだった。以前は確かに広くスペースを使えたけど、実際この辺りもここ3、4年で家賃が20%くらい上昇したよ。
 
- WGはそれまで関わってきたクラブとは全く違った物だったんですよね。

ああ。でもその時できることをやってきたまでなんだ。それといろいろな意味で恵まれていたと思うし、1つ1つの要素がうまくはまったと思う。ロケーションやいいスタッフ、それにたくさんの人がベルリンを訪れるようになったということ。いい意味でも悪い意味でもベルリンは変わった。テクノのクラブがこんなにいいロケーションの場所にあるなんて、そうそうあるものじゃないと思う。スタッフでいうと、バーのボス、Nikolas(ニコラス)にブッキングマネージャーのUli (ウーリ)は最初からずっと一緒のメンバー。僕は運営やWGの哲学など全体のことを見ている。いわゆるマーケティングの手法から言うと外れたことをやってきた。最初のうちは、3つのジャンルのパーティー、ヒップホップ、ソウルやレゲエ、もうひとつはドラムンベース、それにハウスなどもやっていたけど、違う種類のものが3つあったのでエネルギーが分散気味だった。もしクラブとして成功したいなら、まず来る人に「この音ならこのクラブがいい」という信頼感を持ってもらわないとならない。来た人の期待を裏切らず、安心して楽しめるように。クラブのブランディングを際立たせるためにも、1つの方向性の音に絞り込んだんだ。僕らはハウスとテクノのクラブだってね。多くの人は予想外の出来事を求めている訳じゃいんだ。カレーワースト屋にいったら寿司ではなくカレーワーストが食べたいしその逆もしかりでしょ。
 
- WGの音を知らない人にどんな風に説明しますか?

時代によって音は変化し続けているから、ハッキリと厳格には「これがWATERGATEの音」とは言えないけれど、今まではミニマルな音、ディープハウス、テックハウス、テクノが多いかな。
https://soundcloud.com/watergate-club
https://soundcloud.com/watergaterecords
- レーベル運営にもクラブのカラーが反映されていますね。

皆のおかげでクラブも順調だったから「他に何ができるだろう」と考えた時に、野外パーティー (Watergate & Circoloco Open Air等)やレーベル運営をスタートすることにした。レジデントやゲストでプレイしてくれるDJ達との縁もあるおかげで、ミックスCDもリリースできた。2、3つのエクスクルーシブのトラックも含まれていて反応も良かった。Mix CDのリリースを通じて広がりをみせ、ツアー開催にも発展した。音楽の世界でもグローバリゼーションが起こって、ベルリンで流れているような音楽が、世界中で聴かれるようになった。多くのクラブがコンテンツを探している。そこでCocoonやCatenza Nightをスタートしたり、もちろん「WATERGATE Night」もやっている。あと、レジデントDJのツアーのマネージングや各国でのWGナイトのプロモート。クオリティの高い、大きなステージに立てるアーティストを巻き込んでやってきている。
 
- 10周年アニバーサリーコンピレーションは、CD/Vinyl/DVDのボックスででリリースしましたね。

限定で1,000枚プレスしたよ。「ダイハード・コレクターズエディション」みたいに、一部の熱心なコレクターのためにね。70ユーロだよ。でもマーケティングの見地からではなく、10周年だからそのお祝いにつくろうという感じで。今まであまり形に残さずとにかくパーティーをやってきたからね。http://workaholicfashion.net/de/box
2012年はとても忙しかったよ。10周年を記念の映像制作にコンピレーションリリース、そしてパーティーでもHenrik SchwarzやdOPがプレイしてくれ、橋の上の道行く人たちでも楽しめるようにフリーで開催したんだ。とても感慨深い瞬間だった。
 
- レーベル運営にあたり、CDやバイナルというフォーマットについてはどう考えますか。

たしかに、レコードでプレイするDJは減っている。でもアーティストはデジタルリリースをすると同時にバイナルカットもするということも少なくない。僕らもコンピレーションをリリースする時に限定でレコードも出すが、必ず売り切れている。これはドイツならではの現象かもしれないね。他の国ではバイナルを買う人はもっと少ないのかな? レコードのカルチャーがはじまってから、その歴史というか、つながりは確実に生き続けているよね。私はDJじゃないけれども、レコードボックスの中から1枚のレコードを取り出す。その手の感覚だったり、レコードそのものが「これをかけてくれ」と訴えてくる瞬間。アートワークがそう語りかけてくることもあるだろう。時には君のレコードの上に誰かがドリンクをこぼしてしまったこともあったかもしれない。レコードという形を持っているがゆえに、そのものとの思い出が1つ1つ積み重なっていく。それが良さなんじゃないかな。一方、PCだと、画面を見てその文字情報を拾ってクリックして選択。とてもデジタルな行為。とても機械的に感じる。オーディエンスも、パソコンの画面だけを見てプレイするDJよりも、実際に足下にあるボックスからたくさんのレコードを引っ張り出し、針を置き、ミックスする、そのリアルな姿を見る方が興味を持つんじゃないかな、つまみをいじっているだけよりも。音も温かみがあって、深みも出る。
今テクノロジーが発展して、クラブ側としても大変な状況になっている。バイナルのDJもいればラップトップ、CDのアーティストもいる。PCにしてもTraktorもいればSeratoもいる…といったように多様なイクイップメントに対応しなければならない。そして、それぞれの音のレベルは異なっているのでPAがそれを調整しないとならない。以前だとバイナルとCDくらいだった。
 
- DJブースまわり、音に関わるケーブルを日本のOYAIDE電気のneo製品に変えてから変化はどうですか。

ああ、確実によくなったよ。クラウドの反応で直ぐに理解できたよ。でも詳しい話は専門家のKnuit (WGのサウンド担当)に聞いてもらった方がいい。

http://www.neo-w.com/2012/08/berlin-water-gateoyaideneo.html

私も自宅のオーディオ機器を専門家に見てもらった時に「出力機がいくら良くても、ケーブルが良くなければ劣化させてしまうよ」とアドバイスを受けたことがあったから、なるほどなと思ったよ。クラブも同じだって。機器と機器の間はいいコネクション、強いコネクションが必要だね。
 
- クラブ運営に関してはどんなことに気を使いますか。

うまくいっていても、いろいろと見直さないとならない箇所も当然ある。アコースティックな面、フロア環境だったり、PAともっとよく話し合ったり、最近のスピーカーについてもっと勉強したり。機器を導入するだけでなく、同時に面倒を見ていかないとならいよね。何事でもそうだけど、成功しているもの、続いているものは、スタートボタンをただ押すだけではダメで、うまくいかせるよう目をかけてエネルギーを注がなければならないよね。人間関係も同じで、一回知り合っただけでなく、コミュニケーションを取り合って、育んでいくからその人との関係が築かれていくよね。そういう考えもあり、過去にサンパウロ(ブラジル)でWGをやらないかという話もあったけど、複数クラブをやっていくことに、今はエナジーや魂をすべて注ぎ込むのは難しいと感じたから、サンパウロにオープンすることはできないと判断した。サンパウロの街はすごく好きだったけど、僕らと彼らは全く違う言語を話すという前提で、WGの哲学を伝えようとしても、それはなかなか難しいことだった。クラブのイメージやブランドというのは、言葉ではないところで粛々と築かれていく。サンパウロにあるWGというものがイメージできなかったし、ただ名前だけのものになりそうだったからやらなかった。
「深み」というのも必要だと思う。楽しむ側にとってはどうでもいいことだけど、クラブを運営する、楽しみを提供する側の人間には「哲学」が必要なんだ。金儲けのためにやることはできないからね。
行政も過去においては、クラブというのはドラッグディーリングなどが行われる犯罪の温床、という間違った認識があった。今は時代も変わって、シーンもアンダーグラウンドだけでなくオルタナティブになり、ツーリストを惹きつけるものとなった。すると彼らは観光の目玉の1つとして捉えるようになり、僕らと手を組もうと方針を変化してきた。ただ、それは観光で潤い、彼らの都合がいい間だけの話かもしれない。
 
- BerMuDa - Berlin Music Days ( http://bermuda-berlin.de/ )というベルリンの街から発信しているフェスティバルもオーガナイズされていますが、どのようないきさつではじめたのですか。

すでにWMC(マイアミ)やADE(アムステルダム)開催されていたけど、ドイツのPopkommというフェスはそのレベルのものではなくて…。ある年にPopkommが急に開催中止になって、レーベルなどが困っていたから、5日間クラブの2フロアを使って僕らがレーベルナイトをやることになったのが始まり。以前からMusic Weekをやりたいとは思っていたのでいいチャンスだった。今ではおかげで規模も大きくなってきたよ。こちらもサウンドにまつわるケーブル類は、Oyaide製品を利用しているよ。
 
- WGの次の目標、目指すところはありますか。

天の川、かな(笑)。目的地は遠ければ遠いほどいいからね。正直なところ、旅がしたいよ。世界中を旅して、インスピレーションを受けたい。人生は短いからね。WGでは、必要以上の時間は働かないようにしているんだ…みんな。不必要な物を作るために仕事を増やし働いて、人生の大切な時間、オフの時間を削ることはないと思うんだ。仕事は半分、あとは休んで人生を楽しむ。でも多くの人はそれを恐れるよね。
 
- 実際、スタッフのみなさんととてもいい雰囲気で働いていますよね。

ああ。それぞれにプライベートな人生があって、自然体で働いているよ。1人のある技術を持った人間がいて、それが10人集まり輪になれば生まれるものがある。もっと大きなもの、深い物をつくることができる。カンパニーはファミリーみたいなもの。会計もできるだけクリーンがいい。それの方がよく機能するから。お金がちゃんと支払われなければ、うまくまわっていかないからね。年々「共に働くこと」の大事さを感じてきている。
 
- 最後に読者にメッセージを。

DANCE MORE, WORK LESS.(働きすぎず、もっと踊って。)