INTERVIEWS
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Gerry Rooney

 
- アシッドハウスとエクスタシーが流行ってさ、それはシーンを盛り上げる最高の魔法だったよ。もう信じられないくらい、最高の時間だった。 -
 
 
 
- まず最初にあなたのバックグランドを教えてください。

生まれはリバプールだよ。リバプールが音楽の黄金期だった70年代に、運命的に育ったんだ。リバプールはすごく有名な港町で、ナイトクラブなんかがすごく充実していたね。俺の音楽のスタイルで、早い時期から影響をうけたのは、David Bowie, Roxy Music, Iggy pop, Lou Reed、そしてKraftwerkだったな。Donna Summerの『Love To Love You Baby』は、76年にリリースした時から何度もプレイしたお気に入りの曲で、特に1977年は、俺にとってマジカルイヤーだったよ。The Stranglers, Peaches, Sex Pistolsとか、パンクのシーンもきていたね。同じ時期に、Donner Summerの『I Feel Love!』がよかったね!あとは、レゲエはどこでもかかっていたし、Dillinger Cocaineは、常に頭に中にかかっていたね。Bob Marley, Lee Scratch Perry, Chase the Devilもそうだし、すごくいいディスコミュージックやファンクもそこら中、どこでもかかっててさ、70年代の素晴らしい音楽の数々は、俺の人生のサウンドトラックだよ!ライブを見にいけば、The Clashや、The Slitsなんかも見れたし、クラブに行けばKraftwerkの『Trans Euro Express』や、James Brown, Sex Pistols, ATV, Talking Heads, Funkadelic, Augustus Pabloなんかがかかっていた。そんな時代だったね。けどHuman Leagueがつまらなくなってきて、もっと刺激的なエレクトリックミュージックに変わっていったんだ、まぁ音楽っていうのはコンスタントに変わっていくものなんだけどね。Fela KutiとKing Sunny Adeにやられて、そこから俺はアフロミュージックに夢中になっていった。そんな魔法のような音楽が、俺の人生の中に大きなインスピレーションをもたらして、それはまるで旅のようだったよ。
 
 
 
- あなたがDJになろうと思ったのはなぜですか?


俺は音楽に対する情熱があって、いつもレコードを買って、ナイトクラビングをしていた。旅からイギリスに帰ってきた後は、ロンドンに移ったんだ。その頃ロンドンの音楽シーンは、レアグルーヴの波がきていたね。James Brownや The Jb's, funk & soulとか。クラブやウェアハウスパーティーのサウンドトラックだったよ。『Jack your Body』や『Love can't turn around』なんかの86年のイギリスのポップレコードや、ハウスミュージックがプレイしはじめた頃かな? 1988年に、アシッドハウスとエクスタシーが流行ってさ、それはシーンを盛り上げる最高の魔法だったよ。もう信じられないくらい、最高の時間だった。シカゴ、NY、デトロイトからも、パーティーシーンがやってきて、それらがイビザやヨーロッパのシーンと融合して、素晴らしいものになっていったんだ。エクスタシーと音楽は、宗教のような影響を人々に与えたと思うよ。そこで、俺はTechnics 1200やミキサーを手に入れ、DJを始めたんだ。
 
 
 
- あなたがレコードバイヤーになったきっかけは何ですか?


その頃、俺は深刻なレコード中毒だったんだ。NYやシカゴから、俺が知らない音楽が入ったミックステープを手に入れてたんだ。あ、当時はインターネットも何も無かったことを理解しなくちゃだめだよ。ちょっと変わった異国的なアンダーグランドミュージックは、全部口コミだけの情報だけだったんだ。80年の後半に、友達の結婚式でNYに行く機会があって、ナイトクラビング、レコードショッピングが楽しくて、素晴らしい音楽に触れたり、NYのシーンを開拓することがすごく楽しかったね。最初は、自分のためにレコードを手に入れてて、それから友達なんかがどうしても手に入れたいっていうコピーを手に入れて、それがバイヤーの最初だった。俺はNYの1歩先を行ったナイトライフが大好きだった。”The Sound Factory”がちょうどオープンする時で。そのサウンドシステムは、俺が今まで聴いた中で、最も大きな、いやモンスター級のサウンドシステムだったよ!それはNYC のダンスシーン全てに影響を与えたんじゃないかな。東海岸は最高だった。ワシントンDC、フィラデルフィアなどに行って、週末はNYに戻りパーティーに出かける日々だったね。
 
 
 
- ものすごい数のレコードを持っていると聞きますが何枚くらい持っていますか

今まで数えたことは1度も無いよ。俺のレコード中毒は、自分でコントロールできるものだからね。今はもっと曲を創ることに情熱を持ってるんだ!
 
 
 
- あなたはこれまでたくさんの国でDJをしていますが、あなたのお気に入りの国、パーティー、クラブはどこですか


母なる地球を旅したり、DJをしてまわることは、本当に素晴らしいと思っているんだ。ハワイの”39 Hotel”は魔法のような場所で、翌日は海にも行けるし、L.A.の「The Sarcastic Party」はクールだよね。あと俺は日本でのDJがすごく好きなんだ。サウンドシステムも、食事も、人も最高だね!”Yellow”は偉大だったし、”Loop”は最高に楽しかった!!大阪もだね。NYの”Cielo”も素晴らしいし、”APT”も楽しかった。
 
 
 
- DJ Harveyと初めて会った時のことを教えてください。あと、「Tonka」, 「Moist」で、何が1番思い出に残っていますか


88年の夏に、スクウォッテイングパーティーで会ったんだ。彼はHolger Czukayの『Cool in the Pool』を朝方にプレイしてて最高だった。
フリーダムパーティーは最高だよね、同じ88年のアムステルダムのThe weekenderは、完ぺきで最高だったし、魔法のピンクの錠剤とTerry Bristolが、音楽の知識を与えてくれた。Tonkaは良かったね。Moistがちょうどブレイクし始めて、DJするのがすごく楽しかったな。あとLarry Levanは最高のゲストだった。その日は特別な夜だったよ。
 
 
 
- リスペクトしているアーティストは?


たくさんいるよ!Fela Kuti, James Brown, The Doors , Led Zepplin, Kraftwerk. K frimpong, steely dan, Larry Heard, Sex pistols, Bob Marley, Prince Buster, Lee scratch Perry, Can, liquid liquid, Roy Ayers、まだまだたくさんいるよ!
 
 
 
- 今回が3度目の来日ですが日本での思い出はありますか?今回のツアーで楽しみにしていることは何ですか?


”Yellow”でDJした時、朝方Atmosfearの『Dancing in Outer Space』をかけたんだけど、フロアは真っ暗でイントロをかけた時点でどんどんという音が聞こえて、フィードバックかレコードになにか問題があったのかと思ったけど、実はイントロにあわせて踊るお客さんのステップの音だったんだ。それがハッピーだったな。日本でDJをする事が、今から本当に楽しみだよ。サウンドシステムは毎回いいし、食事も最高だし、女の子もすごく可愛いしね!
 
 
- Gerry Rooney Japan Tour 2014 -

1月10日(金)青山”0 - ZERO -”
1月11日(土)新潟”GOLDEN PIGS-YELLOW STAGE-”
1月12日(日)江ノ島”OPPA-LA”
1月13日(月)大阪(TBA)