Interview & Text:二木信
Photo:難波里美
もう一度自分の中の原点である、オーセンティックで王道のヒップホップを追求したかったんだ。そのことが「ヒップホップの名のもとに、これがイデオロギー」という言葉に直結している
――冒頭曲「HELL-O MY NAME IS…」は「ヒップホップの名のもとに、これがイデオロギー」と宣言して始まります。常にヒップホップにこだわってきたのがtha BOSSであり、THA BLUE HERBではありますが、『IN THE NAME OF HIPHOP』というタイトルを付けるほどズバリ直球で、ヒップホップを強調した作品はありませんでした。今このコンセプトで作品を作ろうと思った動機から語ってもらえますか。
ずっとO.N.O.という人間とやってきたわけだけど、『TOTAL』(2012年)を作り終えた時に2人の一対一という意味では頂点に来たと思ったんだ。それで、THA BLUE HERBっていう山を登るルーティンをくり返す前に一度THA BLUE HERBの山を下りて、何か新しい挑戦をしてみたいって思った。だから『TOTAL』を作り終わった時点で、次はソロでやってみようという考えが少し頭の中にあった。
ずっとO.N.O.という人間とやってきたわけだけど、『TOTAL』(2012年)を作り終えた時に2人の一対一という意味では頂点に来たと思ったんだ。それで、THA BLUE HERBっていう山を登るルーティンをくり返す前に一度THA BLUE HERBの山を下りて、何か新しい挑戦をしてみたいって思った。だから『TOTAL』を作り終わった時点で、次はソロでやってみようという考えが少し頭の中にあった。
――O.N.O.さんとの一対一の制作においては頂点を極めたという話が出ましたが、より具体的に言うとどういうことでしょうか?
サウンドのプロダクションだね。長くやっているとスキルも上がるし、時代とともにテクノロジーも進化してくるから、それに伴って完璧なモノを作りたくなっていく。そういう意味で、一語一句、一秒、一デシベルまでこだわり抜いて作った『TOTAL』は今も俺の中ではパーフェクト。ただ、あまりにパーフェクトを追求し過ぎるとそこもまた危うい。そういうのもあって、一度THA BLUE HERBの山を下りるべきだと考えたんだ。
――なるほど。
THA BLUE HERBのメンタリティはガチにヒップホップで生きてきたけど、O.N.O.の曲の作り方、プロダクションは、いわゆるオーセンティックなヒップホップからは離れてどんどん自由になっていった。そのことはまったく否定することではなく、それこそが俺たちのオリジナリティを高めてきた。ただ同時に、ある意味ヒップホップだからこその制約の中でどれぐらい自由を手にするか、それこそがヒップホップという考えも俺の中にはあり続けている。
例えばアメリカの黒人が階級や差別という不自由さの中から自由を探す。ビートメイカーは楽器が弾けないという制約の中でいろんなレコードの断片を見つけてきて自由を探す。ラッパーは韻を踏むっていう不自由さの中でどこまで自由にできるかを模索する。そこには、いつも挑戦がある。俺はヒップホップのそういうところも好きなんだよね。ヒップホップと出会い、そして18年間この稼業をやってきてずいぶん遠くまできたけど、もう一度自分の中の原点である、オーセンティックで王道のヒップホップを追求したかったんだ。そのことが「ヒップホップの名のもとに、これがイデオロギー」という言葉に直結している。
もうひとつは、今回参加してくれた人を含めてヒップホップがあったから知り合った人たち、ヒップホップがあったから揉めたけど、ヒップホップをやり続けてきたことによって、今またこうやって同じ舞台に立てる人がいる。やっぱりそこも俺にとっては重要でそういう意味でもヒップホップってワードが大きかった。
THA BLUE HERBのメンタリティはガチにヒップホップで生きてきたけど、O.N.O.の曲の作り方、プロダクションは、いわゆるオーセンティックなヒップホップからは離れてどんどん自由になっていった。そのことはまったく否定することではなく、それこそが俺たちのオリジナリティを高めてきた。ただ同時に、ある意味ヒップホップだからこその制約の中でどれぐらい自由を手にするか、それこそがヒップホップという考えも俺の中にはあり続けている。
例えばアメリカの黒人が階級や差別という不自由さの中から自由を探す。ビートメイカーは楽器が弾けないという制約の中でいろんなレコードの断片を見つけてきて自由を探す。ラッパーは韻を踏むっていう不自由さの中でどこまで自由にできるかを模索する。そこには、いつも挑戦がある。俺はヒップホップのそういうところも好きなんだよね。ヒップホップと出会い、そして18年間この稼業をやってきてずいぶん遠くまできたけど、もう一度自分の中の原点である、オーセンティックで王道のヒップホップを追求したかったんだ。そのことが「ヒップホップの名のもとに、これがイデオロギー」という言葉に直結している。
もうひとつは、今回参加してくれた人を含めてヒップホップがあったから知り合った人たち、ヒップホップがあったから揉めたけど、ヒップホップをやり続けてきたことによって、今またこうやって同じ舞台に立てる人がいる。やっぱりそこも俺にとっては重要でそういう意味でもヒップホップってワードが大きかった。
――THA BLUE HERBからtha BOSSという個人へ、という話に関していうと、「2人で1つともいえたTHA BLUE HERBでの表現から、よりパーソナルな部分にまで踏み込んだアルバムを創ってみたい」というレーベル資料に書かれたtha BOSSさんの言葉が印象的でした。今回のアルバムで最もパーソナルな部分に踏み込んだ曲は「REMEMBER IN LAST DECEMBER」だと思いますが、ここまで生い立ちや自身の故郷や少年期について歌ったのは初めてじゃないですか?
そうだろうね。THA BLUE HERBは1997年に誕生してからの成長や変化だけど、ソロとなると俺の人生の44年分の成長と変化だからね。せっかくソロでやるんだからそういうところまで言っておきたかったね。
そうだろうね。THA BLUE HERBは1997年に誕生してからの成長や変化だけど、ソロとなると俺の人生の44年分の成長と変化だからね。せっかくソロでやるんだからそういうところまで言っておきたかったね。
――“人生の44年分の成長と変化”という話が出ましたけど、今作は44歳になったラッパーが何を歌うのか? というのも重要なテーマに思えます。tha BOSSさんがあらためて今ヒップホップにおける“リアル”というものをどう定義付け、考えているか訊かせてもらえますか。
ヒップホップのリアル=今回のアルバムで語られていることすべてだと思う。15曲分のリリックを一言で言い表すのは難しい。満44歳の俺のリアルって、今俺から見える景色であり、これまで生きてきた俺の経験としか言いようがない。たしかに俺はヒップホップのゲームで勝ち続けてきて、そういう中で優越感に浸ったりした時期もあった。だけど、けっきょくは表層上のモノでしかないしね。だから、俺の44歳のリアルは、50歳になったときに変わっているかもしれない。リアルすらも変わっていくんだよ。
ヒップホップのリアル=今回のアルバムで語られていることすべてだと思う。15曲分のリリックを一言で言い表すのは難しい。満44歳の俺のリアルって、今俺から見える景色であり、これまで生きてきた俺の経験としか言いようがない。たしかに俺はヒップホップのゲームで勝ち続けてきて、そういう中で優越感に浸ったりした時期もあった。だけど、けっきょくは表層上のモノでしかないしね。だから、俺の44歳のリアルは、50歳になったときに変わっているかもしれない。リアルすらも変わっていくんだよ。
――ヒップホップゲームのリアルから市井の人びとのリアルへという変化を明確にリリックで表現したのは、おそらくTHA BLUE HERBの3枚目のアルバム『LIFE STORY』(2007年)の数曲目からですよね。
そうだと思う。「ON THE CONER」でコーナーを曲がって、俺の中でまた新たなスタートを意識的にきっているね。
そうだと思う。「ON THE CONER」でコーナーを曲がって、俺の中でまた新たなスタートを意識的にきっているね。
お客さんはステージの俺のことを見ているけど、見ているのは実は俺なんだよね。ステージの俺からお客さんが全部見えているわけさ
――ライブで全国各地をわたり歩く中で経験したことやそのとき考えたこと、ステージから見える風景やそのときの心情や“リアル”をこれほどの強度で具体的に描写するラッパーは他にいないよな、と思いながら今回のアルバムも聴いていました。
それは俺ほどライブをやっているラッパーがいないからじゃない? もちろんライブの数じゃないし、長さじゃない。そのことも“44歳のリアル”に直結しているけど、ライブを続けているとお客さんがどんどん入れ替わっていくところも見えてくるし、見てきたからね。お客さんはステージの俺のことを見ているけど、見ているのは実は俺なんだよね。ステージの俺からお客さんが全部見えているわけさ。このゲームに入って18年も経っているから最初の頃にいたお客さんでいなくなった人ももちろんいる。子供を生んでしばらく来なくなっていた人が、子育てが一段落してまた来たとかもある。結婚したんですけど、離婚しちゃいましたっていうヤツもいる。皆、人の数だけいろいろある。200人の会場なら200通りの一人一人のリアルがその場に凝縮されているんだ。だから、そこから受け取るインスピレーションっていうのは大きくて、ライブ会場にいる人たちが俺をすごく成長させてくれる。
だから、他のラッパーがそういう風にお客さんやそれぞれの土地の人間と向き合っているかどうかだよね。ライブをして金だけもらってバイバイなのか、それとも47都道府県の47通りの呼んでくれる人やその仲間の変遷や彼らの成長、苦悩、孤独、繁栄、没落、発展……そういうのを理解しているのか。要するに自分の手でライブをブッキングして、自分の手でお金をもらっているかどうかだよ。作品をリリースするときにポスターを送るとか、そういうことも事務所に任せずに全部自分たちでやってる。俺たちは自主制作でアンダーグラウンドだからさ。そういう仕事をしていると、ポスターが送り先の住所に届かずに戻って来て、「どうした?」って電話してみると「店が潰れました」という返事が来たりもする。そういう彼らの生き様や繁栄から没落、また没落から繁栄があり、そこにはたくさんのドラマがあって曲のテーマにあふれているよ。
――ということは、THA BLUE HERB RECORDINGSの社長、経営者、インディペンデント・レーベルの運営をしている人間としてのリアルが歌われている、ということでもありますよね。
もちろんそうだね。そこから見えることがたくさんある。
もちろんそうだね。そこから見えることがたくさんある。
――かつては世界各地を旅しながらインスピレーションを得て、リリックを書いたりもしていましたよね。そういうリリックの書き方はもうしていないですか?
今回はしてない。今回は北海道の釧路と北見にホテルを取って、ずっとそこで書いていた。そういう書き方はずっと変わらない。バックパックを背負って世界中をまわってリリックを書くやり方は『SELL OUR SOUL』(2002年)で完全無比にやっているからね。だからそれよりは自分の友達の生活の変化や、いま話したようなことの方がストーリーやドラマにあふれていて、いまの自分にインスピレーションを与えてくれるね。
今回はしてない。今回は北海道の釧路と北見にホテルを取って、ずっとそこで書いていた。そういう書き方はずっと変わらない。バックパックを背負って世界中をまわってリリックを書くやり方は『SELL OUR SOUL』(2002年)で完全無比にやっているからね。だからそれよりは自分の友達の生活の変化や、いま話したようなことの方がストーリーやドラマにあふれていて、いまの自分にインスピレーションを与えてくれるね。
――YOU THE ROCK★さんとの「44 YEARS OLD」は、まさに人生の繁栄と没落、没落と繁栄が反映された曲ですよね。
間違いないね。
間違いないね。
――YOU THE ROCK★さんとの出会いや2人の歴史、この曲を作るに至った経緯について語ってもらえますか。
俺はYOUをディスって上がってきた人間だからね。日本のヒップホップと言えば、YOU THE ROCK★という時代があったから、俺はあいつをどかせないと生きて先にいけなかったし、あいつをどかして、お客を奪って、居場所を作って自分の生業を成長させてきたのは事実だ。そういう歴史や事実はあの時代にシーンにいなかった人間からすれば、どうでもいいことかもしれない。でも、YOUをディスったことは俺がいちばん覚えているし、自分が吐いた言葉は自分に返ってくる。俺があいつにかけた言葉、やったこと、そのことは俺がいちばん知っている。だからって、「ゴメン」は今さら言わない。俺だってその日を生きるのに精一杯だった。
俺はYOUをディスって上がってきた人間だからね。日本のヒップホップと言えば、YOU THE ROCK★という時代があったから、俺はあいつをどかせないと生きて先にいけなかったし、あいつをどかして、お客を奪って、居場所を作って自分の生業を成長させてきたのは事実だ。そういう歴史や事実はあの時代にシーンにいなかった人間からすれば、どうでもいいことかもしれない。でも、YOUをディスったことは俺がいちばん覚えているし、自分が吐いた言葉は自分に返ってくる。俺があいつにかけた言葉、やったこと、そのことは俺がいちばん知っている。だからって、「ゴメン」は今さら言わない。俺だってその日を生きるのに精一杯だった。
――「A SWEET LITTLE DIS」(『FRONT ACT CD』収録/2002年)の「日本のウィルスミス? はいはい 所詮はヨゴレのお笑い、はいはい」というラインはYOU THE ROCK★へのディスではないかと当時大きな注目を集めました。
18年間もこのシーンにいると何年かに一度ぐらい会うわけだ。でも、あいつは恨み節を一言も言わなかった。俺とあいつは同じ年なのもあって何もなかったかのように酒を飲んで、友達になっていったけど、俺の中ではずっと残っていたものがあった。だからいつかは、仕掛けた俺が場所を作って、YOUを招いて、今生きているお互いの言葉をぶつけ合って、ポジティブなものを分け合いたいと考えていた。そういう場を作るべきだと思っていたね。だからソロアルバムをやるとなった時に、いちばん最初に頼みたいと思ったラッパーがYOUだった。俺はYOUと中目黒の居酒屋でガチで酒を飲んで、「俺はお前のお客を奪ったんだから、お前も俺のお客を奪うヴァースを書いてくれ」って言ってオファーした。YOUは日本のヒップホップの中心にいたヤツだったけど、その後いろいろあったし、それ以降に彼が何を考えているかに関してはほとんど知られていないと思う。だから俺はそれを歌うべきだと思ったし、聴きたかったし、それがヒップホップとしてのリアルだとも思った。それであいつは今回キックしてくれたんだ。
18年間もこのシーンにいると何年かに一度ぐらい会うわけだ。でも、あいつは恨み節を一言も言わなかった。俺とあいつは同じ年なのもあって何もなかったかのように酒を飲んで、友達になっていったけど、俺の中ではずっと残っていたものがあった。だからいつかは、仕掛けた俺が場所を作って、YOUを招いて、今生きているお互いの言葉をぶつけ合って、ポジティブなものを分け合いたいと考えていた。そういう場を作るべきだと思っていたね。だからソロアルバムをやるとなった時に、いちばん最初に頼みたいと思ったラッパーがYOUだった。俺はYOUと中目黒の居酒屋でガチで酒を飲んで、「俺はお前のお客を奪ったんだから、お前も俺のお客を奪うヴァースを書いてくれ」って言ってオファーした。YOUは日本のヒップホップの中心にいたヤツだったけど、その後いろいろあったし、それ以降に彼が何を考えているかに関してはほとんど知られていないと思う。だから俺はそれを歌うべきだと思ったし、聴きたかったし、それがヒップホップとしてのリアルだとも思った。それであいつは今回キックしてくれたんだ。
――飲みの席でどんな話し合いがあったんですか?
超酔っぱらいながら、「ヒップホップがあったから、この場があるんだよね」ってYOUが言った時が、『IN THE NAME OF HIPHOP』っていうタイトルが降りて来た瞬間だった。漠然とコンセプトのイメージはあったんだけど、ヒップホップというワードが来たのはあいつと飲んだ時だったね。実際にお互いヒップホップが好きでいたから、関係が壊れずにこれたわけだしね。
超酔っぱらいながら、「ヒップホップがあったから、この場があるんだよね」ってYOUが言った時が、『IN THE NAME OF HIPHOP』っていうタイトルが降りて来た瞬間だった。漠然とコンセプトのイメージはあったんだけど、ヒップホップというワードが来たのはあいつと飲んだ時だったね。実際にお互いヒップホップが好きでいたから、関係が壊れずにこれたわけだしね。
――YOU THE ROCK★さんと際どい場面はあったんですか?
YOUとはなかったけど、他の連中とはないこともなかった。実際、東京のライブに行く時は、札幌の超イケイケのヤツをボディガードにしていた時期もあった。それぐらいの緊張感はあったよ。でも俺は心のどこかで東京の連中をある種信用していた。やっぱり『IN THE NAME OF HIPHOP』だよ。
YOUとはなかったけど、他の連中とはないこともなかった。実際、東京のライブに行く時は、札幌の超イケイケのヤツをボディガードにしていた時期もあった。それぐらいの緊張感はあったよ。でも俺は心のどこかで東京の連中をある種信用していた。やっぱり『IN THE NAME OF HIPHOP』だよ。
――ビーフやディスにつながる話なんですけれど、tha BOSSさんにとって“勝負”というのは常に大きなテーマであり続けたように思います。ただ今回のソロ作は『LIFE STORY』や『TOTAL』といったTHA BLUE HERBの作品以上に勝負の意識をより強く感じました。どうですか?
あるかもしれない。特典のビートを作ってくれたCELORY君(アルバム未収録の新曲一曲が特典として付く)を入れて、ビートメイカーが14人とラッパーが6人の計20人が参加しているからね。彼らはラブ・ソングを作ってきたようなミュージシャンではなくて、ヒップホップの中で戦って勝負に勝ってきた人たちだから、彼らと対峙することには緊張もした。もちろん良い曲を作って、最後は笑って終わりたいとは思っていたけど、俺が招いたMCに全部持っていかれるわけにはいかないし、ビートにしたって、俺は金で買い叩いたわけじゃないからね。プロップスやリスペクトをオファーの担保にして、相手もそのことを受けてくれている以上、そりゃあガチでいかんとアカンっしょ、みたいなのは強くあったよね。
あるかもしれない。特典のビートを作ってくれたCELORY君(アルバム未収録の新曲一曲が特典として付く)を入れて、ビートメイカーが14人とラッパーが6人の計20人が参加しているからね。彼らはラブ・ソングを作ってきたようなミュージシャンではなくて、ヒップホップの中で戦って勝負に勝ってきた人たちだから、彼らと対峙することには緊張もした。もちろん良い曲を作って、最後は笑って終わりたいとは思っていたけど、俺が招いたMCに全部持っていかれるわけにはいかないし、ビートにしたって、俺は金で買い叩いたわけじゃないからね。プロップスやリスペクトをオファーの担保にして、相手もそのことを受けてくれている以上、そりゃあガチでいかんとアカンっしょ、みたいなのは強くあったよね。
― Release Information ―
タイトル:IN THE NAME OF HIPHOP
アーティスト:tha BOSS
レーベル:THA BLUE HERB RECORDINGS
発売日:2015年10月14日
価格:3,240円
Beats by : DJ KAZZ-K [STERUSS], DJ KRUSH, DJ YAS, grooveman Spot, HIMUKI, INGENIOUS DJ MAKINO, LIL’J, NAGMATIC, Olive Oil, PENTAXX.B.F, PUNPEE, Southpaw Chop, YOUNG-G [stillichimiya]
feat. : B.I.G. JOE, BUPPON, ELIAS, YOU THE ROCK★, YUKSTA-ILL, 田我流 [stillichimiya]
エンジニア : TSUTCHIE
■HMV
http://goo.gl/RHoc3o
タイトル:IN THE NAME OF HIPHOP
アーティスト:tha BOSS
レーベル:THA BLUE HERB RECORDINGS
発売日:2015年10月14日
価格:3,240円
Beats by : DJ KAZZ-K [STERUSS], DJ KRUSH, DJ YAS, grooveman Spot, HIMUKI, INGENIOUS DJ MAKINO, LIL’J, NAGMATIC, Olive Oil, PENTAXX.B.F, PUNPEE, Southpaw Chop, YOUNG-G [stillichimiya]
feat. : B.I.G. JOE, BUPPON, ELIAS, YOU THE ROCK★, YUKSTA-ILL, 田我流 [stillichimiya]
エンジニア : TSUTCHIE
■HMV
http://goo.gl/RHoc3o