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DJ KRUSH

「『Butterfly Effect』はDJ KRUSHの新しい名刺だと思う」――11年ぶりの最新アルバムについて1962年生まれのベテランDJ、KRUSHはインタビューの最後にそう語った。が、「新しい名刺」のデザインは変わったものの、そこに印字されたDJ KRUSHという文字はソロとしてのキャリアを踏み出した90年代から変わっていない。暗闇の中で鳴るロービート――そこではヒップホップ、ラップ、ダブ、現代音楽、ジャズ、ロック、ダブステップといった音楽がDJ KRUSHの経験と知識と情熱によって調理されている。また、この最新作にはゲストアーティストとして新垣隆、Free the Robots、Divine Styler、Crosby Bolani、Yasmine Hamdan、tha BOSSが参加している。長い沈黙を破りアルバムを発表したDJ KRUSHに長いキャリアを振り返りつつ、さまざまなトピックについて語ってもらった。エキゾチシズムと和、1994年にDJ Shadowらと行ったUK & ドイツツアーの体験、ファンクの研究とJ Dillaが生み出したヨレたビートへの見解、「悪」の表現、DJと創作とダンスミュージック観。前後編にわたるロングインタビューの後編をおおくりしよう。

Interview & Text:二木信
Photo:則常智宏

 

 

 
キックからスネアの間って最高の距離なんだ。俺はそこを動かすためにヒップホップをやっているからね。



――2013年5月に代官山のUNITであった「LOW END THEORY(Summer 2013 eddition)」に出演されていますよね。あの時、KRUSHさんがDJ Shadowの「Organ Donor」をご自身でエディットしたバージョンか何かをかけると、Nocandoがフリースタイルを始めたシーンがありました。とても印象的な場面だったのですが、憶えていらっしゃいますか?

なんとなく憶えているね。その後に俺はたしか「Kemuri」をかけたんじゃなかったかな。


――来日した面々のDJ KRUSHリスペクトが感じられる一夜でもあったんですけど、ああいう若い世代にDNAが受け継がれ、支持されていることをどのように感じていますか?

あんまり冷静に考えたことないけど、彼らが若い時に俺の音楽を聴いてくれたこと、しかも音で国境を越えることができたのが嬉しいよね。今回のアルバムで一緒にやっているFree the Robots(ビートメイカー/LOW END THEORYへの出演経験もある)の曲も俺はすごく好きだし、DJでもよくかける。実は今回Flying Lotusにも声をかけていたんだよ。


――ええぇぇ!? それが実現していたらすごいことになっていますね。

ただスケジュールが合わなくて無理だった。彼も我々の音楽を聴いて育ったみたいだね。彼も俺らに持っていないものを持っているし、面白い曲を作る。だから俺も、昔から俺らの音楽を聴いて進化していった人たちに関しては気にして聴いているよ。


――そのFree the Robotsと共作した「Strange Light」はつんのめるビートですよね。

ははははは。そうだね。ちょっと引っかかる感じがあって、ヨレてて、首がもっていかれるビートだよね。


――これまでのKRUSHさんが作ってこなかったビートですよね。“J Dilla以降”と言われるああいうヨレたビートが登場した時、KRUSHさんはどう思いましたか?

すごく面白いと思ったね。これは絶対取り入れていいだろうと思った。キックからスネアの間って最高の距離なんだ。俺はそこを動かすためにヒップホップをやっているからね。かつてそういう研究はだいぶしたよ。ブラックミュージックやヒップホップの16ビートや8ビートは、なんでこんなに首にくるんだと不思議だったし、このリズムはロックの8ビートとは違うなと感じていた。それである有名なブレイクビーツの4小節か8小節をサンプリングして延々とループするようにシーケンスを組んで、そのキックとスネアとまったく同じ位置に自分でビートを打つわけ。それから元のブレイクビーツを取ってみると、2発目のスネアがジャストじゃなくて、後ろに位置しているから次の頭のキックが早く聴こえて首にくるんだとわかった。そういうファンクの研究を散々やった。


――そういうファンクの研究をしていたのはいつぐらいの時期ですか?

『STRICTLY TURNTABLIZED』や『MEISO(迷走)』の頃だね。ブラックミュージックやアメリカのヒップホップのリズムはなぜこれほど腰と首にくるんだという疑問があった。同じ16ビートを作っているのに彼らのリズムは何かが違う。それについてずっと考えていた。それで研究していくうちにわかったのは、人間が叩くズレとグルーヴが微妙に関係しているということだった。そのズレを大きくしたのがJ Dillaのビートなんだよね。彼のすごさはそのことに気づいて、そのヨレたビートを最初に作って、しかもそこにラップを乗せたことだよ。俺もあのビートには共感したね。今みんなあのビートを真似しているから、自分では作りづらい(笑)。でも気持ちいいのは気持ちいいよ。俺だってああいうヨレたビートだけで一枚作りたいなって思う。

 

 


――KRUSHさんはヒップホップのサンプリングネタとしてではなく、リアルタイムでブラックミュージックを聴いていた世代ですよね。

そうだね。俺のうちはあまり裕福じゃなくて、家族は、風呂もない、昭和の古い一棟建てのアパートに住んでいた。子どもたちは二階の四畳半一間、両親は一階の六畳一間で生活していた。その家の隣に昔でいうヤンキーか暴走族のハシリみたいな人たちが、たむろする部屋があって、彼らと仲良くなって可愛がられていた。そんな彼らにStylisticsやCommodoresのレコードをよく借りていた。小学6年生ぐらいのことだね。それぐらいの時期からブラックミュージックが面白いと思うようになって、Ray Parker Jr.とかLakesideとかJames Brownとかをリアルタイムで聴いていったね。7インチもいっぱい持っているよ。ロックも中学生になって聴いてカッコイイとは思ったけどなんかしっくりこなかった。ブラックミュージックの方が気持ちいいと感じていたね。でも中学生になると、音楽よりも友達とバイクを乗り回して遊んでいた方が面白かったりするじゃない。それからしばらく音楽を忘れちゃう。自分は何をやっていいのかわからないし、何に反抗していいのかもわからないけれど、世間も大人も大嫌いだったからヤンチャをしていたよ(笑)。その時に『Wild Style』(1983年日本公開)でグランドマスター・フラッシュがターンテーブルを回しているのを観て、はっと気がついたわけだよね。ドラムブレイクだけをミックスしているレコードは、昔聴いていたブラックミュージックじゃないかと。こんな使い方があるんだと。そこでやっと音楽に戻ってくる。


――改めてとても興味深い話です。

俺の家はプラモデルもまともに買ってもらえなかったからね。友達は親からプラモデルを買ってもらって作っていたけど、俺はそういうことができなかったから、プラモデルの周りの枠とか残った部品とかをもらってきて、そのカスでロボットを作ったりしていたね。それはそれでお金が無いなりに楽しめた。だから、『Wild Style』の中で出演者が彼らの親父が聴いていたようなレコードを繋ぐのを観て、「俺と似てる!」と感じてすごくグッときた。あるもので何かをやる、自分たちがやれる道具を探す。その発想に共感した。銃を持って闘うんじゃなくて、マイクを持って闘えというメッセージもすごいカッコイイって思ったしね。家に帰らないで道端やストリートばかりで遊んでいたから、そういうこともシンクロしたし、曲作りもサンプリングも子どもの頃に好きだったことを今もやっているようなもんだよ。

 

 

 
人間の奥に渦巻いている俺流の「悪」を音の内に含ませて見せていきたいね。



――今回新たにサンプラーのMPC RENAISSANCEを制作に導入されたそうですけれど、ベースやビート、トラックそのものの作り方は昔から変わりましたか?

基本的には変わっていない。ただ、パソコンだけで作るのと違って、Renaissanceからアナログで吐き出すと音が太かったよね。今まではマウスをカチャカチャやったり、キーボードだけだったりしたから、朝5時からパッドを叩いて体を動かしているね(笑)。『覚醒』(1998年)あたりまで、サンプラーはAKAIのラック式のS-1000、シーケンサーはRolandの8トラックしかないMC-50だった。ドラムを打ち込むのもMIDIキーボードだった。それから『漸-ZEN-』(2001年)あたりでパソコンに切り替えた。あの時は多少キーボードで打ち込んだけど、基本はパソコンだった。11年ぶりのアルバムだしちょっと変えたね。「男らしくパッドを叩こう!」みたいな感じだね(笑)。


――ツアー以外の時は、朝5時とかに起きてビートを作るというのが基本的な生活スタイルなんですか?

そうだね。昔は朝5時から寝ていたから、まるっきり真逆になっているね。その方が調子良い。年をとっても俺はそうならないと思っていたんだけど、なっちゃったよね。ははは。


――朝までガンガン酒を飲んで遊んでいるんだろうなと思っていたと。

そうそうそう。そう思っていた。実際、年を取ってもミュージシャンにはグチャグチャなヤツがいっぱいいるけど、俺はそうはならなかったね。性格もあるのかもしれないな。


――ヒップホップは不健康なイメージがあると思います。もっと言えばライフスタイルや生き方も含んだ意味で「悪徳の音楽」であり、良くも悪くも文化としてそういう側面は強いじゃないですか。

ははははは。わかる、わかる。


――KRUSHさんは、日常の生活とそういう刺激の強い音楽や文化の仕事をどのように消化して両立されていますか?

年の功で少し余裕を持って人の話を聞けたり、その上で物事を冷静に判断できるようになったりしたよね。しっかり考えたことがないけれど、そういう変化は音や態度に出てくるかもしれないね。


――「俺のビートもちょっと優しくなったなぁ」とか考えたりすることはありますか?

最新作に関して言えば、まだそういう感じで冷静には聴いてないね。ただガムシャラに立ち向かおうっていう感じではなかった。ちゃんと冷静に作った。でもやっぱりシーンにも俺にとっても「悪」は絶対必要だよ。今の若いヤツらもやっているけれど、俺も昔は「悪」をドカッと出していた。今はそういう部分もコントロールできるようになったのかもしれない。だから大人流にサッと見せたいね。人間の奥に渦巻いている俺流の「悪」を音の内に含ませて見せていきたいね。うん、面白い質問だね。

 

 


――最初の話に戻りますが『Butterfly Effect』を聴いて、ロービートの音楽を気持ち良く踊れるダンスミュージックとしてクラブミュージックやヒップホップの世界で認めさせて、しかも聴く側の感性も変えて、つまりそうやって新しい価値観を作り出したのがDJ KRUSHではないか、というのが僕の勝手な意見です。そこで、長いキャリアを持つKRUSHさんが改めてDJは何ぞや? と訊かれたら、どう答えますか。

スパンときれいに言えればいいんだけど、まず踊らせることは基本に考えていない。とにかく頭の中に詰まったDJ KRUSHというものを、どれだけみんなに見せるか。そこに関してはDJプレイも制作の部分も同じで一貫している。だから一方通行で勝手かもしれないしね。俺が持っているこの空気感や好きな世界観を吐き出して、「どうだこれ?」とやり続けてきた。DJプレイや制作の結果として、「この音楽は踊れる」というのはあるだろうし、そういう捉え方は全然問題がないけれど、俺自身はダンスミュージックとして作っていない。でもね、DJセットの中にクラブでかけるためのダンス用のリリースされていないオリジナル曲はあるね。それはツアーのためだったりする。ただ、ことアルバムに関してはダンスは二の次だね。


――DJ KRUSH流のヨレたビートのアルバムを作っても面白いという話をされていたんですけど、今後についてはどのように考えていますか?

まだアルバムの制作が終わったばっかりだからね。11年ぶりのアルバムというのもあって、たぶん俺のことを知らない若い子たちもいっぱいいると思うから、『Butterfly Effect』はDJ KRUSHの新しい名刺だと思う。


――今回のリリースでリスタートという意識があったということですね?

あった、あった。でも今回は結構メロディが入っているし、次はもっと深いところにいきたいね。「新しいDJ KRUSHに慣れてきた? じゃあ次は名刺の色を変えるよ」って。また『覚醒』ぐらい深いものを作っちゃうかもしれないね(笑)。


――あんなところまで(笑)。

いや、また気が変わるかもしれないよ。ただ、今持っているイメージはある。シンプルで隙の無い、これ以上音を入れない方がいいという究極のインストを。ヨレを入れつつ、みんなと違うウワモノを乗せて作ったら面白いんじゃないかと思っている。CDがリリースされるといろんな意見が出てくるから、そういう意見を参考にしつつ次のことを考えようと思う。それが次に向かうためにヒントにもなり、自分が歩いていく道の確認にもなる。これからまた揉まれて、みんなに刺激されてやって行くと思いますよ。

 

 

― Release Information ―

アーティスト:DJ KRUSH
タイトル:Butterfly Effect
レーベル:Es・U・Es Corporation
発売日:10月28日

■Amazon
http://www.amazon.co.jp/Butterfly-Effect-DJ-KRUSH/dp/B0147WTGO2