INTERVIEWS

Hideo Kobayashi × Eric Kupper スペシャルインタビュー

 テクノ、ハウス界をまたぎ活躍しているDJ/プロデューサーのHideo Kobayashi。彼は、10年以上前から構想を練りはじめていたというディープハウスを主に出すために立ち上げたレーベル、Fuente Musicを2015に設立。レーベル立ち上げ前に記念すべき第1弾シングル「When Love Was Infinite」を聴かせてもらったが、アルバム『a Drama』収録のヒット作「Beautiful Moment」でも起用した女性シンガーのChristaによる官能的な女性ボーカルがフィーチャーされており、心が揺さぶられるほど素晴しかった。さらに驚くことに、Hysteria Recordsの主宰で知られ、Frankie Knucklesとの共同制作を始め多くのプロダクションで活躍する重鎮プロデューサー、Eric Kupperによるリミックスが抱き合わせに収録されている。 

 その「When Love Was Infinite」に携わったこの2人がFuente Musicの立ち上げを祝福するべく青山・ARCで2月5日(金)に集結。その直前にHideo KobayashiとEric Kupperへインタビューを行った。Hideo Kobayashiには、レーベルの立ち上げについてや今後のレーベルの行方、自分の大先輩であると表明するEric Kupperをリミキサーとして起用した理由と本人への想いについて。Eric Kupperには、このジャンルに対する想い、プロデューサーとDJになったきっかけ、一緒に仕事をした大物プロデューサーからどう影響を受けたのか、彼らからダンスミュージックと音楽制作について何を学んだのか、このリミックスをする経緯について聞いてみた。

Interviewer : Kensuke Hidaka

 

 


「今まで通ってきた道のなかで、自分に染み付いたものがある。好きな音。それを今の自分が、好きなように好きな音を作りたい。」Hideo Kobayashi



 もともとダンスミュージックの入口はテクノだったHideo Kobayashiだが、1990年代の後半にテクノとは異なるクラブミュージックを作りたいと思いブレイクビーツやフューチャージャズなどを経て出会ったのが、Naked MusicやOM Recordsなどが出していたウェストコーストハウスだった。そして、そのサウンドを求め彼はサンフランシスコに移住した。
 2006年の帰国後、しばらくテックハウス/テクノを出し続けたHideo Kobayashiが、なぜこのタイミングでディープハウスに焦点を当てたレーベルを立ち上げたのか、ということについてとても興味深かった。彼にレーベルの立ち上げの経緯に迫り、彼はこう答えた。

 「これまでテクノ、ハウス問わず好きな音楽を作って好きなレーベルから出してDJとして世界中をまわる、ということは一通り叶えられてきました。近年は、国内でも先輩や友人たちとコラボレーションも実現でき、テクノはH.I.D.という名義で別に活動していますし。そこで“自分の能力が最も発揮できることはなんだろう?”と、ふと思ったんです。私の作るボーカルハウスは音楽的な作り込みを信条としていて自信がありますし、そのうえディープハウスへの回帰ブームもありましたので、今なら最高の状態で始められると思いました。レーベルの構想自体は10年前のサンフランシスコ時代には考えてましたし、名前やロゴも作ってあったんです」

 サンフランシスコ在住時代に染み込んだディープハウスサウンドの想いが強く、この種のハウスミュージック制作への回帰と同時に進化させたいと思ったHideo Kobayashi。今になりなぜレーベルを立ち上げたのだろうか。
 「現在作っている音は、当時の焼き直しとは思っていません。過去の曲へのオマージュや今のマーケットも完全に無視しています。ただ、今まで通ってきた道のなかで、自分に染み付いたものがある。好きな音。それを今の自分が、好きなように好きな音を作りたい。そこに音楽がもつ最大のエネルギーが込められると思うんです。ビジネスとしての数字はもちろん大切ですが、最大のエネルギーを乗せられない音楽は作りたくないんです。言うならそんなものは音楽じゃないとも思うんです」

 

 

 Fuente Musicの第1弾のシングルでリミックスを行なったEric Kupperも、Hysteriaという自身のレーベルを1996年から運営している。プレーヤーとしても世界的な活躍をする彼は、なぜ自身のレーベルを立ち上げたのだろうか。Eric Kupperに伺った。
 「私は自分の出したいと思う音楽を誰にも邪魔されずに出したい媒体が欲しくてレーベルを立ち上げた。自作を出すために他のレーベルに売り込まなくてもよく、他の人の意見を聞かずに済むように自分で出したいものを出したい時にリリースしたかったんだ。それにインディレーベルを運営するのには最高な時代だったからね。自ら運営に携わることができて嬉しかった。立ち上げてから20年も経った今でも精力的に継続しているよ」

 また、Fuente MusicをスタートさせたばかりのHideo Kobayashiへ、レーベル経営者の先輩として何かアドバイスがないか聞いてみた。
 「自分が好きだと思い、自分が買いたいと思う音楽をリリースすることをお薦めするよ。それがまさしくレーベルにアイデンティティを与え、レーベルの行方にブレが出ないことだからね。あとは、君が所有する素晴らしいカタログが構築されることを願っているよ」1,700曲以上に参加した大先輩のアドバイスには趣きがある。

 Hideo Kobayashiと以前話していた時彼は、2006年にまだサンフランシスコに住んでいた頃、OM Recordsから出たEric KupperがリミックスしたSamantha Jamesの楽曲「Rise」が、計り知れない影響を及ぼしたと語っていた。Eric Kupperとは彼にとってどんなアーティストで、どうやって彼の音楽に出会ったのだろう。Hideo Kobayashiはこう語る。
 「私のダンスミュージックの入口がテクノであり、ハウスは西海岸以降なので、NYの音を掘り出したのは90年代後期ですね。クアラルンプールの大箱でFrankie Knucklesと共演した以降、より(彼のことを)意識するようになりました。「NYの静かな巨人」というイメージです」

 さらに、「Rise」のリミックスを最初に聴いた時の状況を聞くと、こう答えてくれた。
 「(このトラックの)発売は2006年で、ちょうど同年に帰国したんです。当時、私はOM Recordsのアーティストが大勢集まるスタジオのビルの一室を自分のスタジオにしていたのですが、とても美しいボーカルがいろいろな部屋から聴こえてきたんです。みんな「Rise」のリミックスをしていたんですね。オリジナルは『OM Lounge Vol. 10』コンピの1曲目に収録されたのが最初で、私の「Almost There」という曲が最後の曲だった。幸いにもOMのプロモはいくらでも回ってきたので、発売のかなり前からかけまくっていました(笑)。もちろんEricのリミックスもプレイしてましたよ。そして、帰国後すぐにリリースした『SPiN San Francisco』というミックスCDに自らライセンス交渉して入れました」

 

 

 


「原曲の美しくかつ心を奮い立たせるボーカルに秘められた浮遊的な性質を最大限に引き出すような新たなトラックを作りたいと思ったんだ」Eric Kupper



 Hideo Kobayashiがディープハウスのレーベルを立ち上げるきっかけとなった「Rise」のリミックスを手掛け、1990年代からクラブミュージックの第一線で活躍しているEric Kupperに、1990年代、2000年代、2010年代のハウスシーンの動向について伺った。
 「90年代には多くのスタイルが盛んだったけど、2000年代になってから日本も含めて世界中にEDMのようなサウンドが台頭するようになったんだ。アンダーグラウンドなパーティーが減り、よりコマーシャルなものが増えてきた。まだ多少あったが、本物のハウスやテクノを聴ける場も次第に減ってきたようにみえたね。探すのに一苦労にもなった。でも、2010年代から少しずつハウスシーンが復帰つつある流れが出現したんだ。僕らにとってはとても嬉しいことだった。新しいタイプのディープハウスやテックハウス、そしてテクノが新しいお客さんを巻き込ませている感じがするよ。90年代のスタイルに回帰しているのもとてもおもしろいよね。最近、新旧が融合したような、モダンな手法で90年代流のハウスみたいなレコードを刷るプロデューサーが増えている」

 そのハウス、ガラージが生み出されてからかれこれ30年以上も経ち、1980年代にはダンスミュージックに接近。Eric Kupperは、なぜそのシーンのプロデューサー/DJになろうと思ったのだろう。
 「私は、もともとセッションミュージシャンとしてJustin Strauss、Mark Kamins、Richie Jones、David Morales、故Frankie Knuckles、Arthur Bakerなど数多くのDJ/プロデューサー/リミキサーとセッションをしてきた。それがとても大きな影響だった。また、皆は互いに学び合っていたよ。彼らのDJを聴きに行き、ブースに入り何をやっているのかを覗き込み、学んだりしていた。David Morales、Mark KaminsそしてLouie VegaのDJをよく見に行っていたよ。彼らを身近で観察し、お客さんにどのように影響をもたらしたのかを見て、多くのDJ技法を学んだよ」

 また、Eric Kupperは一緒に仕事をしたプロデューサーたちからどのような影響が与えられたのかを語った。
 「僕らはみんな同時期に音楽制作をしはじめ、お互いに影響を与え合っていたんだ。幸運にも当時私は、NYのメジャーなスタジオで働いていた敏腕なエンジニアから多くを学ぶことができた。その頃の音楽制作は皆の力添えがあったからこそできた。決まった音を作ろうと思いスタジオ入りしたわけではなく、ごく自然な成り行きで音楽が湧き上がるものだったんだ。皆とくつろぎながら、自家用スタジオで録った音源を彼らに聴かせ、フィードバックをもらうことができて良かったよ」

 さらに、彼らからダンスミュージックと音楽制作について何を教えてもらったのか、Eric Kupperはこう語る。
 「今まで携わってきた人たちはみんな、クラブミュージックのDJフローについ本当にたくさんのことを教えてくれた。君がさっき触れたプロデューサーはすばらしいアレンジャーでもあったんだ。私はキーボーディスト/プログラマーとして彼らに24個、もしくはそれ以上のループトラックをテープで渡して、彼らがその中からループトラックを選んでアレンジし、自動ミキシングコンソールを使って楽曲に足していったんだ。当時はそうやってトラックを作っていたんだ。Richie Jonesなんかも素晴らしいアレンジャーだったね。私は、幸いにも本当に素晴らしい音楽性に富んだDJ/プロデューサーと働くことができたんだ」

 ここで、Eric Kupperに「When Love Was Infinite」のリミックスを制作するに至った経緯を聞いてみた。
 「私は昨年に札幌のアシッドルームでDJした時にHideoに出会ったんだ。我々は共通の知り合いがたくさんいて、2人共音楽に対する価値観も近いような気がする。まるで昔から友達だったようなものさ。以前から彼の旧作をたくさん聴いていて、どれも本当に好きだった。「When Love Was Infinite」のリミックスを手掛け始めた時、原曲の美しくかつ心を奮い立たせるボーカルに秘められた浮遊的な性質を最大限に引き出すような新たなトラックを作りたいと思ったんだ。このリミックスは、自分が90年代に作っていた感じの音楽を思い起こしながら制作した。一味変ったビート、エレクトロニックと同時に有機的な音色、そんな感じかな」

 

 

 

 最後は2人に今後の活動について聞いた。

 Hideo Kobayashi「Fuente Musicとしては、納得のいく作品を丁寧に作り、それを奇数月にリリースしていきます。またボーカルのないディープハウスのリリースに関しても作り込んでいる状況です。別レーベルを立ち上げるか、他のレーベルからリリースするか検討しているところです。平行して、H.I.D.名義のリリースも3月に決定していますし、1月にもリリースがあったばかりです。年末から1日も休んでいませんが、楽しいので問題無し(笑)。春までは制作の時期にしようと思っています。今年の抱負、休まないことです(笑)」


 Eric Kupper「私の新年の誓いは、しばらく休みを取っていたDJツアーをより多く行なうことだね。最近、新作の「Oracle」をHysteriaからリリースしたばかりだが、今も既にたくさんのリミックスやリリースが控えていて、そのうちの1つはKenny Summitと行なう「Proper」というプロジェクト。現在たくさんのリミックスをやっていて、どれがいつ出るのかなど全部把握しきれていない。そのプロジェクトで制作した楽曲のいくつかを2016年にリリースする予定で、Hysteriaからも多くのリリースをするつもりだよ。また、最近David Moralesと一緒に作業をしていて、彼のためにたくさんキーボードを弾きすごく楽しんでいるよ。さらに、私がハウスミュージックを制作し始めてから30周年を祝うコンピレーションを手掛けている最中なんだ。長くて多作を出せたキャリアを歩むことができて心から幸せに思うよ」
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