取材・文:yanma(clubberia)
翻訳:TANK ,INC
グラミー賞も受賞したテクノアーティストDUBFIRE。25年以上のキャリアを誇り、テクノ界を代表するトップアーティストだ。今年の春には、日本で初開催されたフェスティバル「EDC JAPAN 2017」への出演で来日。9月9日、10日に開催される「Ultra China」や12日にイビサで開催される「RESISTANCE Ibiza」にも出演を控えている(今年の「Ultra Japan」への出演がないのは残念!)。
DUBFIREへの取材ができるかもしれない。その話が舞い込んできたのは、「Ultra Singapore」へ取材に行ったときだった。対面での取材こそ叶わなかったが、後日メールでの取材に答えてくれた。テーマは、予てから彼が関心を持っていたと考えられるサイエンスやテクノロジーについてだ。
“僕は完全な宇宙フリークだ”
——あなたのレーベル「SCI + TEC」はScience + Technology Digital Audioを意味しています。また、HYBRID※1のプロジェクトからも伝わるように、人類の進化に興味を強く持っていると感じます。サインエンスやテクノロジーへの関心について教えてください。
幼い時から、物事がどうやって成り立っているのかに興味があったんだ。科学は僕たちを取り囲むこの世界に意味を与えてくれる。自然界において僕たちは好奇心旺盛な種族だし、科学的な発見を通して、いろいろなことを永遠に学習し進歩し続けるんだ。技術は常に発見に対する人類の反応で、科学の実行だと思う。科学と技術は共存していて、お互いに大きな利益を生み出している。たまにこの惑星とそこに生きる生物にとってすごく危険にもなり得るけどね…。
※1:機械が人間を支配している世界に存在する機械と人間のハイブリット(雑種)についてをテーマに、サウンドやビジュアルをシンクロさせたライブパフォーマンス
——サイエンスやテクノロジーがあなたの音楽制作/パフォーマンスに、どのように活かされますか?
直接活かされることがないとは言えない。僕は完全な宇宙フリークだし、宇宙の謎からインスピレーションを得たり、この惑星を超越したところにある生命を想像したりする。宇宙に関することと、僕の音楽に関するアウトプットとの間に明確な違いはない。宇宙はただ、それとなく、でも巧妙に僕が作る音楽に影響を与えているだけなんだ。そうは言っても、音楽を作曲したり演奏したりする時の技術の背景には、科学があるんだけどね。まず、電気がないとね!
——AIも今後の大きなキーワードになってくると思います。AIが音楽に関わることについて、どのように考えていますか?
音楽は、際限なく感情を吐き出せる、とても強くてパワフルなユニバーサル・ランゲージだよね。アーティストたちが音楽を作り、編集し、曲にインプットする明確なニュアンスと感情こそが、僕たち人間と機械を区別している。まだまだそこの域じゃないけど、AIはミュージックシーンで大きな役割を担い始めると思う。
AIが人類の終焉をもたらすと信じているElon Muskのような人々が警告しているよね。でも僕は、この科学技術が将来僕たちをどこに連れて行ってくれるのかに興味があるんだ。AIは僕たちの日常生活の中で主要な役割を担い続けていくことになると思うよ。人類は常に問題を解決する方法を効率的に探し続けてきたし、この行動は僕たちが僕たちであることの一部になっていると思う。
DUBFIREが語るエレクトロニックミュージックは、まるで生物のよう
——あなたが活動を始めた90年代と比べ、2000年以降は音楽シーンにとってどのような時代になったと考えますか?
90年代の音楽市場は、多くの音楽をリリースする大勢のDJとアーティストによって過飽和状態だったよね。それに、無名のアーティストが一夜のうちに国際的なスターになることは簡単なことではなかった。でも今は、以前存在していた壁は全て取り除かれている。皆が有名になりたがっているからこそ、驚くべき創造性が生まれるのを目撃することができる。エレクトロニックミュージック業界は過去10年間を凌駕する勢いで成長しているよ。様々なジャンルの音楽に変化し、ある種の音楽を救い、また滅ぼしながら世間に取り入ってきた。でも、そうやってエレクトロニックミュージックが生き残ることは興奮する。
——では、あなたのレーベルSCI + TECの10年を振り返るとするといかがですか? 困難なことはありましたか?
SCI+TECは、新しい才能を探し、伸ばすという僕の情熱のもとにスタートして成長してきた。レーベルに関して、苦労や困難は何もなかった。レーベルを立ち上げたのは財政上の理由じゃなかったから、黒字にならなくてもプレッシャーはなかった。それに、既に飽和状態だった業界の中で認められなくてもよかった。僕はただ、もう表舞台からは隠れてメンターとして、僕に語り掛けてくる音楽を作るアーティストたちの為にプラットフォームを作りたかっただけだよ。
——SCI + TECからリリースした『HYBRID: A DECADE OF DUBFIRE』では、2006年~2016年までのディスコグラフィをコンパイルしましたね。
この懐かしい感じのするアルバムは、基本的には僕のソロとしての活動の最初の10年間を記念したものなんだ。僕自身が一人のアーティストとして進化したり、“テクノ”というジャンルの全ての面を探求したことを誇りに思っているから。同時に、人生の1ページにおいて象徴的な方向転換だった。僕のキャリアにおける次のフェーズを精神的な面で見据えるきっかけになったし、新しいサウンドやグルーヴ、技術や創造性を探検するきっかけになったんだ。
——ジャケットやオフィシャルサイトにある下矢印のようなロゴは、どのような意味がありますか?
これはロールシャッハテストみたいなもので、矢印に見える人もいるし、中指を立てるポーズに見える人もいるみたいなんだ、僕は全然気づかなかったけど(笑)。正直に言って、特別な意味はないよ。シェフィールドのチームが作り上げた何枚かの綺麗なグラフィックデザインから現れた、とても小さなキャラクターだよ。僕のDUBFIREとしてのペルソナを代弁するシンボルが必要だった。ピクセルだったのDUBFIREの矢印が、枠線だけの曲線的な矢印になったように、今後の僕の様々なプロジェクトに付随して、矢印の変化を今後も見ることができると思うよ。
——あなたは、音楽家としての自分をどのように見ていますか?
僕はルーティーンの単調さが大嫌いなんだ。だからスタジオに限らず普段の生活でも自分がしていることに何も発展がないとすぐに退屈する。僕はイノベーションや新技術、新しいアプローチや自分の周りのインスピレーションを探すことに興味があるし、普段は人間として広い心でいることを心掛けて(とりわけメインストリームのオルタナティブには)いる。なぜかって?それは僕がそれだけ変だからだよ。
写真はアルバム『HYBRID: A DECADE OF DUBFIRE』
日本通のDUBFIREが教える日本の名店
——今のあなたの生活について教えてください。どこに住み、どのような暮らしをしていますか?
僕の人生の半分以上は、世界を眺めながら確実に楽しんでいるんだけど、もう半分は移動している。悲しい現実として、移動は普段僕が避けようとしている消耗的ルーティーンになってしまうんだ。未来的な移動の技術もないからね。僕はホテルや車、空港や飛行機、レストランや会場で日常の大半を過ごしているよ。
——その生活のなかで、読者にオススメしたい都市やシーンを挙げてもらえますか? 例えば、多くの人に賛同してもらえそうな情報とアンダーグラウンドな人たちが好みそうな情報を。
アンダーグラウンドな人たちへの情報としては、ルーマニアテクノは僕を際限なく感動させてくれる。BaracやDubtil、Raresh、Rhadoo、Arapuや、その他大勢の素晴らしいプロデューサーの音楽の中には、他のどの曲にも聞くことができない何かがあるんだ。
皆にオススメなのは、ミステリアスで探検するのが、ただただ楽しい国、日本だ。文化も慣習も料理も…そして日本酒も!僕をいつも新しい方法で魅了し楽しませ続ける国だよ。引退したら日本で過ごしたいと思っているほどにね。
——日本に訪れたら必ず行くような場所はありますか? 日本食に詳しいと伺いました。
横浜の「すし勝」か、最近渋谷に移転した「傳」(DEN)に行かない限り、僕の東京での滞在は決して終わることがない。オオハシさんとザイユウさんは2人ともナイスで、僕が知る限りで最も才能があるシェフたちだ。二人のお店に行き、素晴らしくて美しい料理を食べられることは、とても嬉しくて光栄なことだ。おいしいスイーツがある神田にある甘味処「竹むら」も大好き。旅館に滞在するのも大好きで、箱根の旅館「強羅花壇」や京都の「俵屋旅館」も楽しかった。京都にいく時は必ず藤岡さんの酒造に行くよ。彼の日本酒は、今まで飲んだ中で一番美味しくて、崇高な味がするんだ。
——インタビューの最後に、あなたのファンはDeep Dishとしてのパフォーマンスを見たいと思っているはずです。日本では今後実現するでしょうか?
Deep Dishは僕がアーティストでいる限り重要な要素だよ。2014年にプロジェクトのリローンチをした時は、新しい曲を作るまではDeep Dishを続けるとは思っていなかったんだけど。いつか近いうちに日本でもDeep Dishとして活動できたらすごく嬉しいな。
INTERVIEWS