みんな、久しぶりです。今回は随分空いたな。3ヶ月ぐらい空いたかな。これだけ間を空けたのは初めてです。みんな元気でしたか?僕はボチボチです。
まず最初に、、、。
ーー 1) 決定の報告 ーー
このページを読む人であれば、もうほとんどの方は既にご存じかと思いますが、
3日前の12/24に、Contact web, そしてこのclubberia始め各サイトで既に発表しましたように、
私RAHAは来年春、この東京を出る決断を下しました。
東京を出て、来春からはBerlinに移ります。それ以後は、日本には1年で1, 2回、計2ヶ月程度帰るかどうかという生活になると思います。
Ω
この考えに至るまでには、自分自身の中で本当に様々な葛藤がありました。どこまで僕の意図が正しく伝わるかは、正直これを読む人の人生経験値の大小によって個人差がかなりあるものと思いますが、今回はこのページを使って、足早にではありますけれども、みなさんに少しだけそこに至る僕の考えの経緯や思う事についてお話したいと思います。
ただ、生まれた瞬間から東京の街のど真ん中でもう50年生活してきた人間が出す結論は、他の場所から越してきてこの街に住んで10年, 20年程度という人が東京に関して言う感想とは、ハッキリ言ってその重さと意味合いがまるで違うという事を、まず皆には分かっておいてもらいたい。
そしてまた、この『Ibiza Through RAHA’s Eyes』ですが、今回をもって最終回としたいと思います。と言うのは、2012年6月から7年間続けてきたこのページですが、数年前から、海外のパーティーのレポートが軸となるこの内容に、もうここ最近は時期や場所によっては毎年同じような事の繰り返しを書いている時もあり、自分でだんだんこれをこの形で続ける事への意義について考えるようになっていました。自分の旅について書くというこの形式のブログは、ここまででもう充分その役割を果たし終えたと思っています。途中からでも、これを読んでくれるようになった人達は、少なからずそれまで考えてこなかったような視点やレベルでもモノを見るようになった点が、多かれ少なかれあってくれるものと信じています。ここまで続けられてきたのはひとえにみんなのサポートのおかげ。心からお礼を申し上げます。今まで本当にありがとうございました。
しかしながら、この『Ibiza Through RAHA’s Eyes』が終わるからと言ってみんなそう悲観ばかりする事はありません。もう最初に言ってしまいますが、年明けから、これまでやってきたこのIbiza Through…に変わる新しいコラムを始めます!
題して 『RAHA’s thoughts』
これまでの旅のレポート中心の内容から、タイトルのように、僕自身の考え方や思った事を中心に書いていくページにしようと思っています。今、そういった事をFBなどのSNSに書いている事も多いですが、このSNSというのは人によってやっている種類も違うし、どうせだったらよりしっかりと自分のページでそういった事を表現・伝えていけたらいいな、と思っています。今のこのブログでももちろんそういった自分の考えとかと言った事もそれなりに盛り込んではいますが、改題以降はその割合が多くなるのではと思います。もちろん旅先でレポートしたい特別な出来事があったら、その時は遠慮なくそれも書くと思うので、フレキシブルに捉えていて頂ければと思います。
さて、最終回の今回は、最後にこのページを使って、今回の冒頭の考えに至るまでの経緯などを、書ける範囲でになりますができるだけ正確にお話しようと思います。正直、日本のシーンについて、言いたい事は山ほどあります。今回はこの際なのでかなり厳しい事も書いています。たいして向こうにも行こうともせず、海外のシーンをほぼネットや人づてとかでしか見聞きせず、それでもなおそこでの状況はある程度は理解しているぐらいに思ってしまっている類いの人達、僕正直苦手です。でもこの国、そういった人の割合がすごく多いよね。まあそういう部分も含めてね、興味のある方においてはでいいので、少し長くはありますが、是非最後までしっかりと読んで頂けたら嬉しいです。
まず、このページの旅のレポートは、今年6月のIbizaで止まっていました。そこからの流れがこの説明には不可欠なので、簡単にお話しましょう。
Ibiza Through RAHA’s Eyes - vol.103:『Ibiza』
https://clubberia.com/ja/bloggers/143-raha-vol103/
(ここの続きからです)
ーー 2) 7月のBerlin ーー
7/2にIbizaを出て、Berlinに移りました。ここでの5週間は、以後の方向性を大きく変えるものとなります。
これまでとは比にならない様々な体験がありました。
パーティーで言うと、New Kids On Acid, 宿泊先の家でのそのプレ&アフター, Arma Labelnight at MONOM, Perfect Sundays Boat Trip, Heideglühenのオーナーの伊達男ぶり, 午後のGardenがあまりにも素晴らし過ぎたGet Perlonized, その他たくさんのいいパーティー、Hoppetosseでの自分のDJ、そして何より6月の火災以来Closeを余儀なくされていたClub der Visionaereの7/26のRe-Openの際には、CDVの仲間みんなで涙が出るほど喜び合いました。たった5週間でこれだけの事が起きた。ちなみに上記のこれらのトップパーティーの最中に、日本人の人の姿を見かけたのは、実際本当にごくごく僅かでした。Perlonみたく誰でも知ってる以外のパーティーの存在を正確に把握している人も限りなく少ないようでした。僕には正直全く意味がよく分からない。
________________________________________
ー 8/4 Twitter ー
今日のget perlonized、・・・・ 昼12-18のGardenは、Berlinの人もみんな口を揃える年間でも希有な素晴らしいパーティーだった。今日のMaayanは神懸かっていた。
________________________________________
そして、そのどれよりも大きかったのは宿泊先の友人の家での毎日の体験でした。世界最高峰の仕事をする人の後ろ姿をリビングで毎日見ていて、思う事は多かった。この5週間で新たに学んだ事は計り知れない。しかしその彼からしても、夜の21時からリビングのデスクの上で作業を始めたこの俺が、彼がおはようと翌朝9時に起きてきた時にも、昨夜23時におやすみと言ったその時と全く同じ場所同じ姿勢でその作業を続けている僕の姿を見て、生活を共にする前には共に持ち得なかった領域でのお互いへの理解と認識を、そんな日々を経てより強固にしていきました。
この夏の日々を通して、まず、来年はもうビザを取る事にしました。今持っているのは、ほっといても日本人なら誰でも自由に手にしてるシェンゲン90日フリービザ。このビザの内容は、興味がある人は各自で調べて下さい。数年前から向こうの人達に、アーティストビザを取れ取れ、と言われていた。それがないから夏の半年のうちに、簡単に言うとユーロの中に(正確にはイコールではないが)計で3ヶ月しか居れなかった。それ以上はルーマニアやトルコなどの圏外で過ごす事が必須となる。それはそれとして楽しい時間だけど。だけどどう考えても、最低でもイビサに前後半合わせて2ヶ月居たら(これが最低)、あとはもう1ヶ月しか残らない。他にもOff Sonar行ったりItalyも行ったり多少はユーロ他国にDJしに行ったりなど考えたら、Berlinに1ヶ月も居られないのが現状。
この7, 8月にしたって、この後の9, 10月に少なくとも5週間はヨーロッパに戻って来たいから、このビザのカウントを止めなければならなかった。なので56日で止め、だから8/6に一度日本に戻って来た。でなければ8月の最高に面白いBerlinをわざわざ離れる必要はなかった。
この8月の時点では、まだ来年、ヨーロッパに移住するとまでは思っていなかった。
ーー 3) 東京の状況 ーー
Berlinでのこのあまりにも最高の5週間から戻り8月の1ヶ月を過ごした東京は、最悪の例として例えば渋谷なんかは、オリンピックも含めた再開発の名の元に、子供の頃から見慣れた当たり前だった風景がことごとく消え去っていっていた。それぞれがいい感じの個性を醸し出してくれてた小さい古い店を全部無くして、どの駅前も同じような景色にしていく。再開発ってほんと嫌いだ。ホント田舎モンの考え方だと思う。8月の時点で、渋谷は既にもう知らない興味のない街になってしまっていた。日本なのか中国なのかまた他の都市なのか、パッと見ではさしてもう区別の付かない街になってきていた。何十年とずっと過ごしてきた街への思い入れは自分の中ではもうほぼ皆無となってきているのを実感した。昔で言うと、お台場も横浜も本牧も全てがそう。今あるみたいなこんなダサい事になる前は、それぞれが心から大好きな街だった。最高にカッコ良かった。
そんな空虚な気を紛らわせるためにも、連日葉山に足を運んでみたり、軽井沢で数日を過ごしたりと工夫を凝らして日本での生活を送った。皮肉な事に、同じ日本であっても、東京以外で過ごすこの時間はすごく楽しかった。
僕の母方のおじいちゃんおばあちゃんの家は銀座から歩いて10分、築地だった。父の実家は池袋付近。必然僕も、生まれ落ちた時から50年以上、東京のど真ん中で生きて来た。逆に言うと、世間で言ういわゆるいなかが共に東京なので、自分には生まれてこの方この東京しかない。その上で、東京にただ住んでいるではなく、15ぐらいからは街の常にど真ん中を見て来た。その時代時代の一番いいカ所をだ。
東京を愛していた。ずっと。それまで遊びに行ってた新宿・渋谷が実はダサかったんだと言う事を知り16才の時に出始めた当時の六本木は、今思い出しても、鳥肌が立つぐらいにカッコよく、平日から毎日がヤバいほど面白かった。街とディスコと人、その全てがイカしてた。ピークの頃はひと月のうち25日は六本木に出歩いていた。しかし、昭和が終わる頃に向け、急激に様子が変わり始める。悪い方へとだ。街が良くも悪くも個性で溢れ尖っていたものが、徐々に大衆化・みんな同じ化していった。90年代頭に日本のHIPHOP・ダンスシーンの発展に少なからず携わっていた頃、ジュリアーニがNY市長になって全てをぶち壊す前のまだ本当にアンダーグラウンドが残っていた94年以前のNYと、一方でその当時ブームとして起こった渋谷だけでなく全国規模でのRBブーム(R&Bでなくこう呼んでいたこの国。。。)・インチキダンサー・カリスマ店員・コギャル、、といったこの国の文化との間の、絶望的なほどの根本的な質の違い。
しかしこういった事も、何とかして消化しその都度乗り越えて来た。そんな海外の大都市に比べあまりに田舎の地方都市過ぎる東京が俺は本当に嫌いだった。けれどもその上で、それでも東京を愛していた。自分が生まれそして育ってきた街だから。そして自分が日本人だから。自分の血はここにある。日本の事を、そしてこの東京の事を、なんてカッコ悪い国なんだろう街なんだろうと100万回思いながら、一方で何とかこの国を、海外で見てきている本質的な部分であまりにも違うその街達と比べても負けない、そんな国に何とかしたいという思いだけでほぼこの人生やってきた。
4週間帰国した今年の8月、クラブシーンはと言うと、自分にとっては、興味を引かれるような要素がさらに格段に見い出しにくくなっている事が明確に感じ取れた。この自分が、この1ヶ月でパーティーに2日しか出なかった。こんな事10代で物心付いてから初めての事だった。
そんな中、一番楽しい時間は月曜日のEN-SOFだった。俺がかけるその音を本当に好きで聞きたい人だけがしっかり集まってくれる、正直週末の他のパーティーでは感じられない充実感に満ちていた。本当に月曜のEN-SOFの時間が一番楽しかったし、この月曜会の主旨をよく理解してくれた上で月曜日からわざわざ来てくれる人達と交流するこの時間が本当に好きだった。
しかしながら総合的に見た時、この8月で、もう全ての意味で東京が自分にはかなり難しくなってきている限度ギリギリになっているのを肌で感じていた。
そうなっていく要因の一つとして、この7, 8年でその限度をとっくに超えてもうメチャクチャになってしまったこの国の政治というものの存在もまた、非常に大きかった。
しかしそれ以上に気持ち的に自分はもう我慢出来ないな、と感じるようになったのは、この状況になってもまだ無関心・無知で居続けられるこの国の国民性だった。
以下のような事も自分にとっては決して小さい事ではなかった。。
________________________________________
ー 7/15 Twitter ー
ー引用リツイートー
安田純平@YASUDAjumpei
「どうせ変わらないから」と投票に行かない人たちがいるそうですが、安倍政権は消費税上げるとか改憲するとかで「変える」とはっきり言っているわけで、まさか「現状のまま変わらない」なんて思っているわけではないんですよね。そう思っているなら本当に「変わらない」のかよく考えたほうがよいです。
↓
ー僕ー
「僕の周りの目にする若者の中でも、自分が投票に行ったって大して何も変わらないから云々の浅過ぎる考えで、だから投票に僕は行きません、と言ってる人がいるようだけど、何万のものは1が積み重なって初めてその数になるんだよ。まず自分が少なくともその何万分の1に率先してなろうとすらしないそんな人は一生全ての事の真のリーダーにはなれるべくもないし、クラブシーンの中で何か起こそう、一人一人の力を合わせ何かをよくしようなんてアクションは全てfakeになるし、今後俺は一線を引くからそのつもりで。必ず近い将来この日本で地獄を見るのは俺らじゃなくてキミ達の世代なのにバカ過ぎる」
________________________________________
この何年もの間こういうふうに何度言っても、分かり易く言うと例えば日曜のアフターで酔っ払って遊んでる人達が、分かってもいるのにそれでもそのまま結局、自分の運命をも分ける選挙にも行かずに遊ぶだけ遊んで後は家帰って寝てしまう、っていう姿を、事実として悲しいかなあまりに多く見過ぎてきた。この国はもう自分が骨を埋めたいと思い続けられる場所では、国として自分にとっては既にない、と思う気持ちも悲しいかな年々増していた。国民の様々な事に関する意識のレベルが、この日本はあまりにも低過ぎる。これは僕が何度となく訪れるルーマニアやスペインとかと比べても、クラバー一人一人の意識という点でも雲泥の差を常に感じ続けてきた。
ーー 4) 9, 10月の旅 ーー
旅の続きに戻ります。
最後の9, 10月の旅は、Ibizaから始めた。まずIbizaに3週間半部屋を借り、そこをその間の家として、途中でItalyに1週間特別なパーティーに行ったりしてた。帰国のチケットは10/16のものを持っていた。Ibizaでは、大嫌いな西側地域ではあるが街からは遠く離れ、ここがとにかくポイントだが目の前が最高級のサンセットビューという、これまでとはまた異なる滞在を経験し、いつも以上に自然の素晴らしさを感じながら生活する事ができた。海好きな自分に相応しい素晴らしい生活だった。もう半分の時間は、少しDJしたり、この時もまたそれまでとはちょっと比にならないクオリティーのパーティー&家アフターの経験を積み重ねる事となった。音で言うと、Cova SantaでのRicardoとRareshのb2b4時間は、これまで幾度となく聴いてきた彼ら二人のb2bの中でもベストセットと言える素晴らしい時間だった。
このスタートの3週間半、生活はとにかく苛烈を極めた。
________________________________________
ー 9/9 Twitter ー
Ibizaでのとりあえずの予定。死ぬ..
金深夜 - 到着
土 - DJ
日 - Cocoon@Underground
月 - Ricardo, Raresh・・@Amnesia
火 - アフター / 夜 Ricardo, Raresh・・@Cova Santa
水 - Seeker's@Sunset Ashram & UG
木 - Rhadoo@UG
金 - Cocoon - Kraftwerk@Ushaia / 夜中 Luciano Closing with Raresh
土 - DJ 多分
________________________________________
ー 10/5 Twitter ー
月曜am1:00から10時間Rhadooと共にしたamazingなSardinia last party。そのままIbizaへの飛行機に飛び乗り機内で2時間熟睡後、同日月曜夜のAmnesiaからさっき水曜夕方までの最後生き残り5人でのfinal 家afterまで完走。先週火曜から9日間続いたパーティーをsurviveした。限界の壁を数年ぶりに超えた。
これができたのも素晴らしいエナジーの人達と一緒に居たから。アーティストもそうでない人もまずはそれだとつくづく感じる9日間だった。幸せこの上ない。素晴らしい経験を財産として得れた。
________________________________________
Ibizaを離れた後は、まずはDJを2本しにBucharestへ。そしてとにかく休息をしに、が目的だった。この途中で、IbizaからまずBarcelonaに行く機がdelayして、次のBucharest行きのlost flightに加え、lost baggage。未だかつてない最悪の感じになった。あれはマジで本当に大変だった。運が悪かったらあのまま3,4日スーツケース戻って来てなかった。思い切りヘビーな1日だったけど、いい経験にもなった。結局その日はBCNに泊まる羽目にもなってとにかく本当に疲れ切ったけど、それでも笑顔が消えてなかったの覚えてる。
もう忘れかけてたけど、その1週間前にも、SardiniaからIbizaに帰る便でlost baggageに遭ってたんだっけ。同便のVlada達も。あの時は俺らツイてなかったな。まあ旅をたくさんしてると、確率的にも必然色んなアクシデントも起こる。仕方ない。
Bucharestでは、今年の5月にもやったUrbanistとGuesthouseでのプレイ。共にいい感じでできた。短いけどこの朝方のプレイを上げているのでよかったらどうぞ。
RAHA at Club Guesthouse : 04.10.2019
それ以外はこのBucharestでは、体力の回復と仕事を追い付かせる時間に充てた。俺がヨーロッパ居るのを聞き付けてくれて他国でのDJの話しも2, 3コオファーが来たけど、結局タイミングが自分の動きたいムーブと合わなかったりで、今回はもう行くのは止めにした。
ここまでで6月のBarcelonaから始めた今回のシェンゲンカウントは83日。最初はこのルーマニアの後またIbizaのClosingの最後に戻ろうかとも思っていた。けれど、決断。これが本当に大正解だった。この7, 8月に5週間居たBerlinはあまりに素晴らしい時間であり、自分にとって一つのターニングポイントともなるperiodだった。8月に日本に戻った時は、この9, 10月にもう一度来ようとはさして思っていなかったけど、旅が始まって少ししてもう決断していた。リミットである90日までの最後の日を、再びBerlinで過ごそうと。
最後の7日間を過ごしたBerlinは、僕に明確な意思付けを更にしてくれた。来春になってからまた、でなく、今年のうちにもう一度来て本当に正解だったと思う。この最後のBerlinでの1週間も、有り得ないぐらい短いながら実に濃厚な時間だった。色々な事が起こった日々だった。しかし正直もうここまでなってしまうと、日本の人達にはもう僕の言ってる事はますます正確には理解共感される事は不可能になってしまったと思ってきた。(後で触れるけど、逆にすごく若い人とか、このシーンに最近入って来てピュアにどんどん学び吸収していってる人とかの方が、なぜか真っ直ぐに色々な真理への理解がより正しく伝わりやすいと言う事をここ数年すごく感じているので、その点において実はまだ全く絶望していないが)
東京をずっと愛して生きてきた僕だけど、この時点で、もう来年からは東京を出てこっちに住もうという考えにだいぶなってきてしまっていた。自分の性格からして、もうそういう発想が出だしたらかなりの確率でもうそれを実行するだろうとは自分で感じていたけれど。でもそれでもこの時点ではまだ決定まではいっておらず、兎にも角にもまずはビザを取得して、こちらで仕事もできつつ自由に滞在できるようにしたいというのをまず念頭に置いていた。
この最後のBerlinが始まる前ぐらいから、あれだけまだまだ先のように感じていた自分の日本への帰国が、実はもうあと1週間後に迫っている事が急に実感された。素直に反応した。全然ムリだわ、、と。あと1週間でシェンゲンうんぬんはともかくこのヨーロッパを離れる事が今のこの自分にできるだろうか?その準備が心的に全く整っていなかった。8月見たあの感じの街へあと1週間で帰る??今の自分が?、、、と正直思ってしまった。過去の帰国の際に感じていた感情と、もう既に少し異質な気持ちを感じていた。
ただ、日本への帰国日をどうするという話しになった時、いずれにしても楔となっていたのは、11/16にBeat In Meが控えているという事実だった。しかもRhadooを迎えての。だからその帰国をどんなに延ばしたとしても、翌週には遅くとも帰る事になっている。翌週帰ればパーティーまで3週末ある。3週末あれば大丈夫なのだ。逆に言うと、Rhadooクラスのパーティーを成功させるには3週末はないとダメなのだ。
そんな時でも神様はいつでも俺の傍に付いていて、これまでの人生のそのほとんどの時を、有り得ない幸運のタイミングで満たしてくれてきた。この時もそうだった。
Berlinは10/16に出なければいけない。これは100%。Berlinだけでなく、シェンゲンからとにかく出なくてはならない。滞在Maxの90日が経つから。そしてしばらく入れない。ルーマニアに戻る気はもう全く起きなかった。と、見ると、その週末に何とユーロでありながらシェンゲンではない希少の街Londonで、今年の旅の最後を飾るに相応しい最高のパーティーが発見される。
20.10 fabric XXtended: Craig, Ricardo B2B Raresh & Voigtmann
https://www.facebook.com/events/486813275210637/
London fabricの20th Anniversaryで、この旅でもそれこそ毎週のように会っていたRicardoとRaresh彼らのb2b 7hours.
こう言うのを本当に神の思し召しと言う。俺の人生はこういう事ばかり。去年10月にヨーロッパを離れる前最後のパーティーはRobert JohnsonでのRicardo, Rhadooだった。そして今年はこのfabricで再び彼とのパーティー。
当然のごとく、すぐさま日本への帰国は1週間延期された。
Londonでは、金曜日には何と思いもかけずZIPのプレイまでも発見され、もう帰ろうよ、とそのアフターから二人で帰って来るまで楽しいひとときを過ごした後は、日曜夕方からのfabricのパーティーの前までに、来年2/22のRareshへの条件の話も日本サイドと話すところまで超頑張って進め(超頑張ってたw)、仕事面でも完璧なプロフェッショナルな状態で最後ホテルでのpre&afterの最後の最後までみんなと素晴らしい時間を過ごし、今回のヨーロッパの旅の有終の美を飾る事となった。
それにしても、最後に行ったこのfabricは素晴らしかった。フロアーのあのサウンドも本当に特別なものであったし、しかしそれ以上に、フロントであったり、特にartist周りのスタッフの質及びその仕事の質が素晴らしいと感じた。正直、この時点で、そういった点でも、見てきた彼らのその意識の高さと、一方現実日本の各クラブの現場での状態との間であまりにも明確に存在してしまっている、向かっている方向性そのものも含めたその差異に対し、自分の中でかなり色々な事を考えていた。
ともあれ、Ibiza - Italy - Ibiza - Bucharest - Berlin - Londonと7週間に亘った旅が終わりを迎えた。こうして全ての工程を終えた時、今回のこの旅が、あまりにも素晴らしかった6~8月の旅と比べても遜色ない貴重な体験の数々だった事をまざまざと感じた。この7週間、いや7, 8月のBerlinでの5週間を加えた3ヶ月というもの、人を含めて世界の最高水準の仕事ぶり、音楽をずっと見て来、毎日直に触れて来た。意識的な部分で、この自分の中でのトップギアの状態で、10/23、日本に帰国する事になる。。。自分の中で、今までとは比にならないぐらい高い志と意識を持ってこの東京に戻って来た。。。東京は一体どんな状態で、このコンディションの僕を迎えてくれるんだろうか。。。? 期待と不安が入り交じりながら帰国した。
ーー 5) 日本を出る事が決定された夜 ーー
帰国から2日後の金曜日の夜、いつものように自分でパーティーのフライヤー2,000部とポスターを車に積み、一人で代官山・渋谷・青山近辺の主要なDJ Barを回りました。0時前から回り始めて一晩で10数件は回れたかな。パーティーを始めた27年前からここまで一つも変わらずにやってきている僕の主義のルーティーンです。どこの店もいつものようにみんな暖かく迎えてくれた。しかしその夜、うまく言えないけど今の自分にはもう東京のこのクラブシーンにアダプトする事がこれ以上できなくなっている事を肌で悟りました。別のステップに進む時が来たのを悟りました。この朝、最後車の中で生まれてあまり記憶がないぐらいに精神的に打ちひしがれ車を動かす事すらできなくなりました。あんな気持ちになったのは人生でもあまり記憶になかった。その時に、来春でのヨーロッパへの移住を完全に決めました。これが事実です。
その後、街に出るのを控えてみたらどうだろう?という事もやってみました。地元で多くの時間を過ごし、そこで道やスーパーで擦れ違う人達に、海外で誰もが互いに普通にそうし合っているのと同じように、笑顔でお年寄りや女性やはたまた普通に男性にも道や行く手を譲ったり買い物かごを取ってあげたりしてみても、その20人のうち19人が笑顔を返してくれないどころの話ではなく、目すら合わせようともしないのを、帰国後それでもめげずに毎日毎日繰り返しているうちに、本当に自分の具合そのものが悪くなっていくのを感じていった。クラブシーンが、という枠を超えて、今の東京そのものがもう自分にはムリなのだ、という事をこの秋100%明確に知ってしまった。
________________________________________
ー 11/15 Twitter ー
今さっき新宿高島屋のパーキング出たとこで 左の方から横断歩道渡ろうと自転車の女性が来たから 止まってニコッとどうぞとサインを送ったら 軽く会釈しながら本当にappropricateな笑顔を返してくれた ヨーロッパにいる時 男同士でも毎日みんなが普通にやってる事で またされた方も普通に笑顔を返すこの特別でもなんでもない日常的なやり取りを 今回3週間前に帰国してからこれまで50人以上にはやって来たけど 今日までほぼ一人も 目すら合わせる事なく通って行かれるだけだった それを見て ああ俺もうクラブシーンがとか以前に 東京という街に住むのはこれ以上もうムリだな と正直強く感じているけど
________________________________________
ーー 6) パーティーへの思い・葛藤 ーー
帰国後の事を書く前に、ここまで書いてきた事とは別に、この夏から僕の心境に一つの変化が生まれていました。
生まれついての自分の性格から、自分の伝えたい事に関して、おそらくは他の人以上に、より丁寧にしっかりと言葉を使って説明する事を多くしてきたと自分でも思います。これは自分の特質であり、特にパーティーをやるに当たっては顕著な傾向となって現れます。
僕の中で、一つパーティーをやるという事は、そこで楽しい事、最高な音楽を提供するだけの場とは昔から考えていません。その素晴らしく楽しい時間を持つに当たって、パーティー以前に一人のスマートな大人として最低限その参加者全員で持ち合わせなければいけないattitudeや考え方といったものを、オーガナイザー・お客さんで共に理解し高め合っていく場であるというポリシーの元、僕はパーティーオーガナイザーをやり続けてきています。楽しいパーティーをするという際に、何よりもまずそれが確実にそこに前提として存在するからこそ、会心のパーティーをやった時の、あのお金では絶対に得る事のできない心からの充実感、それを同じように理解してくれた上で共にその最高なパーティーを作り上げたその場にいるみんなとの本当の一体感や達成感が生まれてくるのだと思っています。
懐かしいなあと昔のを色々見てたら、ちょうどこんなのが出て来ました。
『vol.26:日本での夏 ~ Ooooze BEACH vol.8』
https://clubberia.com/ja/bloggers/51-Ibiza-Through-RAHA-s-Eyes-vol-26-Ooooze-BEACH-vol-8/
この先を読む前に、どうか必ずこのvol.26を一度読んで下さい。そうでないとこの後の話しがきちんと繋がらないので。
このページを数年ぶりに読んでて、涙が出て来ました。誤解のないようにハッキリと言っておきたい。この国のこのシーンが大好きです。特に僕達のパーティーに来てくれる人達、そのほとんど全員が、基本的に本当に素晴らしいんです。この国のシーンが、自分の中で正直もう嫌になっているところがあります。しかしながら同時に、この国の少なくとも僕の周りのこのシーンが、本当に好きだという気持ちは、今も1mmも変わっていない。共に、数あるうちの一つの単なるパーティーシーンというだけに留まらず、そこに本当に意義のあると思える心から幸せと感じる時間を共有させてもらってきたこういったみんな一人一人に対し、言葉では表し切れない感謝と尊敬を今もこの先も忘れる事がなどできるはずもない。それは、今のみんなと共にここ数年かけて築き上げてきた、RPRのパーティー時を模範とし成長を続けてきたBeat In Meのコミュニティーに対しても、全く同じ事をを同じ気持ちで思っています。
僕の中で、日本を出て海外へという決断を下すに当たって、葛藤という言葉では片付けられない実に様々な種類の思いが、この先待っているだろう異次元の楽しみへの期待と想像と共に、常に僕の頭につきまとっていました。
特にこのルーマニアなどという、本当であれば日本人にはものすごく分かりにくい音楽そしてカルチャーそのものを、この日本において自分の使命としてシーンを構築していくようになってからは尚の事で、他の人達のやっているパーティーがどこまでの心意気と覚悟と意義を持ってやっているかは僕は知りませんが、パーティーをやる際にはそのジャンルでかかっている音楽を広めるという単純な目的だけでなく、そのシーンそのものに対する私達クラバー一人一人の取るべき態度や心がけなければいけないと思う事を、ある意味では逆に音以上に重視し、まずはそれをしっかりと自分の言葉を使って説明し理解を得ながらここまでこのシーンを作ってきたつもりです。その中でも特に2年に一度の最高地点であるRPRの際などは、特にシーンの全員でその意識を理想の方向に向け高めるこれ以上ないステップアップのいい機会でもあると捉え、みなさんご承知のように、パーティー前、そしてパーティー後も、僕自身のFB、そしてこのページを存分に使って、皆になるべく伝わりやすいように言葉を選び文章を組み立てながら、メッセージを伝え続けてきました。その甲斐あって、このシーンの、うわべでなく深い部分の魅力をしっかりと感じ取ってその上で付いて来てくれている人達、LIQUIDROOMに、そしてBeat In Meのパーティーに遊びに来てくれる、常にこれを読んでくれているキミ達一人一人が、お世辞なしで、本当にいい理想的な方向にその進化を進めていっているのを、ずっと前から僕はものすごく感じ続けています。みんな僕の伝える、時には楽しくない様々なメッセージを、根気強く真摯に本当によく理解してくれ、納得してくれさえすれば、それ以後はしっかりと実践してくれています。最初の方で書いたように、例えあなたが僕が好きでやっているこのシーンの事を知ったのがわりと最近であっても、逆に2015年の第1回
RPR SOUNDSYSTEM@LIQUIDROOM以降に突如このシーンの魅力にとりつかれ、以後本当に追っているんだという人達は、その一人一人と話しをさせてもらった時、あるいはその時に劇的に感じたその感動と嬉しいかな謝意を直接伝えたいとの思いから、真摯で誠意のこもったその初めて送ってきてくれたメッセージを受け取った時(これは本当にすごく大勢でした。なかなかできる事ではない)、10年もしくはもっともっと前からこういった音をメインで聞いてきているんだという人達よりも、むしろそういった方達の方が、僕の発信する僕の中で音楽以上にもっと大切で不可欠と考えている部分のメッセージを、実に素直に理想の形で理解するだけでなく、その何十人もしくは数百人の人達が現実に実践し始めてくれているのを、ここ数年見ていてずっと感じています。
僕は本当に自分を真の部分でフォローしてくれている人達に恵まれています。これはMAIN STREETという日本一のダンスイベントを始めた90年代始めも、日本一の外人パーティーであったOooozeを2014年まで11年間一緒にやらせてもらった最高だったあの時代も、そしてルーマニアシーンを突き詰めている今のこのBeat In Meにおいても、全く同じ事を胸を張って言えます。僕に付いて来てくれている人達の事を、本当に誇りに思っている。
ーー 7) Minimal ーー
少し熱くなってしまって、展開しようとしていた話が若干それてしまったので話しを元に戻します。
この前の段落の冒頭部分で述べたように、僕はこれまで、そのスピリッツや目指さなくてはいけない事などを、とりわけRPRを始めとした位置付けの重要なパーティーの時には、特に大切なキモとなる部分は、その意味をより明確に書き記すように心がけ、受け取り手(お客さん側)が100/100でその本質と共に理解できるようにやってきました。
しかし、この夏ぐらいから、その伝え方・学び方はみんな(この僕も含めてお互いに)そろそろ卒業しなくてはいけない時期にきていると感じ始めていました。これまではみんなしっかりとした説明が必要だった。失礼ながら正直言ってしまうと、あまりにまだ向こうのシーンの実情や当たり前の事を知らな過ぎて、ある程度しっかりした説明・ナビゲーションがなければ、おそらく30年経っても正しいところに辿り着くとは、僕から見て到底思えなかったから。なので、自分の考えもそのまま全てオープンにして、その理由付けも同時にそこに明示して、みんなが正しい方向に進んでいけるようにしてきました。始めの頃から、ここまではこのやり方・選択は、これが正解だった。
しかしながら、このやり方は、みんなであればもうそろそろ終わりにしていかなければならないと最近では感じるようになっていました。これまで敢えて言わなかったけど、次の段階に進化しなければいけない時期は、2年前のPrasleshあたりの頃に実はもう来ていたと僕は感じています。今の僕の周りに居てくれる人達、そしてRPRのどれかの時をそのきっかけとしてこのシーンに付いてきてくれているような質が良くまた目利きのいい人達においては、もうそれが与えられなくても自分で考えて正解をつたってくる事はできるはずだ、ともボチボチ思っていました。僕はいい意味でみんなの事を買いかぶっています。
いつまでも丁寧に説明されないと正しい事を選べない、正しい方向に進んでいけないなんてシーンでは、ここまではいいように見えていても、その先の未来は暗い。
2013年6月にBeat In Meを始め、その年から[a:rpia:r]とサシで仕事をするようになりました。翌年の3月にはRhadooとの1対1の関係が始まります。その最初から現在に至るまで、僕が彼らから口で教わった事は、ほぼ何もない。特にRhadooからは、絶対に誤解釈をする事が許されない例えば協賛部分に関する彼らの決め事と言った特殊な場合を除き、何か本質的に重要な事を、言葉に出して教わった物事は、この現在に至るまでほぼゼロです。
最初の何年か、本当に大変でした。仮に「この時から[a:rpia:r]を知り出した」とかいうのあれば、彼らの「無言で察せよ」というそのやり方では、始めの頃から正しい理解などおそらくとてもムリだったでしょう。しかしながら僕の方も、当然そんなであるわけがありません。Ibizaであの2006年その瞬間からここまでずっと、限りない数そのプレイはもちろん、それだけでなくその振る舞いや各人の超個性を観察し続けてきた歴史と経験を積んだ上でその当時の出会いがあり、昔からの僕のその姿を向こうは知っているからこそ、2013年からの僕達の関係は始まっています。彼らのcoreな周り、例えば[a:rpia:r]003のDemosだったりLucianoの初代のマネージャーだったりに、「こっちはキミの事2006年からずっと知っているよ。DC10全盛のあの頃、そしてCocoonでMonzaでAmnesiaで彼らが回しているパーティーにキミが遊びに来ているその全ての時に、唯一のアジア人であるキミが、スペイン人達に交じって、一人であろうがパーティーが終わる最後の最後まで、フロアーのいいとこでいつもずっと踊り続けていたのを、当時から俺たちみんな見てきてるから。お前こそがリアルだ。リスペクト」とここ数年打ち明けられるような今も全く変わらぬこの動きを、1年も欠かさずに当時からずっとしてきているのを彼ら自身がその目で見続けてきてくれていたからこそ、2013年から自分とのこの関係は始まっている。どうも勘違いしているようであまりよく分かっていない人もいるみたいだから書いておきます。
その彼らは、本当に口で教えてくれない。これは意地悪でなく、そういうものなのだ。何でも分かり易く、そしてすぐに答えが欲しいのであれば、極端な話しEDMのシーンにでも行けばいい。俺らのやってるのは、ミニマルなのだ。そしてその中でも最もわかりにくいとされ同時にそれが魅力の一つとも言っていいルーマニアのミニマルなのだ。
意図するところをいちいち言葉にし手取足取り教えてもらうという事をよくも悪くも全くされないで自分の読解力・注意力・応用力をひたすら磨き続けてきたおかげで、気付いたらそこに至る経験が全て自分の血肉となり、知らぬうちに真の実力が身に付いてきている事に最近気付いた。もし早い時期から彼らが分からない事を親切にいちいち教えてくれていたら、今の自分は100%できていないだろう。
僕から日本のシーンの人達へはこれまですごく説明しながらシーンを開いてきた。これまでの道ではこれが取るべき正しい方法だったと言って全く間違いはないと思うが、同時に、このように親切に説明してしまっていた事が、シーンのみんなが自らの力で成長を遂げる事の妨げになってしまっていた部分も実はあるという考えに至りました。(ここまでは正しい。だからこそ僕の周りの人達は、本当に正しい道のりを歩んで理想的な成長をみんな続けているのだと思う)
要は、このジャンルはある程度になったらその後は、それまで分かった事を他の事にもどんどん応用していき、伝えられない事に関しては自分で察していき同時にそこに説明がなくてもある程度は自分で正しい判断が導き出せるようになる、という事を身に付けていかなければ、結局何にもならないのである。僕の場合だったら、彼らの様子を注意深く観察し、ある考え方が分かったら、今度はその反応を他の場面にもどんどん応用できる能力を付けていく。未知の領域だから時には小さな失敗(決定的なような大きな失敗は絶対に起こさないし、変だと思ってそれを未然に回避する能力は既に身に付けていたから最初からこのポジションに居れている)も犯し自分でそれを痛切に反省もしながら、でもそれを自分の判断でした事によって次のステップ・成長への貴重な経験として財産としていき、それを何度も何度も繰り返ししていくことによって、いつの間にか、答えが知らされていないような事に対しても、自分で正しい判断を下し、正しい行動を言われなくても取れるようにする。これが僕が教わってきた[a:rpia:r]の神髄であり、さらに言うと、ミニマルというものの元の考え方になると思っている。
全てを分かり易く説明しなくては自分ではやっていけない、また与えられるその説明をいつまでも求めるだけのようなキミがもしそこにあるのならば、それはもうミニマルというジャンルには全く向いていないと思われる。すぐに答えが得られる、もっと分かり易いジャンルに転向した方が今よりもっと幸せも感じられるかもしれないと思う。
なんでもそう。絵でもそう。ミニマルな絵の事を、え~これは何々でして、こういうコンセプトがここには隠されていましてですねー、などといった説明は、いやこっちでそれを見つけるのがこのジャンルの醍醐味の一つでもあるから、むしろもう言わないでくれていいよ、という人になっていきたい。少なくとも俺自身はこの夏前ぐらいから、メチャクチャそのモードに入っている。
ここまで、RPRのパーティーの時とか、その意味をくどいほど説明してきた。でもそろそろもうそれを止めにしていこうよ、というのが、俺の考え、そして方針だった。特にこの11/16のRhadooのパーティーにおいて。。
それはまず、パーティーの告知のやり方に端的に表れる事となる。今までは、過剰過ぎてはいけないが、その手前でのそれでもこれでもかというほど丁寧にそして親切に情報もみんなに伝えてきた。Rhadooがいかにすごい人で、今回はみんな本当にキラーパーティーで何を置いても来なきゃいけない回だよ、と。去年の2月の時がまだそうだった。結果、人は集まった。650人入った。でも、ハッキリ言って明らかに客層は落ちた。その頃くらいから、この方針の転換の必要性を感じ始めていた。
今回もRhadoo。もう告知をむしろあまりしないでパーティーに望んでいきたいと考えるようになった。Rhadooが2/16に登場するなんて事は、もういくら俺が言わなくたって、そういった音が好きなパーティーに出てる人達は確実に知っている事。もしそれを知らなかったんだったら、もう現役を辞めた方がいい。その人達に向け、今回Rhadooですごいんで是非来て下さい!なんていちいち言う時期はとっくに過ぎていなければいけない。でないと逆に日本が心配になってしまうよ。Rhadooが回すと分かった上で来ない人は、もう今後はほっとこう、という方針に今回シフトした。本当に好きだったら、俺が何も言わなくたってフライヤーの1枚も手渡さなくたって、自分から来る。俺がそうなように。その一方で、大好きなはずだけど、情報の届かない僻地の人や普段あまりにもクラブシーンから離れちゃってて出演情報が多分耳に入ってないだろうっていうような人に対しては極力直接メールした。
RPRの時で言うと、第1回のRPRに遊びに来てあれだけ最高級の体験だったのを自分でも現実感じたにも関わらず、第2回、3回の時には、「前に行った事がもう経験としてあるから」とか、「この前行ってるから今回はいいかな」といった、本当に好きな僕らからすると全く異惑星の理由が一番で来る事をしなくしていた人達のように(いや~この音やRhadooがそこまで超好きってほどではないんで、、という人は全くこれには当たりません。そういう方は何の問題もない。)、「Rhadoo超好きなんですよ~俺!」とたまに会う度なぜかアピールしてくるクラブもパーティーも大好きの人でありながら、俺だけでももう7回やってきているそのRhadooの、しかもこのアジアの僻地日本では1年に一度しか実体験できない貴重な機会を、聞くと別段重要な理由もないのにこれまで結局1回しか来た事がないと言う。。それでいてそういう人は、それでも俺の顔を見る度に、なぜか「俺Rhadooの事がとにかくホント好きなんですよー、昔からすごく聞いてて、ホントいいですよねー、これは行きますね~!」などとアピールしてくる。そんなふうに言われる機会がここ何年もすごく多いのにも正直嫌気が徐々に差してきていた。こっちからすると、その手の人に自分がミニマルみたいなの20年聞いてると言われようが、実のところその本質はファッションでしょ?(それだけではないと言うのも分かってはいるが)としか残念ながら思えないようなそういったチャラい人をもうこちらからそれでもあえて呼び込んでいく、という事は今回からスッパリ止めよう、と決めました。何人集まったとかはここまでいいシーンを作り上げた今となってはもうあまり重要ではない。これで人が全然入らないようだったら、それはそれで理想を追うのにはムリがあり言葉にも説得力が伴わなくなるけど、Beat In Meは既にもうここまできていた。今回のRhadooでこそ、その方式を始める最善のタイミングでした。
9/20の情報解禁で最初に告知し、次にはその10日後に完成したフライヤーを掲載してから後というものは、帰国後の10/23をはるかに超え、以後パーティー2週間前の11/6になるまでの間、この僕がパーティーの告知を一度もしなかったのには、そういった訳がありました。ミニマルというジャンルの特性上、「もうこっちから情報を揃えてお知らせを常にしなくても、自分で来たいものは情報も含めてdigしていこうよ、そろそろ。なにせ今回Rhadooなんだから」という気持ちでいました。ちょっと急に極端にし過ぎたかなと後で反省した部分はありましたが、でも僕が考えたのはとにかくそういう事だったのです。
でも、そもそも9月以降の僕のFBを見てもらえれば分かると思いますが、そもそも自分個人の投稿にしても、その方向はどんどんまさにミニマルな方向に向いて行きました。写真にしてもコメントにしても、それを見た全員に分かる事を全くもう目的としていなくなってきていたのが分かると思います。むしろ意味の分かる人だけが分かればいい。9/30の写真だったり、さらには10/22の写真なんてその最たるものだと思います。あれはメチャメチャ限られた人数しか巻かれていなかったメインブースへのリストバンドでしたが、あの写真に込められたその背景が分かるのは、fabricのパーティーが終わった後また戻った彼らの部屋でのアフターで、その中でも最後まで残ってた5人ぐらいだけです。その4, 5人へのメッセージとしてあそこにあの写真を載せまています。そこに、他の人への説明はもう全く不必要だし、今はこう書いてるけど、そこに「fabric 20th anniversary」と書かれたカ所のリストバンドのpicを選んでみんなにそれをしっかり伝える、なんて事も、自分にはむしろもう必要ないし、今はもうあまりやりたくもないのが本音だ。
5行上の、この投稿写真に関しての「むしろ意味の分かる人だけが分かればいい」。
これって自分の中では、自分のやってるルーマニアみたなアンダーグラウンドな音楽・ジャンルの事は、上の「むしろ意味の分かる人だけが分かればいい」の方向性と完全にシンクロするのを感じていました。
ここに来るまで、Beat In Meは、特に『RPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOM』をやる時は、決して必要以上にならないように最新の注意は払いつつも、まだその本当の魅力が伝わり切れていない人達に対しても、丁寧な説明と共に常にその門戸を開き長年やってきました。今回のRhadooでは、その扉をこれまでよりも少し狭めて置いておこうと決めました。例え狭めていこうと、自分で入りたい人は必ず入ってくる。ほっといたってホントに好きだって言うそういう人達とだけ今回はパーティーしたいな、と思っていました。
ーー 8) 10月帰国後の体調不良 ーー
それと平行して、10/23に帰国してから、初めて体調も崩してしまいました。この何年もの間、ちょっとずっと追い込み過ぎるのが続いてさすがに体にも負担がかかってたみたいですね。具合ずっとホントに悪かった。分かり易く言うとジェットラグというものの10倍どこの騒ぎじゃなく悪質な症状と言うか。。11/16のBIM, その後の11/22のDOMMUNEの辺りではもうだいぶ落ち着いていたけど。体の強い自分としては初めての経験だったので、だいぶ苦しみましたね。月が変わって今月に入ったぐらいからようやく体力も戻ってきて、以後はプールトレもガンガンできるようになってきました。まだ完璧じゃないけど、今はほぼもう大丈夫です。ご心配かけた近い方々、ありがとうございました。世の中色んな事があるんだねw
では、こういった流れを含めて、ここから先はOn Timeの僕のFBの投稿でお読み下さい。それぞれかなりしっかり考え伝えているので、メチャメチャ長いのとかもあるけど、時間取って頂きどうぞよくお読み下さい。ここにだいぶ核心の事が書いてありますので。
ではどうぞ。
ーー 9) Beat In Me feat. Rhadoo ーー
________________________________________
ー 11/6 FB ー
あと10日に迫りました。この夏そして秋の長いヨーロッパから帰って以来、僕の体がなかなか日本の気候やシステムなどと言った事にfitし切れず苦しんでいる間、沢山の人達が代わりに動いてくれているのを知っています。
僕の方も昨日ぐらいからだいぶ体が慣れて来たように感じています。あともうひと息でピントが合いそうです。もう少しだけお待ち下さい。
サポートしてくれるみんなに、今、心から感謝しています。
ありがとう
Saturday, 16 November 2019
Beat In Me feat. Rhadoo @Contact Tokyo - JAPAN -
________________________________________
この10月から今までずっと、大きなプロジェクトの発表がたくさん詰まっていました。今回はそれらを全て効果的に連結させる事を最初から考えていて、全てが頭に描いた通りになりました。後でまた分かり易く書きますが、この10月から来年2月までのラッシュはヤバい。それぞれが相乗効果を生み出し、そして完璧な進行となりました。
まずこの前の投稿の1日前には、年末のベトナム・フーコックでのepizode festivalの発表が行われました。
そしてその翌週には、このepizodeへのDJとしての出演にとどまらず、なんとこのBeat In Meが一晩stageを担当する、というキラーな発表が!
________________________________________
ー 11/5 Twitter ー
年末~年明けのepizodeのFINAL LINE UPの発表です。今年はようやく呼んでもらえましたねw 2ヶ月内緒は長かった))
________________________________________
ー 11/11 FB ー
"Beat In Me" will be in charge of EGG STAGE on 5th January
thank you Epizode for having us lookin' forward to seeing you soon
年末年始にベトナム・フーコック島で行われる Epizode⁴ ■ Phu Quoc island, Vietnamで、Beat In MeがEGG STAGEを一晩担当します。
このEpizodeは毎年RhadooはもちろんVladaも出演していますが、彼女はこのEpizodeのレジデントでもあります。今週土曜日Contact Tokyoで行われる Beat In Me feat. Rhadooは、メインフロアーでRhadoo、Lounge FloorでこのVladaというダブルゲストを迎える特別開催となります。ご注意下さい。
________________________________________
各出演者の人達とのコミュニケーションは完璧でした。自分が今回どんなパーティーをやりたいのかを十二分に伝え理解してもらい、そこにある思いもすごくしっかりと伝わっていました。特にLoungeのOpeningをお願いしたShibataクンには、その最初のオファーの時から、一晩のパーティー全体の中で、僕がこのLoungeのOpeningというものをいかに重要に考えているかを充分時間をかけて説明し、Shibataクンも100%理解してくれ、その上で今回のBeat In Meのためのexclusive setも提供して頂きました。Shibataクン、本当にありがとう。
DJ SHIBATA Studio Mix 201911
11/14にはTechniqueでVladaのインストアライブもありました。
こちらにアーカイブが残っています。
https://www.youtube.com/channel/UCwWPmI6jGvzC6CdZLp_duow
________________________________________
ー 11/15 FB ー
Beat In Me feat. Rhadoo
みんな いよいよ明日になりました
今回のBeat In Meに向けて ここまで僕がパーティーに関するsnsの投稿を極端に控えめにしてきていたり あるいは10/23の2ヶ月ぶりの帰国以後 自分のパーティー前だと言うのにこの僕がクラブ/パーティーというものに今日まで事実上1回しか出ていなかったり 必然この国で一番と言えるぐらいパーティー前に常に手撒きしているフライヤーを 今回は今日に至るまで自分の手からはほぼ撒いていないという事実
全て意図を持ってやっています
人が多い事とベストであるという事は 常にイコールというわけではない
僕達は 全てにおいて次のレベルを目指さなくてはいけない
今回 これまでのBeat In Meの歴史の中でも 最大レベルに情熱を傾けて取り組んでいます
今までで一番濃いパーティーにしましょう
今回のパーティー 大枠のDJの順番とかは決まってるけど それ以外の筋書きは何もありません
一体どんな夜になるのか ここまで自分でも全く予想が付かないパーティーは 正直おそらく今回が初めて
今日に至るまで 毎日ワクワクが止まらなかったよ
幾つかの決定はしてる事の 一つだけ 前日の今 言っておきます
明日のパーティー LoungeはDJ SHIBATAが そしてメインフロアーは
RHADOOがオープンを務めます
明日は各自存分に楽しもう
今から言っておくと 昨年2月はかなり遅くまでやったけど 今回は同会場で日曜の早い時間に行われる Modular Festivalとの兼ね合いで 明日はあんまり遅くまではできないから だからできればみんなには早くから来てもらいたいと思ってる だけどそれとは関係なく ここ日本では明日が初めての日となる Rhadoo単独での パーティーをゼロからスタートさせるその1音目から 今年3/30のRPRと同様 コアなファンのみんなには 自分で体験して欲しい
明日土曜日 フロアーで会おう
https://www.facebook.com/events/474717943082247/
________________________________________
ー 11/15 Twitter ー
今日はまた新しい歴史作る日だからなー
俺がもう細かいとこまでは口にして言わなくても勝手に分かるぐらいまではみんなが成長してると思ってるから今回たいして焦らずにプロモーション抜きを実践してきたんだからなー みんなそのつもりで来てくれよー 過去最高のフロアーをオープンから作ってくれよな
________________________________________
そしていよいよ当日。パーティーの様子はこの後のFBの投稿で。
今回のRhadooは、日本で初めてと言う事を幾つかやった、実に意義のある来日だった。その一つはFBでも書いたその彼のオープニング。国内では初めて。正直もっと多くの人に体験して欲しかったな。
それと、[a:rpia:r]初のアフターでのプレイ。数年前のDreamrec VJの初来日(Beat In Me feat. Rhadoo with Dreamrec VJ)など、Rhadooは我々に常に新しい事を見せていこうとしてくれる。
________________________________________
ー 11/16 Twitter ー
この後 この国で初めて
Rhadooが回すアフターです
この情報をどうかこれを見つけてくれたあなただけに留めて 拡散しないで下さい
本当に日常から Rhadooと Beat In Me を サポートしてくれてきてる人達と
この時間を過ごしたいと 思って
セッティングしました
もう6時からPI-GEが開いてます
________________________________________
ー 11/18 FB ー
『Beat In Me feat. Rhadoo』
Saturday, 16 November 2019
https://www.facebook.com/events/474717943082247/
MOVIE : main floor opening by Rhadoo
土曜日の『Beat In Me feat. Rhadoo』にお越し頂いたみなさん、心からの感謝の気持ちをお伝え致します。ありがとうございました。
これはあくまでいつもに比べるとという意味でですが、この日は、さほど人も多くなく、事前からの狙いに近いパーティーになりました。Contactのセキュリティーの人も、今日は客層ものすごくいい、と言ってくれてましたね。
去年2月のRhadooは、僕のバースデー開催でもあったために、総集客数650人以上も "入ってしまって" ました。僕が今やっているこのdeepで渋い音のパーティーで、その数の客数は正直僕としては望んでいるものではありません(rpr3人でなくsoloの場合)。 僕の目からだけでなく、実際問題として去年2月の客層はperfectではなかった。事実、普段のBeat In Meでは起こり得なかったような問題も起きてた。この650人全員がright personだったならもちろん話しは違いますが、去年2月のRhadooの時には、この日のDJが有名である、或いは人気のパーティーである、という要素のみに引きつけられ、それだけならまだ別にいいのですが、ナンパしにだけ来ている、というような、普段から僕がこのコアでdeepであるべきパーティーに望んでいる種類とは異質な人が残念ながら数多くパーティー中にも見受けられました。
(僕はナンパはわざわざクラブに来てやらないで、するならどこででもすればいいと思うのですがw) 素晴らしいパーティーだったねと会う人ほぼみんなに言われ、店のオーナーからもその日のパーティーについては大絶賛して頂きましたが、僕の中では、これは危険な兆候でもあるなあと思っていました。
自分が手掛けている事が、自分自身の手でコントロール・掌握できる範囲で人も増えある程度流行る事については、別段なんのためらいもないし問題もない。しかし、どんなジャンルの事であれ、「今やってるその事の内容と雰囲気の ある最低ラインまでの理解をも伴わないお客さんの数が増えていく事」などによる、「主催者から見て理想とする方向の理解や意識の共有が違い過ぎている人の割合を多く含んでしまったままでの、そのおかげにもよるシーン・パーティーの、必要速度以上での右肩上がり」は、もしその喜ばざるベクトルの要素があるパーセンテージ以上混じった状態が以後の一定期間においても継続され、仮に一度完全にその状態が固定されてきてしまったように感じる場合、そこからそれを元のよい状態 (適切な人数と同じ意識の人達とで保ち構築してきたそれ以前までの居心地の良い理想的な状態)に戻す事が、現実としてもうほぼできなくなってしまうというのがこの世の仕組み。この事は、90年代に僕自身が日本のダンサーシーンを友人達と作り上げていった際に、この身をもって嫌と言うほど経験してきた事。この身に沁みて分かっています。
この今やってるルーマニアンミニマルみたいな渋い内容の事にとっては、これはより決定的な致命傷であり、パーティーの客層や雰囲気がその状態になってしまっては、もうそれ以後このシーンのこのパーティーを続ける事、つまり、この心から愛してそれこそ一からここまで育ててきた "Beat In Me" をそれ以後も続ける事それ自体が、僕にとっては正直もう意味のない事になってしまいます。むしろそんな状態になってしまったBIMであれば、一刻も早く世の中から消してあげたい。もしそうなってしまったら、間違いなく僕はもうBIMをやめるでしょう。そして今後の方法としては、全く新しい名前の別のパーティーをまた立ち上げて、僕含めた本来の意味での本当のフォロワーと理解者だけでまた一から始める以外の選択肢はないのです。でももし仮にそうなった場合、僕自身はそれはもうできないししないでしょう。自分自身のために今後の人生に残されている時間のほぼ全てを費やさなくてはいけないような事柄が、一つでなく目の前に山積している今の現状を冷静に考えた場合、今この国のために新しいものを一から始めるのはもう現実的に無理だと思います。なので、そうならないように、このBeat In Meの隆盛については、去年の2月以来ずっと考えていた部分がありました。事実です。
それもあって、この僕にとってもこれをするのは大変な勇気と決断が必要でしたが、でも同じRhadoo単独の今回のこのタイミングでそうする事が、全ての側面を総合的に考えた時ベストであるという思いから、今回初めて、「極限まで事前のパーティーのプロモーションを削ってみる」、 「 僕からの告知を極力しないでみる」という事を実行してみました。
土曜日当日来てくれたお客さん、正直事前の自分の予想よりは若干少ないかなあとも思いましたが、まああれが今の東京の本当のアンダーグラウンドシーンの現時点の真の実力だと思うのが正しい見方なのかなと思います。
内容的に言うと、これはメインフロアーについてなのですが、特にオープンの瞬間に関して、この僕自身が納得できる状況を作れるまで決してドアを開けないでくれ、一人もお客さんを入れないように、と店側に対し強くその場で言わせて頂きました。
まずLoungeを予定通り23:00に、その音に関して全面的に信頼を預けたDJ SHIBATAの音と共にオープンさせる、というのは前日に決めていた既定路線でした。過去3回のLIQUIDROOMでのRPR SOUNDSYSTEMの時と同様、まずお客さんにLoungeに入ってもらい個々のムードも整えそしてメインフロアーに入る準備を整えてもらってから初めて、見せたいモノの準備の整った満を持したタイミングでこちらがメインのドアを開ける。そのオープンの瞬間というものの価値を理解した上で(理解してくれているからこそ)頭から駆け付けてきてくれている既にそこに居る皆さんに、このRhadooの1音目から聞いてもらいたい、と考えたからです。"1曲目" だけでなく、僕のこだわりからするとこのまさに"1音目" という事になりますがww (“オープンの瞬間の価値” と言うよりは、それももちろんありますがそれよりも、”Rhadooがオープンからかける音楽を” ですね、本当に感じてもらいたかったのは。それと、その音と一体化したその場の空気感・オーラ、そして世界観をです)
この日Rhadooがオープンから回すというこの特別な情報は前もって前日にお伝えしましたが、LIQUIDROOMのRPR3人での時以外では、今回のRhadooだけでなく、Pedroにしても、この彼らの手による "オープニング" という儀式(プレイだけに留まらないと、彼らとのこれまでの経験を通じて僕は認識しているので)を、この日本国内でやってみせてくれた事はこれまで一度もありませんでした。
この僕自身の事を言うと、Ibiza UGやRJら何やら何やら(日本ではLIQUIDROOMの3回等)を合わせると、これまで7~80回は彼がパーティーを "オープン" させる姿(音)を見てきています。なので、それでも自分自身完璧にはまだ遠い自覚はあるけれど、ある程度のライン以上では[a:rpia:r]の事が理解できている状態は既にできている。(これがオープニングに限らず単に[a:rpia:r]3人の誰かしらののgigと言う話しになった場合、少なくとも年間で30以上は間違いなく行ってるので、これまで4~500gigは見てると思いますが)
Rhadooのソロでプレイした時のオープンのプレイ・音楽 (曲調・音量・ムード、全て)が、一体どんなものなのかまだ見た事がないという人達に、とにかくまず一度体験してもらう、というのがこの日のパーティーの大きな目的の一つでした。ここも通ってもらわないと、[a:rpia:r]の信条といったものが理解できるわけがないと、自分の経験でこれは言い切れるから。
だけど残念な事に、土曜日早くから来てくれそれを頭の方から実体験してくれた人の数は、見ていてもそれほど多くなかった。それには正直、少し残念に思って見ていました。実はそういった事も、この投稿の終わりの方で僕が書いている事へと繋がっている一つの要因でも正直あると、お伝えしておきます。
ともあれ、そのため、Rhadooが回すメインフロアーのオープンは、僕と店との間でのオフィシャルタイムとして23:10と、前日から設定していました。
Rhadooはと言うと、22:40から音を出し始め同時にサウンドチェックを行い、22:55の時点では「俺の方はドアを開けようが(お客さんへのオープンという意味で)別に何一つ変える事なく、今もう始まっているから。分かるよね?」「うん、当たり前じゃん」と、これまで幾度となく体験してきているそのオープン時の[a:rpia:r]のいつも通りのスタンスで、彼自身は既にオープン前からプレイしていました。
言わずもがな音はいつも通りもう万全でした。
しかしこの時、残念な事に店内の他の幾つかの要素が、彼のその雰囲気に伴った準備がまだ整っていないという事実に、その場で気付き愕然としました。
これではここまで考えてきてRhadooにも協力してもらっている今のこの事が、何の意味も持たなくなる。。目の前の言わばこの片手落ちの状態を人に見せるのであれば、こんな事、逆に何もしないでいた方がむしろいい。。
そこから、まず最初に、Rhadooがその時かけているその音とは、僕の感性で見てどう見ても一致していると思えなかった目の前の照明を、自分のリクエストを全て聞いてもらい15分ほどかけた末ようやくある程度納得できる範囲の地点までにし、
また或いは「メインフロアーをオープンしましょう」と僕が一言口にするまでは(これがこの日のメインフロアーのオープンの唯一の合図)、メインフロアーに入るそのドアの外をどういう状態で保っておいてもらうのが今日の場合は正しいのか、またオープンとなりそのドアを開ける際、そのドアオープンのセクションの責任者及び担当者の人が、どのような実際の行動をもってそれを行ってくれるのか。「メインフロアー、オープンしましたのでどうぞ~(笑顔)」とみなに分かるように大きな声を出して知らせるのか(何も指示が出なかった場合、今の日本の多くのクラブではおそらく普通にこうなるのではと感じていますが / そして、ケースによってはこれが何もおかしくない事はいくらでもあり、ただ今回のケースにはふさわしくないのだと言っている)、実際に土曜日僕がこうしてくれと指示を出しそうしてもらったように(自分の体はひとつであり、その瞬間は最もプライオリティーの高いDJブース付近に居たため、自分の目では現実を確認していませんが) "ただドアを開けるだけでオープンした事すら何一つインフォメーションしないでいい" なのか。この小さな一つのイメージ共有のし損ないだけでも、こう言ったパーティーではその他のこだわりを無に帰すぐらいの命取りになりかねない。
頭から来てくれた人達の中でもまた、「オープンの瞬間を見逃してはいけない、そのために今来たんだから」と神経を張っている人にはその小さな変化が起きた瞬間にもその場で気付いてもらいど頭から入ってもらって、Loungeで踊っていたりなどでメインフロアーのドアが開いた事に残念ながら気付かなかった人は、最初の瞬間は残念ながら逃すとしても、各自の気付いたタイミングで入ってもらって。
メインフロアーOpenします、とinformationしない事で、個々での差異は生じてしまうものの、これがあの日のトータルコンセプト・雰囲気・そして[a:rpia:r]の、唯一にしてその考え方に最もふさわしい選択肢でした。しかしこの僕ですら、この事がようやく本当の深い意味で分かってきているのは、今回の彼の滞在中での事です。
僕がその場でお店に出させてもらったこういった小さい一つ一つの指示。(僕のこうあらなければいけないので!といった意思/考え方を 理解/賛同してくれ、それらに対し真摯に対応してくれた各セクションの人達には本当に感謝しています)
こういった一つ一つの事は一見とても小さい事のように思えるかもしれないけれど、もしそう感じたなら、申し訳ないけれどそれはそう思うあなた自身のレベルがその程度だから。
小さい事の一つ一つが何よりも最も大切で重要。その小さい一つ一つの事全てが集約したものが、一つの大きな結果となるのである。10代半ばで物心ついてからというもの、僕はそう考えて生きてきている。
Petre Inspirescuといつも話している事の一つが、互いのポリシー・考え方の共通の一つであるまさにこの事です。僕達はこう考えながら仕事しています。いや、仕事云々の以前に毎日生きています。
オープン直後の特にあの1時間は、あくまで自分の見方ですが、正直なところ日本のクラブシーンの過去10年の歩みの進化度に匹敵するものだと、その時その現場のど真ん中に居て感じていました。
何しろ2012年に僕がclubberiaの自分のページで、それは国際的レベルでのあまりにも当たり前過ぎる共通NG事項である、と明確に声をあげるまでは、この東京のアンダーグラウンドトップパーティー、クラブでさえそのフロアー内で、クラブにたまたま来てみたんですというツアーリストでないのにも関わらず、あまりに多数の人が平気でフラッシュを焚きまくりで写真撮影をしていたぐらいですから。事実。
しかしながら、おそらく例えば僕がいつも感嘆しているRobert Johnsonだったりそういう部分ではすごくちゃんとしているIbizaの数店舗だったり先月行ったfabricだったりといった世界のトップ基準の場所は、当たり前の事だろうけど僕らがあの日作ってたあれの何倍にも、いい絵や雰囲気を作れてる。プロフェッショナルに。当たり前の事。(オープン時からしばらくの時間の事を言っています)
だけど同時に、土曜日のあれは、海外の 僕から見ても非常に優秀と思い尊敬の念を持って見ている仲間のオーガナイザー連中に見せても、ある程度には、そんな悪くない感じにはなっていたのではとも感じています。
でもメインフロアーに関するあれが、Rhadoo自身の出す音と彼自身も充分満足していた音響以外の部分では、残念ながら日本のアンダーグラウンドクラブのトップクオリティーでもなんでもなく、同時に、このアジアの中でも地域的にヨーロッパからは最も離れた一番右端に位置するこの日本の、いい面でも悪い面でも悪い面でも全ての事に関する田舎の大都市的な "独自の解釈" 上でのクオリティーでなく 当たり前過ぎる事だけどあくまで世界の基準というもので考えた場合、あの日のあれが例えそれを多少はクリアーはできていたとしても、その中でのしかし下限いっぱいでのクオリティーである(設備的な事ではなく、考え方や視野、着想) と思って今後日本のクラブシーンを見つめるようにして下さい。全ての見方が変わると思いますから。そして、その視線・基準で見られる/考えられる人の数が増えていかない限り、残念且つ悲しい事ですが、日本のクラブシーンは、今既にとっくにそうなってきているように、この先更に確実に終わっていくでしょう。これは、本当のアンダーグラウンドカルチャーとしての終わりという意味で。
今の「日本のアンダーグラウンドクラブシーン」(それ以外のシーンの現状を僕は知りませんのでこういう言い方をしています。また、テクノだろうがどういったジャンルだろうが、それがアンダーグラウンドシーンであると僕が感じていないものに対しては、同様に意見の対象とは思っていないのでご注意を) の現場の最先端・もしくは最高ポジション・さらに思い切り範囲を広げて、この産業・カルチャーに関わっている全ての人達の中で、この世界のトップ基準というものを日常的に体感していて(物理的に毎日、という意味ではない)、今なおその本質的な事を本当の意味で理解できている人間は、僕の知る限り・見渡す限りでは、海外在住組を含めて、その人材はこの国にはほぼ皆無と思っています(単に技術的に、という意味においてはわりと数多くいるかもしれません)。ヨーロッパに居る(日本に住む外人さんは別物ですから)外国人の中で自分から見たトップレベルの人達と比べた場合、ある部分は自分は海外でのそこでの経験が現時点ではまだ少なくまたスキームが足りていないために (そのせいばかりではもちろんないですが) 現時点ではまだ劣っているものの、そうでない部分ではむしろ現時点であっても自分の方がまさっていると思うしまた正直当然そうでないと困ると思っているこの僕自身も含めて。
今回10月にヨーロッパから帰って来てからというもの、それまでの何倍も大きく実感している事は、日本のクラブシーンの全ての面における恐ろしいまでの劣化です。正直なところ、10年20年ではなくわずか3年ほど前と比べても、今の状態(クラブシーンに関わる全てのセクションの個々の能力及び意識そして実際のその働きぶり) は本当にビックリするほど酷くなってしまったなと、10/23に帰国して以来、様々な接触を通してそのほぼ全てに対して実感している、これが事実です。
何はともあれ、あれを体験しに来て頂いた方々には、本当にありがとうございましたとお伝えしたい。今後もみなさんのような方のために、正しく且つ、この国でそしてその時点での自分の実力で出来うる限り高いクオリティーのものを発信し発表し続けていきたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
最後に、事前になるべくこういった思いをより正確に伝えられるように努力はしましたが果たしてどこまで伝える事ができていたかは分かりませんが、今回のこの僕の意図を理解また賛同してくれ、同じ思いでこの日のパーティーに参加・且つactしてくれた出演者のみんな - DJ SHIBATA,YASU,Tommy, Vlada, そして Rhadoo。本当にありがとうございました。
機会があったらまたやりましょう。その時はお互いさらに高いレベルで会いましょう!
今回、やりたいようにやらせて頂いた会場のContact Tokyoさんには、心から感謝しております。ご理解ありがとうございました。
Beat In Meの今回のパーティーはこれで終わります。いつもやっているパーティー・レポートも今回はおそらく出さないのではと今の時点では考えています。← と思っていましたが、後になって考えれば考えるほど、今回のこれはしっかりと僕の考える事、思った事を正確に且つ明確に示す必要があると、修正を加えている今は強く思います。
発信するその内容にももちろんよりますし、また今やっている事に関しては開始当初からわりとそのスタンスに近いイメージではずっとやってきていると思っていますが、今後は、この自分のdeepな本質的な部分からの発信や考えに関しては、それをより多くの広範囲の人達にまで伝えよう/届けようというやり方/方向性は、今回だけをきっかけとしてというわけではないですが、しかし、これまでよりも、もう幾分セーブしてやっていこうかなと思っています。
僕が発信する事を、心底から理解したいと思う人だけが分かってくれればいい、というような気分に 今回の帰国以後 すごくなっています。
と言うより、このFBでも夏以降の投稿の様子でも分かると思いますが、9月明けぐらいからもうそうなってきています。それが特に、ここ最近の僕自身が本当に欲しい そして居心地がよりいいと感じられる よりコアな部分の集まりに繋がると思うので。
なので、今はまだ分かりませんが、2012年以来clubberiaで連載を持たせてもらってきている『Ibiza Through RAHA’s Eyes』も今後今の形で果たして続けていけるかどうかも、帰国以来最近ずっと考えている事の一つです。こちらに関しては、中途半端な事にならないように、よく考えをまとめた上でお知らせさせて頂ければと思っています。
最後に、今回このパーティーに遊びに来てくれたみなさん、また心は同じでもたまたま今回はどうしても来れなかったんだよ、という多くのみなさん、いつもサポートしてくれる暖かい友人達、いつも本当にありがとう。
また次の機会に会いましょう
________________________________________
ーー 10) “SUPER DOMMUNE" PRE OPENING STREAMING / RHADOO ーー
今回のRhadooはこれで終わりではなかった。ここまで完璧に伏せていたTop Secret。11/22、復活するDOMMUNEのそのOpeningをRhadooで!という話しをまとめました。これは意義深い仕事だった。僕の中では国内にと言うよりも、海外に向けてやる事やって見せたという意識。
________________________________________
ー 11/19 FB ー
~ Chapter II ~
DOMMUNE is back as "SUPER DOMMUNE"
with Rhadoo
~旅は第2章へ~
これが 7月以降昨日の最初の発表まで 宇川くん, 僕, Rhadooとの間で極秘で進めてきた この初日のプロジェクト
今週金曜日 復活するDOMMUNEの その最初の配信を
Rhadooが担当します
必見!!
This is a project that have been carried out in strict secrecy from July until the first announcement yesterday between Ukawa, me and Rhadoo.
must-see! !
Friday 22 November 21:00
https://www.dommune.com/superdommune/2019/1122/
________________________________________
ー 11/22 FB ー
Friends all over the world,
DOMMUNE is back as "SUPER DOMMUNE" !!!
FRIDAY 22 November (TODAY'S DAYTIME in EUROPE)
"SUPER DOMMUNE"
PRE - OPENING STREAMING
DJ : RHADOO [a:rpia:r]
VJ : HEART BOMB (DOMMUNE VIDEO SYNDICATE, JP / MINIMAL VJ SET)
http://www.dommune.com/
http://www.dommune.com/superdommune/2019/1122/
START :
12:00 (London)
13:00 (Germany, Spain, Italy, France ...)
14:00 (Romania)
15:00 (Moscow, Turky)
21:00 (Japan)
07:00 (New York)
9:00 (Chile)
This is the first day of reborn "SUPER DOMMUNE".
The sound check done! Amazing new studio!! We are ready.
Rhadoo plays its opening in 13 hours. Never miss it!
PARCO 9FのSUPER DOMMUME 新スタジオにて 本日の記念すべき第1回放送に向けたRhadooによるサウンドチェックも無事終了!今夜21時から、我らの代表 Rhadoo が新生SUPER DOMMUME の第1音を世界に向け発信します!アーカイブでなく、皆さん、是非on timeで見て下さい!スクリーンで会いましょう!!(Rhadooがww)
http://www.dommune.com/
SUPER DOMMUNE PRE OPENING - sound check
________________________________________
当日。素晴らしいPre Openingになりました。Rhadooのプレイもさすが。Heart Bombの仕事もよかった。
DOMMUNE始めたくさんの方からすごくいい評価を頂けてよかった。これでずっと続いていた大きな事が、やっと一瞬だけひと落ち着きしました。
Rhadoo @ SUPER DOMMUNE, Tokyo (22.11.2019)
ーー 11) 11月~年明けのプロジェクト ーー
ここで、この11月から続いた僕が関わったプロジェクトを全て紹介致します。告知もありますので。
大きいのが続きました。Beat In Meのパーティー後、ゲストのそのRhadooと新生DOMMUNEのPRE OPENINGを担当しました。年末年始のベトナム・フーコックのepizode festivalで、DJとしての出演だけでなく、一晩Beat In Meのパーティーを開催します。そしてそのBeat In Meが遂にレーベルを始動。合わせて自分の初EPもリリースされます。来年2月のRareshの発表、同時に東京を出ると言う自分の大きな発表もありました。
開催、もしくはそれが発表された順に追っていきますね。
1) 11/5 『epizode DJ出演』発表
2) 11/11 『Beat In Me Stage @EGGS STAGE, epizode』発表
3) 11/16 『Beat In Me feat. Rhadoo @Contact』
4) 11/22 『SUPER DOMMUNE PRE - OPENING STREAMING ー DJ:RHADOO』
5) 12/20 Beat In Me レーベル始動 (ついに始めます!!)
6) 自身初のEP
2013年のスタート以来、[a:rpia:r]をはじめとした真の実力派DJを数多く東京に招いてきたパーティー 『Beat In Me』が遂にレーベルを始動。カタログ001番では、30年以上にわたり様々な形で日本のクラブシーンに貢献してきたRahaが、クリエイト面のパートナーK-Sobajimaと共に初となるEPをリリースする。
A面は高密度かつダイナミックなミニマルグルーヴが緻密なエフェクトを伴って展開する、フロアでの機能性に満ちたトラックだ。B面にはUltrastretchやNaural, Elipticからのリリースでも知られるルーマニアの気鋭Crihanがドープかつアトモスフェリックな表情を強めたリミックスを提供している。
欧州と日本を行き来しながら精力的に活動を続けるRahaが満を持して届ける本作は、既にRhadoo, Petre Inspirescu, Cezar, Dubtil, Mihighなど一線級のDJが様々なパーティーやフェスティバルでプレイしておりクオリティはお墨付き。シーンの中心を観測し続けてきた経験とセンスで磨き上げられた渾身の一枚だ。
Technique (pre-order)
https://www.technique.co.jp/item/195305,BIM001.html
7) 12/24 『Beat In Me feat. Raresh @Contact』
22 February 2020 (Sat) @Contact Tokyo
FB Event Page : https://www.facebook.com/events/804643936624131
ー Beat In Me主宰RAHAの渡欧前最後のゲストに[a:rpia:r]のRareshを招聘 ー
東京のクラブシーンを30年以上にわたり牽引し続けて来たアーティスト/オーガナイザー のRAHAが、2020年春、生まれ育った東京を離れヨーロッパに拠点を移す事となった。その彼の渡欧前最後の回となるBeat In Meが、ここContactにて開催される。
メインフロアのゲストには、ルーマニアン・シーンの最重要レーベル[a:rpia:r]のRareshを招聘。過去に、Ricardo Villalobosと共に来日した2012年新木場ageHaでの公演をはじめ、[a:rpia:r]を共催する盟友Rhadoo、Petre InspirescuとのスペシャルユニットRPR SOUNDSYSTEMとして2015/17/19年と3度にわたり来日、2017年11月にはPrasleaとのユニットPrasleshとしても来日するなど、これまで幾度も日本のクラウドを熱狂させてきたRareshだが、単独での来日公演はなんと今回が初めて。アーティストの特性上困難を極めてきたというRareshの夢の単独ジャパンツアーをお見逃しなく!
ここまで、この最後の章がこれほどまで長くなるとは思わなかった。最後だから、要点だけサラッとまとめて簡潔に締め括ろう、と思ってもいたのだけれど、やはり自分にはムリで、結局こんな長い事になってしまいました。これでもまだ言いたい事伝えたい事を全部言えたわけではないんです。文章は難しい。
夏以降の旅の簡単な様子、先日のBeat In Me ~ SUPER DOMMUNE PRE OPENINGの報告、そして一番は、日本を出る事になったその理由。とにかくこれについてを書こう、と思っていましたが、内容があまりに多くなってしまって、文章伝えたい事がちゃんと伝えられていますでしょうか?
しかしながらそろそろこの辺でこの『Ibiza Through RAHA’s Eyes』の筆を置こうと思います。
来年のいつからになるかは分かりませんが、最初に書いたように、『RAHA’s thoughts』という新しい形で皆さんにお話しする機会が持てたら嬉しいと思います。
これまで本当にありがとうございました。2012年6月からここまで何と105回。この僕にこんなページを持たせてくれたclubberiaさん、本当にありがとう。毎回の長い文章のアップ作業を続けてきてくれた佐々木クン、アツキ、本当にお疲れさまでした。最後にもう一度、これまでサポートしてきて下さった全ての読者の皆さんに心からの感謝の気持ちをお伝えして、このコラムを終わりたいと思います。
みなさん、ありがとうございました。
BLOGGERS