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Maurice Fulton

Bubble Tease Communications

Grand Master Flashに影響を受け、ターンテーブルに魅了され、その後、それ以外のものに振り向くことはなかったと言う。13歳の頃から、すでにDr Scratch名義でHIPHOP DJとして活躍しており、未だ最前線にて、常に実験的音楽を世に送り出している奇才プロデューサー、Maurice Fulton。

1984年、ボルチモアのゲイクラブ、「HATS」にて初のレジデントを担当し、ガラ-ジ・ミュージックをプレイしはじめる。数週間後には、「The Last Stop」でのレジデントを持つようになり、1986年までにはボルチモアで指折りのDJとして知られるようになっていた。その夏、HIP HOPシーンのDJ Wildstyleと、アメリカ・ツアーを行い、当時のHIPHOPシーンの暴力性を体験、ガラージの道へと傾向していったのである。その後、伝説のクラブ「Odell’s」でのレジデントを担当する傍ら、ボルチモアのレコード・ショップで働くようになる。ここで、現在のBasement Boys, Tommy, Teddy,Jayに出会うのである。幼い頃から教会でオルガンを弾き、学校でドラムを叩いていたMauriceがBasement Boysの一員としてトラック制作に関わっていくようになるのは自然なことであった。彼のキーボードとドラム・プログラミングは、Basement BoysがプロデュースしたUltra Nate や Crystal Watersの作品で聞くことができる。

1996年、NYに拠点を移し、Warp、SSR、Discfunction、Nuphonic、Transfusion、Pagan、Sahkoなどのレーベルから様々な名義で作品をリリース。実験的でアブストラクトな彼の作品は、シングルはもちろん、自身の波瀾万丈な人生をストーリー展開したアルバムまで、ヨーロッパにおいて絶大なる支持を受けた。2000年、メルボルンへ移り住み、Bubble Teaseという自身のレーベルを立ち上げ、"Fairlight Sunrise"をフィーチャーした最初のEPはフランスのNOVA ラジオで大絶賛された。現在は、イギリスのShefieldに拠点を移し、彼の妻でもあるパンクボーカリスト「MU(カナモリムツミ) 」のプロデュースを手掛け、フランスTiger Sushiレーベルよりファーストアルバムをリリース。その後も、OUT PUT よりリリースしたMUのセカンド・アルバムも世界中で注目される。エレクトロ・パンク・ファンクとでも言おうか、言葉では表現できない、エレクトロで挑発的な彼のトラックは、ハウス・ファンだけでなくテクノ、ブレイクビーツ、ジャズと、ジャンルを越えて絶大な評価を得ているのである。2005年には、Liquid recordingsより日本限定のBoof名義でのアルバムもリリース。2008年には、DFAより本人プロデュースによるバンドSyclopsによるアルバムをリリース。相変わらずの高いクオリティーとオリジナルなアレンジでより一層の幅広いファンを拡大しているのである。

DJとしては、アメリカはもちろん、ヨーロッパ、オーストラリア、日本と、各地で活躍。また、Jimi Tenorとのコラボレーションにより、彼のワールドツアーにも参加。Sonarでのパフォーマンスも高い評価を得ている。

何年もの間、彼は、ユニークなオリジナルサウンドを様々なスタイルで展開させてきた。彼の3台のターンテーブルを使った技術は、事実上、彼のガラ-ジ/ロフト/クラシックコレクションとは無比であるのだが、今のアンダーグランド・ダンスミュージック・シーンにおいては、クラウドが発狂し、フロアを魅了するモーリスワールドが完成されているのである。