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Yukihiro Fukutomi

─この『CONTACT』は通算7枚目のオリジナル・フル・アルバムで、前作『EQUALITY』からは4年ぶりの新作となりますね。この間、リミックス・アルバムなどがあったにせよ、随分と間隔が開いてのリリースですね。別名義での活動があったり、他のプロデュース・ワークもあったりと、いろいろと精力的に活動はしてきたと思うのですが。

福富:本当は1年に1枚くらいのペースで作りたいとは思うんですが、いざ福富幸宏のアルバムとしてきちんと取り組むとなると、いろいろ自分の中で整理したいこともあり、今回は間が空きましたね。でも、実際にやるぞと決めて取り掛かったのが今年の7月頃で、それからは割とスムーズに事も運んで、2ヶ月くらいでレコーディングを終えることができました。

─その別名義のユニットでは、ここでは仮に『F』と呼ばさせてもらいますが、アルバムを07年、08年と立て続けに2枚出してきて、そうした活動が福富幸宏としてのアルバムを作る上でのいい意味で気分転換になったというか、モチベーションをアップさせるのに繋がっているのではないかと思いますが。

福富:福富幸宏というアーティストを客観的に見ると、いろいろな音楽性があるが故に一般的には何をやっている人なのかわかりづらいということはあると思います。一方でFというのは僕の中にある音楽性の一部、テック・ハウスに特化した形のもので、そうした点ではわかりやすさはあるんじゃないですか。そこである程度自分の中にあるものは出しつくせたと思う一方、やっぱりそこだけではフォローできない自分の中の多様性を表現したいという欲求が高まってくるんですよ。僕の作る音楽にしろ、僕が好きな音楽にしろ、それは中心にはないものだと思っています。例えば、僕はハウスのメインストリームにいたことはないですし、かといってニュー・ジャズのアーティストかというと、そうとも言い切れない。オルナタティヴって言葉は、今はいろいろな捉え方がされるんでしょうけど、言ってみれば自分のやっている音楽はオルタナティヴ・ダンス・ミュージックだと思ってます。例を上げるとアメリカ人じゃなくてイギリスの白人がやるソウル・ミュージックだったり、逆にアメリカの黒人がやるヘヴィ・メタたっだり、そういう位置付けのものかな・・・。

─そうした主流とは違うテイストやアクセントは、初期から意識してきたものなんですか?

福富:そうですね、と言うかそういう風にしかならないですね。ミュージシャンであれば、本家本元のように演奏したいという欲求があっても、なかなかそのようには演奏ができないというジレンマがある。でも、高い演奏技術と本家本元にはない個性があれば、海外に出て行って活躍することもできる。その個性が主流に対するいい刺激となり、そこからまた新しい流れが生まれるわけですよ。

─福富幸宏の個性とは、常に主流から一歩身を引き、その流れを取り入れながらも、別の流れや要素も感じさせる音作りをしていることにあるわけですね。福富さんの出発点はハウス発生時のシカゴ・ハウスとかにあったりすると思うのですが、そうしたシカゴ・ハウスに忠実な作品を作ろうと思えば、恐らくそれはできなくもない。でも、それをやってしまうと単なる物真似でしかない。そこで、先ほど話に出てきたオルタナティヴな要素を入れることにより、シカゴ・ハウスを消化した上でのオリジナルな作品となるわけです。ブロークンビーツにしてもそうだと思いますが、ウェスト・ロンドンのそれをそのままやっても意味がない。

福富:そうですね、影響は受けても、それの真似をしたいわけじゃない。多分そっくりに作ろうと思ったこと自体がないんでしょうね。それをやった方がウケるのかもしれないんですけど・・・。

─う~ん、それはどうなんでしょうね・・・。まあ、福富さんはウケとか、そうしたことは考えてはいませんよね?

福富:株式用語で「逆張り」というのがあって、あれは今調子のいいところと反対のものを押すということではなく、動きが少なくて安定しているところに張り続けるという意味合いなんですよ。それって、本来の株式のあり方なんですよ。会社の本当の力を正しく評価するという。その逆が「順張り」で、今流行ってるものに自分も乗っちゃえと。でも、僕はそういった買い方はできない。音楽も一緒で、自分がこれがいいと思ったら、そこをずっとプッシュしていく。そうした意味合いで、今回のアルバムを作るポイントとして、「逆張り」という言葉を使っています。それからもう2つあって、「ジャズ押し」と「黒押し」。「テック押し」と「サウンド押し」はFでやってるし、もう1つの別名義、まあEと言っときますが、ここでは「ハウス押し」と「歌押し」をやってる。そこでできてないことがこの2つなんですね。ジャズに関しては、実はビッグ・バンドもののプロデュースの話があったんですけど、流れてしまって・・・。イザベル・アンテナのアルバム・プロデュースでもジャズっぽい傾向があったので、そうしたことが積み重なって今回のアルバムではジャズっていうことが頭にありましたね。 ─アルバム・タイトルの『Contact』という言葉には、どういった意味があるのですか?

福富:一般的にコンタクトには連絡を取るとか、繋がりを持つという意味があるんですけど、電気用語で言うと接点という意味があって、ジョイントと同じ意味合いですね。何かと何かを繋ぐ接点、例えば音楽でもDJをやっているとハウスからブギーに行ったり、ブギーからテックに行ったり、ブロークンビーツからジャズに行ったりと、いろいろあると思うんですが、そうした間にある接点の役割を果たすもの、それが今回のアルバムであるというコンセプトです。色んなところと繋がって、色んなところに行ける。だから、何かと何かの間に入って、そこから広がりが生まれる、そうした曲作りを意識しましたね。

─福富さんの過去のアルバム『On A Trip』にしろ、『Timeless』にしろ、『Equality』にしろ、そうした要素、制作姿勢はずっとありましたね。

福富:そうですね、今回はそれを明言して打ち出してます。

─さきほど、福富さんはハウスのメインストリームにはいない、またニュー・ジャズのアーティストでもないということを言われてました。それはクロスオーヴァーっていうことになるのですが、ただ最近はこのクロスオーヴァーって言葉もあまりに簡単に使われてしまっていて、何でもかんでもクロスオーヴァーという状況です。僕はそういったことに違和感を覚えていて、だから安易にクロスオーヴァーという言葉を使わないように意識しているのですが、そのクロスオーヴァーっていう意義をもう一度表現しているアルバムかなとも思いますね。

福富:ジャンルということで括ると狭くなってしまうんですけど、ハウスも、ロックも、ジャズもイデオロギーなんだと思うんですよ。観点とか物の考え方、アティチュードとか。だから、音楽のフォーマットのことをジャンルと言うのなら、クロスオーヴァーっていうのは汎ジャンル的なものであるべきなんですよ。例えばジャズで言うと、ジャズでしかないジャズっていうのは、ある意味ナンセンスなことだと思います。そこには時代、時代によって他の音楽的要素も入ってくるわけで、ロックにしてもそう。モダン・ミュージックっていうものが、そうして成り立っているわけですよ。

─今のクロスオーヴァーと言われる音楽には、ジャジーなハウスにしろ、ジャジーなヒップホップにしろ、ただ形式的になぞるだけ、そうしたものがあまりに多くて、福富さんが言われるイデオロギー的な側面での面白みとか、新鮮味を感じさせるものが少ないんですよね。

福富:ええ、だからもしなぞるのであれば、サウンドのクオリティがずば抜けて高いとか、演奏が非常に高度であるとか、メッセージ性があるとか、そうした部分で勝負をしないといけないんですよ。それ無しでクロスオーヴァーしても、それはナンセンスに過ぎない。

─全く同感です。 ─では、今回のアルバムの作品について実際の音を聴きながら話を伺いたいと思います。現段階では曲順が決まっていないので、アトランダムに話を伺いますが、まず「Here and now」という曲を。これはいきなり生演奏のジャズ・ファンクと言うか、ブギー・テイストが出てる曲で、今までの福富さんの作品にはあまり無かったタイプのものですね。これの演奏はどんな方たちがやっているのですか?

福富:ドラムは打ち込みですけど、パーカッションはオルケスタ・デ・ラ・ルスのゲンタさん。ベースは僕が弾いてます。ギターはサザン・オールスターズのサポートなどもやっている斎藤誠さんで、ホーンはジャフロサックスの勝田一樹さんのチームです。キーボードは河野伸さんというJ-POPアーティストのアレンジも色々とやってる方ですね。

─プログラミングは当然ですけど、今回はベースをやってる曲も多いのですか?

福富:そうですね、これ以外に「That music」と「Beautiful People」って曲でも弾いてますね。今までのアルバムでもちょこちょこ弾く曲もありましたが、今回ほどガッツリはやってなかったです。ただ、普段それほど練習をしているわけではないので、苦労するところもありますよ。まあ、そこは何とか編集でまとめたわけですが。

─ヴォーカルは誰ですか?

福富:この曲はオルゴンのシンガーのファニー・フランクリンです。オルゴンの日本盤が出る時にコメントを書いたりしたこともあるんですけど、彼女がたまたま別のアーティストのツアー・シンガーで日本に来た時、偶然ザ・ルームに遊びに来てて、いつものルームのセッション大会が始まって、「Funky Nassau」を歌ってましたね。そこで、初めて会って話をしたんです。でも、その時の彼女の歌が僕としてはレコードよりも良くて・・・ほら、レコードは割とオーセンティックな歌い方をしてたけど、その時はもっと新しいイメージの歌い方だったんですよ。で、彼女に歌ってもらったら面白いものができるんじゃないかなと。

─この曲のリズム・トラックはブロークンビーツの一種とも言えなくもないんですが、でもそれよりもっと生演奏のグルーヴ感があるものですよね。

福富:ええ、これに関してはもうジャズ・ファンク。今、ハード・バップとかのモダン・ジャズ系をやるクラブ・バンドはたくさんあると思いますけど、ジャズ・ファンクってあまりないじゃないですか、クラブ・フィールドでは。でも、僕は結構このあたりの音が好きなんで、単純に自分でやりたかったと。

─と言うことは、ライヴ演奏も視野に入れたものであると?

福富:いや、そういうわけじゃないんですよ。イギリスでのブギー・ブームっていうのもあるんですけど、でもそれはDJ目線によるネタとしてのものであって、それをそのままにやるとやっぱりそうした古い曲似てしまう。だったら自分はもともと演奏もある程度はできるから、それを踏まえた上で、今後ネタになるものを作ってしまえと。新しい、生の、今の時代にフィットするジャズ・ファンクということで。それが「Here and now」と「That music」ですね。

─『Timeless』や『Equality』にも、こういったベクトルの曲はあるにはあったんでしょうけど、でもそれらは割と80年代的なテイストに影響を受けたものであったとすると、今回のこれらの曲はもっと遡って70年代的のソウルやディスコとかの雰囲気を感じさせますよね、そうしたライヴ・アクト的な。今、世界的に見て、例えばリクルースもリクルース・ライヴ・バンドで生バンド活動をしたり、今年出るジャザノヴァの新しいアルバムは60年代のリズム・アンド・ブルースのテイストが出ていたりと、それから4ヒーローもなんですけど、皆、ライヴ・バンド的な音作りに向かっている感じはしますね。福富さんは、そうした動きについてどう思われますか?

福富:うん、そうしたシンクロニシティというか影響はすごくありますね。DJとして新しい音を追い求める一方、古い音源を掘ったり、チョイスするということもある。そうやって捜した古い音を実際かけることもあるのですが、それと同じ感覚でプレイできるものを自分でも作ってみたいという欲求はずっとありましたね。

─それと、皆、ソングライティングに重きを置いてる感じはして、それは今回の福富さんのアルバムにも感じるんですよ。

福富:きちんと鑑賞に堪えうる曲作りということですよね。それと、ザ・ルームで沖野修也さんとやってる「The Crossing」というパーティーがあって、それから影響を受けてる部分が結構ありますね。クラシックス的なものからテックまでプレイしてて、好きなところだったらどこまでも行くことができる、そんなパーティーなんですけど、そうした場の雰囲気からフィードバックして得ているものもあると。例えばこの「Here and now」だったら、沖野さんの生ジャズの後にかけて、その後打ち込みにもっていってもいいし、ブロークンの次にかけて生音とのブリッジにも使えるだろうし。

─そうしたDJの現場感覚が生かされたアルバムであると。もちろん、今までのアルバムにもそうした現場感はあったと思うのですが。

福富:今までとの違いで言えば、ミュージシャン的な側面が強いというか、自分で使いたいと思う曲が頭の中にあったら、自分で演奏してしまえ、という感じですかね。

─確かにルームは生のセッションも多く行われているから、そうした発想や雰囲気は生まれやすいですよね。

福富:ええ、だから今回のアルバムにはルームの持つヴァイブっていうのが結構影響しました。 ─「That music」の方はレディ・アルマとやってますが、彼女は『Equality』に引き続いての参加ということで、やはり呼吸が合う感じですか?

福富:ええ、彼女はいいですね。説得力のあるシンガーだと思います。『Equality』の後に彼女とは会う機会もあって、より親しみも増した感じですね。今回のレコーディングはデータを送って、それに歌入れしてもらう形だったんですけど。

─この曲とかは、初期のインコグニートとかが持ってたようなグルーヴ感がありますね。

福富:うん、これとか「Here and now」にしても、そうしたアシッド・ジャズ感はありますね。僕は昔アシッド・ジャズとかも好きだったんで、よく聴いてたんですよ。で、この頃ってインコグニートを始めとしたトーキン・ラウドのアーティストって、12インチにハウス・ミックス入れてたじゃないですか。デフ・ミックスとかロジャー・サンチェスとかがリミックスをやってましたけど、結構クオリティが高くて好きでしたね。で、その頃のアメリカのハウス・プロデューサーが作るアルバムって、あんまりよくなかったでしょ。モラレスにしても、フランキー・ナックルズにしても、トラックはいいんだけど、曲がよくないというか。その頃の彼らって作曲という意識はあまりなかったんでしょうね。だから、インコグニートのようにきちんと作曲されたものをリミックスした方が、結果的にいいものができるという。あと、勝田さんのホーン・アレンジってうま過ぎるから、どうしても比較対象するならインコグニートが思い浮かぶ、っていう感じになるかもしれないですね。アメリカのそれと違って、泥臭過ぎずにヨーロッパ的な知性も感じさせますね。もちろん、僕もファンキーな音は好きだけど、でも黒人じゃないから黒さ一辺倒にはならない、そこが僕なりの個性となっていると思います。

─レディ・アルマが歌う曲では、もう1つ「Time For Change」がありますね。この曲はアルバムの中で最もBPMが遅い曲ですが、以前のアルバムではBPMを統一して作っていたこともあります。今回はそういったことは考えたりはしませんでしたか?

福富:いや、それは全然無いですね。これでBPMは110くらいですか、パーティーの最後の方にかける曲でしょうね。こういったロイ・エアーズがやってたようなメロウ・グルーヴも好きなんですよね。

─2000ブラックとかマーク・ド・クライヴローにも通じるというか、いわゆるソウル系のナンバーになりますが、でもこれもハウスの一種だと言っていいと思いますね。四つ打ちではないですけど、テイストとしてはハウスだと。ですが、今の人はハウスとは言わないんでしょうかね・・・。そうした点で、昔のリル・ルイスのアルバムとか聴くとすごいですね。決して四つ打ちのBPMが120~125あたりの曲ばかりじゃないんですよ。スローなソウル・ナンバーあり、スウィンギーなジャズありと、とても幅広いんですよね。

福富:ええ、リル・ルイスのアルバムには驚かされましたね。ファースト・アルバムで、最後が何でブルースなんだと(笑)。でも、そういうのも含めてのハウスということはできるでしょうね。

─それから「Beautiful People」はちょっとアフロっぽいテイストが入ってますね。これもファニーが歌ってますか?

福富:ええ、それからキーボードはスリープ・ウォーカーの吉澤はじめさんがやってます。これは最初に意図してアフロを作ろうと思ったのではなく、割とすんなり曲の骨格ができてしまって、で、それからどうしようっていうことになって、最終的にこういったアフロ調の味付けをしていきました。普段はフェラ・クティとか、普通にアフロものなども聴いてるんですけど、今回のアルバムでは黒さを出すということも重要なポイントだったから、こうなったのかもしれないですね。

─これもリズムはブロークン調ではありますけど、もっと生々しい感じがありますね。非常にルームっぽいというか。

福富:確かにルームっぽいですね(笑)。「黒押し」です。

─「ジャズ押し」では「Out of Nowhere」ですね。

福富:ええ、これは吉澤さんと、同じくスリープ・ウォーカーの中村雅人さんに参加してもらってます。上がスリープ・ウォーカーで、ベースとドラムは僕が組んだと言う状況で。でも、あの2人の演奏はやっぱり説得力がありますね。実はこれ、イザベル・アンテナのアルバムでやった「Danse le jardin d’Eden」のインスト・カヴァーなんです。

─どおりでコードが似てるなと思いました。拍子はワルツの3拍子とも少し違いますね。

福富:ちょっと複雑なパターンではあるんですけど、まあ6拍子と思ってもらえばいいですかね。コルトレーンが好きなんで、そうしたモーダルな曲になってます。今までもハウスの曲でもそうしたコード感を取り入れることはやってきてるんですけどね。ハウスってコードを平行移動することによって、そういうモーダルな作りの曲が結構あるんですよね。パル・ジョイとかそうかな。でも、本人は全然意識しないでやってるんでしょうけど。

─確かに、アンビエント・テクノの曲でもモーダルな質感を持つものってありますからね。それにしても、ここまで前面にジャズを打ち出した曲も今までのアルバムには無かったですね。

福富:ええ、例えばブロークンビーツの曲でもジャズのテイストを持つ曲とかは作ってきて、自分としてはジャズをやってる意識はあった。でも、一般のジャズ・ファンの人からはそう認識はされていないでしょうから、今回はパッと聴いてジャズとわかる曲も入れたかったんですよ。 ─これらの曲が生演奏やヴォーカルを大きく用いたジャズ、ファンク、ソウル的な作品だとすると、一方で今回のアルバムではそれとはベクトルを異にする作品がまたありますね。ハウス~テック系と括れると思いますが、まず「Open our eyes」はマーシャル・ジェファーソンのカヴァーなんですよね。この曲は2部構成になっていて、パート1はヨーロッパ系のディープ・テックな感じなんですが、これがパート2では一転してミニマルな感じになるという、とても面白い構成なんですよね。

福富:僕が初めてニューヨークに行ったのが88年で、その時にこの曲がすごく流行ってて、印象に残ったんですよ。だから、いつかはカヴァーをと考えてました。ただ、ハウスをハウスでカヴァーするってことにはあまり興味がなかったので、そのままになってたんですが、今回はこの曲の持つメッセージ性も含めて、今、再提示したいという思いがあり、やってみました。マーシャル・ジェファーソンの評価、低いんじゃないかと(笑)。

─確かに、この曲を始めとしたマーシャル・ジェファーソンの幾つかの作品は、今でも全然使えるものがありますよね。それを、福富さんはどういったポイントでカヴァーしたのでしょうか?

福富:この曲はもともと黒人男性のポエトリーが入ってるんですが、それをアジア人の、それも女性のものにしたらまた違う印象になるんじゃないかと思って、有坂美香さんにやってもらいました。でも、オリジナルの部分で使ってるのはそのポエトリーとベース・ラインくらいかな。この当時、今から20年くらい前ですけど、ハウスっていろんな要素があったと思うんです。今は機材の進歩などで作りこまれたものとなってるけど、それは逆に方向性を限定してしまう。昔の音はラフだからこそ、そこから色んな可能性に繋がる部分があった。だから、そうした可能性の幅を感じさせる音にしたかったですね。これって、何とかハウスだねって言われないものにしたいと言うか。昔のハウスがまだ細分化されていない頃は、ハウスの中にも色々な要素があり、でもハウスというもの自体が抽象的なものであったから、一般的にはそれほど受け入れられるものでもなかった。今はハウスも一般化しましたが、でもある種の確立された音があって、それをハウスだと思い込んでいる人も多い。本当はハウスっていうのは色んな音楽と接点があって、広がりがあるものなんだといういことを、こうした初期のハウスをカヴァーして改めて言いたかった、というのがありますね。

─で、パート2はミニマル・ミュージックになってるうんですが、こうした展開にした意図とは?

福富:もともとパート1の中で使おうと思ったシークエンスがあって、でも実際はパート1にはマッチしなかったので、こうしてパート2として別に取り出して、延々とループさせることにしたんです。パート1のポエトリーのメディテーション感を、70年代のジャーマン・プログレ的な解釈、アシュラとかタンジェリン・ドリームとかああいった形で表現できないかと思ったんですよね。そこにはハウスと繋がってる部分があると、僕は考えてますしね。

─こうした展開は今までのアルバムには無かったもので、そこは別名義のFを通過して出てきた音なのかなという気はしますね。

福富:『Equality』あたりまでは黒っぽさというものへのこだわりがあって、こうした白っぽいシークエンスを持ってくることはなっかたですね。でも、90年代の初期は実は使ってたこともあって、Fを通過することによって、それにもう一度取り組んだという感じですかね。自分の家のレコードを掘り返して、昔は今イチだったけど、今聴くと結構よかったりとか、ありません? それと似た感覚ですね。今回のアルバムでは黒さも追求してますが、同時にこうした白さもあるという・・・。

─「A Nodal Point」もディープなテック系でF経由の音という感じですね。この曲はパーカッションとSEがすごく印象的に織り込まれているんですが。

福富:ええ、トラックはミニマルな感じなんですが、そこにゲンタさんがパーカッションを被せていきました。もう、フリー・インプロヴィゼーションという感じで自由に演奏してもらって、あとさらに僕もSEを加えていくんですけど、それもあまり構築せずに、その時の感覚やノリで自由に加えていった感じです。

─ヨーロッパではこうしたミニマルよりのディープ・テックものが全盛ですが、そうした影響も受けますか?

福富:うん、確かに影響は受けますよ。ただ、日本だとこの手の音はまだまだというところもありますけどね。日本ってやはり歌ものハウスが根強いから。でも、僕の考えではこうしたテックなトラックに歌が乗っててもいいと思うんですよ。だから、このアルバムからリミックス12インチとかを切るんであれば、そういった方向に持っていくかもしれないですね。例えばジョーイ・ネグロにリミックスしてもらって、とか。僕の中では、今再びジョーイ・ネグロ・ブームだったりするんですよ。サンバースト・バンドとか好きですね。彼もキャリア長くて、基本的にベースにはディスコがあると思うんですけど、彼がリミックスとかで見せるあのブギーとテックの混ざり具合とか、いいですね~。 ─こうしたディープ・テックな音って、福富さんがハウスに入る前に聴いてきた音楽、先ほど話に出たジャーマン・プログレとかが下地になっている部分もあるんですか?

福富:うん、あると思います。そうしたところが、普通のテック・ハウスにはないちょっと変わった感覚に繋がってるのかもしれませんね。もともと、ディープ・テックがヨーロッパで流行ってるから自分でもやろうということは全くなくて、Fの1枚目のアルバムを出した時って、正直言ってヨーロッパのディープ・テックものってあまり聴いていたわけではないんです。出した後にメディアでレディオ・スレイヴ・タイプの音とかって紹介されてるのを小耳に挟んで、「へ~、そういうのがあるんだ」という感じでしたね。それで、買って聴いてみたら似てると(笑)。それから逆にその手のものを聴くようになって、それからセカンドを出したんですが、ただそれにしてもテックを聴いてテックを作るっていうんじゃなく、ジャーマン・プログレも含めて、自分がいろいろ聴いてきたものの中でリンクを貼れる部分を見出して、そうやって自分の解釈として提示したわけです。

─今レディオ・スレイヴの話が出ましたが、こうしたディープ・テック~ミニマル系のアーティストですと、他にはどのあたりの人にシンパシーを感じますか?

福富:コブルストーン・ジャズはいいですね。テックなんだけど、あの音ってファンクを感じるんですよ。ベース・ラインの取り方とか、コード進行って。あと、リカルド・ヴィラロボスはもちろんだし、アレックス・アティアスも好きですね、作品によってバラつきがあるけど。それからディクソンにヘンリック・シュワルツ、アームといったインナー・ヴィジョンズ系はやっぱり聴きますね。USだと、ディープ・テックではないんですけど、ケリー・チャンドラーとデニス・フェラーは僕にとって「逆張り」の人たちですね。彼らは浮き沈みの激しい中にあって長年ずっとやってきてて、コアなハウス・ミュージックをずっとやり続けながら、でもいろんな音楽に対する手助けも行っている。「ハウスは?」と訊かれれば、僕はまずこの2人だと言うと思いますね。

─それから、「Nesting」はダブっぽい要素の入ったディープ・ハウスっていう感じですね。
福富:ええ、実はこの曲は93年に発表したセカンド・アルバムに入ってる「Rock Out」という曲のリメイクなんですよ。その時のテーマは「踊れるフリー・ジャズ」だったんですけど(笑)。結構、フリー系の音も好きで聴いてたんですね。

─僕はこの曲のダビーなサックス処理とかを聴いて、昔ブライアン・イーノがジョン・ハッセルと組んでやってた民族音楽とアンビエントの融合、そんな世界を思い出しましたね。

福富:なるほど、そういう感じもありますかね。あと、IGカルチャーの『Zen Badizm』が今年出ましたよね。あれの影響もあります。あの中で四つ打ちにフリーキーなサックスが絡む曲があって、それがトラックと全然合ってないんですよね。恐らくサックスを演奏したのとトラックを合わせる段階で、あえて外してるんでしょうけど。そういったディスコードしたものをやりたかったんです。

─「福富流フリー・ジャズ」とでも言うんでしょうかね?

福富:そうですね、もしくはエレクトリック・マイルス後期の『Pangea』とか、ああいうイメージかな。

─あと、マーシャル・ジェファーソンのジャングル・ウォンズみたいなディープさ、怪しさもありますね。

福富:ええ、ビートは古典的なハウスで、サックスはフリー・ジャズ。それからベース・ラインはESGをモチーフにしてるんですよ。

─なるほど、1つの曲の中で実にいろいろな要素があるんですね。いろいろな要素と言えば、「The Empty Set」もそうですね。マリンバを使った土着的な曲で、全体的にミニマルな感じがあって、リズムは3拍子になってて、進行的にはディープ・ハウスという・・・。個人的にはこのアルバムの中で一番面白いと思った曲です。

福富:スティーヴ・ライヒが凄く好きなんですけど、でもマリンバを使って3拍子でミニマルをやると、もうライヒにしか聴こえなくなってしまうんですよ。だから最初やる時点ではすごく躊躇がありましたね。実はライヒの使ってるスケールって大体同じものが多いから、それを使っちゃうとすぐ似てしまうんですね。まあ、ライヒの場合、ミニマルなので似るうんぬんと言うより、世界観、空気感の展開じゃないですか。で、まあそういったことをいろいろ考えながらフレーズを作って、いつのまにかできてしまったという曲です。マリンバのパターンとシンセのパターンが入れ子状になっていて展開していって、リズムは3拍子なんだけどハウスの四つ打ちにも適応するもの、ってことで最終的なアイデアはまとまりました。

─ライヒは昔からずっと聴いてきたんですか?
福富:82年頃にECMの『Music For Large Ensemble』を初めて聴いて、それでハマって、それ以前のものも遡って初期のテープ・ループのものとか、有名な『Drumming』とか、ひととおりは聴きましたね。でも、ライヒのリミックスとか僕には来なかったな~(笑)。

─福富さんにしろ、僕もそうなんですが、ニューウェイヴを同時体験してきた世代って、同時にこうしたライヒとか、フィリップ・グラスとか、現代音楽なんかも聴いたりしましたからね。そうしたテイストが、やっぱり作品にも出るんでしょうかね?

福富:ええ、やっぱりニューウェイヴ世代の感覚ってあるんでしょうね。ただ、今はニューウェイヴ自体もある種のサウンドとしてリヴァイヴァル気味ですけど、ニューウェイヴもジャンルじゃなくてアティチュードじゃないですか、音楽に対する関わり方とか、態度っていう。で、音楽を通してそれを学んでいったんですね。そういう意味でいい時代だったし、おかげでいろいろな音楽とめぐり合うこともできたと思いますよ。それら無くして、今回のアルバムは生まれなかったでしょうね。