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Digitaline

Laurent Bovey(以下L): 私はローラン。パンクバンドでドラムをやっていて、その後、バンドを辞めてテクノミュージックにのめり込むようになった。28歳で今はベルリンに住んでいる。
GregoryPoncet(以下G):僕も同じだ。29歳で今スイスに住んでいる。僕はギターとドラムで始めたが、パンクではなくオルタナティブミュージックだった。それからローランと同じくバンドを辞めてエレクトロニックミュージックを作り始めた。 G:僕たち二人は、ロザンヌという湖と山に囲まれたスイスの小さな街で出会ったんだ。とても長閑で落ち着きのある場所だから、ライフワークとして楽曲製作に集中出来る恵まれた環境なんだよ。僕達の街には、たくさんの仲間が居たんだけど今は、みんな世界中に散らばってしまったよ。でもスイスはヨーロッパの中心部だからね。いろんな場所へのアクセスも便利だしベルリンにいる相方にもすぐに会うことが出来るよ。もちろん世界中に散らばった友達とも再会出来る街が僕のホームタウンなんだと思う。 G:パーティーで出会ったのと地元が一緒だったことだよ。スイスの大都市チューリッヒみたいな他の都市でのパーティーで会っていくうちに始まった。お互い同じ音楽のテイストを持っていて、お互い一人で音楽をやっていたことを知り僕らは一緒にエレクトロニックミュージックを始めることになった。最初に小さなドラムマシンとかを持ち合って「一緒にセッションをやってみるか」っ感じで始まり、一回のセッションがその次のセッションと続き、そして初めてのギグに初めてのレコードと続いた。自然なプロセスで数年が経ち、そしてダンスミュージックのプロデュースが僕達の職業になった。今は僕達は、別々の国に住みインターネットのやりとりで楽曲製作を行っているんだけど、音源やアイディアをお互いが出し合い、それをコラボレーションのような方法で一つに組み上げるんだよ。 G:最初、二人にとってDigitalineはバンド名だったんだ。ライブバンドのプロジェクトだった。そんな成り行きがあってプロダクションがダンスミュージックに移行してからもその名前を使い続けることになったんだ。特別な意味というか、特別な成り行きだね。 G:参加という感じじゃないかもしれない。主催者はプレイさせてくれる。だから僕らはプレイした。それだけだよ。ただ、やはり大きいフェスティバルでプレイする事はアーティスト活動にとっては大事なことだと思う。たくさんの人がいてプロモーションにもなる。ただし、僕らはスイスのチューリッヒのシーンではフェスティバルの運営にも加わっているけどね。 L:うーん、そうだね、もちろんそういうときもある。だけど本当に大勢の人が集まるフェスティバルだと、お祭りような騒ぎの中、真剣に僕らの音楽を聴いてもらうのが難しいんだ。そういう問題もあるよ。

G:ここ日本を例にすると、昨日僕らはTimothy Really meets  Cadenza Showcaseでプレイして、観客から本当に多くの反応と多くのエネルギーをすごく近い距離から貰ったんだ。それは素晴らしい体験だったよ。だけど2千人ほどが収容できる大きなクラブに行くと、オーディエンスから離れている感じがする時がある。時々僕らではなくて他の人がプレイしていても変わらない感じがする。そういう時はブースから手を振りながら「おーい、僕らだよ!今、君たちが踊っている音楽は僕たちの音楽だよ!」って言いたくなる。 G:この質問は嫌いだな。。だって。名前を挙げたとしても。。僕が。。僕達が好きな音楽の幅はとても広くて、名前を出すのは逆につまらない。例えば昨日僕らはホテルに戻った後1時間ほどをニルバーナを聞きながら「いいねー!」とか「おっ、それも持っているのか!」っなんていうやりとりをしたんだけど、それは僕達の音楽には現れないだろう。テクノシーンはもっと総合的な物だよ。好きなプロデューサーや新鮮なアクトよりも、全体のシチュエーションが鍵となっている音楽シーンだろう。
例えば僕たちが出会った所だってパーティーだったし、僕達に影響を与えるものはパーティーの雰囲気、オーディエンスとの関係、そして僕達がどんなふうにパーティーしたいかなんだ。 G:彼は僕のトラックのSo Slow In Oslo のToo Fast in Tokyo Remixを作ったんだけど、実はたった2日前にパーティーで初めて会ったんだ。作業をした時はインターネットを通じてやったから、彼と実際知り合えて良かったよ。リミックスはかっこよかったよ。自分の音楽をリミックスを通して聴けるのは特別なものだよ。
L:とても最高な時間を過ごせたよ。雰囲気も良かったね。

G:あとサウンドシステムは最高だったね!

L:いいパーティーだった。とても楽しかったよ。笑顔を浮かべたり、叫んだり、踊ってたりしてたね。またこのパーティーに戻ってきたいと思っているよ!

G:みんなが嬉しそうな印象をうけたよ。僕達を聴きに来たみたいに。たとえ特別僕達を聴きに来たわけで無くてもみんなしっかり聴いてくれた。音楽にとても集中してくれていた。前にも言ったとおりすごく大事なことで、プレーしてる時に周りが会話しているのを聞いてると「おーい、僕達はプレーしてる最中だぞ!!僕達を見なくてもいいから、せめて聴いてくれ!踊ってくれ!」って思うんだ。だけど逆に土曜日のように、時々とてもいい日がある。みんながいて、僕らもいて、一緒にすごいパーティーが成り立つ日だよ。
僕達はライブのために何も準備はしないからほとんどアドリブでやるんだ。コンピューターに色々なループを収録していて、僕自身どのループを流すか決めてないし、ローランも僕がどのループをプレイするかはわからない。だから僕達の音楽が受け入れられているかを感じる事が重要で、もし不安になったりオーディエンスが遠くにいるように感じたら「あー、これじゃあ駄目だ!」って焦ってしまう。けれど今回のギグはとても居心地良くプレイできて、曲がとてもパワフルだと感じる事ができたよ。 G:彼はパーティーでとてもクールだったよ。

L:そうだね。とてもクール。

G:あと他に3人のDJと共演したけどみんな良かった。自然に流れるようなタイムスケジュールだったと思うよ。初め、Ryoのライブはビンテージな感じがしたんだけど、そうじゃなかった。クラシックスが現代音楽にまざったような感じ。独特だよね。とてもクールで楽しめたよ。
L:他のアーティストがそうするように、最初に2つのトラックを作ってLuciano自身に渡した。彼は気に入ってくれて凄く気さくな感じで「おー、リリースしよっか!」って言ってくれて、僕達は興奮したよ。

G:いや、初めてのCDではなかったんじゃないかな。LUCIANOに初めのCDを渡して、だいたい1年程経ってからもう1枚渡したと思うよ。。だけど随分昔の事だから、確かかわからない。
G:確かそうだよ。僕達にとって初めてスタジオに行って手掛けた2枚のデモCDだったんだ。1、2年程ギグをしてお互い一緒にトラックを作りはじめて、最初にLucianoにトラックを渡そうと考えた。彼は僕らの友人でもあったんだけど、すでにレーベルを運営していて、良いエネルギーを持っていたからね。ただLucianoの音楽が好きでCDを送っただけではないよ。そして僕らがインターネットでレーベルを検索した訳でもない。そして彼は「君達と一緒に仕事がしたい。」って言ってくれたんだ。 G:両方だね。

L:両方だ。例えば僕が使うMoog。GregoryはJUNOやアナログドラムマシンを使うよ。アナログだけでレコーディングをするときもあればコンピューターを使うこともある。ソースを調和させるよう努力しているよ。 L:僕はベルリンに住んでいる。

G:彼はそのベルリンに移り住んだアーティストの一人だよ。

L:僕はベルリンのクラブシーンが好きなんだ。全てのジャンルの音楽がある。そして良い雰囲気や良い人や素晴らしい場所もある。パーティーをするため様々な所へ行ける。色々いい所があるよ。例えばVisionaire、Bar25、Panorama Bar、Watergateとか。アクトはいつも入れ替わるけど新たなスタイルの音楽で良い発見もある。そしてアーティストが住むのには最適なところだと思う。

G:ベルリンには本当に多くの人が音楽に携わっている。多くのアーティストもいてとてもクレイジーだよ。。すごく多くのエネルギーがあって本当にクラビングを楽しむ事ができて、落ち着くスペースもある。まあだけど僕にとってはちょっとToo muchで逃げ出したくなる時もあるんだけどね。
そしてベルリンでアーティスト活動をするもう一つの理由は物価が安くて、アーティストとして生計を立てるのならクラブも非常に多いからいいレベルの暮らしができる。ロンドンやパリみたいにマンションを借りるのがすごく難しいわけでも無い。本当にたくさんスペースがあるよ。
G:僕は、このことに慣れていかなくてはいけないと思う。僕達はレーベルを持っていないし、DJって言うわけじゃないからそこまでバイナルと近い関係を持っていない。ただ現時点で、僕はデジタルで音楽リリースをした経験はないし、そしてもしデジタルレーベルとバイナルレーベル両方から声をかけられたら僕はバイナルを優先する。バイナルを選んだ結果、売り上げがその分少なくなってそこまで儲けが多くなくても、僕にとってレコードを作ることは手に取れる作品があるということですごく意味のあることだからね。
だけどそれはおそらく今後変わる。だから僕はその変化に慣れなくてはいけないと思っている。今後は、人にトラックを渡す時、自分のサイトにも僕らの音楽や情報を置いて、そこからギグのブッキングをとり、ギグの収入が入るようになる。そのビジネスの仕方はバイナルの時代よりも柔軟で向上すると思う。人はデジタル形式で音楽を買っていても、Serato Scratchを使ってバイナルをミュージックコントローラーの役割で使ったり、ターンテーブルの上に乗せる。バイナルを保つことはある意味で残酷だね。。バイナルを殺すけど、まだDJとして使わないとDJらしくないから使うことがね。。本当ならシンクモードのみを利用すればターンテーブル無しでもシンクロナイズできるようになっているのに。今は多分90%ほどのDJがターンテーブルを使っていて、その内50%がバイナルを使っている。それが多分5年、いや2年も経てばクラブに行ってもターンテーブルを見かけなくなるかもしれない。意図も簡単にノートブックPCをUSBで接続するようになるんじゃないかな?僕にとっては不思議な感じだけど、時期にそうなるから、そのことを受け入れなければならない。
ただし、バイナルはクールな媒体であり続けるとは思う。ライブアーティストとしての僕の考えは、良いプロモーションツールにもなる。バイナルを渡して「これが僕の曲だよ」って言えるだろう。もし自分のリリースがバイナルで出されていないとしても、これはレコードショップ用だとか言えるし、場合によってとても大事な存在になりえるからね。

G:すごく関心があるし、すごくエキサイティングだっていうことを感じた。音楽に対しての表現豊かでたくさんのサポートにも感謝している。ただ、この都市を知らないまま来るにはとてもデカすぎる!4日間、街を見ただけだけど、とても疲れたよ。 L:もっと新しいトラックを作る、そしてレーベルを探してそれをリリースする。そしてもっとリミックスもやりたいな。Digitalineは続けるけど、それと同時にソロプロジェクトも上手くいく事を願っているよ。

G:僕は今スタジオに入っていて、それが終わったら出来たタイトルをリリースするために行動する。最近ではそのルーティンは日常的になってきてるけど、それでも楽しいよ。2010年3月にアルバムを出したいと思っているよ。ただしアルバムのためのトラックを6トラック作って、それからリリースツアーに出るようなお決まりのプロジェクトではなくて、他のリリースの曲を作ったり、アルバムのためのトラックを作ったり、気楽に制作したいと思っているよ。