INTERVIEWS
< >

TOKYO BLACK STAR

アレックス・フロム・トーキョー(以下A):そうだね(笑)。友達とね。そのお父さんが音楽関係の仕事してて、六本木に住んでたのもあって、よく彼のところに泊まりにいってさ。彼のお父さんにクラブ関係の知り合いが多かったりでね。それで、よく遊びに行ってたよ(笑)。それと、学校も飯田橋にあって、在日フランス人学校なんだけど、結構とんでもないヤツ等がいたからさ。とくに先輩がさ(笑)。不良の先輩がいっぱいいたんだよ。その影響が凄くあったよね。学校のダンスパーティーがよくあって。そんな不良の先輩連中、高校2年とか3年生の先輩がオーガナイズしてたんだけど、学校の食堂にサウンドシステム持ち込んでさ。中学生くらいから行けたんだよね。 まぁ、学校も幼稚園から高校までずっと一緒で、小学校から中学校に移っても仲間が一緒だったりでね、そんな感じで中学校くらいになるとダンスパーティーがあって。そこには30カ国以上の人種の人がいて、もの凄いミクスチャーだったんだよ。 A:そうなんだよ。今思うと結構不思議な感じだよね。教育はフランス語なんだけど、もちろん日本人もいるし、授業以外のときはフランス語から英語から日本語から、もうなんでもだよね。すごいミクスチャーでさ。それに、外交官の息子とか大企業の息子とかのエリートな人達もいつつ、全然そうじゃない人達もいて、不良もいっぱいいたんだよね。学校も小さくて1クラス30人くらいなファミリー的な感じだったんだよね。だからまぁ、不良って言っても、実はみんないい人達ばっかりだったんだよ。そんななかに音楽が好きな人達がいっぱいいたんだよね。そんななかで学校のダンスパーティーから始まったかな。 A:なんでもだったよね。ヒップホップはもうけっこうね。そのときオールドスクールから新しいものが出てきて。オールドスクールなものもかかってたけど、あとはポップなものも多かったね。ニューウェーヴなんかもポップだったし、ディスコやファンクとかもゴチャ混ぜだったりとか、ベストヒットUSAとかMTVとか出てきた時期でもあったりするじゃない。まぁ、その辺から始まったよね。 イサオ・クマノ(以下K):そうだね、差はないね。ぼくも中学校のときは金曜日の夜中にTVKでソニー・ミュージックTVがあって、あれ朝までやってたんだよね。それで、最後まで観て土曜日学校行ってほとんど寝てたっていう(笑)。 K:それと、レンタル・レコード屋さんが完全にリンクしてたなぁ。その当時は洋楽好きの仲間何人かで、新譜が出ると手分けしてレンタルして人数分ダビングしてね。だから、トップ40はカセットテープで全部持ってたな。あの頃のお小遣いはほとんどレンタルレコードとカセットテープに注ぎ込んでたね。あとはエア・チェックっていうFMラジオの番組を雑誌でチェックして録音するんだよね。そんな感じだったね。

A:おれも学校の友達とそんな感じだったよ。アメリカに留学した友達からお土産でレコードもらったり、イギリス寄りの音楽が好きな友達からはロック、ニューウェーブとか教えてもらったりしてさ。

K:今思い返してみれば、高校生くらいになって、バイトとかしててさ。そんな流れでディスコとかに女の子と行くじゃないですか?それで、女の子が行きたいとこに行こうよと。そうすると、やっぱりユーロビートでパラパラだったんですよね。一緒に行っても鏡とかみて(パラパラを)やり出すから、それがつまんなくてね。パラパラ覚えるつもりもないワケだし、そもそもこの音楽好きじゃないしってなって(笑)。そこでね、こりゃ違うわって。今思えばそこからかな。そうじゃない仲間ができて西麻布のクラブなんかに行くと、そっちではアシッド・ジャズなんかがかかってて。なんてカッコいいんだろうこれ!ってなるんだよね。だからそのあたりから女の子にウケるような音楽とは決別してしまったような(笑)。

A:おれが覚えてるのは、そうやって六本木のディスコとかに遊びに行って、その延長でたまにレコードとか六本木のWAVEなんかに買いに行ったりしてたね。で、そこで「THE BANK」のことをはじめて聞いて、行ってみたら、あのヴァイブにやられてね。それからディスコでは遊ばなくなったね。そこで人生が変わったよ。ワォって感じだった。音にしても、あの雰囲気。真っ暗であの妖しい雰囲気。一回経験したらね。人生がほんと変わったよね。六本木のディスコも楽しかったことは楽しかったけどね。でもあの「THE BANK」の妖しい雰囲気、そこに危険な雰囲気もあって、なんかそれに凄く憧れたね。女の人もさ、なんか絶対手が届かないような凄い綺麗な人が来てたりね。普通のディスコとかにも綺麗な人はいたけど(笑)、なんか種類が違うっていうか、オーラが違うっていうか(笑)。ほんとに、「THE BANK」に行ったら、音楽から、店の店員にしても、全部がかっこよかった。

K:なんかコロナビールとか飲みたくなるようなね(笑)。 A:知らないあいだにやっぱり音にヤラレてたんじゃないのかな?そのときは「ウワッ、この曲ヤバい!」とか、「凄い楽しかったな!」とかは思ってたけど、今思うとさ、無意識のうちにね。純粋に音にやられてたんだね。いつも行ってた六本木のディスコと、「THE BANK」の音の感じ方、全然違ったもんね。たぶんその頃はそこまでわかってなかったけど、振り返ってみると絶対そうだったんだよね。音と雰囲気にヤラれてたんだよね。そこが始まりだよね。そこにルーツがあるよね。

K:おれも行ってたもんね。中学の頃の友達とね。高校はヤンキー校みたいなところだったから(笑)。あんまり一緒に音楽聴く友達はいなかったね。その頃から楽器のローンが絶えなくて。で、ヤマハのドラムマシーンを結構な金額で買ってさ、ちょっとしたシーケンスが組めるんだけど、それで、ちょっとヒップホップ的なものを作ってさ、テープに録って友達に聴かせてね、今思うとものすごくショボイものだったんだけど(笑)。 「ヤバいよ!カッコいいよ!」って盛り上がってさ。その盛り上がりのまま西麻布に行くみたいな感じだったね(笑)。よくわかってなかったけど、自然にディスコから離れていったよな。外人とかもよく見かけたけど、その外人っていうのはもしかしたらアレックス達だったかもね。

A:ほんと毎週行ってたからね!よくスピーカーのなかで寝てたりしたもん(笑)! K:そのあとはやっぱり「YELLOW」かな。

A:そうだね。あと、「GOLD」だね。

K:その頃はね、おれはジャズマンになってて(苦笑)。ひたすら勉強してたね(笑)。その時期はわかりやすい、いわゆるポピュラー・ミュージックから完全に遠ざかってたね。現代音楽とかにまでいっちゃってた。ちょっと病んでる時期だったかもね。

A:おれは、ちょうど高校を卒業してパリに行ったんだよね。それで、パリでも東京のアンダーグラウンド・シーンと似たような場所に行ってた。レコード屋さんとかいろんな人に会ってさ。

K:その頃、今回のアルバムでシンセサイザーで参加してくれてる高木くんと知り合ったんだよね。その頃にぼくはミュージシャンの方にいってるから、そこで、ジャズやって現代音楽までいくとさ、本当に勉強っていうか。ま、良さはすごくあるんだけど。なにやってんだろう?面白いのかな?ってなって。ややこしいことをやるのがいいことだ。みたいになっちゃって。で、あるとき疲れて、スライ&ファミリーストーンを聴いたときに涙が出てきそうになってさ(笑)。『これ凄いいい』と思って。『おれ、(やっぱり)こういうのが好きなんではなかろうか?』って思ってさ。

A:すごいダイレクトで、ストレートでファンキーでね!

K:それでまた考え直して、ダンスミュージックってもともとエレクトロニックなビートのね、プリンスなんか好きだった頃に立ち戻ってさ。ちょうどそんなジャズ病から立ち直りかかった頃に「YELLOW」なんだよね。そしたら、(「YELLOW」で)同じループのちょっとズレてるやつを十何分とかやってるんですよ。『狂ってんな~この人』って。ライブだったんだけど、誰だか覚えてないんだよね。たぶん誰かの来日ライブで。ドラムマシーンをいじりながら、シンセやったりなんかしてたんだけど。何しろ新しいビートを聴きたいと思ってフラっと「YELLOW」に行ったから。それはもう、ズレてるし、演奏テキトーだし、ひでーなぁと思ったんだけど、10分以上聴いてたら、だいぶ気分良くなってきて(笑)。これはいったいどうしたことか?と。周りも盛り上がってるし、自分もその盛り上がりのなかにいて。ジャズはいったいなんだったのかってなって。こっちの方が楽しいなってなって。そこからコンピュータの方にいったんだよね。ジャズがだめだっていうことではなくてね。そっちはそっちで、自分の落としどころがなかったんだよね。テクニカルになり過ぎちゃって。そのままテクニックさんみたいになるのもどうなんだろうって思いつつも、それしかやりようがなかったし。(逆に)味だよって、そんな若者が言うことじゃないし。 K:けっこうビビって(笑)。ガーン。結局やっぱこういうのが好きなんだって。自分を知るみたいな。だから、一度勉強して。でもフィーリングに戻ったんだよね。そんときに。だから、今アレックスと一緒にやっててさ、2人ともフィーリング・タイプだと思うんだよね。テクニカルに構築されたいいものに憧れる気持ちはあるんだけども、自然にそれができるんだったらやりたいけど、とりあえず、いるメンツで楽しくやることの方が大事。そういう考えだから、制作に対してあんまりキュウってならないね。

A:とんがったものとか、変わったものとか、面白いものに反応しちゃうんだよね。

K:それの精度が、そもそも衝撃を受けたのはズレたビートを10分聴いたら気持ち良かったっていうとこから始まってるから。精度の問題じゃないっていうのが。そこがぼくが復活したきっかけだから。ズレてていいんじゃん。今回のアルバムにもそういう部分というのは出てるね。

A:フィーリングは重要だね。

K:まずは、自分が正直になったところからスタートしてね。今回の作品に通じるテーマでもあるよね。

A:そういう意味でこのアルバムは個性的だよね。

K:ズレてても良いっていう。そういう手法もこのアルバムには取り入れてる。『MIDNIGHT EMPEROR』とかは結構ヒドいからね(笑)。よくよく聴いてみると。実は解析不能なくらいズレてるよ(笑)。 A:今の若い子って、音楽に詳しいかもしれないんだけど、ライフスタイルがないって思うんだよね。

K:ある種インターネットだから、もうマイ・スペースから直接レーベルで、レーベルがすぐ地方にいるまんま作品を出して、いきなりライブだったりするでしょ。土地とか街、仲間っていうのをすっ飛ばして。それでマネジメントが上手ければ、それで売れちゃうっていう。まぁ効率はいいのかもしれないけど。だけど、街でいろんな思いしながら今日はレコード買いすぎちゃったとか。

A:何時間か語って、レコード聴いたり、いろんな人とであったりとかさ。そういうのが今はないよね。そういうところでぼくら知り合ったワケじゃん。今はネットのおかげもあって、あまりにも効率良くなってきてるから、だから会いたくない人には会わずに済むよね。昔はクラブにいろんな人が来てたじゃん。会いたくない人にも会っちゃうような事が多かった。

K:システムとして、レコード・カルチャーが機能してたんだよね。それと、雑誌なんかも連動してたっていうか、同じ気持ちでやってる人とかいたからね。わりとスムーズだったし。今ほど、仕事っぽくなかった気がするね。効率が悪くて、無駄が多いように感じるんだけど、その無駄のようなものが実は触手のようにいろんなものを結びつけてたっていうね。今思うと凄く有機的なことだったんだなっておもうんだよね。だってさ、普通に制作会社の技術者として仕事しててさ、ここまでDJ達と知り合うってなかなかないと思うもん。パーティーはやっていたにしてもさ、仕事でそこを結びつけるってことは今だと難しいっていうか。

A:今はないよね。そういうのがね。当時は渋谷に集まってたよね。

K:そこにパブリック的な価値があって、成立してたっていうか。オーガナイザーにしてもDJにしても、トラック作ってる人にしてもコミュニケーションがあった感じでね。 A:すごいあったよね。エキサイティングだったよ!

K:アンダーグラウンドが増殖していった時期っていうかさ。いろんなものがいろんなセンスで出てきて、それを切り取って、その人なりに調理していくことに価値があって、流行りがどうだって事よりも、流行りっていえば、そんな個性が集まって、全体が流行りだったみたいなさ。それはとても理想的な感じがあったかな。スタイルが全然違っててもお互いリスペクトがあったよね。

A:あのころは、みんなそれぞれに位置があったんだよね。

K:今はなんとなくさ、仕事になるところは尊重されるけど。それ以外の個性はね。

A:特に日本はね。

K:ヨーロッパなんかだと、アメリカもそうかも知れないけど、まず個性みたいなところがあるじゃない?

A:そうだよね。

K:クオリティーじゃなくて個性だと思うんだよね。粗くても個性みたいな。日本の場合はまずクオリティーで、クオリティーを突き詰めれば、個性が出てくるみたいな。意外と厳しいですな師匠(笑)。みたいなところがあって。もちろんそういうのも大事かもしれないけど。メチャクチャなヤツ等が好き勝手やってくなかで、それがだんだん整ってきたりなんかしたら凄いじゃんみたいなそういうのがあった気がするな、当時はね。だから、ひどいパーティーとかもいっぱいあったけどね。『こりゃ、やりきってんな!』って感じがあった。アンダーグラウンドてことにもの凄いモチベーションがあったっていうかね。

A:クマノさんとの関係もそこにルーツがあるなぁって思うのは、ダンスミュージックのD.I.Y.のインディペンデントなスピリッツっていうのに魅力を感じて、それが凄い好きでDJも始めて、それでパリに行ったときにそれをさらに経験して、ヨーロッパの他の場所でもそれを感じられて、そのインディペンデント・スピリッツっていうか、アンダーグラウンド・スピリッツっていうか、それに魅力を感じて、そのコミュニティーが凄く好きでさ。で、日本に帰ってきて、ミスター・ボンゴにも同じように思ってさ、クマノさんにもD.I.Y.のスピリットを感じたんだよね。師匠がいて師匠の下で勉強してっていうんじゃなくて、なんか、日本のシステムとは違うところにいたよね。だから、一緒になれるんだよね。

K:それで、やりきれると思ってたからね。まぁ、難しいことは難しいよね。一時期は良くてもそれをキープするってのがね、本当に難しいよね。ある種さ、意固地になりすぎるところもあるじゃない、アンダーグラウンドって。これでいいんだ!って。おれたちが納得してやってんだから、他の評価は関係ないって。そういうのも強さの一つだけれども、ある意味閉鎖的になっちゃって。そのジレンマがある。とはいえみんなと遊びたくてやってるワケだからさ。また逆に、なんでもオープンにするとクオリティーはさがるっていう恐怖もあるワケで。そこの調整はやっぱり本当に難しい。

A:おれはそのジレンマ。たぶん、狭くなるジレンマのなかでニューヨークに行ったと思うんだよね。

K:もの凄い煮詰まった時期があったよなぁ。もの凄くイライラしてたんだよね。なんかそんな話ばっかりしてたよね。危機感に煽られるっていうか。でも、考えて話していても解決するわけじゃなくて…。そんななか、あるときアレックスと作っていく過程のなかで、作品がなんか(状況を)変えるってことがあるぞってね。

A:そうだね。一枚目をリリースして、そこからなんかね。

K:わりと気持ちが楽になったっていうか。作品にもの凄くイマジネーションの高いものを出していけば、遊びが新たに肉付けされていくっていうか。思いもよらなかった遊びが展開されていくような、有機的なことになるような予感がそこで凄くしたんだよね。 A:このアルバムに関わるみんなと、インナーヴィジョンズのクルーとかとも純粋に音楽でコミュニケーションしてるんだよね。毎日のように電話してるってワケじゃないしさ。初めて音源渡したときとかも、『出してよ』って営業的にじゃなくて。友達として、リスペクトしてるDJとして、是非聴いてもらいたいなぁっていうのがあってさ。その応えとして『リリースしたいよ』ってきたからね!ただ友達に頼まれたからっていうのじゃなくて、音楽でコミュニケーションできたんだよね。そうやってサポートされてて、友達でもあるから、確かに気持ち楽な部分もあるんだけど、プラス、彼らもこだわり持ってやってるし。だから、リスペクトしてればこそ、プレッシャーもあるし、ちゃんとした作品を渡したいしね。彼らも同じ考えで、同じヴィションを持ってるし。

K:マツさんも同じことを言ってるよね。寄せてくれたコメントのなかでね。凄くイマジネイティヴなコミュニケーション手段っていうかね。作品同士でコミュニケーションできるっていうね。 A:健康的な、理想的なシチュエーションだよ。

K:相当スピリチュアルな感じはするけどね。

A:まぁ、そうだけど、でもそういうスピリチュアルな関係が当たり前だったりするんだよね。

K:信頼関係があるってことだよね。

A:それはなんかすごい気持ちいいよね。

K:逆にさ、実務的には淡々と進んでいく面があるじゃない、 作ったものに対して。もう何にもなしでOKだと。で、ディクソンはディクソンでリミキサーとか手配して、商品としてもう、すぐ完成される。凄く、テクニカルなところはちゃんとしてる。だけど、それはイマジネーションのコミュニケーションがもう成立してるから、そこは凄くプロフェッショナルなんだよね。凄くスムーズ。ごちゃごちゃしないんだよね。 K:楽しいですよね。

A:楽しくやれるよね。

K:ぼくらが盛り上がって、『いい』ッて思たものは、本当に同じ感覚で評価してくれるし。

A:もちろん、それぞれ好き嫌いはあると思うけど、基本的にそうだよね。 K:『BLADE DANCER』だよね。

A:そうだね

K:それまでは、だいたいこういうプロジェクトがあるからこういうの作ろうとか、こういうリミックスのオファーがあるからとか企画があってやってたんだよね。だけど、『BLADE DANCER』に関しては何もなかったんだよ。オリジナルをちゃんと作ろうか、みたいな。

A:そのとき、ちょうどDX100(シンセサイザー)をニューヨークで見つけてゲットしてね。

K:遊んでたら、良い音出るんですよ(笑)。自然とああいう「チャッチャ・ッチャー」ッて(笑)。そういうふうに弾いちゃうよね、これは!って(笑)。

A:いわゆる、ラリーハード、ケリー・チャンドラー、デリック・メイもね。ああいう音色がそのままね。

K:また好きなわけでさ(笑)。

A:持ってかれたよね!

K:持ってかれたねぇ~。もう方向は決まったみたいな(笑)。最後までベース・ラインには悩んで、いろいろやってみたけど、ね。結構、熱く作ったよね。

A:熱く作ったね。早くできたよね。

K:それがまさかね。ある種、オリジナルとして好きに作った第一号。

A:人生が変わった曲だね、今思うとね。凄いハマッてたよね。 A:たまたまその頃、ミニマルなテックっぽいハウスが出てき始めた頃だったしね。タイミング的にもバッチシだったんだよね。

K:そうだね。なんかハイテック・ジャズみたいなものを作ってみたりしたんだけど、気乗りしなくって。ピンと来なかったんだよね。で、こっちじゃないの?って。

A:ダビーなハウスとか、ね。それで、ちょうどその頃ディクソンがベルリンで「INNNERCITY」っていうハウスのパーティーを始めたときだったんだよね。彼はジャザノヴァ/ソナーコレクティヴで活動してたんだけど、ディクソン自らニュータイプのダンスパーティーを始めるようになったんだよね。だから、ディクソンのパーティーの雰囲気とベルリンで起きてる新しいハウスミュージックの動きと、僕らが作った曲とが、それらがすごくマッチしたんだよね。で、それでリリースするまでに結構時間かかったんだけど、それは曲を渡したとき、最初、ソナー・コレクティヴから出そうって話になったんだけど、結局、『ぼくらで今新しい動きをアームと考えているからちょっと待っててくれ』って。彼らがちょうどいろんなプランを考えてるときに、ドンッって『BLADE DANCER』を聴いて、これで新しい動きのきっかけにできるんだと。それで、ちょっと待った結果、『ぼくらもジャザノヴァ/ソナー・コレクティヴから離れてインナーヴィジョンっていうレーベルを始めるから』って。

K:ま、そんときはそんときで、えっ、ソナー・コレクティヴから出せるの??マジ??ってなったけどね。

A:そうそう。だから、新しいレーベルに不安な部分もあったよ。時代の入れ替わりだった部分もあるし。あのころソナー・コレクティヴもいい感じになってたからね。正直言うと。でも、彼らが『今、ベルリンで新しい動きがあるし、ここで、僕らがいろいろ始めないといけない時期なんだよ。』って、『もし興味があるなら、そのニューレーベルで出さないか?』って。もちろん、すぐOKしたんだけどね。 A:そのときまだ東京にいたんだけど、その動きが東京にはなかったんだよね。ムーヴメントとしてはね。向こうのリアリティーと東京のリアリティーがさ。東京って意外に消費的には早く入って来るかもしれないんだけども、でも現場のクラブ的には必ず遅れて入ってくるんだよね。ムーヴメントとしては一年とか二年とか遅れて入ってくるんだよ。だから、今も東京はまだ、テックなミニマルだったりするんだけど、意外にベルリンとかはもう人気が落ちてるとこがあるんだよね。もちろん大きなパーティーとかはそうかも知れないけど、ミニマルのDJとかいっても意外にみんなハウスなんだよね。そういった意味でインナーヴィジョンの役割は注目されてるんだよね。ミニマルでもないし、オーソドックスなハウスでもないし。新しいハウスミュージックでもあったりするから。 K:マネできる感じがしないよね。ヘンリック・シュワルツとかのあの感じとかさ。アームにしてもそうだし。

A:今はマイアミでもそうだったんだけど、動きとしてはアフリカっぽい要素とか、民族音楽的なサンプリングのものとかばっかりだったよ。なんかサイクルだなって思うんだけど。クリッキーなハウスとかはもう終わってて、エスニックな感じがね。まぁ、戻ってきてるよね。またちょっとそれもトゥー・マッチだったりするんだけど(笑)。 K:やってる人が何か楽しみを持ってなかったら、それは伝わりようがないよね。

A:それは凄いベーシックなことだよね。これはDJについてのことだけどさ、ロラン・ガルニエの自伝を翻訳したときに、グッとくるポイントがいっぱいあるんだけど、ひとつ忘れられないのが、プレイするとき、針から自分のエネルギーが伝わっていくんだって。ほんっとにそう思うんだよ。自分の気持ちが入ってないとね。まぁ、適当に喜ぶものかけたら、なんとかうまくはいくんだけどさ。だけど、そこで終わっちゃうよねぇ。

K:ぼくは結構聴き分けますよ~、そこは(笑)。 K:そう。ディスコは「型」だとおもうんだよね。ある種、「型」をしっかりして、その上で魂を込めろっていうのが日本的な「○○道」。だから日本のディスコのプレイは「ディスコ道」なんだよね、きっとね。でも、その「型」を生み出したなんらかのシステムの元には、なんらかのイマジネーションがあるんだよね。それが「型」だけになっちゃうと、ね。気持ちが入ってないとね。難しいのは、とはいえ人がたくさん集まって営業するわけじゃないですか、そこで、「型」破りなことで成立させるっていうのはある意味天才だよね。ほんとにクリエイティヴなことだから。毎日営業して、クリエイティヴなことを成立させるっていうのは業務としては非常に不安定だよね。だから、ディスコがしぶといのは、その「型」があるからっていう。安心できるし、その「型」を求める人がある程度いればね。「型」さえはずれなければ最悪な失敗はまずないでしょ。だけど、クリエイティヴにやってたら、大ハズシもあり得る。で、それを任されてるDJっていうのは、自分のコンディションに非常に責任があるっていうかさ、乗り切れなかったらどうすんの?っていうね(笑)。

A:けっこうチャレンジだよね。

K:そこはエキサイトだっていうこともあるし。またお客さんにも優しさがあるとね。『わかるよ~。もうちょっとだよ。』なんてさ。ツウな楽しみ方かも知れないけどね。相当精神的なコミュニケーションをやってる。クラブの本筋っていうか、真摯にやってる人達はさ、真剣にそういうコミュニケーションを求めてたり、どうにか、クリエイティブな遊びをしようって。ほんとにいい人達だなって思うんだよね。

A:中途半端なことはしちゃいけないよ。

K:テクニックに逃げちゃったら、楽かもしれないのに。それで、一生大金持ちになれるんだったらね。だけど、それじゃ満足できないっていうか。音楽病っていうのか(笑)。 K:たぶん「型」が出来た段階ではもうフレッシュじゃないから、その「型」が有効なのは意外と短いんだと思うんだよね。一般の人にはわかりやすくなるんだろうけど、やってる本人としては、その「型」で楽しめる期間っていうのはそんなに長くない。ま、ただ、それはスターの条件みたいなのもあって、例えばジェームス・ブラウン(以下JB)にはJBの「型」があってさ、必ずJBってわかるステージングだったりさ、それでずっとやり続ける。そうみると、「型」っていうのはもしかしたら、エンターテインメントの基礎かもしれないですよね。その中にずっとスピリットを失わないような人が本物の天才っていう。例えばバレエとかもね。落語もJAZZのスタンダードなんかもね。言ってみれば「型」じゃないですか、でも単にBGMになっちゃう人とかさ。そこは才能の問題だったりするんだろうけど、マイルス・ディヴィスみたいに「型」っていうことを否定し続けて、スタイルを変え続ける芸術っていうのもあるし。ある種、大きな視点で観ればさ、僕らがやっているのも、 いわゆる、クラブ・カルチャー。/ダンスミュージックっていう「型」のなかにいるかも知れないし。そのなかのチャレンジだったり。それを取っ払ってしまうと、かなり大変なことに(笑)。 K:洗練されていくと確かにそれしかないっていうぐらいの筋が残るのかもしれない。でも、TBSでやってることは、意外とそういうオーソドックスな部分もあるじゃない?

A:まぁそうだね。

K:その部分っていうのは「型」を使ってると思うんだけど。それが際立つヤバいところにそのリフ『チャッチャッ・チャッチャッ・チャチャッチャ…』とかさ(笑)。それはね、そういう風に聴こえたら、もうそれでOKなわけだっていうね。その「型」の原型を浮き彫りにさせたいって言う欲求があって。

A:それはなんていうか、ダンスミュージック的だよね。ヒプノティックなね。 K:それは残るんだわっていう強烈なね、プラネット・ロックのリフみたいな。そういうのが出てくるとなんか嬉しくなっちゃってね(笑)。 K:そうだね。洗練されていくと「型」が残るかも知れないね。でもその「型」を引き継ぐのは難しいことだと思うんですよ。例えば、今みんなエレクトロという「型」を再構築しようとしてたりするじゃないですか?そこにもの凄いクリエイティヴィティーだったりとか、魂が入ってたりすれば、すんなり楽しめると思うんだけど、「型」にしか聴こえないものが多すぎる。それは「型」だ。っていう。それだけ見せられても困るっていうね。オリジナルが生まれてきた背景のカッコ良さまでは到達しないっていうか。やっぱね、相変わらずその時代のもののほうがカッコ良く聴こえちゃうっていう。みんなちょっと「型」に頼りすぎっていうか。ま、業務的に考えたら今は「エレクトロでポップなメロ書ける人いませんか?募集中!金になります。」み たいな看板がそこら辺にあるけどもね。 K:TBSはやっぱりやらないんだろうなぁ。やる必要がないっていうか。そこで仕事してもしょうがない。それよりも重要なことをやらなきゃね。もうちょっといい仕事をしたいっていうか。ま、なんか挑戦しなきゃいけないっていう。

A:一枚目のEPからアルバムに至るまで、挑戦しながらもフリーにやってる部分はあるよね。裸になって、パーソナルなことをやろうとしてるね。毎回ね。

K:そうだね、そこがテーマみたいなものでもあるもんね。

A:もちろんさ、例えば、インスピレーションの元としてこの曲のこことかってピックアップして始めたら、でも全然ちがうものになったりしてね。

K:とっかかりのきっかけにはなってもね。

A:なんかのきっかけではあるんだけど、でも何かしらのきっかけがないと。どんな天才でも誰からも何からも影響を受けないで作品をつくるっていうのはないと思うし。今回はそこから、2人でコラボレーションしてセッションしてるから。さらに自由にやれる感じがあるよね。

K:ハマりこまないっていうか。ダイナミックなところが出てるとは思うよね。まぁ、緻密に一人でつくりこみましたっていうのも、それはそれで好きなんですけどね。うわぁ、良く作ったね、深いとこまで連れてくねぇ。とかあるじゃない。でもTBSはダイナミックさが楽しかったりするっていう。ディープに聴こえても、オタク向けじゃないぞこれ。どっちかっていうと遊び人向けだっていう感じだね(笑)。

A:だから、一人でやってるともしかしたら、遊びを出す部分が難しいんじゃないのかな?逆に2人で一緒にやった方がお互いの遊び心をシェアできるっていうか。

K:そこはマジックだよね。

A:うん。それがひとつのメッセージでもあるよね。

K:だから、それは音楽ってことだよね。それがパーティーを作ったり、レーベルを作ったり。人と繋がることのきっかけの種みたいなものだから。

A:10年前に知り合ったときの出会いだったり。遊びが始まりでもあったりするわけだから。そのころのスピリッツが入ってる。

K:最終的にみんなで盛り上がりたいっていうか、楽しみたいっていうか。

A:みんなで遊びたいっていうか、みんなでいいことをしたいっていうかさ。

K:芸術として音楽の一番の特徴はそこだと思うんですよ。やっぱり画家の人はなかなか一緒に描くっていうのは難しいと思うんだけど、音楽はバンドだったりとかさ、一緒に演奏してようやくなんだか不思議なウネリがでたとかさ。TBSでもやっぱりそうなんだよね。一緒にやる作用にそこに磁力みたいなものが生まれて。マツさんともコラボレーションできたりさ。なかなかああやって、一人でさ、イマジネーション豊かにね。凄い才能だと思うんだけど、でもそういう人も一緒に遊んでくれるし。ディクソンもそうだし。レーベルも出来ちゃったりとか。そうやって、結びついてきて。有機的に繋がっていける。"gallery"ももちろんそうだし。みんな(音楽の)そういうのがわかってて、そういう魅力があるから。パーティーやったり、音楽、DJ、制作。一人の天才のための発表の場ではないし。

A:ホントそうだよね! K:アーティスト、アートの役割があるんだよね。アーティスト、アートが金勘定の人になっちゃったら、エネルギーを人に伝えられないっていうか、人から奪うことになっちゃうんですよ。今やアートも弱ってしまったのかな。TBSはアートをやるよっていう宣言でもあるよね、今回ね。本当に優れた芸術っていうのは節々にいい仕事を、アーティストが亡くなった後もね、作品が仕事をし続けるっていうね。命のように続いていくんだよね。生きてる作品っていうかね。そういう仕事をね。

A:フィーリングで生きてると、それをシェアする人間関係が重要だよね。

K:それに尽きるのかなぁ。面倒くさいことがあっても、けんかしてでもね、一緒に遊べた方がいいんですよ。迷惑かけたりかけられたりするけど、ね。しかし、一緒に遊べなくなったら淋しいですもん。いくらこんな機械がいっぱいあったって(笑)。オレ一人だったらどうすんのこれ。っていうね。

A:ほんとそうだよね。

K:作品を作って、こうやってインタビューされててなんだけど、アルバム作ったのも発表会っていうわけじゃなくて…。こういうコミュニケーション・ツールを作り上げたから、これから一緒に遊びましょうよ。ってことなんだと思うんだよね。そんな深刻なもんじゃないっていうか。売れてくれればもちろん嬉しいけど、でもそこが全てじゃないって。思える。今回出来上がったものが、正直に2人の関係やらいろんなものが入ってるから、ホントに出来て良かったって思うんだよ。

A:凄く満足してるよ。やったことはやったよね?

K:やった。

A:伝えたいことは伝えたと思うし。ぼくらの役割は果たせたっていうかさ。