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WATCHMAN

最初に音楽をやろうと思ったのは8才ですね。小学校のブラスバンド部でパーカッションをはじめて。中学校はブラバンでけっこうがっつりやって、高校の頃はバンドを組んだりしました。バンドとしてのキャリアは、18才くらいの頃からかな。その頃はスラッシュ・メタルとかをやりたくて。X-JAPANのインディーズ時代の曲、速くて激しい曲のドラムを叩いたりしていました。で、そこから札幌に行って、サタニック・ヘルスローターっていう、当時は少なかったグラインド・コアのバンドに入りました。通ってた大学のサークルでも、いろんなジャンルのバンドで叩いていました。同時に電子音楽もやりはじめました。で、東京に出てきて……。スリープ・ウォークという、エレクトロとシューゲイザーが混じったような音をやっていました。ギターとヴォーカルとで、宅録で作って。その頃に、怒髪天の人たちともいっしょにやったりして。もちろんドラムもやっていて、その後にメルトバナナにも入ったりして。 自然にこうなった感じですね。仕事では、その仕事に沿ったように音を作っていくんですけど、自分のアルバムは自己表現だから、自分が気持ちいいと思う音や、自分の好きな音色を選ぶと、こうなるといいますか。可愛い音にしようとかいうよりも、自然とできた音ですね。はじめてソロ・ライブをやったのは2005年の夏なんです。PCとかパ-カッションやドラム・セットを自分の周りに並べて、それをひとりで演奏していたんです。場合によっては立って演奏したり。エレクトロの音像のなかに、装飾的に生楽器を取り入れたり、シンセをいじったり、コーラスを入れたり、マルチな感じでやっていました。やっぱりドラムを叩いてアグレッシブに高揚していく感じは、ライブ・パフォーマンスとしては大事なところなので。単にエレクトロなものじゃなくて、生のグルーヴというか、人間の有機的なものも入れたいと思ったから、ドラムを入れようと。それで実際にライブもしてみたら、けっこう反響もあったし。そういう流れがあって、今回のアルバムに繋がったというか。PCを何台も使ったり、映像を使ったり、DJを入れたり、いろんな方法論があると思うんです。でもやっぱり自分はプレイヤーとして演奏しているときの楽しいバイブレーションを、お客さんと一緒に楽しみたいという気持ちもあります。これまで自分がやってきたことの、ひとつの集大成みたいなところはありますね。 やっぱり東京にはないような、独特のものがありますね。バンドでいうと、あふりらんぽとか。エレクトロニック・ミュージックでも、MIDI祭みたいなものもありますし。個人的には、感性重視でグワーっとやるようなところが好きというか。京都はまた洗練されていて、間を生かすような音楽性があると思うし、それにも刺激は受ける。みんなすごく面白いし。キャラの濃さがありますよね。ユニークで。狭いから、横のつながりも強くて、いろんなアーティストと繋がりやすいし。 そうですね。やっぱりゆっくり音楽を聴く時間が少なくなってきてて。そうすると、ライブで共演した人たちの音楽の情報が身近になってくる。そういう人たちとCDをトレードしたりして。あとはやっぱり、ライブを観るほうが、すごくよくその音楽を感じられる。そうやって接してきた音楽やアーティストに、自分が一緒にやりたいと思ったら声をかけたりしますし。自分のリリース・パーティっていうよりも、みんなでいっしょに楽しみたいという気持ちが強いですね。Sublimeからリリースすることになったのも、千住宗臣君のソロと共演して、それがすごくよかったから。その共演の後、彼がドラムをやっているバンド、PARAのライブを観て。そしたらそれもすごくよくて。意外とダンサブルで、しかもレーベルがSublimeだった。もともとコールター・オブ・ザ・ディーパーズというバンドでSublimeの関係レーベルのMusicmineにはお世話になっていたんですけど、WATCHMANの作品をSublimeから出したら面白いかもしれないと思って、コンタクトをとったんです。 昔、スリープ・ウォークをはじめたくらいの時期に、プレイステーションの『MOON』というゲームの音楽のBGMを作ったことがあったんですね。その曲を聴いてくださったみたいで。ドリーミーなところとカオスなところがいい、みたいな意見をいただきました。