INTERVIEWS

AZZXSSS

AZZURRO(以下AZZ) : 自分はMTV世代だったのですが、アメリカの産業ロックが嫌いでUKのニューウェーブばかり聴いていました。そこからA Certain RatioやColdcut、Soul II Soulなどレアグルーヴ~ブレイクビーツの方に流れていった感じです。大学に入ったのがA Tribe Called Quetの1st「People's Instinctive Travels」が出たのと同じ年(1990年)。そこからサンプリングのおもしろさに目覚めて、ヒップホップを掘っていきました。
SOLID STATE SOUL(以下SSS) : 小さなころはオフコースとかでしたが、高校ぐらいからメタル街道を突き進んでましたね。元々ギタリストだったこともあり、のちにブルースに興味を持って最終的にジャズに行き着くんですが、そこからクラブ系の音楽とつながっていきました。クラブ系で最初に聴き始めたのはKruder&Dofmeisterとかだったような。 SSS : 高校のころ勉強はできなかったけどギターでは認められることが多くて、それからですかね。
AZZ : たとえばJoy DivisionやPrinceは日常と違う風景を見せてくれたというか……自分の場合は完全に逃避でした。 SSS : いろいろいますが、ロックでいえばAerosmithは大好きでした。あとジャズならMiles Davis。ホントに好きでトランペットにチャレンジしたことあるくらいです。でも全然吹けなくて1年もしないうちに挫折しましたけど(笑)。
AZZ : Johnny Marrはカッコいいと思っていましたね。同世代という意味ではWild BunchとかNative Tongueとか。日本では、Krush PosseのDJ Krush & DJ Goの2DJにシビれました。 SSS : 高校のころから音楽で食っていきたいと思って、大学中退後バンド活動をしていたのですが、25歳ぐらいのときにいったん音楽の夢をあきらめてしまったんです。でもアメリカに住みたいという夢は叶えたくて1999年に渡米したんですが、NYで遊びでギターを弾き始めたらいろんな友人ができて、その中の1人がBrendon Moellerだったのです。そして彼とライブをやったり音楽を作り始めて、リリースが決まって……という感じで状況が動き出しました。その過程で「いったん諦めたのに、こんなチャンスが巡ってきたのだから、自分は音楽をやるべきだ」と思いましたね。
AZZ : 大学時代にMellow Yellowに加入したのがきっかけです。自分はそれまで専らリスナーで、バンドもやったことがなかったし、まさか人前で音楽を演奏することになるとは思いもよりませんでした。当時Q-Tipが「自分たちが新しいヒップホップを作る!」と言っていて、まんまと熱くなりましたね。すぐ上の学年にRhymesterもいて、環境的にはすごく恵まれていたと思います。それと同じ時期に「Music Magazine」などで音楽に関する文章も書き始めました。 SSS : たくさんあるのでどれかひとつにはなかなか決められませんが、NYの"Cielo"で「Beat Pharamacy」のライブを最初にやったときは感慨深かったですね。最初は自分のことを「なんだこのチビッこい痩せた日本人は?なんでライブ参加するんだ?」みたいに思ってる人もいたと思うのですが、ライブが終わったら、人種問わずその場でCDを買ってくれたり、「サインしてくれ」とか言われて、すごくうれしかったな。
AZZ : 2003年に亡くなってしまった瘋癲のM.Fujitaniが、京都に"Massive"というすばらしいスタジオを構えていたのですが、そこで行った「Fu-Ten(AZZURRO Remix)」のミックス作業は、みんなであれこれ試行錯誤してとてもクリエイティブでした。そのときに「一生こういうことをやっていきたい」と思いましたね。 SSS : 偶然同じ出版社に務めていた時期があるんです。
AZZ : "何となく気が合うほかの部署の人"という感じでした。 AZZ : あるときBeat Pharmacyの「Earthly Delights」を聴かせてもらったのですが、ギターがダビーですごくよかったので、まずはギタリストとして自分の「Nagisa」という曲に客演してもらったのが最初です。
SSS : 「Deepsketch」に関しては、何かのタイミングで「最近ダブステップ作っているんですよ」とAZZさんに話したら、「実は最近自分も聴き始めたところ」とのことだったので、「じゃあ一緒に作ってみましょうか?」という感じだったような。締め切りを決めないで曲作ってきましょう、と。
AZZ : それで初めてファイルをやり取りしたのが1曲目の「Deepsketch」。そこでお互いにいい手応えを感じられたので。 SSS : 自分は2562だったかも。Brendonからも「ダブステップが熱い」と聞いていて、それでチェックするようになりました。
AZZ : Low End Theoryでダブステップがかかるという話はL.A.のHashim Bから聞いていたのですが、音源やミックスCDなどを聴いても、正直、初めはまったくピンと来なかったんです。DBKNに誘われて「Back To Chill」に遊びに行き、clubasiaのフロアでTシャツが震えるほどの低音を浴びて、初めて「こういうことか」と。 SSS : TECHTONIC、HOTFLUSH周辺をひととおりチェックしたあとからBurialを聴いたのですが、あのロックさ加減は衝撃だったな。とにかく「これはロックだ」と思いましたね。若いころロック聴いたときにあった、熱い何かが胸にこみ上げてくる感じを久々に感じたというか。
AZZ : 自分は2000年あたりのアンダーグラウンドヒップホップの高揚感というか、Company FlowやIndopepsychicsが持っていた「アングラだけどイケイケ」な感じが戻ってきたようでうれしかったですね。LoefahなどDMZ回りはBボーイな雰囲気があってしっくりきます。あと、BASIC CHANNEL的な要素もあったり、ダンスミュージックとして優れている。もともとダブは好きだったし、140BPMというテンポが生理的に合うというか。実際、ライブセットに組み込み始めてから観客がよく踊るようになった気がします。 SSS : 基本的には全部自然に出たものだと思います。とくに日本人だからそれらしくとは考えたことはなかったですね。逆に「やりたいことをやる感」は失いたくないと思ったかな。
AZZ : 自分も雑誌の取材ではこういう質問をよくするのですが、音楽を作る側からしてみれば、ビートメイクの最中は直感でしかやっていない。それはコンピューターベースの音楽でも間違いなくそうで、「なぜキックをこの音色にしたのか?」「なぜこのスネアをミュートしたのか?」というのは、「そのときに、それがベストだと感じたから」としか言いようがないんです。その積み重ねで出来上がったアルバムが、これまで世に出た作品と似ていないとしたら、作り手としてはそれ以上うれしいことはないですね。 AZZ : 2人ともメインのソフトウェアがABLETON Liveなので、基本的にはセッションファイルをWeb経由で交換して作っていきました。まず片方がラフを作ったらそれを送って音を足したりエディットしてもらい、戻ってきたファイルの構成を詰めてミックスまで完結させる。クレジットで「Produced by~」と書かれているのは、どちらがアイディアを先に投げ、曲をフィニッシュさせたかを表していて、アルバムではちょうど半分の5曲ずつになっています。
SSS : AZZさんの足したビートをうまく残すと芯のあるビートになるというのがおもしろかった。「バシッ」とくる感じだったりとか、荒々しい感じがすごくよかった。結構勉強させてもらいましたよ。あとAZZさんがサンプルベースなものを足してくるのに対して、自分の方は和音系なものを意図的に足したりとかしたかな。その組み合わせがすごくよかったような気がします。今Brendon MoellerとやっているManabooでもそうですが、こうした2人でやるプロジェクトって、自分が持ってないものを他方が補うという構図ができるとすごくうまくいくと思うんです。それがホントにうまくハマった。
AZZ : ときには自分が入れた要素とまったく違う形で仕上がってくることもありましたが、ほぼ100%の確率で自分の想定よりカッコよくなって戻ってくるので、ファイルを開くのが楽しみでした。自分1人でやっていたら絶対にこうした作品にはならなかったと思います。弾きという意味では自分もすごく刺激を受けていて、彼が使っているソフトシンセ「NATIVE INSTRUMENTS Massive」の音がすごくよかったので、今回の制作中に導入しました。 SSS : 自分がDJでプレイしたい曲を作ろうと思ってましたが、確かにそうなりましたね。かなりプレイしてます。
AZZ : マスタリングではこれまで以上に「クラブでの鳴り」を意識したのですが、何回かプレイした感じでは、レンジ感がありつつ厚みのある音が作れたのではないかと思います。音質的にも満足していますね。 AZZ : 楽しんでもらえればいいです。
SSS : とくにコンセプトとか決めたわけではなかったですが、「男気」という言葉はいつもキーワードで出てましたね。そういうものを感じてもらえればと。