INTERVIEWS

Anchorsong

もともとロックが好きなんです。高校に上がったころくらいに洋楽が好きになって、ニルヴァーナとかスマッシングパンプキンズとか、そういうオルタナ系のアメリカのロックバンドが特に好きで。大学に入ってからは、友達とバンドを組んでギタリストとして活動していました。他に楽器はできなかったんですけど、ドラムマシンやMTRを使って、ほぼ自分1一人で曲を仕上げていたので、その頃からソングライティングの経験は重ねていました。 もともとバンドとして活動していたころに付けた名前なんですけど、「○○song」にしようっていうアイデアがまずあったんですよ。僕ら自身というよりも、僕らの作っている音楽をレペゼンするような名前にしたいっていう思いがあって。「○○song」だと明らかに曲名なので、そういうニュアンスが出るかなと考えたんです。それで「○○」の部分を考えていたら、Bjorkの"Anchor Song"がまず浮かんだんです。もともと好きなアーティストだったし、曲自体もすごく好きだったので。Anchorは海に沈める錨(いかり)のことなんですけど、リレーの最終走者っていう意味もあったり、総じて"力強い、頼りになるもの"を指す言葉なんです。有名な曲だし、そのまま使うよりは少し変えた方がいいのかなとも思ったんですけど、そのポジティブな意味と、言葉の響きがすごく好きで、結局そのまま使うことにしたんです。もちろんBjork本人の許可は取っていません(笑)。 そうですね。とても気に入っていたので、そのまま僕が引き継ぎました。 活動当初はライブハウスを中心に活動していました。下北沢"ERA"、渋谷"club asia"、あと恵比寿"MILK"とかでよくやってましたね。そのほとんどが夕方のライブイベントで、バンドマンたちに混じって出演していました。そうするうちに、当時渋谷"ROCKWEST"で開催されていたヒップホップのイベントにレギュラーで出してもらえるようになったんです。あと渋谷"The Room"の「音ノ源」っていうイベントにも出ていました。今でも「音ノ源」は、毎月開催されていますよ。 むしろ当時は、ヒップホップのイベントばかりでしたよ。テクノやハウス系のパーティーからはあまり声がかかりませんでしたね。 そうですね。聴いている音楽の幅は当時から広い方だったので、エレクトロニックなものもたくさん聴いていました。当時作っていた楽曲を自分でヒップホップだと捉えていたわけでもなかったんですけどね。 まず単純にUKの音楽シーンが好きだったんです。クラブシーンに限らず、オーバーグラウンドも含めて。いち音楽ファンとして、ずっとロンドンという街に憧れがあったんですよ。また、自分が作っている音楽のマーケットの大きさというのもやっぱり魅力でした。あともう1つ具体的なきっかけがあって、ギリシャのアテネからライブのオファーが来たんですよ。Youtubeで僕のライブ動画を見たギリシャのプロモーターから「ライブを見たいからアテネに来ないか」って。 そうですね。当時はYoutube自体が今ほど普及してなかったんですけど、機材オタクみたいな人のブログなどに取り上げてもらって、海外の方からよくメールをもらいました。 もちろん行きましたよ。渡航費も宿泊費も全て負担してくれるというので、断る理由はないなって(笑)。でもその後のことを先に考える必要があったんです。そのオファーをもらったのが1枚目のEPを出した直後だったんですけど、ちょうどそのころ僕が住んでいた東京の自宅を出ていかないといけなくて。だからアテネでライブした後に、東京に戻ってきて新しく部屋を見つけて生活し始めるのか、あるいはそのままどこか別のところに行って新しいことを始めるのか決めないといけなかった。それでロンドンっていう選択肢が浮かんだんです。アテネから東京に戻るよりも、ロンドンのほうが近かったですしね(笑)。 やっぱり縁を感じたんですよね。ミニアルバムを1枚だけだったけれど、ひとつの形として残せたわけだし、何か新しいことを始めてみたいと思っていた矢先に飛び込んで来たオファーだったので。 そうですね。インストのアルバムだと特にそうなんですけど、一貫性に欠ける作品は通して聴き辛いですからね。 1枚目のリリース直後からフルアルバムを作りたいっていう思いはもちろんあったんです。普通はミニアルバムの次はフルアルバムが続くものだと思うし。それで「通して聴きたいインストアルバム」っていうコンセプトを掲げたんですけど、すごくハードルの高いことにトライしようとしているというのは自覚していたんです。普段からインストの作品はたくさん聴いていましたけど、そういうアルバムは本当に片手で数えられる程度しかないと思っていたので。当時手元にあった自分の曲を並べてみた時に、バラエティには富んでいても、一貫性に欠ける印象があったんです。それこそが自分に欠けているところだなとその時に気づいて。それから色々模索し始めるんですけど、結局それを見つけるまで4年間かかったということなんですよ。2枚目と3枚目のEPはそれを模索している段階で発表した作品だったんです。 そのコンセプトはこのプロジェクトの根幹にあって、今でも変わってないんです。今回の作品のテーマでもあるミニマルっていう部分も、MPCとキーボードだけで生演奏できるっていう、自分に課した制限の中から自然に生まれたものですし。バンドとして活動していた当時からエレクトロニックミュージックは好きで、そういうライブにも沢山足を運びました。でも、正直にいって全然楽しめなかった。というのも、もともと直球でスリリングなバンドもののライブがずっと好きだったので、フィジカルさに欠けるパフォーマンスに興奮できなかったんです。それが自分にとってすごく残念だった。作品を好きになってライブ見に行ったのに、楽しくないわけですからね。でも、そう思ってる人ってきっと少なくないと思うんですよ。ラップトップでのパフォーマンスがすっかり浸透したこのご時世に、そんな風に考えるのは視野が狭いと思われるかも知れないけど、少なくとも僕は今でもそう思っているんです。先日あるアーティストのライブに行って来たんですけど、ラップトップ1台で演奏していて、やっぱりつまらなかったし、実際フロアもあまり盛り上がっていなかった。だから僕はエレクトロニックミュージックのライブにフラストレーションを感じている人たちに、自分なりの回答を提示したいと思っているんです。 そうですね、1番大事な部分としてずっと残っていますね。 ずっとライブに重点を置いて活動してきたので、アルバムを気に入ってもらえたら、ぜひライブに遊びに来てほしいですね。