INTERVIEWS

Peter Hook

P:クッキーシーンは覚えてるよ。前にインタヴューしたこともあったよね。 そうなんだ! ずいぶん前になると思うけど(笑)。 そうだね。他の言語に翻訳されて発売されるのは、この本がはじめてだから、俺自身もすごく嬉しいんだよ。 うん、そうなんだ。日本で翻訳されるって聞いて、すごくうれしかった。去年の震災で日本に来れなかったのは残念だったけどね。俺の問題なんて、震災で被害に遭われた人の問題に比べたらなんでもないからね。 本当? 覚えてないけど嬉しいね。顔見たら思い出すかな。明日は来れるの? それは残念。他に誰か行きたい人がいたら、ぜひ呼んできてよ。まあ、キッズのパーティーかもしれないけど、楽しいことには変わりないさ。 初めて俺が日本に来たのは、1982年のことだった。 そう。New Orderで。すごく楽しい経験だったね。たくさんの女の子に追っかけられて(笑)。最高だったけど、もう今は誰も追っかけてくる女の子はいなくなった。みんなお母さんになっちゃったんだろうな。お母さんたちから追っかけられることは、あまりないね。とにかく初来日した時の経験は、カルチャーショックだった。女の子に、追っかけられてる!って(笑)。 24、5だったね。とにかく俺たちにとって日本は、いつも特別な場所だったんだ。マンチェスターミュージックに、深い愛情を感じてくれているのも分かったし。それからどんなバンドでプレイしても…New Order、Revenge、Monaco、Freebass…俺はいつも日本にギグをしにやってきたんだよ。他には外国ってあまり行ってないね。 うん。とにかく、俺は特別な親近感を日本に感じてるんだ。すごく素晴らしい国だって思ってる。日本の文化はイギリスとまったく違うから、そういう部分でも興味を引かれる。いつ来てもいい国だなって思える。日本の人たちの気性の良さって、顔にも出てると思うよ。俺たちはいろんな場所をツアーして周るけど、顔を見ただけで根性悪そうなやつらが揃ってるような場所もあるし(笑)。とにかく俺は、日本に特別な愛着を感じていたからDJを始めた時、日本にもDJとして行けるといいなぁ、って思ってたんだ。実際、俺がイギリス国外でよくDJをするのって2ヶ所しかない。東京とマドリッド。なぜかはわからないけどね。この2つの街がもっともよくDJしに行くところ。それで、日本に初めてDJをしに来た時に、タカ(ハシエンダイベントの日本の担当者)に出会ったんだ。それ以降、いろんなことが大きく育っていってると思う。いろんなことを一緒にやるようになった。ジャックダニエルのイベントとか。俺が日本に来れなかったのは、Joy Divisionの時だけ(笑)。まあ、この次Joy Divisionをプレイするバンドで来れるから、すごくうれしいと思ってるけど。 へぇ、おもしろいことに気づいたね。まあ、いろんな裏事情があってのことっていうか…。特にすごい理由があるわけじゃないんだけど。基本的にNew Orderのリミックスって、俺のところに全部許可申請が回ってくるんだ。他の連中はそういうことに興味がなかったから(笑)。というわけで、俺はそういうおもしろいリミックスをたくさん耳にする機会がある。おっ、こいつはおもしろい!って思うものから、カスだなって思うものまで全部(笑)。そんな中でいいものを、自分のDJセット用にとっておくんだよ。ほとんどはリリースになることがないから、これはただ埋もれさせてしまうには惜しいってものを、DJセットで使うんだ。Joy Divisionのものもいくつかは来るけど、ほとんどはNew Orderのリミックスが来るんで、そういう理由でリミックスはNew Orderのものが多くなっちゃうんだよね。
最初にDJを始めたころは、自分自身の曲をセットのなかでかけることに抵抗があったんだ。理由はわからないけど、いつも他人の曲ばかりかけていた。New Orderの人間がNew Orderの曲をかけるって、すごく違和感が合ったっていうか。でもある日気づいたんだ。俺のDJを見に来てくれるお客さんっていうのは、結局、俺がNew Orderのフッキーだから来てくれてるんだって。せっかくNew OrderのフッキーがDJやるからって来たのに、全然New Orderがかからなかったら、お客さんをがっかりさせてしまう。でも正直、New Orderは俺にとってすごく嫌な形で終わったから、あまり曲をかけたくなかったっていうのも事実。だから、オリジナルじゃなくてリミックスをかけるっていうのは、俺にとっては楽しくて興味深いチョイスだったんだよ。Joy Divisionに関しては、曲をかけてもそういう問題は感じない。どんな曲をかけても、ハッピーだよ。 マイゴッド(笑)! うん、すごくいいね!そうあるべきだよ。今、Joy Divisionの本も執筆中なんだ。 うん。9月に刊行予定。 うん、もちろん。正直、HACIENDAはイギリス、マンチェスターの局所的な現象…現象っていっていいと思うんだけど、そういう要素が強かった。でもJoy Divisionは、より世界的に知られた存在だからね。この本のほうが、より広く世界で読まれると思ってるんだ。自分でもすごく楽しみだよ。今日もまた夜、作業を続けるけど。昨日はそれで、5時間作業してた。 うん。俺は世界のどこにいっても、イギリス時間で生活することにしてる。君とのインタビューを終えたら、上に行って本を仕上げる。イギリスで作業するのと同じ時間で働くんだ。 特別な感情っていうのは無いね。自分自身の作品は気に入ってるし誇りにも思う。実際、自分が関わったことは、なんでも大好きなんだけど(笑)。そう思わないほうがいいようなものまで、俺は全部誇りに思っている(笑)。
New Orderがバラバラになった直後は、しばらく曲も嫌だったけど。聴くと嫌な気分になった。でも今ではもう、大丈夫だよ。そして、自分がいいと思うものは何でもかける。DJをはじめたばかりのころは、好きとか嫌いとかいう問題じゃなく、ただやってたって感じだった。でも今では、DJするのもすごく好きになった。実際に自分がプレイした曲をかけて、ギャラを払ってもらえるって最高だろう(笑)? 誰でもDJをやってみたらいいんだよ。でも、DJを始めて学んだことは、うまくDJをするってことは難しいってことだけどね。実際、ものすごく上手なDJって存在感を出さないものだ。ただみんな、誰がDJしてるか気づかないほどパーティーして盛り上がり、そのまま彼はブースを去るだけ。誰もが最高の時間を過ごして、そのまま家に帰る。誰がレコードをかけていたか、気にすることもなく。目立ちたいやつには向かないね(笑)。どれだけスムーズに夜が過ぎたかってことのほうが重要なんだ。俺の場合は、普通のDJとは立ち居地が違う。New Orderのフッキーっていう期待がクラウドのなかにある。普通のDJは土曜の夜に出勤して、うつむいたまま黙っていい仕事をして帰ればいい。でも俺がそれをやったら、クラウドをがっかりさせてしまうからできないよ。 すごくたくさんの意味があるよ。Joy Divisionは本当にあっという間に終わってしまった。たったの2年半が活動期間のすべて。それから30年間、その思い出から俺は目を背け続けてきた。Joy Division? 俺たちはNew Orderなんだって。その時代は仕方なかったと思う。でもNew Orderがバラバラになって1人になった時、俺は突然、「なぜJoy Divisionを封印し続けなきゃいけないんだ? 理由は何だっけ?」って思ったんだよ。そして、なんて残念なことをしてきてしまったんだろうって後悔した。今こうしてJoy Divisionをやっと祝福する機会が持ててハッピーだよ。
今、Ian Curtisのホームタウン、マックルスフィールドでのフェスも企画してるんだ。彼の死後30年を記念しての大きなJoy Divisionフェスだよ。そういうことができる時期がやっと来たんだなって思った。やっと詰まっていた何かが溶けたように感じた。いろんなことですごく落ち込むこともあったけど、こういうことができる機会は逃さないようにしていこうって思った。今俺は、マンチェスターでクラブもやってるんだ。俺の仲間がみんな来てDJしたりしてる。俺もそこでDJしたり、Joy Divisionをプレイしたりしてるけど。 Factory ってクラブ。 うん、そう。パートナーとして経営に加わってる。まったくおかしなことだけどね。今度は、正しいクラブ経営のハウツー本が書けるんじゃないかと思うんだけど(笑)。 まあ、HACIENDAってクラブは特別だったからね。あそこは「やれることは何でもやってみよう」というクリエイティヴな挑戦のために建てられたもので、現実的にクラブを経営しようなんて考えはまったく無かった。HACIENDAでは、思ったことは何でもやってみることができた。それが何であっても、夢に見るようなことを何でも実験してみることができた。たとえ、それがいくらかかろうともね。実際に払えるかどうかってことを考えもしないで(笑)。新しいクラブは、ビジネスマンのパートナーと経営している。だから俺がクラブに行って「ここ、内装を全部真っ赤にしてみたらどうかな?」って言っても、「ノー」って即答される(笑)。「地下にスイミングプールを設置するのは?」「ノー」「中でサーカスをやってみるっていうのはどうだろう?」「ノー」みたいな(笑)。今は、クリエイティヴィティーと現実のバランスみたいなものがしっかりと取れた状態でクラブ経営ができている。彼と一緒にクラブをやってきた2年間で、俺はHACIENDAで16年かけて学んだ以上のものを学んだ。「昔のほうがおもしろかった」って言われたらそうかもしれないけど、今はしっかりと現実を見ながら続けていくことができるようになった。あのころは誰も利益を上げようと思ってクラブを経営してなかったからね。それじゃ、ずっと続けていくことはできないよ。実際それで、HACIENDAはめちゃくちゃになってしまったわけだし。まあ、すばらしいめちゃくちゃぶりだったわけだけどね。そのおかげで、未だにHACIENDAにインスパイアされる人が出てくるわけだし、人の情熱に火をつけたり、かけがえのない記憶の一部になったりしているわけだから。そういうものは、お金じゃ買えない。 知ってるやつらは多いよ。自分のクラブでDJをするとき、来てる連中は大抵18歳から25歳くらいまでの若いやつらだ。自分がすごく年取ってるような気になるよ。でも、そんな連中から、すごくリスペクトされてるのを感じる。「生きてる伝説」って呼ばれて。まあ、そういわれても「死んじまった伝説」よりはマシだって程度だけど(笑)。実際、状況は昔とは大きく違う。彼らの両親の年代が、俺の音楽を聴きながら青年期を過ごしたジェネレーションなわけで、両親が聴いている音楽を聴きながら、こういうキッズは大きくなったんだ。DJしてるとそういう若いやつが近づいてきて、「俺の父さんがよろしくって言ってました! 1981年にあなたのギグを見て、感動したそうです」とかいうんだ(笑)。まあ、すごくうれしいね。誰かの子供たちに、父さんたちのジェネレーションの音楽は素晴らしかったと思ってもらえることはさ。 おっと、それじゃ、君にも何が起こったか全部知られてしまってるわけだね。翻訳、大変だったろう? そう言ってもらえると、本当に嬉しいね。ありがとう。 別にそんなつもりはなかったね。俺が1つ今までの経験で学んだことは、誰もがそれぞれ、自分の思い出ってものを持ってること。誰もがそれぞれ違った形で、「これが本当に起こったことだった」って記憶を持っている。だから本の最初に書いたように、これは俺の記憶のなかで正確に起こった出来事だったってことで、誰にとっても絶対的な真実だったってことじゃない。それに、こうして話をしてるだけならいいけど、いろんな悪さした話を実際に文章にして本として出版すると、ただ話しただけとはまったく違う重さがそこに生じてくる。ダーティーな話を、ただ話してるだけならいいけど、活字にしたとたん、「うわあ! なんてひどい!」って思うんだ。書くって重いことだよ。ずっと残るしね。だから、一生残ってもかまわない、って思えるものしか活字にしちゃいけないと思う。インターネットのせいで、どんな昔のことでも、永遠に残るようになってしまったから。ライヴやイベントも、「ああ、覚えてるよ。本当に最高に素晴らしかった」って思っていたものが、YouTubeにアップされてて、見ると「…あれ、それほどじゃなかったかな」って。頭の中の記憶だからこその神話や素晴らしさっていうのも、嘘じゃないし存在してると思う。でもそれをそのまま目にすると…。たとえば俺が初めてピストルズを見たフリートレードセンターのギグ。あれを見て俺は衝撃を受けて、ミュージシャンになろうと思ったけど、もしあのギグを俺が今YouTubeで見たら、同じように思うかわからない。とにかく、俺は本を書く時に、自分が一生このことを言われてもかまわない、と思うことだけを書こうと決めていたんだ。それと、あまり人を非難するようなことはしたくなかった。本を書きはじめたころは、あんな結果になることに関わった全員を非難してやりたい気持ちがあった。でも書いているうちに、自分だってそういう連中となんら変わりなく、悪かったんだなってことがわかった。そういうことを起こさせてしまったんだから。あそこからいろんなことを学んだよ。それで結局、誰のことも批判することは止めようと思った。まあ、難しいシチュエーションではあったね。フィクションじゃないわけだから。でも、本の"著者"って響きは単純にすごく気に入ってるね。俺が本の"著者"なんだぜ、って(笑)。 いたよ。 マネージャーの1人だった、ペニーって女の子。ある表現が気に入らなかったらしい。まあ、それで訴えるとかそこまでいったわけじゃないけど、気に入らないっていうから、ペーパーバック版ではそこを書き直した(※日本で発売される翻訳書は、ハードカバー版を元にしています)。書き直しに関しては、俺にとってはそんなにハッピーなことじゃなかったけど、それで彼女がハッピーなら、まあ、俺も結果的にはハッピーかなって。大したことでもなかったし。俺は誰のことも、意図的にアンハッピーにしたいとは思ってない。…たまにはあるかもしれないけど(笑)。 そう言われたらそうだね。でも歳をとったらわかることだけど、結局何か悪いことが起こる時って、自分がそうなることを許してしまってる時なんだよ。それを思えば、誰のことも簡単には批判できなくなる。「これはNew Orderの金だ。もうやめろ!」ってはっきり言えていたら、「あ、そうだね。ごめん」って、もっと早くに済んでいたことだったかもしれないんだ。まあいいや、って続けさせていたのは俺たち。だから、"俺たち"全員の問題だったといえる。でも、ある意味こうして本にできたことで、俺の心なかの何かがやっと一区切りついたというか、楽になった部分がある気がする。今度、Joy Divisionの本を書くことで、Joy Divisionのことでもいろんなことが楽に思えるようになるといいなと思ってるよ。実際、書いていてすごくおもしろかった。自分自身の人生も含めて。 うーん、なんて言ったらいいかな…。難しいね。誰かと一緒に仕事を始めるころって、いちいち細かな金の勘定のことより、「俺たちは一緒の船に乗ってるんだ! さあ、どんどん一緒に進もう!」みたいな気持ちが先に出てくるものだ。でも長年一緒にやっているうちに、進みたい方向性や考えていることに、次第にずれが生まれてくる。今振り返って思えば、Rob Grettonは根っからのギャンブラーというか、ギャンブル中毒だったんじゃないかな。HACIENDAは彼の、一世一代の大勝負だった。そして、絶対にそのギャンブルを止めようとはしなかった。どこからでも構わず、金を見つけられるところからかき集めてきては、彼はHACIENDAにつぎ込んだ。ただギャンブルを続けるために。うまくやれるはずがなかったよ。オープンした初日からね。でも、彼は絶対にそれを認めなかった。ある意味ではそこまでの強さを持つ彼のキャラクターを、リスペクトしなきゃいけないと思う。絶対に諦めない。絶対に勝つまでやるって。彼がやったことの多くに納得できないことはあるにしても、彼がすばらしい信念の持ち主だったってことには変わりない。すごく強い人だったと思う。間違いなく、伝説は生み出した。アシッドハウス、マッドチェスター…。彼がいなければ、そんなすべても生まれてこなかったかもしれない。彼ははっきりと、自分が生きた印を世界に刻み込んでいった人だった。 まあ、エクスタシーには間違いなく、白人の男を踊らせる効果があるよ(笑)。脳の中のタブーみたいなものを、すべて吹っ飛ばすような効果がある。誰にどう思われようと、構わないような。たとえばその辺(注:一流ホテルのラウンジにて取材は行われていました)で急にダンスしたいと思ってもやらないのは、他の人になんて思われるだろうって意識がどこかにあるから。頭がおかしいと思われるんじゃないか、とか(笑)。でも、エクスタシーを入れていると、「もう、人からなんて思われようとどうでもいい、やりたいことをなんでもやってやる」って気になる。まあ、長年の経験からいって、ドラッグについて言われているほとんどのすばらしい効能っていうのは、全部嘘だって俺は知っている。ドラッグのせいで人生をメチャクチャにしたり、体をボロボロにしたりしたやつらを、俺はあまりにたくさん見てきた。ドラッグをやることは、かっこいいことでも、すばらしいことでもない。ドラッグに関わることは、本当にただ厄介なことをしょい込む以外の何ものでもないんだ。本当に注意してなきゃいけない。今俺は、俺みたいな人間がそういうことをちゃんと伝えなきゃいけないと思っている。あそこに、賛美されるようなものは何ひとつない。ハッピーマンデーズがやったことは、ある意味では何も知らない無垢さと、バカさの結果だった。俺は自分の体験から、そういうことを痛いレッスンとして学んだよ。 バカみたい、って言われるよりは、かわいいって言われたほうがいいね。まあ、楽しかったらそれが自然に現れてくるってことかな。人を完全に楽しませるための仕事をしてるわけで、楽しくできなきゃ意味ないからね。ただつっ立って、ちょこちょこっとプラグを調節するだけのDJしても楽しくない。まあ、そういうDJをする連中も実際たくさんいるけどね。 ずいぶんスタイルは変わったけどね。昔はオーディエンスをイラつかせる選曲が多かった。何であんなのをフロアでかけたんだろうって、自分でも思うような。 たぶん、頭がおかしかったからだと思う。Johnny Cashとか。MC5とか。時にはうまくいったけど、時には最悪な結果になることもあった。DJのやり方がわかってなかったんだ。今では夜通しフロアを熱く盛り上げるやり方がやっとわかってきたよ。どの曲をかけても、みんなが「うぉーーーっ!」って盛り上がるような。曲をかけたとたん、みんながさっとフロアから去っていくような曲は、もうかけない。おもしろいけどね。昔と今とでは、ミックスを作っても全然違うと思う。今は全部盛り上がるエネルギーにあふれた曲ばっかり。昔はなんだかよくわからないスローな曲…Johnny CashやThe Beach Boys)、MC5、The Stoogesみたいなものをよくかけてた。悪くはなかったけどね。車でドライブしてる時にかけると、気分がいい曲だったんじゃないかと思うけど、土曜の夜0時のクラブで盛り上がるような曲じゃなかった。誰も楽しみにクラブに来てるわけだからね。それで俺の方が変わったんだ、かなり。 今ではもう、やってないけどね。始めたころは、DJって何をしてればいいのかわからなかったんだ。バンドをやってたころは、ステージに上がれば、みんなが演奏してる俺を見てるのが普通だった。いつも俺は、何らかの形でステージで動き回ってて、みんながそれを眺めてるのが普通っていうか。でも、DJは1回曲のプレイボタンを押したら後の3分半ぐらいの間、何もすることがない。客は俺を眺めてる。俺は客を眺めてる。そんな変な距離感っていうか。まあ、それで、何かしなきゃいけないかなって思って。いろいろ動いてればただぼんやり立ってるだけじゃなく、「あ、何かやってる」って思ってもらえそうっていうか。まあ実際、何かやってないわけじゃないけどね。今は友達のアーサーベイカーに、イコライザーでいろんなおもしいことをやるやり方を教えてもらったから、それでいろいろメスアップして楽しんでる。エフェクトで音にハイやローの波を作るっていうか。それでクラウドもその波に乗れるような。ちょっとしたトリックみたいなものだね。今まで、そういうDJしてる時の質問ってされたことがなかったから、おもしろいね。 まあ、今ではちょっとはDJの腕も上がったから、そんなに余計なパフォーマンスを入れなくてもすむようになったけど。 HACIENDAを始めた人たちっていうのはすごくオープンで、新しい考え方を熱く支持する人たちだった。そういう意味ではイエスとも言える。ブルーグラスジャズナイトをやってみたいって話にもすぐにのったし、ハードハウスもやってみたらいいって、すぐにチャンスを与えた。何がそこから起こるか、見てみたかったんだ。何に対してもとにかくやってみた。でもそれは、意識して「ジャンルの壁を崩していこうぜ!」と思ってやったことじゃない。ただ、何でもやってみようぜって思ってただけ。人生もそういうものさ。何がいいかなんて、とにかくやってみなきゃわからない。そういう実験ができたことは、すごく楽しかったよ。 ノー。そういう意味では、全然実験的ではないね。俺がDJする時は、いつも昔のものを18から25ぐらいの若いやつらにかけるけど、やつらは全然そんなこと気にしない。ただ、いい音楽かどうかってことだけ。あそこにはフロアが3つあって、DJが気に入らなかったら、客はすっと違うフロアに消えていく。シビアなもんだよ。1曲間違った曲をかけただけで、それまでいっぱいだったフロアが空っぽになる。くそっ!って(笑)。でも、そんな風に3つのフロアを客が自由に一晩中行き来してるのは、すごくいいことだと思うね。最高だよ。ただ、HACIENDAみたいなクラブは、世界中どこを探したってありっこない。最高に成功した2つのバンドが、あのクラブを経済的にずっと支え続けてたわけだから。そんなことができたクラブなんて、他にないよ。Joy DivisionとNew Orderは、16年間もあの街を楽しませ続けたんだ。 うん、君たちにぜひ絡んでもらいたいね。 今、初めて言ってるんだよ。この本って、いつ発売? 会場で、サイン会とかできる? 2晩ともやれたら、ぜひやろうよ。それで本もたくさん売れる(笑)。もし予算があるなら、このプロモのためにだけ来日して、インタヴューなんかをやってもいいけど。取材でも何でも、やれることがあるなら、なんでも協力するよ。タカとも相談して、できることは何でもやっていこう。 マンチェスターバンドがいくつかやってくるし、DJもマンチェスターから数人連れてくる。日本人のDJも何人か参加するだろうけど。すばらしいロケーションだと思うし。すごくきれいなところだよね。まあ、写真で見ただけだけど。イビサみたいな雰囲気にできるんじゃないかなって思ってるんだ。そこで本のプロモもできたらいいね。サイン会でも何でも。1晩4000人の収容を期待してるから、かなり売れるんじゃないかな。細かな話は出版社を通してもらえたらいいよ。