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Marco Latrach

Emilie McGlone:パタゴニカが2008年に設立されてから、私たちは定期的に社会と政治、環境問題に対して挑戦してきました。最初の年は、ピースボートと環境保護のNPO団体CODEFF (チリの植物と動物を救う国民委員会)によって募金を募ることに着目し、2度目のチリツアーで私たちはチリの歴史上最大の大地震に見舞われ、南チリの地震と津波の被害に会った人たちの救出に注目しました。
毎年私たちは規模を拡張し、数々のアーティストがイベントに参加し、多くの援助を受けることができたので、パタゴニカという団体を続けてくることができています。アーティストと活動家を一斉に集結させ、クリエイティブな表現方法でパタゴニカの自然保護のために働きかけ、環境問題に取り組んできました。チリでは、パタゴニカDJコンテストは国内数カ所で開催され、首都サンティアゴでの決勝の前に3大都市で予選が行われています。
より多くの人にこのコンテストを注目してもらうためにも、私たちはパタゴニアポッドキャストを立ち上げることにしました。それは、私たちのウェブサイト www.parties4peace.com からダウンロードでき、Pier Bucci、Argenis Brito、Dandyjack、Butane、Felipe Venegas、Francisco Allendes、Francisco Ruiz-Tagle、Ryo Tsutsui、Hiroseといった著名なアーティストと、チリ出身の私たちの最新アーティストMarco Latrachによるパタゴニカを保護するためのメッセージが含まれています。 Marco Latrach:僕が小さかったころ、シンガーをやっていた僕の従兄弟が"Sol & Lluvia" や "Los Jaibas"のようなラテンの音楽をプレイしていたコンサートに参加して以来だね。
僕が初めてレコードをプレイしたのは13歳の時で、友人からレコードのコレクションを買い取ったんだ。その後、小さな250ワットのモノ音質で発信していた"Andro'meda"と言うラジオ局でプレイし始めたんだよ。それが始まりで、当時高校生だった僕は、僕より年上の生徒たちのためにパーティーをオーガナイズし始めたころで、レコードをもっと買いたくて貯金をしていたんだ。
初めて買ったターンテーブルはテクニクスのSL-23で、"Nahuel"と言う本屋で買った物と、2つ目は学校の友達から買ったAKAIのものだったね。これらのターンテーブルを使って、17歳の時に自分の家の居間でミックスの練習をしたんだ。何時間にも及ぶ騒音に我慢してくれたお母さんの我慢強さに、今も感謝しているね(笑)。 Marco Latrach:僕が初めてプレイしたパーティーは、僕が住んでいたチリで6番目の街での友達の家のパーティーで、夜12時まで僕にプレイさせてくれたんだ。その時僕はまだ14歳だったから、両親が許してくれるようになるまでは家に早く帰らなきゃいけなかったんだ。

僕が初めてレジデントを獲得したのは17歳の時に"Ad-hoc"と言うクラブでなんだ。 その後僕は、映像コミュニケーションを専攻するためにサンティアゴに移って、その2年後にはジャーナリズムの勉強をしたんだ。学校での勉強が終わるころには、ミニマルミュージックの世界に入って、そこにどっぷりとハマって楽曲活動を開始したんだ。この時期に僕はサンティアゴにクラブを作ったんだ。 Marco Latrach:僕が初めて作ったトラックは電子音楽のコースを取った後に、全く独学で作ったものだったんだ。プロツールズを使って、仕事的にとっても努力を強いられるものだったけど、このトラックと一緒にブエノスアイレスのサウスアメリカンミュージックコンファレンス(SAMC)に行くんだという意気込みがあったんだ。この曲の名前は"Splash for SAMC"。この曲を制作したことをきっかけに他人と音楽を共有する楽しさを知って、その後2年間ブエノスアイレスのKSKラジオのレジデントになったんだよ。僕はこの機会にチリの音楽とアーティストをメジャーに発表することができたんだ。そのころにはチリのDNWレコードから僕は、自分の楽曲をすんなりリリースすることができたんだよ。それはシンプルなトラックで、でも僕の提案はかなり大胆で、フルティのループをプロツールズに読み込んで作ったものなんだ。いっぽうで僕は、聞いてくれた人が進化と本物の提案を見つけられるように初心を忘れないようにしているんだ。 Marco Latrach:チリのクラブシーンには音楽と自然なインスピレーションがあるね。時には政治的なメッセージを感じることもあるね。それはチリの社会的背景と傾向によるものなんだと思う。そして僕はチリの音楽は我々の起源と土着の文化によって豊かにされていると信じているよ。不運なことに、今日ではその土着文化の習慣は薄れつつあって、ほんの少しの人たちしか昔ながらの生活をしていないんだ。 Marco Latrach:実際長所と短所を挙げることは難しいね。どちらかというと僕自身が楽曲制作に時間を捧げて、クラブムーブメントを作っている立場だからかな。音楽を作って、パーティーのための場所を提供して、ということを僕自身のやり方でやらなくてはいけないからね。だから、クラブシーンというものはあなたがどれだけ働きかけたかによるのだろうね。 もしあなたがクラブシーンの代表者であるとしたら、あなたが怠けていてはシーンに悪影響を及ぼすことになってしまう。チリはまだ豊かとはいえない国なんだ。だから、もしあなたが有名になりたいと思ってたら、セルフマネージメントはとても重要だね。これは僕がどのように始動して、どのようにプランを温めて、その後自分自身のパーティーをオーガナイズしているかが今日の結果に至っているのだと思うよ。 Marco Latrach:新しい楽曲とは僕にとって心から来るものなんだ。それはユニークなエネルギーをくれるものであり何か新しい試みを受け入れてくれるものなんだ。
それをパン作りに例えると、日常的な原料を使ったパンとは違うもので、このパンは原料プラス深い感情が必要なんだ。それをコーヒーに例えると、毎朝作るお気に入りのコーヒーにスプーン2杯の砂糖を入れるだけものとは違くて、スプーン2杯の砂糖プラスめいいっぱいの愛情が入っているのもなんだ。
そこには "Masaru Emoto"の研究で、感情はどのようにして水面に影響を及ぼすかと同じことで、それは結構大切なことで、あなたが我々の身体は本質的に1つの要素からできていて、だから音楽も我々の身体に影響を及ぼすものであるんだ。これは目を背けられない法則なんだよ。 Marco Latrach:僕はただ他のアーティストと同様にDJコンテストに出場して、自然とここにたどり着いたんだ。前年のビナデルマールで行われたコンテストを見てから僕自身も出場する気になって、それで僕のDJミックスをオンライン上の出場者の投票に送ったんだ。僕は3年連続出場して、毎回パタゴニカのキャンペーンの価値を確認したんだ。
その前には1990年と1994年の間に "Mundo Ecolo'gico"と言うラジオプログラムを担当していて、このプログラムで文学と良質な音楽を使って環境問題のキャンペーンをしていて、僕たちの音楽と全ての活動に対して多くの人たちが「僕たちの世界は、僕たちで守らなくてはいけないんだ」と言ってくれるようになった結果を見ても、パタゴニカの活動は僕が続けてきたことの結晶であると確認したんだ。 Marco Latrach:正直言って、今回のツアーは僕にとってとても特別なものなんだ。なぜかというと、音楽が僕の人生の経験値を上げてくれて、特別な人たちとの出会いに導いてくれて、今まで知らなかった文化を共有することもできるし、そして出会った人たちに僕が何を感じて、何が楽しいかを伝え、共感してもらうことができたら良いと思っているんだ。僕はダンスとポジティブなエネルギーと音楽の旅がいっぱいの素晴らしい日々を多くの人たちと共有したいと思っているよ。 Marco Latrach:僕はヴァイナルが大好きなんだ。1枚1枚の音楽性がそれぞれ長い時間を経て蓄積されるから。ヴァイナルでのプレイがうまくいった時には最高のプレイになるね。それにヴァイナルとラップトップは良い組み合わせだし、僕はいつも万が一のためにCDも持ち歩いているんだ。
僕自身のプレイは今のところヴァイナルとトラクターを組み合わせているもので、ヴァイナルでプレイできない状況の時は、CDJとトラクターの組み合わせでのプレイになるね。 Marco Latrach:私はチリ人がよく「全てに対してオープンである」と言うように、決して忘れることができない、エキサイティングな経験ができる生活に対して準備ができています。平和のためのメッセージを捧げ、音楽と一緒に旅をして行くために、新しい場所と新しい人を知っていくことに対してオープンでありたいです。そしてそれらのことを経験し、素晴らしい時間を過ごしていきたいです。