ちなみに、3つを繋げたのは、Fishmansの曲で「宇宙 日本 世田谷」というのがあって、そこからです。Fishmansは大好きですね。 やはり、最初は曲単位で制作していたこともあり、DJの視点中心で作っていたんです。自分のアルバムだから無理をして内容を180度変えようとは思わなかったですね。無理して自分に合わない曲を作ったとしても、結局は自分の物ではないですから。 「Strictly Street (My Home Setagaya)」ですかね。ヒップホップのビートを引用しているのですがノイズがひどくて、それを取り除くのにちょっと苦労しました。そして僕の場合、タイムストレッチを使用せず、ビートの部分を切り刻んで、ひとつひと調整して違和感のないビートを作っているです。タイムストレッチだと恐らくこの音の感じは出ないんではないでしょうか。 やはりアルバムを買ってくれた人のことを意識して作ってみては?とアドバイスがありましたね。 いえ。Teruyuki Kurihara aka Cherryくんという
ルールとか、セオリーがない、とにかく何でもOK。告知も友達同士だけで、しかもフリーパーティー。超アンダーグランドだし、それで成り立つのが良いですよね。こういう遊び方もあるんだって。だから日本に帰ってからは、いろいりなパーティーに遊びに出歩くようにしたんです。そうしたら、徐々にテクノとかハウスとかにも興味が出始めました。 日本に帰国したのが2004年で、ちょうどJeff Millsが渋谷の"Womb"で「Time Sensitive 2004」という、4週連続パーティーでDJするという企画をやっていたんです。そこでは、KenseiさんやKen Ishiiさん、あとはデトロイトからDJを呼んで同時にブッキングされていたり、いろいろな人とセッションしていたのを覚えています。僕にとってのダンスミュージックはデトロイトテクノが入り口で、少しずつハウスとかにも興味を持ちはじめたんですよね。僕にとってデトロイトテクノの魅力の1つは、大好きなヒップホップとアティチュードが似ているところ。だから僕自身ヒップホップからデトロイトテクノへは入りやすかった。 90年代半ばのヒップホップです。Jeru the Damaja、Black Moon、O.C.とか、もちろんA Tribe Called Questも聴いてました。ミドルスクール中盤以降からニュースクールにかけてですね。 もともとは、ハードコアを好きだったんですよ。Kornとか、Coal Chamber、Mudvayneとか、95年のニューメタル。そこからDJ Qbertとか、D-Stylesとかのスクラッチ系ブレイクビーツを聴くようになっていく中でヒップホップに傾向していきました。 それは中学生の時に。その時はアメリカに住んでいたんです。授業中にTRFをヘッドホンで大音量で聴いていたんですよ。 当時、住んでいた家の近くに日本の映画やテレビ番組とかを置いているレンタルビデオ店があったんです。そこで、「ミュージックステーション」とかの日本の歌番組を親が借りてきて観ていたんですよ。あと、リトルトーキョーでも、日本の音楽が売っている場所があったので、そこで買って聴いたり。その時は、TRFとかの小室ファミリー全盛期でよく聴いていました。同時にオリコンで上位のJ-POPを聴いていましたね。 はい。その時に、隣の席に座っていた、マジックでツメを真っ黒に塗っている、いかにもハードコアを聴いてそうなアメリカ人の男の子がいて、彼が「何を聴いているんだ?」って僕に話しかけてきたから、ちょうど聴いているのを聴かせてあげたんですよ。そしたらその彼が、「こんなワック(偽物)な音楽を聴いてんじゃねーよ、コレを聴け!」って渡されたのがKornのCD(笑)。最初、聴いたときは「何コレ!?」ってなりましたよ。だって、ボーカルが泣き叫んでいるんですから(笑)。 そうです。ただ、その時って友達とうまくいってなかったり、反抗期だったり。個人的にもいろいろあった時期なんです。だから。。。 ガツンと来ちゃったんですよー(笑)。そこからツメを黒く塗り出したり、ラバーソール履いたり。。。それまで僕にとっての音楽は、家にいて勉強する時に軽く聴く程度だったんですけれど、そこから音楽が中心の生活に変わりましたね。 そうです。 そうですね、、、作品でいうと、Miles Davisの『Bitches Brew』というアルバムですかね。 そうです。あと、彼の『Dark Magus』というアルバムも好きです。それに、やはりKornとJeru the Damaja。Matthew Herbertにも影響受けましたね。"少年ナイフ"にも。 今も週末には図書館へ行ってCDを借りたりして、昔のいろいろなポップスを聴いています。意識的に音楽は、いろいろと幅広く聴くようにしてます。 20歳の時かな。バンドもやっていなかったし、もともとは純粋なリスナーでした。 周りの友人が音楽を作っていたので、そこから興味本位です。当時の大学の友人に「Fruity Loops」という音楽ソフトを使っている人がいたので教えてもらって、それを使って音を作りはじめました。ちょうどDJもやっていた事もあり、自分が使いやすいトラックを作りたいと思いはじめたんです。 そういう訳ではなく、、、ただ自分の中で「こういうのがあったら良いのに!」という衝動で音楽を作りはじめましたね。その後にサンプラーのMPC 3000という機材を買って、それから今に繋がるヒップホップやハウスとかを作り始めたんです。最初は、手探りで遊び感覚でだったので、曲として完成しているものはほとんど無かったですね。いわいるオリジナル曲は大学を卒業して、「Logic」という音楽ソフトとシステムを導入してから、本格的に作り始めた感じですね。 「Logic PRO7」です。僕はそのLogicでは基本的な操作しかしないんですけれど、僕にとっては使いやすいんですよね。サンプリングには、MPC3000を使っています。サンプリングした音源を「MACKIE」の16チャンネルのミキサーを介して「Logic」に取り込んで編集という感じです。制作は、ほぼサンプリングです。 あまり自分では曲を作っているという感覚がないんですよ。どっちかというと編集感覚ですね。 そんなカッコイイものでもないです(笑)。ダンスミュージックはもちろん、とにかくもっとおもしろい音を作ってみたいですね。 24歳の時に自主制作でリリースしました。またやりたいと考えてます。ただ、個人の資金でやっているのでお金が貯まったらやります(笑)。 ありがとうございました。 ■Label web-site:
http://www.unknown-season.com
■Ryoma Takemasa "Catalyst" youtube PV
http://www.youtube.com/watch?v=m08kxHagZ78&feature=youtu.be
■Ryoma Takemasa "Catalyst" CD詳細
http://unknown-season.com/release/uscd-1002/