INTERVIEWS
>

Watusi & Venus Kawamura Yuki

Lori Fineとのユニット、COLDFEETで数多くのクラブヒットを生み出す東京クラブシーンのベテラン、Watusiがデビュー36年目にして何とソロデビューアルバムを完成させリリースした。COLDFEETのイメージとは打って変わり、彼が作ったものはディープなテクノ。なぜ、今彼はテクノなのか?今回、Watusiをプロデュースした渋谷発のウォームアップバー「しぶや花魁」発のミュージックブランド「OIRAN MUSIC」のプロデューサー、Venus Kawamura Yukiを交え2人に話を聞いた。

Interview:yanma (clubberia)
Photo:難波里美 (clubberia)

 

 

 
- 僕らはやっぱりメーカーさんが強いおかげでスポティファイ以前のところで止まったまんま。そろそろ誤摩しきれないようにも思います。 - Watusi
 

 

 

- 初めて知ったんですけどWatusiさんってめちゃくちゃキャリア長いんですね。

Watusi:ヴィーナスが生まれた時にデビューしたらしいからね。メジャーデビューだけでも8回っていう(笑)。COLDFEETが7回目。COLDFEETでも、SONYとavexとColumbiaと結構転々としてました。歌手だったら多分移籍とかにになるんだけど自分は新しいユニットとかグループだったんでなんだかんだで8回。

COLDFEET自体、日本のこと考えてなかったっていうのもあるんだけど、別にただのいちアジア人でいいだろうしね。本名でやると、それまでのキャリアが邪魔するからCOLDFEETの時にWatusiに名前を変えてね。一切色をつけないでやりたいなあと思っていて。過去を知ってる人にも、プロフィール無いからって言ってね。

前からヨーロッパ向けに名刺を作りたいなと思って自分でソロをと思った時に、ダンスの名前とかをバンド名にするのが大好きだったんで、Watusiっていう、ブーガルーみたいなアメリカの古いダンスの名前があって。それが7回目のデビューでございました。

 

 

 

- COLDFEETのレコード持っていたのでソロのアルバムは、なんか不思議でした。

でもCDっていうフォーマットはソロだったら最初で最後かもしれないね。 今や海外ではあり得ないフォーマットというか、CDアルバムっていう物の考え方が、ダンスミュージックには特にないじゃないですか。

 

 

 

- そうですね、日本がちょっと特殊ですね。

Watusi:特殊っていうかそろそろ田舎って感じかな。だって世界では既にスポティファイ以降のことを当たり前に模索してる。これまでのことを反省しながらどうやってペイしていくか、音源というものをどういう風に扱っていこうと試行錯誤している。もちろんそれは「すみません、ファンの皆様からお金頂きます」ていうようなことも含めて、いろんなことを散々トライしているけど、僕らはやっぱりメーカーさんが強いおかげでスポティファイ以前のところで止まったまんま。そろそろ誤摩しきれないようにも思います。

特に最近東南アジアに行くこともあるんですけど、ダンスミュージックの現場に関しては15年は開きができたかと感じてます。日本の田舎度はアジアの中でも惨憺たるものです。シンガポールはもちろんタイのDJやエージェントなんて日本に行く気なんて今や無いもんね。仕事無いでしょ、みたいな。そんなとこ行ってやるんだったら、みんなイビサで小さいハコでもちゃんとレジデント取れるようにとか、向こうに行けばそのままヨーロッパ内で週末は各地にも回れるからイビザは平日でも良い、みたいな感じでやってる。だから誰もわざわざ日本行ってDJをやろうなんて思ってないですよ。風営法のことや、それ以前に放射能の曖昧な説明の仕方も含めて。それはやっぱり寂しい限りだと思っています。

 

 

 

- Watusiさんは、その中でも日本で活動されていますよね。特に今世界に発信しようっていう気持ちはありますか?

結局海外に移住しなかった組で、日本にいます。実はこの前もね、Facebookにも上げましたけど少し前では考えられない様なメンバーでDJ集会をやったんですよ。ちょうどTomiie君が帰ってきていたタイミングで木村コウ君から始まりDJ NORIさん、EMMA君、田中君からヒップホップからWATARAI、ZEEBRA、MASTERKEY、HAZIME君達、テクノからYAMAさん、Ken Ishii、Q’HEY君達、本当に沢山来てくれて。実際にそんな集まりから何が生まれるかは分かりませんけど、個人的には来年アワードがやれたら良いなと思っていて。ダンスミュージックアワードを。功労賞から始まって、ベストアーティスト、ベストヴェニュー、ベストオーガナイザーとか。地方も含めてね。それを世界に発信する。そういうことをやりたいなあと夢想してます。

 

 

 

 
- 自分達の孤立している状況や自分の中の危惧感と四半世紀の反省、それらすべてにまじめに向き合って作りたいと思ったのがきっかけかなあ。
- Watusi

 

 

- アルバムについてお話を伺いたいのですが、初めて聞いた時にびっくりしたとおいうのが正直な感想でした。僕はCOLDFEETとしてのWatusiさんの印象があったので、ポップな感じが来るかと思ったんです。でもディープなテクノだったので予想を裏切られたことになりました。なぜ今Watusiさんの中でテクノなのでしょうか?

Watusi:いろんなことがあるんだけど、端的に言うと、僕は様々な今の自分のポジションも意識しちゃうんですよ。もちろん風営法関連も含めて四半世紀の反省って気持ちもあるんだけど、やっぱり日本だと3.11以降、世界的には9.11以降、そういう中にいる自分の立ち位置を意識しないでリアルなものは作れないと思っていて。僕はやっぱりクラブに来ている子たちを愛しているし、クラブに救われた人間なので、自分が思うアンダーグラウンドをもう1度ちゃんと作りたいと思ったのね。それが今、無くなっちゃったとは言わないけど、僕が思う限りずいぶん違うことになってしまっていると思うし、自分達の孤立している状況や自分の中の危惧感と四半世紀の反省、それらすべてにまじめに向き合って作りたいと思ったのがきっかけかなあ。

 

 

 

- Kawamuraさんからうちで作ろうよっていう話が合った訳ではなく?

Watusi:逆逆。ラブコールした。勝手にやってたの。3年くらい前にソロとかを考えないかっていう話は、全然違うところからあったんだけど。アブストラクトな何かをやっても面白いかなあなんて思ってたんだけど、いろいろとやることがあったりしてなかなか思うようにできなくて。でも自分の思いがあって、ずっと続けてたんだよね、仕事の合間にじゃないけど。それで今年の春に10数曲まとまったので。作ることが好きなんだし、目的は作ることだったりするので。でもそれが完成するとリリースしたいなって思うじゃないですか。その時は誰か肩を押してくれる人がいないと、自分1人でこれを作って出してっていうまでの気持ちにならなかった。じゃあ誰にっていった時にこの数年、袖触れ合った中で1番シンパシーを感じた人に最初に聴いてらおうかと思っていたら相談してみよう、って、こちらから持ちかけ企画です。

Kawamura:先ほどWatusiさんが仰っていたみたいに、年齢やキャリアも含めてミッションっていうものがあるじゃないですか?もちろんお話を頂いた時は、それに敬意を表したいというのがまずありました。それが1つと、あとCDを出したり作品を作ることの意味合いが、もはや変わってきているっていうのはビジネスだったりとか、純利益を得るようなものとしては難しくなっていると思うんです。とはいえ2014年、15年の激動の日本の状況の証をミュージックシーンに残したいと思ったんです。

Watusi:そこは偶然だけどヴィーナスが〈OIRAN MUSIC〉を始めたタイミングと作品がほぼ仕上がったタイミングが重なったので、肩を押されたいなあなんて思っちゃったんですよ。

 

 

 

- 3年くらい前からこういったトラックを仕事以外で作られていたんですね。

そう、1番最初の曲を見たら2011年に作り始めてた。まさに震災後ですね。やはりその名残もありました。実は、作った全曲をユーズドとアンユーズドで別けたんだけど、アンユーズドのトラックが30近くあった。だから最初の頃に作った曲はほとんど捨てた。どんどん気持ちは変わっていくし、そういう旬な気持ちって大事なんで。でヴィーナスとやるってことになって、ヴィーナスがプロデューサーとしていろんな意見やテーマを出してくれるので、自分なりに右往左往して新曲も作ったし、という形でようやく11月に仕上がったんです。

Kawamura:m-flowの☆Takuさんが、プロデューサーであるWatusiさんをプロデュースするなんて画期的だねっておっしゃっておりました(笑)。

 

 

 

- Kawamuraさんはどういう提案をされるんですか?

Kawamura:まず1つはベテラン禁止令を出しました。

Watusi:僕がベテランなんでね (笑)

Kawamura:テクノのアルバムを作るからテクノのベテランの人にリミックスとかを依頼するのは止めましょうって言いました (笑)。

Watusi:そこでRichie Hawtinとかは入れられなくなったんですよ (笑)。

Kawamura:あとやっぱりOIRAN MUSICなんで、できる限り女性とやりましょう、と。20代から30代まで様々なタイプのクリエイターがこの作品に関わっています。

Watusi:そうだね、Lori Fineも入れると40代まで。何なら三上君を入れると50代まで(笑)。Nonokaちゃんっていう19歳のモデルの子もいます。

 

 

 

- モデルさんなんですね。この人誰だろうと思っていて。

Watusi:もちろん初めて歌った。ののかは、ヴィーナスがプロデュースしてる代々木カリーで週何回かバイトしてる子なんですけど、4歳くらいの時から知ってるんですよ。ののかのお母さんもYELLOW界隈で遊んでた知り合いだったんですけど、その妹さんがK.っていうアーティマージュの最初のアーティスト。

Kawamura: Cutting Edgeというセクションからリリースしていた方で、Watusiさんや☆Takuさんもプロデュースに関わられていて、当時からK.さんのクラブミュージックをベースにしながらもPOPSへと昇華された作風が好きでチェックしておりました。

Watusi:K.ちゃんとはすごく仲良くて、何度もプロデュースもしていて。遊びに行ったり飲みに行ったりしていた時に姉ちゃんが4、5歳のののかを連れて遊びにきたりしてたの (笑)。 そこから15年ぶりくらいに代々木カリーにいるって聞いて会いに行ったらすっかりきれいなモデルさんになってて。

Kawamura:うちは、まるで美少女バンクなので(笑)しぶや花魁や代々木カリーで普通に才女や美女が飲んでいたり、働いてくれていたりするので(笑)その中心でWatusiさんが佇んでいてくれているワンシーンというのを演出できたら、夢があるかな~と。

Watusi:たまに登場する番頭さんみたいな感じでね (笑)。まあ、とにかく僕はお願いする条件として、僕からは決してNOとは言わないから何でも言って、っていうスタンスで。

 

 

 

 
- これがしぶや花魁宇宙なんですよ。でも逆にすごいテクノだなと思いました。- Venus Kawamura Yuki -

 

 

 

Kawamura:アートワークスもナマコプリという私的には現代のクラブシーンで、キース・へリングのような立ち位置になってくれたらいいなと思っている芸術家アイドルユニットが担当してくれています。

Watusi:もちろんOIRAN MUSICのアーティストでもあり。去年くらいからナマコプリのダンスクラシック・バージョンみたいなものを一緒に作っていたのもあってね。どういうジャケットにしようかって話していた時に、ヴィーナスがこういうのどうですかって出してきたのが、Herbie Hancockの『Thrust』ってアルバムだったんだよ。解禁だね。渋谷発銀河行きって感じのテーマなんだけど。

Kawamura:ナマコプリのふたりが日常で愛しているもの、例えば蟹味噌やお寿司もコラージュで挿入してあります。そんな自分たちの生きる渋谷の半径30メートルの感覚を、クリエイションに於いては特に大事にしておりますね。

Watusi:寿司飛んでるんだよ、いろいろわからなすぎてまずは単純に楽しいよね (笑)。なんか遊んでるって感じがある。だって相当ストレンジだよこれ (笑)。 もちろんしっかり音楽を聴いてこういうイメージでっていう前提でやってくれていて、僕を使ってどうこうする必要ないから同等に、楽しんでやってねって言って。僕は参加してくれる人が楽しんでくれることによって、僕自身の気持ちやアルバム自体がタフになるような気がずっとしているので。COLDFEETだったらいろんなゲストミュージシャンもいるけれど、今回は音についてはミックスまで1人で作業していたから、世の中に出て行くっていう段階でいろんな人たちが加わって、それぞれの想いやテイストが入ってくるのがすごくおもしろかった。たぶん48歳のイラストレーターだったらこんな風にはしないじゃない?

Kawamura:これがしぶや花魁宇宙なんですよ。でも逆にすごいテクノだなと思いました。『Thrust』は、背景が宇宙で火星とかが写っているんですけど、これは渋谷なんです。セルリアンタワーから見た風景なんです。ジャケットの中には宇宙人がいて、DJバトルを始めるんです。

Watusi:非常に面白いなって思ったのが、P-FUNKとかのアルバムを買うと中にアメコミが入ってるんだよね。そういうのを思い出したよ。

Kawamura:Ken Ishiiさんも衝撃を受けてましたよ(笑)。 病んでるよねみたいな (笑)。このアートワークの中にもいろいろファミリーがいて、DJチワワっていうキャラクターがいたり、BLOCK FMのキャラクターがいたり、子宮ちゃんっていうキャラクターとか。

Watusi:僕は一体どこに来ちゃったんだろうっていう気持ちがして最高に面白いですよ。

 

 

- お二人は、テクノとはどういう音楽だと思われていますか?

Kawamura:私KLF。何か架空のコンチネンタルがあってそこに向かう船があって(笑)。そこに弾いてるんだか弾いてないんだかわからないギターシンセの人がいて、あれがテクノかなと思います。

Watusi:僕はメンタルで言うと自分とだけ向き合うって感じかな。自分でけりをつけるっていうか、誤解も飛躍も全部詰め込んで、自分だけで作り上げるって言う感じ。自分と向かい合って。結局テクノのパーティーで踊るのだって、踊らされているんじゃなくて、それぞれみんな自分と向き合っで踊るわけじゃん。JAGATARAの江戸アケミさんの「お前は、お前のダンスを踊れ」っていう言葉も1つのテクノだよねって今回思ってた。要は踊らされないってこと。

あ、思い出したけどプロデューサーであるヴィーナスが1番最初に言ってくれた心強かった言葉は、「これはBGM、ドライブミュージックです。夜中車に乗っている時に聴いたらボリューム上げたくなるような、もう一周首都高回りたくなるような、そう言う音楽を作るっていうのがいいんじゃないですか」でした。良い意味で力が抜けた。

Kawamura:そうそう、ダンスミュージックってダンスフロアだけっていう制約が生じた時にとっても難しいんですよね。やっぱりもっとクラブに行かないような方にも聴いてほしいと思うから。コアな人は普通に聴くと思うし。そう考えた時に、最近マラソンして最後にみんなで踊るイベントとか、ヨガもアンビエントのDJがいたりとか。80年代後期に始まったテクノとかアンビエントの流れっていうのも、20年くらい経って成熟してきて、それについて行けないとダメだと思うし、そう言った意味で先ずはドライブミュージックを作ろうっていうところから始まりました。

Watusi:このアートワークも銀河へドライブだしね。

Kawamura:だから電車の中とかでも歩いてる時でも聴いてほしいですよね。通勤の時とか。

 

 

 

- 三上博史さんとはどういったご関係なんですか?

Watusi:単純に旧友です。20年近く前から知っていて。彼はソロも何枚も出していて、当時ライブもやっていて、The ThrillのメンバーやJAGATARAのメンバーとかとやってたんで。

Kawamura:驚いたのがAmbitious Loversともお仕事していたそうで、ニューヨークに渡り直談判で楽曲アレンジの交渉をしていたりするなど、音へのこだわりは強い方で、他にも久保田利伸さんの楽曲をドラマの主人公の名前で歌われていたり、当時はミュージック・ステーションなどのテレビで歌われている姿を拝見したり、私にとってはブラウン管の中のスターでした。

Watusi:僕テレビ見ないからさ、俺の中の三上博史は未だに草迷宮なのよ。寺山修司監督のフランス制作の映画があって、あれが彼の15歳でのデビュー作なんだけど、俺にとって彼はアンダーグラウンドで生真面目で、でも音楽が大好きで、急に連絡が取れなくなっちゃう奴 (笑)。

Kawamura: しぶや花魁は渋谷の道玄坂にあるので、道玄坂と言えば寺山修司さんの「天井桟敷」というイメージが私の中には強くありまして、そこから三上さんに繋がるのは自然なことですし、今回の作品に関わらせて頂けたことはとっても嬉しかったです。

Watusi:どう?って聞いたらやりたい、ありがとうってなったんだけど、スケジュールが来年の頭から始まるドラマの撮影が始まっちゃうんだっていって、間に合うかな、すぐ会おうって言って、3人で会って。結局ワインを飲んで大した打ち合わせもしないかったんですけどね(笑)。

Kawamura:実際に接してみて感じたのは本当に表現者なんだなって。月並みな言い方ですけどカメレオン俳優っていうか。真の本当に七変化する方だなって思いました。

Watusi:僕、役者さんの友達は沢山いるんですよ。若手から年配の方まで。で、みんな歌うのが好きなんだけど、三上君はまず音楽が好き。もちろん歌うのも好きだけど音楽をここまで深く好きな役者って、なかなか珍しいです。アルバム出されている役者さんは何人もいるけれども、彼は本当に音楽が好き。それもかなり濃い音楽を。

Kawamura:ニューウェーブとかに対してものすごい理解がありますよね。

Watusi:まあ、リアルタイムで経験してきたからね。歳も僕とあまり変わらないしね。
 

 

 

 
- 僕がこの作品を作り出す時に自分の中に1つあったテーマは「Me No Pop」だったんです。ポップじゃない自分を素直に出してみようっていう。- Watusi -
 

 

 

 

- 例えばどういったバンドなどが挙がってきますか?

僕は10代の頃はグラムロック全盛で、少し大人になるとBryan Ferryかっこいいなと思ったり。そこから全方位にいって、イタリアのプログレからニューオリンズの音楽まで一気に入ってくるわけで。大学に入って最初福生のライブハウス経由で基地周りもやったり、ヘビーロックばかりやらされて、その反動で帰ってきたらブラックミュージックしか聴いてなくて。それも行くところまでいっちゃって、頭でっかちになるからさ、〈Hi〉っていうレーベルのHoward Grimesっていうドラマーが叩いている曲以外は音楽じゃないと思って聴けない時期までありましたよ。Howard Grimesが叩いてる曲は全部集めよう、みたいな。

Kawamura:Watusiさんドラマーじゃないのにね。スーパーベーシストなのにね (笑)。

Watusi:でもドラムが1番好き。1番楽しいよ。音楽を自由に操れるもの。

Kawamura:作品を聴いていて、Watusiさんは真のベース好きなんだなと思いました。

Watusi:ベースライン作ったら作曲は終わりだと思ってるんで。COLDFEETはベースと歌しかないってよく言われてた (笑)。 それで、そう思った自分を救ってくれたのはTalking HeadsとかDevo。Devoの「Satisfaction」を聴いて、あ、黒人じゃなくてもオリジナリティのあるファンクってできるんだって思ったり、Talking Headsの「Take Me To The River」とか聴いて、黒人じゃなくてもオリジナリティのあるダンスミュージックができるんだなあって思ったなあ。
それで僕ももう1回ダンスミュージックを日本人である自分なりにやろうと思いながら。意外と20代30代の途中まではデビューの時のトラウマもあって、日本の業界は信用なら無いと思ってて、CMとか劇版やってお金を稼いで自分のスタジを作りをどんどんしてた。でも30歳くらいに品川に3LDKのスタジオを作ったら、そこで時代的にはバブルがはじけちゃったんだよね (笑)。それでまた音楽に戻ってきたって言う感じです。大好きな青春時代のバンドっていうとTalking Headsかなあ。

 

 

- ダンスクラシックのディスクガイドの出版もされているんですよね?

Kawamura:どちらかというとWatusiさんの昨年の活動はダンスクラシックスが多かったというのもあって、1曲目が「Freak Out」なんです。

- このジャケットデザインで、WatusiさんのCOLDFETのイメージ、1曲目「Freak Out」なのにあげないっていう。

Watusi : 本当にね、どれだけの人が試聴機のヘッドホン置いて帰ったのかなっていうね (笑)。本当にタワレコさんすいませんっていう気持ちでいっぱいですよ。これだけ見ると騙し入ってる。

もう1つ大好きなニューウェイブ時代にKID CREOLE & THE COCONUTSっていう80sのニューヨークのバンドがいて、そこのパーカッション/ビブラフォンをやっていたCoati Mundiっていう謎のおやじがいるんですけど、彼の唯一のソロで「Me No Pop」っていうタイトルのアルバムがあって、僕がこの作品を作り出す時に自分の中に1つあったテーマは「Me No Pop」だったんです。ポップじゃない自分を素直に出してみようっていう。ただね、もちろん僕は本当にセルフィッシュに作りすぎた作品の孤独感っていうのは死ぬほど味わってきているから、それを知っている人間が、それでも振り切って作ろうという「Me No Pop」な温度感っていうのはどこになるかなあっていうのを改めて確かめつつ作ったようなところもあります。

 

 

 

- セルフィッシュの孤独感というのは?

Watusi:誰とも繋がらないもん、本気になると (笑)。だって自分が本気になった時って怖いでしょ?もはや人と繋がる気すら無いんだなっていう、自分の奥の方にいる、それこそ多重人格じゃないけど。

それはやっぱり孤独じゃない?極端にエゴイスティック過ぎる作品は僕はあまり面白いとは思わないし。1回聴いたらお腹いっぱいになっちゃうしさ。買うけどきっと1回しか聴かないだろうね。そういう作品は寂しいと思ったから、ヴィーナスにもいろいろ指導してもらって。だって「Me No Pop」ってアルバムを作ろうとしたにも係わらず、ヴィーナスがじゃあこれで行きましょう、まずはこのトラックに歌付けてって言って、19歳に歌ってもらって。うわすごいわ、僕が思ってたのと、だいぶん違うけど面白いからついてこうって感じで (笑)。でも、最初のコンセプトは「Me No Pop」。

Kawamura:実際に現場に持って行って、 仲間のDJとか共通の友人かテクノシーンで活躍している人に渡したりすると意外と使いやすいって言ってくれますよ。例えば収録曲の中で言うとアンダーラインとハウスジャンキースとか、ダディーズテクノとか、すごく使いやすいと思う。

Watusi:思い直してみると具体的にどういう作品を作ろうかって考えていた時に、もちろん今やすっかりテクノのDJだから、プレイしたい曲っていうのはあるんですよ。でもそういう曲とこの作品はイコールじゃないの。逆に言うとDrumcordとか大好きだけど、日本でいろんなことをやってきた56歳が同じ音を作ってもそれはリアルじゃないと思っちゃうのよ。だからDJのツールじゃなくても良いから、まずは自分自身を意識した曲を作ろうとした。ツールとしては使いずらくっても全然良くて、らしさを1回書き出そうとしたのかなあ。よくDJが作るアルバムって、自分がプレイしたい曲を作って集めたっていうけど、僕は作ること自体が何より好きだから、まずは素直にみんなに聴いてもらいたいものを作る。

Kawamura:この曲順を決める時が宇宙と繋がる瞬間でした。

Watusi:曲紹介をブログで毎日書いてるんだけど、明日でようやく全曲終わってやっとリリパだと思ってたんだけど1曲足りなかったんだ (笑)。あと1日あります。

で面白いのはね、今回いろんな音をいろんな曲に混ぜてるんですよ。COLDFEETはデータとかアーカイブしてないのね。COLDFEETで使ってるキックの音は全曲違って、同じ音は1度も使ったこと無いんだけど、それも何故かソロでは止めようと思って。 同じキックはやっぱり使ってないんだけど、同じノイズやシーケンスを違う曲に密かに混ぜると聴こえ方が違うんだよね。違う聴こえ方だから、あまり分からないかもしれないんだけど言われたらなるほど、って思う感じ。そういう裏テーマも含めて楽しみましたよ。作り手はそういう密かな楽しみもしてるんです。

 

 

- サオリリスさんの曲でどやねん、せやねんっていうところがおもしろかったです。

Watusi:その辺はもう現場対応ですね。歌入れの段階でどんどん付け加えてるから。「もうちょっと英語っぽくやって」とか (笑)。

Kawamura:どやねんをDo ya nenにしたり。Say ya nenにしたり。なんか関西のテクノのノリって元気じゃないですか?あとマスタリングをやってくれたDJ OMKTっていう友達がいて、彼の仕事に携わった時、何とも華やかで派手で、ちょっとディープで。そんな西のパワーを入れたかったんですよね。

Watusi:ホント、がんばってくれたよね、OMKT。どんな感じの方向性でいきますか?っていうから、JAGATARAのシンガー江戸アケミさんが亡くなった後に僕も参加した、様々ゲストが参加した4時間のライブがあるんだけど、こんな感じって言ってその2時間分の映像を送ったんですよ (笑)。 そしたら「は、はい!」って言ってた (笑)。どのトラックもバリバリ気合い入って送られて来て、途中でOMKT Remix Ver.まで来た (笑)。まあそれも一緒だよね。そうやって人の想い、パワーが入ってくると作品がすごくタフになると思ってたので。自分と近しい想いがある人間に最終的に加わってもらったって感じ。

因に今までCOLDFEETのオリジナル作品は1回も日本人のエンジニアとマスタリングをしたことが無いんですよ。仕事で日本のマスタリング・スタジオに行くと大抵喧嘩して終わっちゃうんで (笑)。迷惑かけるからもう行かないって言ってるんです。1曲6時間かけても結局できないって言われるから本当に喧嘩しちゃうし。ニューヨークでもロンドンでも同じようなリクエストをしてマスタリングしてもらってるんですけど、何かが違うんですね。ニューヨークのトム・コインなんて電話でピザのオーダーしてくれながら瞬時に3パターンくらい作ってどっちの方向性が好き?って言ってくれるんですけど。 機材含めてマスタリングの作業はまだ大きな開きがありますね。

Kawamura:なんかトリプルベッドルームテクノみたいな。ベッドルームで作ってる感じなんだけどみんなで作りました、みたいな(笑)。

 

 

 

- Release Information -

アーティスト:Watusi
タイトル:Technoca
レーベル:OIRAN MUSIC/OCTAVE-LAB

■iTunes
https://itunes.apple.com/jp/album/technoca/id940376309

■AMAZON
http://www.amazon.co.jp/dp/B00OCU2YBW