約10年振りのリリースとなるこのタイミングを逃せば、次の機会がいつになるか分からない気持ちに背を押されて、Ree.Kが移住した熊本でインタビューを敢行。“絵”や“音楽”に興味をもった幼少の原体験から熊本の暮らし、そして本作に込めた想いなど多岐にわたる話題について語ってもらった。読み終わった後にはきっと、DJや作品リリースといった音楽表現のみならず、パーティオーガナイズ、そして日々の暮らしのなかにおいても、Ree.Kの本質は一貫としておりブレがないことに気付くはずだ。
Interview & Text:小野寺勇人
Photo : Noboru Miyamoto(上), Tetsuya Iwahashi(中), Yuu Murata(下)
実はレーベルを立ち上げたのは、Space Gatheringで出会った2人が起業した会社なの。そこからリリースするっていうのも面白いよね。
——前作『Alpha』、『Omega』から約10年振りのリリースとなりましたが、あれからどのような変化がありました?
熊本に引っ越したことは大きいかな。移住したことで前よりも自分のことは自分でするようになったと思う。たとえば、修理が必要になったときに業者に依頼しないで自分たちでやるようになったとか、食べるものを畑で作ったりとか。引っ越す前と比べて基本的な生活のところで、自分でやる比重がかなり高まったと思う。
——さきほど自宅裏を見て驚いたんですが、真冬に備えて薪ストーブ用の枯木をため込んでいるんですね。
うん、焚き付け用の枝を散歩道とかで拾って乾かして使ってる。こっちの冬は本当に寒いからね。でも、楽しいよ。昔から何年かかっても自分の巣は自分で作りたいと思っていたから、今の生活は純粋に生きるために生きてるなぁって思えて。
——都会中心の生活から移り住んで丸4年が経った今だからこそ、ダンスミュージックではなく、チルアウト的なミックスを選んだというのもありますか?
その影響は大きいかも。それに、年を重ねていくうちにドローンとかが面白くなってきて。昔はノイズを爆音で聴くのも良かったけれど、単純にうるさい音はうるさいなって(笑)。ドローンと一言で言っても色々なスタイルがあるんだけど、調和のとれたキレイな音は良いよね。色々探していると自給自足みたいな生活をしながら音楽を作っている人もいたりして面白いよ。ミックスの中で使用したイシュクというアーティストは、森の中で生活をしている人なの。昔はセカンド・サマー・オブ・ラブの時代にロンドンでバリバリ遊んでいた人なんだけど、ある日突然イギリスの森の中に引っ越して。で、今はそこにスタジオを建てて、音楽を制作しながら暮らしている。他にも森の中のトレーラーハウスに住んで制作をしている人とかいて。
——イシュクほどハードコアな自給自足ではありませんが、ある意味REE.Kさんもそうですよね。今回の作品にはそういった今の生活が落とし込まれているような気がします。ジャケットの絵は自宅前に流れる川からイメージが思い浮かんだりとか。
ジャケットのイメージは川というか水の流れだね。ゆらゆらと揺らめいているような、水色のイメージが良いなって思ってたの。理由は覚えてないけれど、最初に一回ヒューって描いて、こういう感じなのか、あーこういうジャケなのかなって(笑)。
——なるほど(笑)。今回の作品はミックスと画集のセットになっていますが、1曲1曲のイメージに合わせて絵を描いたんですかね?
そうそう、音とストーリーが固まった後にとりあえずイメージが浮かんだものから描き始めたの。最初は水彩だったり色々とトライしてみたけれど、しっくりこなかったんだよね。それで削ったり重ね塗りだったり臨機応変に描けるクレパスに行き着いたの。久しぶりだったけど暖かいイメージを入れたかったから、どうしても手描きで描きたかったんだよね。
——最初から自分で描いた絵を入れようと考えていたんですか?
最初は音だけの作品と考えていたよ。CDという形態でリリースせずにネットに上げることも考えたんだけど、今回リリースするにあたって相談した友達がちょうどレーベルを立ち上げたいと思っていたところだったのね。で、一緒にやろうという話になって。ジャケットは他の人にお願いすることも考えたんだけど、進んでいくうちに自分で描いた方が良いかなって考え始めて。
——制作していくうちにデータからCDに、そして絵を追加することも決まっていったんですね。
そう。実はレーベルを立ち上げたのは、Space Gatheringで出会った2人が起業した会社なの。そこからリリースするっていうのも面白いよね。
聴いてくれる人がいるから成り立っている場所ではあるんだけれど……だからといって魂を売ることはできないっていうか。
——本作の具体的な話に入る前にお聞きしたいのですが、絵を描いたり音楽を始めた最初のきっかけはなんだったんですか?
絵はお父さんがパラパラ漫画を描いて見せてくれて。それが面白くて真似するようになったのがきっかけ。
——小学校の時ですかね。
幼稚園に上がる前じゃないかな。小学校に入ってからはストーリーがあるのかないのかわからない、いたずら描きの延長みたいな漫画を描いてた。中学生になってからも独学で写真の模写とかやっていたんだけど、どれも描き上げたら「よし!出来た!」と満足して、ほとんど誰にも見せずに机の中にそっと閉まって(笑)。
——人に見せるのが目的ではなく?
そうそう、描きたいから描くだけであって、それだけ。人に見せたり、描くことを仕事にし始めたのは17、18歳の頃かな。月刊アスキーだったり、人づてに紹介してもらった雑誌でイラストや漫画を描いたり。PCを手に入れてからはテレビCMのCG制作や企業の入社ビデオを作ったりね。あとVシネマの映像ディレクションもやってたよ。女優さんが操作しているPCがハッキングされたかのようにぐしゃぐしゃになる画面を作ったりしたんだけど、その時はバブルの時代だったから今では信じられない位のギャラが貰えたの。
——そのお金で機材を買ったり。
そう。プレミアが付いて既に凄く高かったんだけれどTB-303も買った。PCも80年代は200メガのHDDだけで20万くらいしたんだよね。それを買って、電車で揺らさないように気を付けながらスタジオに持ち運んで、現場で繫いで作業とかしてたね。
——デザインやイラストの仕事はいつ頃まで続けていたんですか?
23、4歳くらいまでかな。その後も『POSIVISION』のデザインとかはしていたんだけど、その頃から徐々にDJにやる気がシフトしていって。面白いことにね、DJを沢山やりたいなって強く思うとDJの仕事がバァーって来るんだよね。「毎週、毎週、DJをやりたい。何でかというと、やりたいんだって、とにかくやりたいからだ!」って思いながらその気持ちを人に伝えると、チャンスは本当にくるの。今回のリリースに関してもそうだけど、強くイメージするとそれが現実化するという感覚は何となく昔から心得てる。
——確かに不安を突き抜けたところで、やりたいと思えることを行動に移すと不思議とうまくいくことが多いですね。
そうそう、とりあえずやってみる。だから、その時は「毎週、毎週、DJをやりたい!」と思いながら周りの人に伝えてたね。
——そこから始めたDJが、やる側としての入口にもなったんですか?
小学生の頃からギターは弾いてたよ。10歳の誕生日に買ってもらって、お父さんから教えてもらって。その頃はやっぱりお父さんからの影響が大きいな。
——音楽に興味を持ち始めたのもお父さんがきっかけですか?
うん。細野晴臣さんの音を聴いたのが決定的だった。それからレコードをちょこちょこ買ってもらってたの。YMOの『X∞MULTIPLIES』やルパン三世のレコードだったり(笑)。で、中学2年生の時に先輩からひょんなことからエレキギターとアンプを譲ってもらったから、クラスの子とコピーバンドを組んでみたりね。そのあとの高校では軽音楽部に入部するつもりだったんだけど、見学に行ったら何か違うなと思って入らなかった。でも部活に入部することが学校では必須だったの。だから1番楽だと言われていた、週に1回しか活動しない商業部という謎の部活に決めたら、ひたすら簿記をやるっていう活動。値段を計算しながら帳面にひたすら書いていく部活。数学が1番苦手だったのに(笑)。一回出席しただけでそれ以降は行かなかった。
——そのまま中退したんですか?
高校は3ヶ月しか通ってないもん。あの時はパンクだったし、自分が納得できないことを押し付けられるのにとにかく反抗的で、しかも学校の規則が厳しかったの。それで高校に通うことよりも早く社会に出て好きなことをやりたいと思うようになった。だから辞めた後はガソリンスタンドのアルバイトとかでお金を稼いで、西新宿でレコードを買いあさったり、バンドのスタジオ代に使ったり。
——音楽制作を始めたのはその頃ですか?
17歳頃の時にはMTRを借りて、ギターやらベースやらを自分で弾いて録音しながら曲を作ってたよ。で、お金を稼いではシーケンサーだったり、アナログシンセを買って、また曲を作って。曲というよりも断片が揃っていった感じかな。10代後半は何年もずーっとそればっかりやってた。
——音にしても絵にしても、当時は人に聴かせよう、見せようという気持ちはあまりなかったんですね。
全然なかった(笑)。そういうものじゃなかったし、とにかく面白いからやってた。そうやって音楽制作にのめり込んで行く内に、四つ打ちのテクノが80年代後半からドッと増えたんだよね。今度はそれが面白くなってきて自分で作りたいと思ったの。当時は数少なかった仲間とテクノユニットを組んで、何度かライブをしたこともあったよ。そのあと段々と友好関係がひろがってきた頃に、仲の良いDJ中心にデモテープを渡し始めたかな。それでリリースしようよって話になったり。
——DJを始めたのはその後ですか。
うん、92年から。それもとくに理由はなくて面白そうだったから……(笑)。でも、友達のパーティでは回すことはできたけど、当時のトランスパーティは一晩を1人か2人のDJで作るノリだったから、そこに参入できる力はまだなかったんだよね。だから、どうしてもパーティと関わりたくてVJをしていた時期もあったよ。それから少しづつDJで回せるようになって。
——既にその時から今のようなジャンルにこだわらないスタイルで。
そうそう。今も昔も基本的には変わらない。
——当時のトランスパーティで回すDJの中では異色なスタイルでした?
そうだね。トランスのパーティはみんなトランスしかかけなかったから、色々言われることもあったけれど、基本的には気にしなかったかな。時代の主流とかは知ってはいるけれど、そこは人の意見に左右されたくない。もちろん、聴いてくれる人がいるから成り立っている場所ではあるんだけれど……だからといって魂を売ることはできないっていうか。
——自分のなかでの譲れないところですね。
せっかく来てくれたわけだから、できれば楽しんでいってもらいたいわけだよね。だから、今流れている音がテクノ?トランス?と意識せずに、先入観を抜きにして、そのままを感じた方がもっとおもしろいかもよーっていつも思ってた。集まってくれた人たちは、今日この時間をココで楽しむと決めてくれたわけじゃない? だから、この人たちの今日っていう時間を私が左右してしまうんだな、楽しんで帰ってもらいたいなっていう責任感も当時からあったよね。
——少し話が逸れますが、当時のパーティでとくに記憶に残っているものはあります?
96年にオーストラリアのバイロンベイに行ったときのパーティだね。そこで、それまでイベントとか興行として見ていたパーティに対しての概念が全部ひっくり返された。ブッシュが点在している360度砂漠しかないようなところでやって、こっちは晴れているのに向こうでは雷雲が轟いているみたいな場所。次に行った時は少し進化していてトイレ用の穴はあった(笑)。
——そこで体験したことが、Space Gatheringを始めることに繋がったんですか。
うん、もちろん。それをやりたいと思った。あのときにもらった衝動を自分たちのパーティで日本に広めたいと思った。主催者と参加者の境界線がどこにもなくて、みんなで1つのパーティを作り上げている空間。1人でもそこにいる人間が欠けたら成り立たない、誰もがその瞬間の動きは必要だったというパーフェクトな状態。だから、Space Gatheringではお客さんという呼び方はしたくなくて。参加者でいて欲しかったから、フライヤーには入場料ではなく参加費と書いたりしてたの。
——Ree.Kさんはパーティにしても、DJにしてもそうですが、やりたいと思ったらすぐに行動に移せる人なんですね。
うん、まずはやってみようって思う。そしてハマり込む性質っぽいよね。今は、畑だったり生活の基盤を整えることにも燃えている。
——今回の作品は、今お話された「音」と「絵」の二本柱に加えて最近ハマり始めた「畑」や「生活」が影響を与えています?
うーん、そうなんだけど何て言ったらいいのかな。場所を選ばずに、いつまでも色褪せることなく、誰でも長く聴けるのが作りたかったんだよね。
——と言うのも、クラブが好きな人に向けてというよりも、誰もが持っている日常の場面にフィットするように作られた気がしたんですよ。
生活のBGMとして聴けるようには意識したよ。だからかわからないけれど、育児をしているお母さんに結構評判が良いみたいなの。助産院から退院して、赤ちゃんを連れて自宅に戻ったあと3日間ずっとノンストップでリピート再生してくれた人がいたりとか。生まれたばかりだから1〜2時間置きくらいで授乳するわけじゃない? それで1日のリズムがずれてしまったのと、初めての子供だったということも相まって大変だった時に、聴いてリラックスしてくれていたみたいで。そういう風に生活の中で役に立っているのは嬉しいよね。で、音に耳を傾けると、ノンビートの中にも実はストーリーがあって綿密に作ってあるみたいな。
——どのようなストーリーを込めたんですか?
これは人の一生なんだよね。心がピカピカの状態で生まれて、スクスク育って、だけど人生は楽しいだけじゃないよね。大人だからこその色んな葛藤があったりして。そういった陰と陽の経験があった上で、最後は身につけてきた今までの知識や概念を捨てて、子供のように戻って、ようやく人は完成するんだっていうストーリーを込めたんだよね。
——さきほどインタビューを始める前に、REE.Kさんが空港で見た子供の話をしてくれたじゃないですか。久しぶりに会う親戚に向かって、ワーイって素直に感情を表して飛び込んで行く光景が凄く良かったという。その子をストーリーに当てはめるとすれば心がピカピカの時ですか?
うん、ピカピカの時。大人たち同士はよそよそしいのに子供は素直にワァーって走って飛びついて、なんか人間として凄く自然で良かったんだよね。それを考えるとうちら大人はかなり抑圧してるなって思う。そんな葛藤の状態を『Quantum Leap』の中では、いろんな先入観やら色眼鏡を手放して本来の自分に戻る段階として表しているの。
——雨がザーって降ってくるところですか。Ree.Kさんが作曲したこの曲から展開が変わりますね。
そうそう。太陽がポカポカ出ていたのが曇って、雨が降り始めて、雷が鳴って、そして何かが起こる。その後、徐々に小雨になって音が入ってくるみたいな。そこから始まるのが自分の本来の道、天上界のような世界。
——タイトルに付けた『Quantum Leap』は訳すと「進歩」という意味合いも含んでいますよね。これは今お話された人の一生の中での「進歩」とともに、僕らの世界の「進歩」にも掛け合わせたりしています?
うん、そう。クオンタムリープは量子力学の専門用語で、電子がある地点からある地点へ向かうある一定の流れから、突然瞬間移動のようにバァーンって飛躍するような状態のことを言うの。で、他にも精神的な成長とか覚醒に近付くといったニュアンスが込められている言葉でもあるのね。確かに、作品の背景には今の時代へ向けた想いもあるよ。“これからは競争から調和に向かって意識をシフトさせていく時期”っていう。でも、それを言葉でしっかり伝えようとすると誤解が生まれる場合もあるからね、だから音楽で伝えてるんだよね。
結局は、DJにしても畑にしても、調和を考えてやっていることなんだよね。
——熊本の生活について話を戻しますが、そもそもどうして熊本に引っ越そうと思ったんですか?
熊本が好きだったから。あと、熊本に来れば、完全自給自足とはいかないまでも、さっき言った自分のことは自分でする生活ができると思ったんだよね。ご飯も水も凄く美味しいし、人は暖かいし、熊本の友人たちには「年をとったら住むからよろしくね」って10年位前から伝えてた。それで、2011年の震災後に種子島でパーティをやった時に熊本にも寄って、改めて良さを確かめてから引っ越すことを決めたよね。
——東京の居心地が良いと思っていた時期もあったんですか?
もちろんあったよ。クラブは一杯あって、友達も一杯いるし。でもその反面で東京に10年住んでいたら色んなことに一杯一杯になっちゃって。小さい頃から自然と繋がっているような感覚を大切にしていたから、これは絶対に違うよな!って思ってきて。それでまずは鎌倉に引っ越したの。
——その後に熊本へ引っ越したんですね。自然に囲まれた環境に住むようになってから、前よりもリラックスした生活ができています?
ごくごく当たり前の日常に、より感動するようになったかもしれない。こないだ畑に向かう途中の道にクモが巣を張っていたのね。「ごめんねー」って取ったら、その後すぐにクモが巣作りを始めたの。お尻から糸を飛ばしていろんなところにテンションをかけて、その後に足で距離を計りながら、中心のところからグルグルグルグルって寸分の狂いもなく何のためらいもなく作っていくの。その生き様を見ていたら泣きそうになってしまった(笑)。
——人が呼吸するくらいの自然さでまた巣を作り始めて。
そうなんだよね。壊されても、またすぐにためらいなく作り始めるの。クモだけじゃなくて、畑をやっていると色んな生物たちの動きにびっくりする。ミミズやダンゴムシが作物の栄養を作るために、有機物を細かくして、その後にバクテリアなどの微生物がさらに分解していく過程とか。その生態系の流れが奇跡的に完璧で。うちは耕さない、肥料もやらない自然農法だから、彼らのベストなパワーを引き出すためには、畑でどうすれば良いのかを考えるのがまたおもしろくて。
——初めて自宅の畑を見た時、年単位でのDJミックスをしているように思えたんですよ。それぞれの野菜が最大限の力を発揮出来るように環境を選んでいくのは、DJセンスと似ているんじゃないかと思って。
それはあるかも。畑をやっていてとくに面白いのは、この野菜を作った後にはこれが良いっていう組み合わせがあるところ。前に終わった作物によって土壌に集まった菌の働きで、より能力を引き出す野菜があったり。逆に組み合わせが悪いのもあったり。たとえば、じゃがいもは連作障害っていうのが起きるから同じ場所で連続してやっちゃダメなのね。何年か待つ必要がある。でも、その間にネギを入れて、じゃがいも、ネギ、じゃがいも、ネギって交互に植えていくと上手に育つんだよね。それはネギが根っこから消毒作用をもった成分を出してくれるから。それで土をリセットしてくれる。そういう組み合わせを調べたり考えるのがとにかく面白いんだよね。
——1つの作物だけではなく、畑全体で考えていくんですね。
そう。ほかにも、あえて虫が嫌いな植物を植えて、隣にいる作物に付く虫を減らしたりとか。結局は、DJにしても畑にしても、調和を考えてやっていることなんだよね。どの音とどの音をマッチングさせれば曲の魅力を100%以上引き出すことができるのか。これが1番、あれが1番って言い始めると対立が生まれるから、その曲や野菜にとってもっともしっくりくる場所を持たせたくて。
——人間の社会やパーティにも当てはまりそうですね。適材適所じゃないですけど、花のような役割を果たす人がいれば、枝や葉脈みたいな支える人がいて、また根っこのような人がいて、それぞれが自分からポジティブに動くとスムーズに事が進んだり。
それが調和の保たれている状態だよね。人間も畑も、そこに競争が加わると誰が1番を取るかで対立が生まれるからさ、それぞれが自分らしい1番を持っていれば良いと思うの。うちは犬と猫たち合わせて5匹と一緒に住んでいるんだけど、どの子も1番好きで、1番のものを持っているんだよね、みんなそれぞれ違う個性があって、可愛らしいところがあって、比べようがないんだもの。基準がないんだもの。それで良いと思うんだよね。人の生きる基準も人の数だけあるから、周りと見比べないで自分が感じたドキドキやワクワクに素直に動いたほうが自然だと思うのね。だって、世の中で基準や平均と呼ばれるのは誰かが作ったモデルケースみたいなものばかりじゃない。 たとえば、大学を出て、一流企業に入社して、結婚をして、子供を育て上げて、老後は年金をもらって好きなことをやるっていうのが人として模範みたいな。もちろんそういった人生を実際におくっている人を否定しているわけじゃないよ。でも、他人が作った価値観で何かを決めるんじゃなくて、自分だけが持っている喜びみたいのに向かって進んだほうが、よっぽどその人らしさになると思うのね。「それ」が寄せ集まることで本当の調和を生み出すと思うんだ。
——今お話された「その人らしさ」を活かすトビラみたいなものは、Ree.Kさんにとっての絵や音楽のようなものですか?
うん。もう絶対に失いたくない、自分にしかわからない、きっとそういうものだと思うんだよね。自分の話になるけれど、前に中学校の卒業アルバムで「将来はミュージシャンになりたい」と書いたことがあるの。でも、それは自分で「ミュージシャンです」って言えばそうなるじゃない。じゃあ、誰が認定すればなれるのかって考え始めたら、他人に向けた肩書きなんてどうでもいいやーってなって(笑)。私は絵にしても音楽にしても、誰かに認められたくて始めたんじゃなくて、ただやりたいからやり始めたんだよね。その気持ちから始まって、信じ続けて、色々な経験をさせてもらって、熊本に来て。その今だからこそ、この作品を作りたくなったんだと思う。
- Release Information -
タイトル:Quantum Leap
アーティスト:Ree.K
レーベル:bluestract records
価格:通常盤 1,000円 初回限定盤 2,500円
特設HP:http://quantumleap2015mix.jp
- Event Information –
タイトル:Quantum Leap原画展
開催日:2016年1月22日(金)〜2月7日(日)
時間:営業時間内 http://bar-orbit.com/
会場:Space Orbit
タイトル:~QuantumLeap原画展 Closing PARTY~
開催日:2016年2月7日(日)
時間:16時〜24時
会場:Space Orbit
料金:1,000円
出演:Ree.K, MASA, Hiyoshi, NaosisoaN
タイトル:Signal
開催日:2016年2月26日(金)
時間:23:00
会場:代官山saloon
料金:2,000円
出演:Ree.K (Hypnodisk) -4hours set-, KOTARO (WONKAVATOR) -4hours set-