Interviewer:Daniel Wang
「常に雪が積もってる北欧ではトロピカルな幻想を求めていて、イタリアではシンセサイザーとドラムマシーンの冷たい世界観を求めているんだ。」Giacomo
Daniel:君たちがDJするとき、BPMにすごく気をつかっているように見えるんだけど、BPMを測るために時計かソフトウェアか何か使っているの? それとも、感覚的に体で掴んでいたりするのかな?
Giacomo:どれもちょっと違うかな。曲のグルーブ自体を意識していると思う。僕らは遅いBPMも好きで、すごくスローなテンポでプレイすることもあれば、速いプレイをすることもあるんだけど、どちらにしてもできるだけ無理のないように一定のグルーブをキープすることを心がけているよ。
Daniel:では先週日曜日の「Cocktail d’Amore」について振り返ってみよう。土曜日の夜12時にスタートして、終わったのが月曜日の朝8時だった…ということは、32時間ノンストップ! 君たち自身は楽しめた?
Giovanni:「Cocktail d’Amore」に対して“楽しむ”という視点はいつも複雑だね。土曜日に会場へ向かうときは完全に仕事モードだった。朝4時までいて、一度帰宅して仮眠を試みて朝11時半に会場に戻り、それから最後までいた。日曜日はわりと楽しめていたかな。自分たちのプレイが終わった後は、ようやく楽しめる時間になった。けど同時に「午前2時か3時にもう一度プレイしなきゃいけないだろうな」とも考えていた。いつもこんな感じで、いろんな方向に気持ちが振れている。1回目のセットは6時間ベストを尽くす必要があったから十分に準備していたんだ。でも2回目のセットは気疲れしたな。気を取り直して再び緊張感をもってプレイするんだから。
Daniel:君たちはその前の週末に、Panorama Barでのゲイパレード「Gay Pride」のパーティーでDJしたばかりだったよね。そのときのセットとはどう違ったのかな?
Giacomo:Panorama Barのときは日曜日朝5時のプレイで、完全なピークタイムだったから力強く高揚感のあるセットを準備したんだ。ゲイであることを祝うパーティーで、しかもアメリカで同性愛婚が合憲と認められたニュースの直後だったからね。祝福ムードを感じてもらえるようにした。一方「Cocktail d’Amore」では、庭でプレイすることになっていて、天気も良かったんだけど外でのプレイは屋内でのプレイとは違うね。
Giovanni:要は雰囲気作りの話だね。まず、クラブ内と野外でのDJプレイでは勝手が違う。サウンドシステムについても、ジャンルやレコードごとの特徴、ベースの必要量といった点で違いが出てくる。晴れているときは、フロアに熱があって皆気持ち良く感じる。
Giacomo:僕にとって野外っていうのは、シンセサイザーの甘美なパッドの音。そう、パッドの音をプレイしたいんだ。エモーショナルで、ドラマティック過ぎず、暗さもない、美しくて軽快なパッド!
Daniel:君たちは現在ベルリンだけに留まらず、ここ1、2年でいろんなところへ行っているよね。DJすることにプレッシャーを感じたりする?
Giacomo:それぞれの街には特有の雰囲気と、文化的/音楽的なバックグラウンドシーンがあって、ローカルDJやプロモーターがどのようにシーンを形成していったかも異なっている。リスボンのパーティーとフィンランドのパーティーは違う。例えばイタリアのシーンでは今でもハウスミュージックが存在し続けている。90年代ではどこでも同じ状況だったけれども、イタリアではそれがまだ大きな存在感を発揮している。
Giovanni:イタリアではみんなイタロディスコを嫌っているんだ。イタリアのシーンでは、イタロディスコはなんというか中世的な、音楽暗黒時代の産物のような認識なんだ。もちろんMarcello Giordaniやその周辺の良いディスコ好きたちはいるんだけどね。でも一般的には、イタロディスコは単にチャラい音楽でしかないんだ。
Giacomo:イタロディスコは、イタリアのポップミュージックの歴史に飲み込まれてしまって、どことなく嫌われるようになってしまった。クールさを求める連中や、テクノやディープハウス好きの連中にね。でも面白いのは、オランダと北欧の人たちがイタロディスコにすごく夢中だってこと。一方のイタリアでは、10年前にミニマルテクノが大ヒットしている。つまり、常に雪が積もってる北欧ではトロピカルな幻想を求めていて、イタリアではシンセサイザーとドラムマシーンの冷たい世界観を求めているんだ。
「力強く踊るときもあれば、トリッピーなときもある。体には休みが必要で、心にはトリップが必要だからね」Giovanni
Daniel:子供時代の音楽体験についてなんだけど、ハウスミュージックや電子音楽を聴く前、君たちはどんな音楽を聴いていたの?
Giacomo:僕は少年時代、ポップミュージックに夢中だったね。初めてのレコードは、ママが買ってくれたQueenの「Radio Gaga」だった。あとDisco Magicのコンピレーションも持っていたな、帽子をかぶった赤ちゃんのジャケットのやつ。あれは大ヒットしたな、イタリアのテレビで流れていたからね。Disco Magicは80年代に日本のアニメ番組のオープニングテーマソングもよくリリースしていたよ。ママは僕がそういう曲が好きなんだとわかって、僕と妹にレコードを買ってくれたんだ。
Giovanni:僕のパパはヒッピーだったから、子供のときからサイケデリックロックやクラシックを聴かされていたんだ。Carlos SantanaやJimi Hendrixを聴いていた幼い思い出がたくさんある。Pink Floydの音が本当に怖かったのを覚えているよ。パパが「The Wall」をかけるたびに、ボーカルが恐ろしくて泣き出してしまって、クラシックを聴かないと落ち着かなかった。ママは、よくMinaとかイタリアの有名なポップシンガーの曲を聴いていたな。僕はママほど興味がなかったけど、家でママと一緒にそういう音楽をラジオで聴いていたのはいい思い出だよ。7〜8歳から18歳になるまでの間、ラジオからミックステープを作ろうと、ラジオばかり聴いていたよ。
Daniel:Giacomoがポップミュージックについて話す一方で、GiovanniがJimi HendrixやPink Floydについて語るとは面白いね。なんたって、「Discodromoの強みは、全く違う2人の個性が混ざり合っているところにある」って、複数の人から聞いたことがあるもの。いわく「Giacomoがコ◯◯ンで、Giovanniがマリ◯◯ナ」。
Giacomo:(2人とも大笑い)そいつは最高のコンビだね! 僕はそんなこと聞いたことないな。
Giovanni:ある意味正しいね。例えば1つのDJセットでも、いろいろ違った場面があるだろう? 力強く踊るときもあれば、トリッピーなときもある。体には休みが必要で、心にはトリップが必要だからね(笑)。
Daniel:クラブに行くようになったり、ダンスミュージックを聴くようになったのはいつ頃?
Giacomo:クラブへ行くようになったのは15歳のときだね。他の子たちが学校へ行ってる傍ら、僕はサンデーアフタヌーンパーティーに行っていた。ヴィチェンツァの街の近くにあるクラブだったよ。Giovanniもヴィチェンツァに住んでて、同じクラブに頻繁に行っていたのに、10代を卒業するまで互いのことを知らなかったんだよね。初めて行ったクラブは“梯子”という意味のScalaって名前の所。パドヴァという街にあって、ドラッグクイーンが出演しているような派手なクラブだった。ストレート(性的に)向けの箱なんだけどどちらもいた。そこでは、これまで聴いたことがなかった音楽がかかっていたんだ。本当に刺激的だったよ。僕が住んでいたところからは40キロ離れていた。当時は夜の闇に紛れてスクーターで行ったものだよ。15歳のときにね!
Giovanni:完全に違法だよね(笑)!
Giacomo:最終的には、そのクラブで声をかけ始めて、まだ未成年だったから車を持っている周りの年長の人たちに箱まで送ってもらっていたよ…それが1996年の話だ。そのクラブで当時のハウスミュージックの全てに触れて、それから他のクラブにも行くようになった。
Daniel:そのクラブにゲイシーンはあったの? 他のゲイの人たちの存在には気づいていた?
Giovanni:いや、そんなことはないね。当時はまだ、僕の性的嗜好は発達段階にあって、不安定な状態だった。例えば、当時そこで働いてたGiacomoのことは知っていたけど、ゲイだってことは全くわからなかった。ちょっと変わってて、女っぽいやつだなとは思っていたけど。
Giacomo:ひとつ言っておくと、その箱ではゲイに見えるストレートが多かったんだ。親友に、ストレートなんだけどメイクしてピンクのファーのスカーフを身につけるやつがいて、誰かに「なんであんなオカマと一緒に出かけてるの?」って言われたことがあるんだ。「あ、それは違う。オカマなのはむしろ僕の方!」って思ったよ(笑)。でも彼は、そんな格好をしていても女の子を何度も落としていて、その子たちはそんな彼の「都会的でセクシーな男性像を凌駕する個性」に夢中だった。
「裏にある仕事をやり切って初めて、自分の課したルールのなかで本当に自由なプレイができるようになるんだ。」Giacomo
Daniel:10代の頃にヴィチェンツァで過ごしてからベルリンに移るまでの間、何をしていたの?
Giovanni:僕はパドヴァの街で大学生だった。パドヴァはヴィチェンツァからほんの35キロほど離れた場所にある街だよ。Giacomoとはパドヴァのゲイバーで出会った。以前クラブで一緒に働いていたゲイの友達を通じて知り合ったんだ。
Giacomo:僕はファッションの技術的な分野について勉強していたんだ。
Giovanni:僕はコミュニケーションを学んでいた。主にイベントの宣伝とプランニングについて学んでいたんだけど、あるとき専攻の対象のほとんどが嫌いになってしまって。それが2002〜2003年だったね。大学を卒業したのが2006年。僕のコースは5年制だったんだけど、卒業するのに6年半かかってしまった。イタリアでは、大学の教育過程が本当に長いんだ。
Daniel:卒業後は?
Giacomo:僕はイタリアでアパレル会社に何年か勤めたんだけど、同時に人生をどうしようか模索していた。それで、その仕事を辞めて自分の雑誌を立ち上げたんだ。すごく刺激的でやりがいもあったんだけど、あまり長く続かなかった。その雑誌は、街中のフリーペーパーみたいなものだった。そのなかでGiovanniは映画コーナーの担当をしていたんだ。
Giovanni:僕は映画関係のライターになったんだ。映画は、音楽と同じくらい大きな情熱を注げる対象だね。
Giacomo:僕にとってもそう。僕たちはたくさんの映画を一緒に観たよ。僕は香港の映画監督Wong Kar-waiが好きで、なかでも彼の作品「Happy Together」を愛している。それはもう暗くて絶望的な映画なんだけれど、とてもロマンティックでもあるんだ。幸せを探し求めるんだけど、それは2人一緒の幸せであって、もはや自分の人生の幸せではない。あと、David Paul Cronenbergの作品もすごく好きなのと、楽しいという点ではBilly Wilderの作品もだね。あの辺の50年代のコメディの脚本は素晴らしく巧くできている。
Giovanni:僕の好きな監督の1人、Ingmar Bergmanの「Fanny and Alexander」も挙げておくよ。あと僕が特に好きなのが、大島渚の「御法度」だね。ゲイのサムライの話なんだけど、Pier Paolo Pasolini監督の「Teorema」に似てるかな? 主人公の若い男は、サムライ社会に身を置くことになるんだけど、周囲の年上のサムライたちが彼に対して欲情を抱き始める。皆が彼とセックスしたいと思うようになるんだけど、彼は全てをめちゃくちゃにしてしまって、最後には皆が彼を殺めてしまうんだ。そのシーンが見事なんだ。剣が宙を裂き、桜の若木を斬り落とし、花びらが舞い上がる。Daniel、も見た方がいいよ!
Daniel:それで君たち2人は、音楽で古い習慣をぶった斬っている、っていうわけ(笑)?
Giovanni:僕たちはちょっと破壊的でありたいんだよ! 少しだけ壊すっていうのはいいことなんだよ…愛情をもって、だけどね(笑)。
Daniel:ベルリンに初めて来たのはいつ?
Giovanni:大学を卒業する2年前だね。ベルリンという街と、住人たちを知るようになったんだ。Boris、Alessandro、あとEusebioだね。僕にとっては、Yusi Etimanが作ったスタジオBassoと、Berghainの2つが特に魅力を感じる場所だった。それが2004〜2006年の頃で、2007年に僕たちはベルリンに引っ越した。Bassoの多機能なスペースで、アートを嗜みたい人々が一堂に会し、多様な活動を行った。懐かしいなあ、すごく恋しいよ。
Daniel:そうだね、あれはひとつの“学校”みたいな感じだったね。別の質問になるんだけど、もしあれが学校だったら、君たち2人は間違いなく主席だっただろうね。誰よりたくさん課題をこなしているんだもの。僕が会いに行くと、君たちは毎回パソコンの前にいて、音を編集したり、曲を探したりしている。音の整理はどのようにしているの? レコードを買っているのは知っているんだけど、クラブで使うことはあるのかな?
Giacomo:クラブで使うことはあまりないよ。エディットしたい箇所がいっぱいあるからね。古い曲の多くはクラブ向けに作られていないことに最近気づいたんだ。最初に20秒のイントロがあって、サビのメロディーとコーラスが始まって…というのは、僕らのミックススタイルとは違っているんだ。ブレイクが短すぎたり、長すぎたり、面白いパートが最後の最後にあるだけだったり。そのパートをブレイクの前に聴かせたいのに。僕たちは音をもっと現代的なものとして適応させている。僕たちはほぼ毎日顔を合わせて、一緒に仕事しているよ。多くの曲をたくさん聴いて、曲ごとの特性を把握しようと努めている。特性というのは、どんなムードや場面があるかとか、観客を別の領域へ連れていくために自然な流れを作るには何に繋げればいいか、とかね。僕たちにとって、曲のジャンルの特徴をつかむことは本当に重要なことなんだ。
Daniel:事前に全てのシーンについて考え抜く映画監督みたいなもので、君たちの音は偶然で成り立っているわけではない。でも実際プレイするときの自然発生的な出来事も大事にしている、この認識で合ってる?
Giacomo:うん、まさにその通りだね。当たり前のことだけど、裏にある仕事をやり切って初めて、自分の課したルールのなかで本当に自由なプレイができるようになるんだ。場面場面でいろんな感情が渦巻いているなかで、ダンスフロアの人たちの反応によって正しい判断をする必要がある。単純に、彼らと同じ目線になろうと努めているんだ。
Daniel:好きな曲や、この曲で踊るのが好きというのはあるかな?
Giovanni:Shirley Litesの「Heat You Up, Melt You Down」かな。気を狂わせられる。掴まれて、入り込んで、止まらない。
Giacomo:1984年にリリースされたChris and Cosyの「Walking Through Heaven」。初のスローなテクノトランスレコードって感じで、彼らはそんなサウンドを作っていたことも知らなかった。あと、Maurice Fultonが出したものは、だいたい好き。彼の素晴らしさといったら、オリンポス山くらい高いね!
Giovanni:好きすぎて毎回聴く度にテンション上がるのが、MC1の「Basic(Beppe Loda Remix)」。あとGrace Jonesの「Feel Up(Larry Levan Mix)」。凄くセクシーで、同時に遊び心がある。腰を振りたくなる!
Giacomo:あと、犬がバックグラウンドで吠えてる音でリズムパターンを作り上げてる、というところが凄くサイケデリックだよね!
「イタリアにいた頃の生活は前世みたいに思える。ベルリンに来るまでは命がなかったような、ずっと眠っていたような。」Giovanni
Daniel:現在君たちの拠点も人気もベルリンにあるよね。ベルリンに来てみてどうだった?
Giovanni:イタリアにいた頃の生活は前世みたいに思える。Giacomoも同じように感じているよ。ベルリンに引っ越したとき、生まれ変わったように感じたんだ。ときどき過去を振り返ってみるんだけど、ベルリンに来るまでは命がなかったような感じがする。ずっと眠っていたような。
Giacomo:僕も同じだ。別の人生があるような感じがするね。
Daniel:イタリア人であるということに焦点を当ててみようか。『Turn The Beat Around(Peter Shapiro著/2005年)』という本の一節を紹介させてくれ。「ジャーナリストVince Alettiの1975年の発言によれば“おおまかに言うと、典型的なニューヨークディスコDJは若いイタリア系のゲイだ”驚くべきことに、黎明期の主要ディスコDJは、イタリアにルーツをもつ。Francis Grasso、David Mancuso、Nicky Siano、Tom Savarese、Bobby Guttadaro、など。理由がどうであれ、イタリア系アメリカ人は重要な役割を果たした」
Giovanni:君がその話をもち出したのは面白いね。『Love Saves The Day(Tim Lawrence著/2003年)』を読んだあとだから余計に面白いよ。その本のなかで、ニューヨークのディスコシーンと、イタリアのDJがどれほどディスコ誕生の原動力として貢献したかについて学んだ。でも僕には、その事象が「イタリア人である」ということについて何の影響があるのかわからないね。人と話したり、社交的になったりするためのツールには多少なるかもしれない…でも、そんなの浅はかだね。
Daniel:それが、Pier Paolo PasoliniやLuis Bunuelが映画のなかで風刺したことなんだと思う。中産階級社会のなかで、人々が皆いつもディナーを食べ、語らい、上品を気取り、人前に出て…。でも、それはある意味、パーティーの1つの形式なんだよね。交流のための、共通の儀式なんだ。
Giacomo:そうだね。僕がアメリカに行って家族や友達グループと一緒にいたときのことなんだけど、ランチやディナーを一緒にとらないというのは普通のようだった。皆、仕事なり勉強なりを予定通りにやって、そこで食事をとって、各自が食べたいときに食べる。イタリアでは、ディナータイムになると、一緒に出かけたり料理したり大事な人たちと一緒に時間を過ごすことが普通なんだ。この経験はパーティーにもいえる。人と共有する親密な時間。パーティーの場合は、赤の他人とも共有できるのだけど。
Daniel:この対談を哲学的な感じで終わらせたい。18世紀にヨーロッパで“コリオマニア”というヒステリーが大衆の人々を襲った、と読んだことがある。数多くの人々が突然と踊り始め、体調を崩すまで、時には死ぬまで踊り続けた。あと、有名なバレエでも女の子が赤い靴を履き、踊り出すと止まらなくなってしまう。
Giacomo:イタリアのプーリアという街でとある伝統があって。女性たちがタランチュラに噛まれて狂ってしまうんだ。治すためには彼女たちの周りにミュージシャンを集めて演奏するという。そして彼女たちは「悪魔」の「毒」が体から抜けるまで踊らなければいけない。それがTarantellaという音楽の一種の始まり。あとアフリカでは、ポリリズミックなパターンが永遠と続き、繰り返しトランスに入ってしまう。人類は原始時代から同じことをしている。異教徒の儀式など、違うかたちで。だから、多分ベルリンに来る人達も存在しない非現実的な島に来たようで、我を忘れられ「悪魔」を取り除き踊るんだよ。
Giovanni:そして僕たちは、皆を狂ったように踊らせる「ハーメルンの笛吹き」さ。