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KEN ISHIIとSATOSHI TOMIIEによるB2B目前スペシャル。MASANORI MORITAとOSAMU Mが偉大なる先輩へインタビュー

  
 日本のテクノ/ ハウスシーン黎明期から世界で活躍するKEN ISHIIとSATOSHI TOMIIE。二人のB2Bが実現する。往年のクラブミュージックファンなら、思わず二度見してしまいそうな驚きの出来事だ。二人のB2Bが楽しめるのは3月30日(土)に渋谷WOMBで開催される「BLACK ON IT」の2周年記念パーティー。今回、レジデントであるMASANORI MORITAとOSAMU Mに、二人の偉大なる先輩へメールインタビューをしてもらった。その回答が届いたので2人に集まってもらい回答を見てもらうことに。それでは、ひとつずつ見ていってみよう。
 
 
 
 
MASANORI MORITAからの質問 その1
僕がDJを始めた約20年前からお二人は世界の第一線で活躍されていました。そのきっかけを教えてください。
 
KEN ISHIIの回答
1993年にベルギーのレーベルR&Sからデビューしたのがすべてのきっかけです。それまでは普通の大学生で、プロとしてプレイしたことすらありませんでした。
 
SATOSHI TOMIIEの回答
やはりDef Mix Productionsに拾ってもらったことでしょうか。90年代のこの時期に、基本はすべて学ばせてもらいました。DJの流れの作り方、スタジオでの作業の方法論など。その基本を発展させています。“TOMIIE君が今やってる音は、昔と全然違う”という話をいつの時代でもよく聞いてきましたが、パッと聴いた印象ではなく、ドラムとベースのグルーブ感など曲の足腰の部分に注目して聴いてもらうとファンデーションの部分は共通してることが分かると思います。
 
 
MASANORI MORITA
たしか1996年辺りだったと思いますが、 新宿のHMVに行ったときに『Mix Up』のシリーズでKENさんのミックスCDが販売されていたのを覚えてます。あのときからシーンのトップにいましたよね。
 
OSAMU M「歳は僕らとそこまで差がないんですけどね。当時からKENさんはスターでしたね。」
 
MASANORI MORITA
Frankie KnucklesやDavid Moralesと並んでリリースをしてましたよね。
 
OSAMU M「そこに混じっていたかと思うと改めてTOMIIEさんすごい…。」


 
 
MASANORI MORITAからの質問 その2

TOMIIEさんにお会いしたのは、2005年ぐらいにレコーディングでニューヨークへ行ったとき、Cieloのテラスで挨拶をさせてもらったのが最初だったと思います。当時、Cieloでは毎週Louie Vegaがプレイしていました。ニューヨークのシーンはどう変化していますか?
 
SATOSHI TOMIIEの回答
僕は喫煙者ではないですが、Cieloのあの喫煙テラスは好きでしたね。ダンスフロアからのタバコブレイクで和んでるのがいい感じでした。ニューヨークのハウス/ クラブシーン黄金期の90年代が過ぎ、2005年ごろシーンの中心は徐々にヨーロッパへ移っていた印象でした。それでもLouie VegaやFrançoisなどは地元愛で頑張っていたと思います。ウィリアムズバーグなど、当時新しかったエリアも数年で急速に開発が進み、そこにあったクラブOutputなどもクローズ。今ではブッシュウィックなどマンハッタンから離れたエリアにある新しいクラブが人気を集めるなどシーンはどんどん変化しています。今でもLouie VegaやFrançoisはレギュラーパーティーをやっていますが、時代は移り変わった印象です。
 
 
MASANORI MORITA「ニューヨークのテクノシーンはどんな感じなのかな?」
 
OSAMU M「ウェアハウスパーティーが多い気がする。無法地帯になるから、すごいことになってましたけどね(笑)。トイレの水が流れなかったり、その辺で人が転がっていたり。しっかりオーガナイズされてなくて、DJで行っても入れなかったこともありました。」
 
MASANORI MORITA「だいぶハードですね(笑)。十数年前、僕がニューヨークのClub ShelterでTimmy Regisfordの前座をやらせてもらったときに箱のなかにホームレスの人が寝ていたことが衝撃的でした(笑)。

 

 
 
MASANORI MORITAからの質問 その3
DJをするとき、何を考え次にプレイする楽曲をセレクトしていますか?
 
KEN ISHIIの回答
 “今、お客さんがこの感じだったらこれかな。それでこういう流れに持っていって、最終的にはこれをかけたい”という感じでプレイしています。事前に選ぶ段階では、トレンドなどは気にせず、これだったら自分ぽいかな、というものをチョイスしています。
 
SATOSHI TOMIIEの回答
パーティーに合わせて新曲を中心にかけそうな曲でプレイリストを作ったり、現場でインプロ的に曲を探したりしています。自分の曲も自分のものという思い入れを捨てて、第三者的な見方で流れに合いそうなものを選んでいく感じです。DJで使うものの決め手になるものは、グルーヴ感など自分が直感的にいいなと思うものが中心です。自分のDJツールは、レコードのみ→レコード+CDJ→CDJのみ→Serato+CDJ→Traktor→レコード+CDJという変遷を経ていて、振り出しに戻った感があります。自分が好きでかけたい曲に向いているという意味で、今のレコード+CDJというのは理にかなっていそうです。
 
 
MASANORI MORITA「OSAMUさんはどのように曲を選んでいますか?」
 
OSAMU M「僕もほぼ一緒ですね。プロモやbeatportで曲をたくさんチェックして、そのなかで響いた曲だけを選びます。トレンドもリリースした年代も気にしないですね。MORITAさんはどうです?」
 
MASANORI MORITA
僕の場合はメインのリズムを聴いて、違うなって思ったらすぐ次の曲にいっちゃいます。曲の構成とかはあまり気にしていなくて。それはロングミックスやループを組んで自由にできるので。2013年ぐらいからTraktorを使っているのですが、ピッチ合わせをすることに神経を費やす代わりに、ほかに労力を使って、いろいろな挑戦をしてます。たとえば、楽曲のKEYを揃えて、できるだけロングミックスをするようにしてみたりとか、4チャンネルを同時に使ってミックスしてみたり。
 
OSAMU M「僕は正反対。ピッチが違う曲をその場で合うかなって選んでいる時に楽しさを感じたりします。ピッチが合ってしまっているとその時点でつまらなくなってしまって。」
 
 
 

MASANORI MORITAからの質問 その4

僕は楽曲を作る際に「意外性(展開や音色)」というコンセプトを頭に置きながら行うことが多いのですが、楽曲制作の際、どんな点を意識されますか?
 
KEN ISHIIの回答
ダンスレーベルから出るトラックの場合は、DJがプレイしやすいフォーマットを意識しつつ、これは自分にしか出せない音だなとか、自分オリジナルのプログラミングかなと思える要素を必ず入れ込むようにしています。アルバムになるとさらに自由で、もはやリスナーのことも考えず自分が作りたいものを作るだけです。
 
SATOSHI TOMIIEの回答
選曲と同じであまり考えずに直感/ フィジカルに入っていけるリズム(グルーヴ感)が一番の要素だと思います。極端な話ですが、ほんの5秒ほどの2小節ループが決まれば、あとはほぼそれを伸ばしていくだけ、なんて曲作りも多かったりします。いかに少ない要素で自分なりのハウス感を出すか、というのが最近のテーマだったりします。曲作りでは基本的には自分でかけたいもの、好きなDJがかけてくれるかも? といったことを意識しています。
 
一同「まさにその通りですね…(笑)」



 

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OSAMU Mからの質問 その1
海外の最前線のシーンと日本のシーンの違いは何だと思いますか? 20年前と今の日本のハウス/ テクノシーンはどのように変化したと思いますか?
 
KEN ISHIIの回答
テクノに関して言うとヨーロッパやアメリカでは、ここ数年で客層が若返ったような気がします。それに応じて若いスターもたくさん出てきている感じもあります。日本はここ最近少子化の影響なのか、若干そういった動きがない印象です。ただ日本のシーンは約20年前の黎明期から短期間で素晴らしい発展を遂げている。だから多少のアップとダウンはあってもしょうがないとも思います。
 
SATOSHI TOMIIEの回答
東京のシーンは20年前と比較すると今は小さくなってしまった印象です。しかし海外と比較しても、今でもDJのやりがいがあるところだと思います。クラブのクオリティーや来るお客さんの反応、音楽の知識の高さはもちろん、街にもマジックがある。あとこれだけレコード屋がある街ってそんなにないですよ。人口的にももうちょっとシーンそのものが大きくてもいいかなとは思いますね。あとは東京にシーンがどうしても集中している印象ですね。
 
 
OSAMU M「日本のクラブやお客さんの意識はすごくいいと思うけど、全体のパーティーに遊びに来る人口は減ってる印象があります。とくに若い人が少ない気がする。海外を見ると、テクノのフェスは人気だし、そこに若い人も集まっています。そうゆう流れを日本にも作りたい。」
 
MASANORI MORITA「DJもこのジャンルに関していうと若い層が少なくなってしまった気がします。海外は20代のDJがいっぱいいるし、楽曲制作も積極的にしてますよね。」
 
 
 
OSAMU Mからの質問 その2

今までにプレイしてきたなかで最も良かった、または印象に残っているギグを3つ教えてください。
 
KEN ISHIIの回答
94年、ベルギーでの初めてのライブ。R&Sのレーベルイベントで「Extra」の原型バージョンをプレイしたらレーベルオーナーが興奮してステージに駆け上がって来て「最後の曲は何だ? ビッグトラックだ! あの曲でお前をビッグにするぞ!」と言って来た。その曲は1年半後にリリースされビデオも作られと、自分のキャリアの転機になりました。2つめは東京でこれも94年。Sublime RecordsのYamaとオーガナイズして初めて開催したREEL UPというパーティー。新宿にあったAUTOMATIXというクラブでやったけど入場制限で中に入れない人が数百人も外に並んだくらいの状況。自分たちもまだ東京のシーンの実数が分からなかったから、ここまでテクノに引きがあるのかと驚いた一夜でした。最後は99年だったか世界的な環境保護団体が主催したブラジル・アマゾン地方のマナウスという都市で行われたECOSYSTEMというイベントでプレイした時のこと。日本からはDJ Krush、DJ Tsuyoshi とともに参加。現地で初のインターナショナルな野外ダンスフェスティバルで、どうやらお客にとってテクノは初めて聴く音楽だったらしく、自分がプレイしたときは戸惑って固まっていた。途中からなぜかのサンバを踊るように動き出して、最後には大盛り上がり&大合唱で名前をコールされるというドラマティックなギグになりました。
 
SATOSHI TOMIIEの回答
たくさんありすぎて選べないですが、東京での数々のギグは間違いなく質問の答えに入ると思います。今回のBLACK ON ITも楽しみです。
 
 
OSAMU M「KENさん、3つとも90年代なんですね(笑)。当時のシーンはやっぱりすごかったですもんね。」
 
MASANORI MORITA「テクノ、ハウスの最初のムーブメントでしたね。ジャンルも今ほど細分化されていなかったし、それが良かったのかもしれませんね。

  
 
OSAMU Mからの質問 その3

二人のB2B、どんなプレイになるのか僕らを始めみんながワクワクしています。どの様なことを意識してプレイしますか?
 
KEN ISHIIの回答
ボクもワクワクですが、正直どのようになるかはまだ想像がついていません。プレイ前にどこかでTOMIIE君と話してみたいなと思ってます。
 
SATOSHI TOMIIEの回答
KENくんと一緒にDJするのは初めてでちょっと緊張しています。さあ、どうしよう(笑)。どんなケミストリーでセットが盛り上がっていくのか、今から楽しみ。
 


 
MASANORI MORITA「TOMIIEさんとKENさんは、接点があるんですか?」
 
OSAMU M「まったく無いらしいですよ(笑)。1回も同じパーティーに出演したことは無いらしい。DAIKI(オーガナイザー)の発想力はすごいよね。バックグラウンドが違う二人のB2Bも面白いかなと思ったらしく、Louie VegaとJoseph Capriatiも最近B2Bやったりしてますし、どういった展開になるか予測がつかないから、普段とは違うグルーヴ感や雰囲気を楽しんでもらいたいと思って今回に至ったようで。 普通に考えたら、KENさんとTOMIIEさんにB2Bはやらせないと思う(笑)。」
 
MASANORI MORITA「このラインナップが揃うパーティーは、なかなかないですよね。90年代テクノ/ ハウス黎明期の雰囲気を味わえる特別な空間になりそうなので、ぜひ若いの世代の人に体感してもらいたいですね。

 
OSAMU M「メインフロアはいつもよりお客さんに近い位置にDJブースを設置する予定だから、より一体感を感じることができるだろうね。イビサで活躍するVJ TONTONの映像と空間演出もお見逃しなく。」

 




BLACK ON IT -2nd Anniversary Party-

DATE
2019-03-30 SAT

OPEN
22:30

VENUE
WOMB

PRICE
DOOR: ¥3500 FLYER&MEMBER: ¥3000

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