「東京テクノの総本山」と称されたクラブ"MANIAC LOVE"。1993年のオープンから瞬く間にその名を全国に轟かせ、テクノシーン黎明期を彩り、90年代からゼロ年代のシーンを支え続けた。2005年にクローズした後も当時を知るクラバーの間で脈々と語り継がれている、正に伝説のクラブだ。
そして2013年、MANIAC LOVEの誕生から20年を数えることになる。その20周年を祝してMANIAC LOVEが3週間限定で復活を果たす。伝説が蘇る会場となるのは、渋谷"Galaxy - Gingakei"。出演者にもDJ WADA、CO-FUSION、DJ TASAKA、Q'HEY、MAYURI、A.MOCHIなどがラインナップされている。さらにアフターアワーズも行われる。詳細は下記のとおり。
- Event Information -
タイトル:CELEBRATES THE 20TH BIRTH ANNIVERSARY OF MANIAC LOVE
会場:Galaxy - Gingakei
時間:22時
料金:ADMISSION ¥2,500 AFTER HOURS (5AM RESTART)¥1,000 W/FREE COFFEE
出演:
[7月27日(土)/ ML PROGRAM - DAY1] DJ WADA, DJ YAMA, DJ JIMIHENDRIXXX a.k.a KEIICHIRO SHIBUYA / DJ SHUFFLEMASTER / DJ HIRO [AFTER HOURS] TOBY, YO-C [VISUAL] M.M.M, YASUNORI IWAMOTO
https://www.facebook.com/events/488888784524976/
[8月3日(土)/ ML PROGRAM - DAY2] CO-FUSION, DJ TASAKA, DR.SHINGO, DJ SODEYAMA, OSAMU M [AFTER HOURS] SHINKAWA, DSKE [VISUAL] M.M.M, YASUNORI IWAMOTO
https://www.facebook.com/events/260195674119055/?ref=2
[8月10日(土)/ ML PROGRAM - DAY3]
Q'HEY, MAYURI, A.MOCHI, TAKAMI, ROK DA HOUSE, [AFTER HOURS] UIROH, ATT [VISUAL] M.M.M, YASUNORI IWAMOTO
https://www.facebook.com/events/589452717744862/
●about MANIAC LOVE(1993 - 2005)
'93年12月オープン。大型クラブ、ディスコ全盛期で、サウンド的にもニューヨークからのガラージ・ハウスが大きな勢力を持っていた時代、それに対し「マニアックラブ」は小箱ながらもテクノを中心としたエレクトロニック・ミュージックをサウンドの核として、ハウス、ブレイクビーツ、ドラムンベースなどのダンス・ミュージックを強力に打ち出した。テクノのレジデント・パーティーや昼までパーティーが続くAfter Hoursのレギュラー化、内装も真っ白という今までになかった新しいスタイルをいち早く取り入れ話題を呼び、またメディアを一切拒否し、店の存在が口コミで広がったこともあり、まさに知る人ぞ知るクラブとして絶大な支持を得ることとなる。
当時、UKからのOrbに代表されるアンビエント・テクノやワープ・レコードからのアーティフィシャル・インテリジェンス・シリーズ、あるいはそのルーツとしてのデトロイト・テクノに対する再評価が高まる中、テクノは着実に新しいムーヴメントとしてクラバーの支持を集めていた。「マニアックラブ」の誕生前にもテクノのクラブ・イベントが無かったわけではないが、単発的なものや海外DJを招聘してのショー的なものが殆どだった。そんな中「マニアックラブ」は小箱ながらあえて毎週末のレギュラー・パーティーにテクノを持ってきた。今でこそテクノ・イベントは毎週のように様々なクラブで繰り広げられているが、当時はテクノをメインのパーティーとして土曜日の夜に毎週行うなどという試みは到底考えられなかったことだ。もちろん東京のテクノ・シーン自体がまだまだ未成熟であったし、世界的にもテクノというジャンルがこの先どのようになっていくのか不透明な状態であった。しかしながら結果的にはこの実験的ともいえる試みは大きな反響を呼び、多くの新しいサウンドを求めるクラバーから支持を得ることとなる。同時に東京からインディペンデント・レーベルが誕生し、世界に進出するアーティストが多く生まれ、テクノは東京ローカルな状態ではあったが着実に一歩先へ踏み出すこととなったのである。
DJからの支持も高く「安息の地」として多くのアーティストが遊びに訪れることでも知られ、通常ならば大規模な公演でしか見ることのでいないトップ・アーティストがあえて小さな「マニアックラブ」を指定してプレイしたり、時には飛び入りで参加することもよくみられた。
これほどまでに多くの著名DJがこぞってプレイしたがるのはやはり「マニアックラブ」が本当の意味でシーンとリンクして、DJやアーティストとともに前進してきたからであり、まさしく「マニアックラブ」が歩んできた道のりは、東京のテクノ・シーンの生き写しとも言えるものだろう。
'99年、イギリスの代表的クラブ・ミュージック・マガジン「MUZIK」誌の選ぶ「21世紀の世界ベスト・クラブ21」に、世界各地の強豪クラブに並んで国内では唯一「マニアックラブ」がランクインされ、当時としては国内初の快挙を成し遂げた。
'02年末、マニアックラブ9周年を記念し、国内外マニアックラブ所属アーティストのオリジナル曲全16曲を収録したコンピレーション・アルバム "Maniac Love Presents JOURNEY INTO THE SOUD" (Sublime Records/IDCR-1002) をリリース。
また'03年には番外編的に青山の地下を飛び出し、鎌倉/由比ガ浜海岸に本格的なクラブ・サウンドを持ち込んだビーチ・パーティー「Maniac Beach」をスタートさせ、夏のビーチ・パーティーの先駆けとなりムーヴメントを創り出した。
日本のクラブを語る上で欠かすことの出来ない世界に誇る小さなクラブは、DJを目指す若者にとって憧れのクラブであり、まさに「聖地」であった。
12周年を迎えた'05年12月3日、惜しまれながらその歴史に幕を下ろす。
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