NEWS
>

ダンスミュージックの枠を超えて。「ULTRA」が僕らの未来を変えてくれる可能性 - 前編 -

 ダンスミュージックで約9万もの人を集めるフェスティバルが日本にある。2014年に日本で初開催され、この年は2日間で約4万2千人の来場者を記録。そして2015年には3日間に拡大し開催。冒頭で説明した数のオーディエンスが、東京お台場にある特設会場で踊り歓喜した。そのフェスの名は「ULTRA JAPAN」。これまで開催されてきたダンスミュージックのフェスティバルは多くても約2万人規模だったのを考えると、とんでもないことがシーンで起こった、と言うほかない。今年も9月17日(土)、18日(日)19日(月・祝)にお台場で開催されようとしている。
 今回のインタビューは「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクター、小橋賢児に取材したもの。初開催までの経緯や意義など、彼から見る「ULTRA JAPAN」について話してもらった。
 また定額制配信サイトAWAを使い、「ULTRA JAPAN 2016」に出演するアーティストの楽曲でプレイリストでクラベリア編集部で作成。視聴しながら記事を読むもよし、読み終えた後に視聴するもよし、プレイリストも記事も、ぜひチェックしてみてほしい。


Photo:山崎瑠惟、© ULTRA JAPAN

「ULTRA JAPAN 2016」メインステージ出演アーティストの楽曲をAWAで視聴する
awa
 
 
——アメリカで語学留学中に「ULTRA MUSIC FESTIVAL」に出会ったということなのですが、その時の印象はどういったものでしたか?
今から10年くらい前で27歳の時ですね。当時、芸能活動を休業して語学留学のために渡米。春休みを使ってアメリカ人と車でアメリカ大陸を横断しゴールをマイアミに設定しました。その時期、マイアミでミュージックウィーク(WMC)が開催されているとは、まったく知らなかったんですけどね。偶然、マイアミの路上で友人のDJに会い、そこで「ULTRA MUSIC FESTIVAL」というフェスがあることを聞きました。そのあと、ミュージックウィーク中に開催されるSATOSHI TOMIIEさんが出演するパーティーへ連れて行ってもらったりもしました。ミュージックウィーク中はホテルやいろんな場所でパーティーが開催されていて、街中がお祭りみたいな雰囲気で本当に圧倒されましたよ。

僕はもともと若いころからよくクラブに行っていましたが、事務所からは「悪いイメージがつくから行くな」と注意を受け、控えている時期もありました。この「悪いイメージがつくから行くな」という言葉は、クラブに対して日本に根付いているイメージかもしれませんね。僕は「ULTRA MUSIC FESTIVAL」で音楽や映像を融合した最先端のエンターテインメントを体験して“総合芸術”だと感じたんです。そして「ULTRA MUSIC FESTIVAL」で若者たちが青空の下で音楽にのり、楽しそうに遊んでいるのを見て、“同じ音楽を楽しんでいるだけなのに、自分の環境と彼らの環境、この差はなんだ?” ということに、ただただ衝撃でしたね。
——それまで、音楽フェスにはいろいろと行かれていましたか?
国内のフェスに行ったことはありましたが、海外のフェスというのはほぼ初めての参加だったと思います。
 
——「ULTRA MUSIC FESTIVAL」と今まで経験してきたフェス、その違いは何でしたか?
まずダンスミュージックに特化したフェスはあんまり行ったことがありませんでした。今までのフェスはコンサートライブに近いものだったので、曲やアーティストを知らないと楽しめなかったんですね。でも「ULTRA MUSIC FESTIVAL」はダンスミュージックだから、曲やアーティストをまったく知らなくても一緒に踊ることによって共感できるというか、繋がれた感じがすごく楽しかった。クラブではなく、屋外で体験できたことも大きかったと思います。とくに「ULTRA MUSIC FESTIVAL」は街中だったので、マイアミのダウンタウンという都心のど真ん中で開催されているというのは、日本の感覚でいうとありえないことでした。
 
——クラブというワードが出てきたので少し話題を変えますが、小橋さんは以前DJもされていましたよね?
ハウス/テクノのDJもしていましたが、それより前の10代のころ、もともとヒップホップのDJをやっていたんですよ。なので本場のヒップホップを体感するために、16歳の時に1人でニューヨークに行ったこともあります。本場ニューヨークのヒップホップシーンは想像していたより過酷で、当時憧れていたB-BOY系の黒人は路上で物乞いをするほどお金に困っていたり、クラブの周りではおかしな状態になっている女の子がいたりと、いろいろな意味でとても衝撃的を受けたのを覚えています。“こんな環境からアーティストは這い上がってくるのか、日本人が外見だけ真似てヒップホップをやっても無理だ”と思い、僕はヒップホップの道を諦めちゃったんです(笑)。
 
——クラブの魅力ってなんでしたか?
クラブには狂気もあるけど、常に最先端の音楽とファッション、いろんなものが入り混じっている所ですかね。そんな魅力に惹かれていたと思います。かなり若い頃からクラブには行っていて、芝浦GOLDを作った人たちや、EMMA君やNIGO君だったり、そういった大人の方たちが先輩としていろいろ教えてくれました。今はもう無いですが西麻布Space Lab Yellowや恵比寿MILKにも行っていましたよ。芸能活動が忙しくなってきて、事務所の人にクラブに行くなと注意された時期で、次第にクラブから遠のいていく時代もありましたけどね。でも新しい感覚やセンスを磨ける場所だと思っていました。
 
 
5時間以内にブッキングを完了させろ!? 華やかに見える舞台の裏物語
 

——最近はクラブに行かれますか?
海外のパーティーに行くことが多くなっているので最近はたまにしか行けていないですね。
 
——仕事の比重としては「ULTRA JAPAN」関連が多いですか?
比重としては、ほかの仕事の方が多いです。ディオールやイヴ・サンローランのパーティーとか、そういう企業イベントのプロデュース・製作をやっていたり、取材を受けたり、トークショーをしたり、雑誌の執筆をしたり、ですかね。
 
——マルチに活動しているんですね。
僕のなかではいろいろやっているっていう感覚はありません。ある時自分のなかで『自分はクリエイティブを通じて“気付きの場”を作りたいんだ』と思いました。“気付きの場”というのは、同じ場所で同じ時間を共有することによって、これまでと違った感覚になれる場所のことです。僕らは答えを教えることはできないけど、きっかけなら与えられるんじゃないか? と思い、そういうコトを自分の仕事にしたいと思ったんです。僕らがやっている音楽フェスティバルでもいいですし、映画でも、カテゴリーはなくね。
——“気付きの場”を作りたいと思うようになったきっかけは何でしたか?
芸能活動を休業して世界を旅したことが大きかったと思います。俳優をやっていた時も、僕の周りには面白い人たちが多くいて、刺激をもらっていたんですけどね。自分たちだったらこうしたい、ああしたいってアイデアを出したりもしていました。でも、当時は芸能活動に重きをおく必要があったので、自分のなかでやりたいことに制限をかけていました。そんななか、20代半ばにふと考えたんです。自分の30代を見据えた時に『このまま芸能活動にしがみついていたらそれなりの生活、それなりの環境があったとしても、本当に自分のやりたいことができているのだろうか?』と。すごく不安になりました。急にいてもたってもいられなくなって。27歳の時に芸能活動を休業し世界を旅することに決めました。自分が10代の時は地元から飛び出して渋谷や原宿に行き、人と出会うことで自分の感覚を変えていったんですけどね、気付いたら自分は自分の枠のなかにしかいなかったんです。しかも芸能界のなかにいたら、周りに気付かれないように個室の居酒屋にいて終わり、みたいな日々が普通になっていたかもしれないです。本当は感度が高くなければいけないのに街の人より感度が低くなっている自分がいたんです。
 
——海外をまわってみていかがでしたか?
まるで心のリハビリをしているような日々でした。夕日を見て感動すること、音楽を聴いて感動することなど、いろいろな感覚を思い出していきました。この旅をした感覚やフェスで体験した感覚を人に共有したくて、映像まで作っちゃいました(笑)。飲みの席で話してもあんまり聞いてもらえないからね。
 
——飲みの席で手の込んだプレゼンですね(笑)
思ったものをどう共有しよう、聞いてもらおうと考えて形を作っていっただけなんです(笑)。例えば海外のフェスにさまざまな境遇や環境におかれている人たちが参加して交流することにより、音楽やフェスという“場”をきっかけに自身の感覚を変えていっているのを見て、そういう“場”を作りたいなとすごく思ったんです。はじめは友達同士とパーティーを作ることからスタートしました。それこそ最初は手作り感満載ですよ。でも作っていくうちに、面白い人たちが徐々に集まって来てくれるようになり、それを見た企業の方々が「こういう人たちにパーティーを作ってもらいたいな」となって、今の仕事に繋がっていったんです。
 
——以前からクラブミュージックやパーティーの影響を受けてきた小橋さんからしたら、それは自然な流れだったように思います。
元俳優で突然「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターになったと思われることが多いんですけど、じつはクラブシーン・音楽との繋がりは長いんですよ。一時期俳優になったことによって閉じちゃったけど、海外経験でまた開くことができた。昔から僕を知ってくれている人からしてみると「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターになったことは別に驚くことではないんですよ。
 
——「ULTRA JAPAN」の開催は、いつから話があったんですか?
僕の友達が「ULTRA KOREA」のボスと仲が良くて「ULTRA KOREA」の立ち上げの時から日本のパートナーとして推薦してもらい、プロジェクトに参加したのが最初です。当時僕が世界中のフェスに行ったり、いろいろなパーティーを主催していたのでオファーをいただきました。それからですよ、大変だったのは(笑)。「ULTRA KOREA」の開催3ヶ月ぐらい前にスカイプでボスと初めて話すことになり、「5時間以内にブッキングを全部してくれ!」みたいなことを言われて(笑)。ぼくはフェスでDJのブッキングをするのは初めてだったので、とりあえずいろんな人に電話しました。たぶん、めちゃくちゃなことを言っていたと思います(笑)。とにかく自分がやれることすべてをがむしゃらにやりました。そのおかげで無事開催できた時の達成感を主催者チームと共有でき、すごく感動しました。この「ULTRA KOREA」が終了後JAPANサイドのディレクターになってくれと言われたんです。
 
——そうだったんですね。
「ULTRA KOREA」のボスも韓国人ですが、ニューヨークに在住していた時期があり、彼も初めて「ULTRA MIAMI」に行った時に衝撃を受けたそうです。“世界はこんな体験をしているのに、なんで自分の国は、いまだにカラオケなんだ!”とショックを受けたそうです。“この国に「ULTRA」を持ってきたら人々のライフスタイルが変わるんじゃないか”と思って彼は世界中の「ULTRA」を回り交渉したそうです。そして韓国での開催を実現しました。
 
——その話を聞いて小橋さんはどう思いましたか?
このストーリーを聞いて「ULTRA KOREA」の本番を見た時に、半分以上がダンスミュージックやクラブを知らない人たちだろうなと思いました。“世界からすごいものがやってくるから行こう”。そんな理由で来ているようでしたね。でも、その人たちが「ULTRA KOREA」を知って完全に人生変わっちゃった!みたいな顔しているんですよ。涙を流している人もいる。そういう姿を見て“もし今の時代に日本にULTRAを持ってこられたら…”と考えたんです。もし日本で「ULTRA」みたいなフェスを街中で開催できたら“ダンスミュージックを通して日本の未来が変わっていくんじゃないか?” とみんなも感じるのではないかと。昔ディズニーランドが日本にやってきた時みたいに“世界からとんでもなくすごいものがやってくるから行ってみよう」って思ってほしいなって。何がすごいのかわからなくてもいいからとりあえず参加して、体験してほしい。体験したらきっと何かが変わるから。
 
——体験するとしないとでは違いますからね。
体験してもらえるともっと欲が出てくると思う。海外のULTRAに行ってみたくなったり、音楽をもっと掘ってみたくなったり。そのプロセスで海外の文化や音楽の歴史に興味を持つ人もいるかもしれない。そういうきっかけ作りをしたいですし、その入り口として、入ってきやすいのが「ULTRA」だと思ってやっていますし、そういう入り口を作るべきだと思っています。この多様性があり細分化された時代に本当にいいものを届けたいと思うんだったら、その入り口をきちんと作ってあげるべきじゃないかなと思っていて。そういう意味で「ULTRA」は、すべてに通ずる入り口なんじゃないかなとは思っています。
 

「ULTRA JAPAN 2016」メインステージ出演アーティストの楽曲をAWAで視聴する
awa  
- Event Information -

タイトル:ULTRA JAPAN 2016
開催日:9月17日(土)、18日(土)、19日(月・祝)
会場:東京・お台場ULTRA JAPAN特設会場(東京都江東区青海)
時間:開場9:00 | 開演11:00 | 終演21:00(予定)
料金 : GA1日券:13,000円(税込)、GA3日通し券:39,000円(税込)、VIP1日券:30,000円(税込)

■チケット購入はコチラ
http://www.clubberia.com/ja/store/

■ULTRA JAPAN 2016
http://ultrajapan.jp
22
NOV

RANKING

  • WEEKLY
  • MONTHLY
  • ALL