INTERVIEWS

WESTBAM

- 今年春に発売された『Gotterstrasse』は、2005年の『Do You Believe In the Westworld』以来8年ぶりのアルバムとなりますが、『Do You Believe In the Westworld』はロックに歩み寄った作品でしたが、今回はIggy PopやKanye Westなどをフィーチャし、メインストリームへ挑戦したアルバムなのでしょうか?それとも、まったく新しいWESTBAMの提示なのでしょうか?ご自身では、どういった意図で今作は作られたましたか?

メインストリームになる気はまったくないから、ご心配なく。いつも自分のやりたいようにやっているよ。でも、ドイツでも、似たようなリアクションを受けた。やはり、しばらくアルバムを発表していなくて、カニエ・ウエストやリル・ウェインが参加するというからだった。でも、アルバムを聴いてくれた人はポジティブな驚きがあったと言ってくれた。今回のアルバムはナイトライフ用ではないと思う。でも、自分が過去30年を過ごしてきた、ナイトライフについての音楽だけれど。内省的なアルバムだから、さまざまな声が必要だった。音楽や場所や、出会った人や変な人や、鋼鉄のような音楽や、失われた場所についての作品なんだ。
 
- 『Gotterstrasse』はどういう意味合いでつけられたのでしょうか?1枚を通して曲のトーン(色味、雰囲気)が統一されているように思いました。

コンセプトの一部は前の質問で答えたとおりだ。音楽的には、さまざまな声とマッチするまわりの環境のような音をつくることを意識していた。そうすることで、声を1つのつながった物語として見せることができるようにね。ブライアン・モルコからアフリカ・ベイビー・バムまで様々なボーカリストが参加したアルバムに統一感をもたらすのは難しい。でも、DJあがりのミュージシャンとして挑戦してみたいと野心を煽られるものだった。似たような音楽をミックスするのは誰にでもできるけど、それ以上のことをやってみたかったんだ。

  - 今回、全曲フィーチャリングを起用していますが、この彼らを選んだ共通の基準などはありますか?

先にトラックをつくって、それからどんな声が浮かぶかを想像してみたんだ。たとえば、「ワーグナーリアン」(ワーグナー的な)トラックがあるんだけど、映画音楽みたいなんだ。最初の3分にはビートも入っていないし。それで、ヒップホップのボーカルを入れたらいいんじゃないかと思いついたんだ。ヒップホップっぽいからではなくて、むしろ逆だから予測を裏切れるんじゃないかと。カニエのボーカルが入ったときは、とても嬉しかったよ。彼は本当に偉大なラッパーだ。彼はこの曲を新しいジャンルにしてくれた、ワーグナー・ホップというね。

  - 8年という時間は長いように思いますが、ご自身ではいかがですか?また、何か8年の時間がかかった理由があるのでしょうか?

そうだね、時間をかけたよ。8年かかったわけじゃないけど、4年くらいは。いいサウンドとボーカルを探すのに時間がかかったんだ。空っぽでシンプルにするのに時間がかかったというか。そういって思ったんだけど、ちょっと日本っぽくないか?
 
- この10年で、大きく音楽シーンは変わってきたと思います。音楽のデータ化、エレクトロやダブステップ、EDMの流行。日本では風営法によるクラブの減少などが特に大きかったと思います。ご自身の身近では、この10年で何が1番大きい出来事でしたか?また、今後の音楽/テクノシーンをどうとらえてますか?

テクノロジーがどうDJの仕事を変えてしまうかはわからないけど、過去10年は大きな変化をもたらしたと思う。30年前よりも過去10年の変化は大きかった。でも、すべては結局人のために音楽を選ぶ人が外へ出て、人に会って、踊るということに尽きる。これは変わらない。未来のサウンド?人々が好む音楽は現実を反映したものだ。どう彼らが自分自身を見ているか。世界に対してどう感じているか。だから音楽は未来を予測できない。未来を知らなきゃいけなくなるからね。

  - なぜボーナスCDは、タイトルに全てDUBとつけて統一させたのですか?いわゆるDUBリミックスだと「You need the dub」がベーシックで分かりやすいのですが、他がDUBなのかな?と思ったりしました。

あなたが言う通り、純粋にダブをやっている人はこれをダブとは呼ばないだろう。僕は純粋にダブをやっているわけではないけど、でもダブという言葉を使いたいからそうしてるだけだ。このアルバムの曲構成には多くの労力を注ぎ込んだ。でも、DJミュージックは曲の解体からはじまるものだ。ボーナスCDは解体からはじまっていて、もともと解体をはじめた人へのオマージュをこめた。つまりダブの人々へのオマージュだ。

  - あなたは「WIRE」でも共演するDJ HELLと並び元祖エレクトロのように表現されてもいますが、ご自身でどう思われていますか?どういう音を求めてエレクトロを生み出したのでしょうか?
    
きっと、Afrika Izlamが僕のジングルで話してることから、この質問が生まれたのだろう?
日本ではきっと僕は「テクノの父」とは呼ばれていないだろうし。デリック・メイやホアン・アトキンスをそう呼んでいるだろうから。まあ、そんなに真に受けないでくださいよ。僕は83年からエレクトロニック・ダンス・ミュージックをつくっていて、最初のレコードは85年に出した。レーベルは87年からだ。最初のワールドワイド・アンダーグラウンドヒットは88年だった。89年にはラブパレードをはじめた。だから、DJミュージックやその周りの活動についていえば、僕は初期からやっていた人間ではある。でも、もっと他に「テクノの父」と呼ばれるべき人たちはいる。イタリアのフューチャリスト、Umberto Russolo、ジョンケージ、Boulez、クラフトワーク、ジョルジオ・モロダー、キングタビー、イタロディスコを発明した人々、Ten Recordから出た最初の"TECHNO"コンピを名付けたイギリス人、R&Sのレナート、フランクフルトのJurgen Laarmann、DJ Talla、アフリカバンバータ、アーサーベイカー、DAF、MUTEのダニエルミラー、クラウスシュルツ、彼らはみんなテクノの父や祖先たちだ。まだ他にもいっぱいいる。エレクトロのオリジネイターと呼ばれたことも無い。Afrika Izlamも"Pope of electro"とジングルの中で言っている。ポープ(ローマ法王)はオリジネイターじゃない、継承しているだけだ。

  - あなたはどういった音楽遍歴をたどってこられましたか?少年時代、青春期にはどういった生活をされていましたか?また、何がきっかけでダンスミュージック/テクノに興味をもったのでしょうか?

アフリカバンバータはDJがラディカルに新しい音楽をつくる、もっともラディカルで前衛的な方法だと思わせてくれた。1984年にドイツの新聞でこの新しい音楽についての記事を書いたんだ。それは記事というかマニフェストのようなものだった。DJからアンダーグラウンドで、ハードミニマル的な音楽が生まれるということを書いたんだ。

  - あなたが音楽活動を始めたことろのシーンというのはどういったものだったのでしょうか?今のシーンと比べていかがですか?あのころはよかった、と過去を賛美することはありますか?

Beatportで人気がある曲をチェックしたりすると、僕の夢は悪夢になってしまったと思うことがあるよ。でも、どの時代も魅力があるものさ。だから、自分が生きてる時代で精一杯いいことを見つけていくしかない。僕はどんなホラーのレコードからもいい瞬間を見つけることができる。それは僕がもともとDJカルチャーにもっていたアイデアと同じだ。悪いレコードを使って、いい音楽にするというね。デジタル時代になってからは、すぐにリアレンジして新しいトラックを再発明できる。すばらしいことだよ。

  - 現在もベルリンで生活されていますか?メディアでベルリンが取り上げてから、多くのクラバーがベルリンに憧れを持つようになりました。ここ数年でベルリンの音楽シーンに変化はありましたか?

ベルリンを愛しているよ。常に変わり続けている。世界からくるテクノツーリストたちはシーンを訪れる訳ではなくて、彼らが新しいシーンのようになっている。それはなんだか可笑しいんだよ。

  - 現在のベルリンのシーンでオススメのDJ/プロデューサーやパーティー、スポットがあれば教えてください。

数ヶ月前にオリジナルなベルリンはいまでもNeukolln(
ノイケルン)に残っていると発見したよ。ずっと忘れられていたエリアなんだけど。結構楽しかったね。音楽的には特定の場所の音楽を探すことはしない。ただ音楽を探すんだ。
 
- WIREを主催する石野卓球とは、どういった経緯で仲良くなったのでしょうか?

90年代半ばにベルリンの人気テクノクラブだったE WERKで卓球と会ったんだ。(E WERKはなくなってしまった)。俺たちは全然違う場所に住んでいたのに、似たような音楽を聴いて育ってきた。だから、ミュージックブラザーのように思ったんだ。
 

- MAYDAYの初開催を主催されていますが、どういった想いでMAYDAYを開催されたのでしょうか?石野卓球もMAYDAYに影響されてWIREをスタートしたと言っています。ちなみにタイトルの由来はDERRIC MAYから取ったというのは本当でしょうか?

80年代からデリックとは知り合いだった。俺たちは彼を最初にドイツに呼んで、ベルリンのUFOクラブでプレイしてもらった。でも、この名前について、彼は僕に怒っていたようだった。勝手に名前を使ったような感じになってね。でも、もともと東ドイツで最初にテクノ番組をレギュラー化したラジオ局へのヘルプを求める目的だったから、この名前にしたんだ。そうしたら、MAYDAYも大きくなってしまって、もともとの由来は忘れられてしまっていた。とはいえ、DERRICKがMAYDAYという言葉を使っていたのは知っていたし、それがなければこの名前は思いつかなかったかもね。
- WIRE初開催から9年連続出演されますが、WIREならではのエピソードはありますか?

4回目か5回目のときに、もっとも強烈なショウをやった。マッドネスとエナジーに満ちていて最高だった。それと、かかとの骨を折って40分のショウをやったひどい体験もある。

  - 今回15周年ということで、GIORGIO MORODERがスペシャルゲストで出演しますが、あなたは彼に影響された部分はあったりますか?タイムテーブルも彼の前ですね。

彼に会うのを楽しみにしているよ。会ったことが無いんだ。僕にとっては彼がテクノの父であり、ディスコ法王だ。
 
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