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日本が誇る世界チャンピオンMighty Crown。活動25年の軌跡と「横浜レゲエ祭」 - 前編 -

 サウンドシステム同士が決まったルールや時間のなかで交互にプレイ。選曲やレコードをかける間合い、曲やお客さんを煽るMCなどで、どちらが盛り上げたかで勝敗を決める、サウンドクラッシュ。サウンドクラッシュの世界大会でもっとも権威ある「World Clash」(1999年)に出場し、ジャマイカのレゲエアーティストを倒し優勝した日本人アーティスト、Mighty Crown。そんな彼らが今年で結成25周年をむかえる。彼らが活動を開始した当時、日本のレゲエはまだ、いまのように一般的層に広まっておらず、さらにはメディアにも取り上げられることの少なかった音楽。彼らは、日本でレゲエが今のように市民権を得るまでにした功労者であり、つねに世界を舞台に戦い続けた挑戦者だ。そして今年は彼らが主催する「横浜レゲエ祭」も20周年を迎える。

 本記事はMighty Crownの
Masta Simonに取材を行いまとめたもの。また、定額制配信サイトAWAを使い、本記事に登場したアーティストの楽曲でプレイリストを作成。視聴しながら記事を読むもよし、読み終えた後に視聴するもよし、プレイリストも記事も、ぜひチェックしてみてほしい。

写真:難波里美、Mighty Crown Entertainment
 

Masta Simon(Mighty Crown)が聴いてきたレゲエミュージックをAWAで視聴する 

awa
 
 
 
世界チャンピオンになる前の姿


——今年がMighty Crownが結成して25周年ということですが、結成の経緯を教えてください。
Mighty Crownはもともと、Mighty Crown とFIRE BALLのみんなが一緒に1991年に結成しました。地元が横浜で仲のいい連中が集まって「なにか面白いことをしよう」って感じで。オレは18歳だったかな。ほかのメンバーは15、16歳でしたね。オレもメンバーだったんですけど、1990年からロサンゼルスの学校に通っていました。弟のSAMI-T が1992年からニューヨークに行って。ほかのメンバーは日本にいたから活動はしつつ。夏と冬に必ずイベントをやっていたから、オレも年に2回帰ってきていて。
活動初期のイベントフライヤー
 
 
——ではメンバーはトータル何人かいるけど、イベントに出る時は、出られるメンバーで出るといった感じでしょうか?

そうですね。ちょっと流動的だったと思います。Mighty Crownが特殊だったのは、日本で始まったのに、いきなり海外のシーンに出入りしていたこと。だから本場の”本物”を見られた。それで、自分たちがやっている音楽に対して「本場と比べてレベル低すぎないか?」って、海外のシーンをみて衝撃を受けてしまったっていうのが大きいですね。
 
——その衝撃というのは?

やっぱりサウンドシステムです。みんな、自分たちのイベントの時に自分たちのサウンドシステムを持ち込んで鳴らしていたということですね。いわゆる移動式ディスコみたいなものです。その音にやられた。同じ曲でも低音とかの聴こえ方が違いすぎて。それで自分たちでサウンドを作ろうってなって1994年頃から作り始めて1995年に自前のサウンドシステムを完成させました。
 
——どのように作るんですか?

材料は、アメリカから筐体やユニットを輸入していました。日本で部品を揃えるより、アメリカの方が圧倒的に安かったから。日本ではアンプからユニットすべてにおいて高いんですよ。アンプ1台で20万円ぐらい値段が違う。なので、日本で1台買う値段でアメリカでは2台買えるくらい。それで、スピーカーの設計図を人からもらって自分たちで真似して作るわけです。
 
——どんなスピーカーを作ったんですか?

スピーカーにもいろいろ種類があって、ベースのローの部分はバックロードホーン型のスクープを作りました。それは野外用というか音がすごく飛ぶんですよ。筐体の下にアールがついていて、ジャマイカ のサウンドは当時みんなスクープを使っていて。設計図を見ながら「左右で形が違わね?」とか言いながら自分たちで作っていきました(笑)。それこそ木を切ったり、ペンキを塗ったりするところから。本当特殊なんですよね、スピーカーまで作ろうっていうのは。ほかのジャンルでいうとベースミュージックぐらいかな。ロックやヒップホップの人たちでスピーカーを持ち込む人って聞いたことないから。サウンドシステムってレゲエならではのカルチャーですよね。
 
——今のサウンドシステムも自分たちで?

今のサウンドシステムは業者に頼んだものです。サウンドシステムって老朽化もするし、高性能の部品も出てくる。今のユニットはプロに計算してもらったものだし、筐体の素材を変えたり。筐体の板を変えるだけでも音の鳴り、ベースの出方が全然違いますからね。昔と比べたらスピーカーの量もだんだん増えてきた。ベース8発からスタートしたのが、今はもう24発。
Mighty Crownの昔のサウンドシステム
   
Bob Marleyに拒否反応をおこして


——ちなみにレゲエとの最初の出会いを教えてください。
14歳とか15歳くらいのときにハードコアのパンクバンドやっていて、そのときにバンドの先輩がレコードでBob Marleyをかけたんです。それを聴いてオレは拒否反応(笑)。「何この音楽、遅い! 全然聞きたくない!」とか言って。「お前はガキだかわかってねえよな、こういうのは」とか先輩から言われた。「そのうちこの良さがお前にもわかるよ」とか言われたことはすごく良く覚えています。それから2、3年後には横浜のレゲエクラブとかバーに出入りするようになってレゲエも聴くようになっていたんです。初めて聴いたカセットテープは、Yellowman。友達からYellowmanのライブのテープをもらってに、なんだこれは!と衝撃を受けました。彼は俺が1980年代にすごく影響を受けたアーティストなんですよ。それから1990年代初頭は、Super Cat、Ninjaman、Shabba Ranksを聴いていましたね。当時、レゲエシーンではダンスホールが流行っていたけど、一般的にはレゲエ自体全然流行っていなかった。ラジオ聴いていてもかかってなかったし、雑誌もほとんど取り上げられてはなかったと思います。
 
——またBob Marleyを聴く機会はあるんですよね?

他のメンバーと違って俺はBob Marleyにやられたのが遅いんですよ。どちらかというとダンスホール、ノリのいい方が好きで。でも徐々にBob Marleyの良さがどんどん染み込んできた感じですね。
 
——染み込んできたのは、彼のどういったところなんですか?

やっぱりメッセージ性とメロディーですね。調べていったら生き方とかがすごいことにも気づいた。それまでは、まだまだガキだったからわからなかったという部分もありました。
 
——レゲエも一種のレベルミュージックだと思います。当時Simonさんがやっていたハードコアバンドもレベルミュージックで近いようにも思いますが?

そうですね。でもハードコアが好きだったのは、意味よりもノリだったんだと思います。ライブに行って暴れたりとかするのが好きだったり、モッシュするのが好きだったりしたから。レゲエを聴くようになっても、最初はビートや響きがカッコいいと思っていた。歌詞に関して追求してのは暫くしてから。聴きこんでいくうちに歌詞の意味が分かりだした。そうすると、ハードコアとレゲエはリンクしていた部分があるんだと気付きましたね。
 
レゲエで世界を制したニッポンジン


——1999年に「World Clash」で世界チャンピオンになりました。当時、日本人が世界チャンピオンになるというのは、どれほどの衝撃だったのでしょうか?
野球で例えたら、日本のプロ野球チームがメジャーリーグに参入して、初年度のシーズンでいきなり優勝してしまうって感じかな。当時、アメリカでレゲエをやっている人たちにも日本人でサウンドやっているやつがいる、くらいの認識は持ってくれていた。でも、まさか本場のジャマイカ人のサウンドを倒してチャンピオンになるなんて誰も思っていなかった。  
——たしかにそうですよね。会場はどんな雰囲気だったんですか?

当時のブルックリンって結構危なかったんですよ。今ではまあ考えられない荒さというか。治安も良くない。よく言えば活気があってギラギラしている。この前別のインタビューで実際にその日行った人たちに話を聞いたんですけど、人がもうパンパン過ぎて入れなかったらしいんです。外にも1000人くらい溢れていて。そんななか、その人は入り口のセキュリティに「せっかく日本から来ているのに入れないんだ」と伝えたら、「わかった。じゃあ俺に100ドルくれたら入れてやるよ」みたいな(笑)。それで賄賂払って入ったらしいんです。俺たちも会場について、ダブ・プレートやレコードをもって歩いているだけで、通るやつ通るやつに「お前らか今日の相手は。かわいそうだな」とか、「死ね」とか。罵声がすごかった。相手の横綱のやつらが到着した瞬間、人が何十人と集まってすごい盛り上がりで。やる前から人気度の差で圧倒された。でもそれでいきなり倒しちゃったもんだから。みんな信じられないっていう目をしていたり、もう殺してやろうかみたいな目をしていたり。でも俺らが完全に客を盛り上げちゃっているので、最終的にはフェアに俺らが勝った、という感じにはなったんですよ。
1999年の「World Clash」の様子
   
——その時の様子を今知る方法ってありますか?

テープは残っているんですけど、その時は、雑誌の取材もテレビの取材もまったく入ってなかったので、俺たちや実際に観に行った人たちの証言しかないっていう(笑)。少しなら昔出した「THE STORY OF MIGHTY CROWN IN NY」というVHSで見れます。
 
——話を聞く限り圧倒的に不利のなかどうやって勝てたんですか?

1999年の「World Clash」に出演していた相手のサウンドたちっていうのは、俺らが1991年からずっと聴いていた連中でした。俺らとしては、日本のサウンド、日本のアーティストのすごさを見せたいという気持ちがあったと思うんですよね。ステージに立った時に、俺らがやる、いや俺らがやるみたいになった時に、俺らは雑魚扱いなので、相手が「じゃあお前らが先にやれ」ってなった。ど頭のMCでブルックリンのいろんな人や地名、軍団をBIG UPしていった。そうすると「え? こいつら地元のこと知ってるんだ」と相手も客もあんまり嫌な気持ちにならない。スラングでもしゃべれるし、そうなると「こいつらひょっとして面白いんじゃないか」ってなる。そして当時向こうの主流の曲でガンガン盛り上げてどっちに転ぶかわからないような感じまでもっていった。
 
——決定打はなんだったのでしょうか?

最後のチューンフィチューンでしたね。チューンフィチューンでは一曲ずつかけ、この勝敗を決めるPKみたいなもの。そのときに俺たちは、いわゆる根っこの部分のルーツ、ヒップホップで言えばオールドスクールみたいなものをかけ始めた。当時のトレンドが、レゲエのなかにはわかりやすくいうと2つあって、DJチューンっていういわゆるラッパー的なものと、ハードコアチューンっていう歌物みたいなものがあった。当時は最新のDJチューンをかけるのが主流だったんですよ。でも俺らはハードコアチューンをかけた。いわゆるルーツだから、周りも「それ知っているんだ」みたいな空気になった。曲を知らないとかけられないから。相手の横綱っていうのはハードコアチューンで有名だったけど、そのハードコアチューンで俺らが勝ったもんだから、その驚きもあって優勝につながったと思っています。優勝してから次の日のジャマイカ人の対応がこうも違うかっていう(笑)。最初はやっぱりなめられたから。自国の音楽を自国以外の人たちがやるっていうことですから。ブルックリンの街を歩いても、ダウンタウンを歩いても「お前ら昨日優勝した奴らじゃねえかよ」って声をかけられるぐらい噂が広まっていました。
当時のフライヤー
 
 
——日本側の反響はどうだったんですか?

アンダーグラウンドなレゲエシーンを追っていた人たちの間では、すごいニュースになっていました。携帯はあったけれど、ネットはなかったらか口コミで広がっていったんでしょうね。誰も歴史上勝ったことがなかったので。でも、メディアが取り上げてくれるまでに1、2年ぐらい、一般の人までには2、3年ぐらいかかりました。そこからじわじわ「World Clashっていうものがあるらしい」みたいな感じになって、「World Clash」自体が有名になっていったっていうのはあると思いますね。
 
——当時、日本はどんなシーンだったんですか?

たとえば90年代前半には「ジャパスプ(Reggae JapanSplash)」とかが流行っていました。ただ、オレたちがやっていたレゲエとは真逆でした。オレらがやっていたレゲエ、サウンドシステムカルチャーはアンダーグラウンドすぎて(笑)。
 
——日本でもレゲエが認知されブームになると、自分たちがやっていることと、一般的なポップスなレゲエ、そのギャップに違和感を感じましたか?

いまだに世界のレゲエシーンと違いすぎて違和感を感じていますよ。ただ日本には日本のやり方がある。日本語で伝える必要があるわけだから上手くリンクできたらと思います。
 
——日本語のレゲエでもっとも売れたのが三木道三の「Lifetime Respect」ですよね。オリコンチャートで当時レゲエ楽曲として1位を記録している。

あの曲はかなり売れましたけど、結構レゲエマナーなんですよ。俺らのなかであれは全然ポップスと思ってないですね。あれは本当に曲の力でいったなっていう。Steely & Clevieが作ったオケだし、声は一本録りで、被せてもいない。1990年代から2000年代前半のジャパニーズレゲエアーティストって海外を見ている人が多かった気がするんですよね。
 
——Mighty Crownも海外でのイメージと日本でのイメージ、ふたつあるように思います。

世界タイトルを獲って海外にMighty Crownの名が知られるようになったときに、同時に日本ではレゲエ祭をやっていましたからね。違う世界を平行してシーンを走っていた感じですね。今のレゲエシーンは、良く言えば“日本独自”、悪く言えば“ガラパゴス化”になっている。ヨーロッパとか行ってみると、普通にジャマイカのレゲエスタイルは通用するんですよね。日本人のアーティストが行ったら盛り上がるかな? たとえば日本で人気の曲を世界でかけても通じないと思う。日本を一歩出るとどこの国に行こうと英語が軸。だから、日本はレゲエ大国だけど、ちょっと世界から離れちゃっているかなと最近すごく感じます。
 
Masta Simon(Mighty Crown)が聴いてきたレゲエミュージックをAWAで視聴する 

awa  
- Information -

タイトル:Mighty Crown 25th Anniversary 横浜レゲエ祭2016-20周年-
開催日:8月11日(木・祝)
会場:横浜・パシフィコ横浜国立大ホール(神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1)
時間:13:00
料金:通常 7,500円 S席 20,000円
出演:【Mighty Crown Family】Mighty Crown, FIRE BALL, PAPA B, GUAN CHAI
【Japanese Reggae All Stars】ACKEE & SALTFISH, H-MAN, Jr.Dee, J-REXXX, JUMBO MAATCH, TAKAFIN, BOXER KID from MIGHTY JAM ROCK, MOOMIN, NANJAMAN, PAPA U-Gee, PUSHIM, RUDEBWOY FACE, RUEED, RYO the SKYWALKER, Spinna B-ILL, YOYO-C, キヨサク(MONGOL800),and more.【Special Guest from Jamaica】Beenie Man【Bands】HOME GROWN, STONED ROCKERS
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