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日本が誇る世界チャンピオンMighty Crown。活動25年の軌跡と「横浜レゲエ祭」 - 後編 –

 サウンドシステム同士が決まったルールや時間のなかで交互にプレイ。選曲やレコードをかける間合い、曲やお客さんを煽るMCなどで、どちらが盛り上げたかで勝敗を決める、サウンドクラッシュ。サウンドクラッシュの世界大会でもっとも権威ある「World Clash」(1999年)に出場し、ジャマイカのレゲエアーティストを倒し優勝した日本人アーティスト、Mighty Crown。そんな彼らが今年で結成25周年をむかえる。彼らが活動を開始した当時、日本のレゲエはまだ、いまのように一般的層に広まっておらず、さらにはメディアにも取り上げられることの少なかった音楽。彼らは、日本でレゲエが今のように市民権を得るまでにした功労者であり、つねに世界を舞台に戦い続けた挑戦者だ。そして今年は彼らが主催する「横浜レゲエ祭」も20周年を迎える。

 本記事はMighty CrownのMasta Simonに取材を行いまとめたもの。また、定額制配信サイトAWAを使い、本記事に登場したアーティストの楽曲でプレイリストを作成。視聴しながら記事を読むもよし、読み終えた後に視聴するもよし、プレイリストも記事も、ぜひチェックしてみてほしい。


写真:Mighty Crown Entertainment


横浜レゲエ祭2016出演アーティストの楽曲をAWAで視聴する 
awa
 
 
 
レゲエ祭が膨らみすぎて出した答え。「
一度全部ぶっ壊そう」


――「横浜レゲエ祭」に関して伺わせてください。オフィシャルサイトには最初に開催したのが1995年で、動員数150人と書かれていますね。
150人から200人ぐらいな感じでしたね。
 
――“当時のイベントとしては一大イベント”として書かれていましたが。
身内のなかの一大イベントってことですけどね(笑)。日本のアーティストだけで、小規模ながらも反響がすごかった。来場者、出演者、関係者がみんな「よかった」と言えた。それに、オレらにとては本当に始まりのひとつだったので。当時は規模をでかくしようとか思ってなかった。“とりあえず目の前のことだけを成功させよう。また来年もやろう”みたいな。それから、噂がどんどん広まっていった。300人キャパの箱でも入りきらないようになって、1,000人キャパの箱でやるようになっていった。当時、オレたちの周りで誰も1,000人のお客さんを前にパフォーマンスしたことがなかったので、全員が舞い上がっていましたよ(笑)。アーティストもお客さんも未経験なことばっかりで、だから、みんなで大きくなっていったみたいな感じですね。
 
――どのように広まったんですか?
雑誌でも、まだ取り上げられてなかったので、俺らのメディアはお客さんという感じでしたね。もちろん、SNSもなかったので、本当にストリートで、口コミで広まっていった感じです。
 
左から初年度の95年、96年、97年の貴重なフライヤー
 
――横浜スタジアムで開催したときなんて30,000人でしたが、そこまで大きくなると、「横浜レゲエ祭」が一人歩きしている感じはありませんでしたか?
そうなんですよ。すごくそれは感じたんですよね。野外でも10,000人規模のときは、お客さんとの距離が近かった。20,000人になったときでも、まだなんとなく自分たちのなかにある感じはあった。でも横浜スタジアムになった時に変わった。周りの人たちが“祭りごと”だから行こうよ、なんか知らないけど行こうよって人が増えた。Mighty Crownを知らない人たちが「横浜レゲエ祭」に来るようになったんです。あくまで推測だけど、10,000人ぐらいそういう人たちかもしれないですね。
横浜スタジアムでの開催時の写真
 
――大きくなって変わったことは?
贅沢な悩みなんですけど、規模を小さくしてでもコンテンツの濃いものをやりたくなるんです。そういう気持ちが働いたのを覚えています。それで、2006年から続けた横浜スタジアムで開催を2009年で一旦やめました。それで、規模を小さくして「ZERO Movement」というのをやったんですよ。「破壊と再生」みたいな感じで自分たちの作り上げてきたものを一度全部ぶっ壊そうという意味で。「ZERO Movement」としては3回イベントをやりました。日比谷野外音楽堂でやったんですよ。告知は「Mighty Crown Family」、「野音」、「ZERO」、これだけ。でもチケットは即完だった。その次に横浜の赤レンガ倉庫で「横浜レゲエ祭」でやった。このときも、規模は縮小して16,000人とか17,000人ぐらい。同じところでずっとやるのも楽しいけど、変な慣れ合いみたいなのが出てきてしまって、新鮮さがなくなったんですよね。この年、規模は縮小したけど内容には満足しています。それで翌年が「横浜レゲエ祭」が15周年だったので、また横浜スタジアムに戻したんですよ(笑)。周年だからやっぱり一度戻そうってなって。『「ZERO Movement」で一回破壊しても、オレたちはもう一度戻れる」』って感じで。来場者は30,000人まではいかなくて、約20,000人だったんですけど。
 
――2011年、東日本大震災の年ですよね。
そうですね。当時「やらないほうがいいんじゃないか」とかいろいろな意見があったんですけど、震災のボランティアに行った際にも現地の人たちが「俺らの唯一の生きどころなのでレゲエ祭やてください」という声もたくさんもらったんです。周年の年でしたし、被災者を元気付けるためにも開催したんですよね。その開催からいろいろと場所を変えながら、今に至ります(笑)。
 
――去年は開催していませんよね。レゲエ祭が求める場所というのは、どういったところなのでしょうか?
2011年のまではずっと横浜でやっていました。「横浜レゲエ祭」というぐらいなので、横浜で開催するのがいいんじゃないか、ということで横浜の祭という意味でやっていたんですよ。川崎で2年間やらせてもらったんですけど、やっぱり横浜でやりたいっていう思いがあった。理想は横浜の野外で開催するということです。それがなかなか場所が見つからなくて。去年は全然違う「サマブロ」(SUMMER BLOCK PARTY)という、「横浜レゲエ祭」とは趣旨が違うイベントをしました。
 
 
反感を買ってでも、課した使命。「オレはレゲエという橋を広げ繋げる役割


――今年は20周年なので、なんとしてでも横浜で?
そうですね。「横浜レゲエ祭」も20周年ですし、Mighty Crownも25周年ですから。室内ですがパシフィコ横浜 国立大ホールが空いていたので「やらないかやるか、どうする?」ってなったときに「やったほうがいいだろう」となって。横浜でやることに意味があると感じているので。「横浜レゲエ祭」に関しては2002年以来の室内開催です。
 
――レゲエのコンサートをホールで開催するのも珍しいのでは?

オレたちはホールではやっているんですよね。FIRE BALLのワンマンも。「横浜レゲエ祭」としてはホール開催は初めてで珍しいかもしれないけど、ほかのイベントとかでは何回かやったことはあるんです。ホールの良さはわかっているし、室内は室内の良さがあるので、そこをフルに生かしてやりたいです。
 
――設置されている椅子はどうなりますか?
国立大ホールなのでしまえません。すべて指定席だけど、みんな立っちゃうんじゃないかな。でもレゲエ祭と一緒に育ってきた人たちっていうのが、たぶん今は20代後半~40代の層が多いと思う。だから「椅子がいいね」っていう人たちも結構いると思うんですよね(笑)。横浜スタジアムでやっていたときも、2006年と2011年では、売れる場所がまったく逆。2006年はアリーナがまず売れたのに、2011年はスタンドから売れてきていた。スタンドの席でビール飲みながらゆっくり見て、騒ぐときは立って騒ぎたい。あと荷物も置きやすい。そんな気持ちにみんななったんじゃないかな。だから、今となればホールでもいいんじゃないかなとは思います。
 
――音響に関しては?
サウンドは持ち込まないのでPAで音を出します。音の抜けはないですけど、ちゃんと音響の人と話し合ってやるので、力強いけど心地よい音にしますよ。
 
――今回のスペシャルゲストBeenie Manは過去に1回「横浜レゲエ祭」に出演していますよね。
Beenie Manは海外でも一緒になったりしますし、何十回も一緒にレコーディングしたりした仲なので、同士といいますか。もちろん先輩ですけどね。1990年中頃から2000年代はずっとBeenie ManとBounty Killerの2人がレゲエシーンのトップに君臨していた。Beenie Manはずっと聴いていたし「Sound Clash」の現場でもずっとかけ続けてきた。なぜ今回呼んだかというと、「横浜レゲエ祭」の歴史のなかで誰が一番盛り上げたかと考えると、ダントツでBeenie Manだったんですよ。それで彼を呼ぼうと。彼を呼ぶのは8年ぶりかな。それに、「横浜レゲエ祭」関わらず8年間ぶりに来日。そうなると、かなり久しぶりな感じですよね。
 
――「横浜レゲエ祭」で印象深かったこととを教えてください。
やっぱり、2003年に八景島で開催した初めての野外。10,000人規模の時ですね。借金覚悟でやっていたので。「赤字になったらどうする?」みたいな感じでしたからね。でもあまり考えてなくて、なったらみんなでマグロ漁船に乗って半年ぐらいで返そう、ぐらいの覚悟はありましたね。あとは横浜スタジアムで開催した時ですね。「オレたちここまでやっときたぞ」という気持ちはすごくありました。何もないところから始めて、大きなスポンサーが付かなくても、自分たちの力とファンだけで、ここまでこられた。勝ったときのフィーリングに似た感情が生まれたのを今でもすごく覚えていますね。自分にとっては、そのふたつが一番大きいですね。あとは、スタジアムから離れて復活した時の「横浜レゲエ祭」とかも。場所が変わってもついてきてくれる人がいる、っていうことが印象深かったですね。「やっぱり名前じゃない。中身だな」っていうのを今でも思います。
2003年、初の野外開催となった横浜レゲエ祭
 
――活動25周年ということで、今の自分たちの役割というものについて何か考えていたりしますか?
オレ個人としてはレゲエっていうのをもっといろんな人たちに聴いてもらえるシチュエーションを作らなくちゃいけないな、ということと、次の世代にどう繋げるかっていうこと。この2つが大きい。15年前…いや10年前だっとしても、今一緒にやっているほかのジャンルの人たちとは多分やってなかったと思うんです。Hi-STANDARDだったりBRAHMANだったり、最近だったらSiM, 
MONGOL800 10-FEET、LDHの人たちと仲良くさせてもらったり。
それをみて、いいと思わない人たちもいるんですよ。でも25年経って初めて見えるビジョンは、反感を買ってでも、いろんなところに露出して、オレはレゲエという橋を広げ繋げる役割なんじゃないかなと思う。他ジャンルだけどビジョンや考え方が似てる人達が多くて普通にLINKして面白い! そして、世界中とアジア中を繋げるっていう役割をこれから先はやっていけたらいいと思っています。
 
――レゲエっていうのをもっといろんな人たちに聴いてもらえるようなシチュエーションを作る、ということですよね?
そうですね。もっとレゲエっていうものを知ってもらいたいですね。食わず嫌いとか絶対あるので。オレ自身、レゲエが大っ嫌いだったので(笑)。嫌いっていう前に1回聴いてみて、それで嫌いっていうのであればそれでいい。とにかく場を与えない限りは、ただの食わず嫌いで終わられるのも何か寂しい。いろんな人とリンクして、いろんなところで人々にレゲエをインプットできたらいいなと思っています。それが役割ですね。次の世代、10代の人たちにレゲエの面白さを伝えられたらいいと思っています。
 


横浜レゲエ祭2016出演アーティストの楽曲をAWAで視聴する
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- Information -

タイトル:Mighty Crown 25th Anniversary 横浜レゲエ祭2016-20周年-
開催日:8月11日(木・祝)
会場:横浜・パシフィコ横浜国立大ホール(神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1)
時間:13:00
料金:通常 7,500円 S席 20,000円
出演:【Mighty Crown Family】Mighty Crown, FIRE BALL, PAPA B, GUAN CHAI
【Japanese Reggae All Stars】ACKEE & SALTFISH, H-MAN, Jr.Dee, J-REXXX, JUMBO MAATCH, TAKAFIN, BOXER KID from MIGHTY JAM ROCK, MOOMIN, NANJAMAN, PAPA U-Gee, PUSHIM, RUDEBWOY FACE, RUEED, RYO the SKYWALKER, Spinna B-ILL, YOYO-C, キヨサク(MONGOL800),and more.【Special Guest from Jamaica】Beenie Man【Bands】HOME GROWN, STONED ROCKERS
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